修行の身はつらいよ(by 由利香)
まったく、綸ちゃんてば、なんてことを言ってくれるのー。
でも、すねて連絡を取った私に、「由利香さんなら大丈夫よ。期待してるね」って電話の向こうで言ってくれたから、もうこれは頑張るしかない。
だけど…。
先生が鞍馬くんっていうのが、どうも。
だったらどっちかって言うと、まだ冬里の方がいいかも。
だから、夏樹の先生は鞍馬くんにお任せして、私には冬里が教えるのはどう? って言う提案をしてみた。
それを言ったらね。夏樹は見えないシッポが振り切れるくらい喜んだんだけど、冬里は意外そうに言った。
「へえー? 珍しいね。由利香がそんなこと言うなんて。でも、シュウは本当にもう夏樹には教えることがないって、だよね?」
と、鞍馬くんに確認した。
鞍馬くんも大きく頷きながら答えている。
「ああ、そうだね。それに和食ランチを任せてからは、その探究心で、もう夏樹は私より和食には詳しいと思うよ」
「いやっ、そんなことないっす。まだまだシュウさんに教えてもらいたいことは山ほどあります!」
「でも、総一郎くんと渡り合うためには、料亭流の料理の仕方も知っておいた方が良いと思うし、今後のためにもきっとなるよ、夏樹」
などと言われて、もともと根が単純な夏樹は「そうっすか?」と、すんなり納得してしまった。
と言うわけで、私の先生は鞍馬くんに決定。
でも夏樹ってばもう忘れていらっしゃるけど、私は覚えてるわ!
夏樹が初めて和食に挑戦したとき。
試食地獄のあのときにね。
鞍馬くんてば、本当に怖いくらい厳しかったんだから。
それをこっそり冬里に話したんだけど、
「そうなの? でも夏樹の時とは状況がぜんぜん違うじゃない。それにさ、昔、領主のお嬢様に料理を教えてたことがあるけど、すーごく優しかったよ?」
と、ちっとも取り合ってくれないの。
「私はお嬢様じゃないもん。それに、お嬢様にはちょっとは遠慮するだろうし」
「由利香には遠慮しないってこと?」
「うん、きっとね。だって、試食地獄の時も待ってくれなかったもん」
「ふうーん」
冬里は首をかしげたあと、ちょっと面白そうに言い出した。
「だったら余計にシュウにお・ま・か・せしちゃおうっと」
「冬里~」
ああ、やっぱり冬里に相談しても無駄だったか。私はガックリと肩を落としつつも、ここまで来たら仕方がないと腹をくくるのだった。
で、修行第1回目。
「とりあえず、由利香さんの実力を見てみたいので、簡単な事から。今日はリンゴの皮むきをしていただきます」
鞍馬くんからのリクエストがそれだった。
いくら何でも、リンゴの皮くらいむけるわよ。私はリンゴと包丁を受け取って聞く。
「で、丸ごと? それとも4つくらいに切り分けてから?」
「それはお任せします」
と言われたので、丸ごとむくことにして、私は(包丁の背に人差し指を置いて)リンゴに当てる。
すると。
「!」
いきなり鞍馬くんが包丁を持っている手の方の手首をつかむ。驚く私に鞍馬くんが言う。
「何をしているのです?」
「何って、リンゴの皮をむこうと思って」
すると鞍馬くんは、ふっとため息をついて言った。
「包丁の持ち方がちがいます。人差し指を背に当てるような危険な持ち方はしてはダメです」
「へ? 」
そうなんだって。
皮をむくときの包丁の持ち方はね、人差し指を包丁の刃に沿わせて持つんだって。
「それじゃあ力が入らないじゃない」
と、抗議するが、鞍馬くんはまたため息をついて言った。
「由利香さん…。人差し指を背に当てては、それこそ力が入りすぎて、皮どころか自分の手まで切ってしまいます。本当にそんなやり方で、今までよくケガもせずに」
と、そこで言葉を切ったあと、いぶかしげに聞く。
「由利香さんは、独り暮らしをしてらっしゃいましたよね。私に出会うまでどんな食生活をしていたのですか? もしかして、まな板も包丁もなかったのでは?」
鞍馬くんの言葉に、うっと詰まる私。
ええっとね。まな板も包丁もあったけど、まあ、ほとんど使ったことがなかったというか。
「だって、今は電子レンジっていう文明の利器があるじゃない。世の中にはコンビニもあるし、お総菜屋さんも大流行だし…、デパートの地下にはー、あらゆるものが…」
私を見つめている目がどんどん冷めていくのがわかって、声がだんだん小さくなっていく。自分の身体も小さくなったんじゃないかと思ったところで、鞍馬くんが言った。
「わかりました。今日はこれくらいにしましょう」
第1日目にして、私はひどい挫折を味わったのだった。
次の日。
鞍馬くんからレンタルビデオ屋の袋に入ったDVDを渡される。
「由利香さんにはまずこれで基礎から勉強していただきます。実践はそれからにしましょう」
へえー。どんな内容だろ。基礎からの料理教室とかかな?
と、思って取り出してみたところ…。
「なによこれ!」
思わず叫んでしまう。
なんと、中身は、某国営放送の教育的チャンネルが提供している、幼児向けの料理番組〈料理だいすき! 1・2・3〉などという代物だった。
「人を馬鹿にして!」
と、文句たらたらで鑑賞しだした私だったが。
「へえー」
とか、
「なるほどー」
とか。
思わず関心してしまう内容と、なにより子ども向けなので、とってもわかりやすいの。
さすがは、国民のためになる番組を、と言う理念で作られているだけあるわ。
で。
主人公のティースプーンちゃんが、いちょう切りを習得する頃には、これなら私にも出来るかも! と思ってしまうほどだった。
で、第2回目。
恐るべし幼児向け料理番組。
私はきっちりとエプロンをつけて髪を一つにまとめ、料理の邪魔にならないように、きちんと腕まくりをしてキッチンに立つ。これもティースプーンちゃんから教えてもらったのよ。
ドヤ顔をする私に、クスクスと笑いながら鞍馬くんが言った。
「きちんと番組を見て頂いたようですね。冬里の策略が当たったようです。それでははじめましょうか」
なるほど。
鞍馬くんがあんなふざけたDVDをなぜ持ってきたのかが謎だったんだけど、冬里の仕業だったのか。結局は、まんまとそれにはまってしまったのね、私。
その日は鞍馬くんから包丁を持つ手を押さえられる事もなく、私は食材の切り方のほとんどを実践することが出来た。
鞍馬くんも、今日は満足そうに微笑んでくれる。
で、ふと。
考えてみたら鞍馬くんとキッチンに立つのが初めてだった私は、あることを思い立って、お願いしてみることにした。
「そういえば、私、鞍馬くんが本気で料理するとこ、見たことがないのよねー」
「?」
何を言い出すのかとこちらを見やる鞍馬くんに、手をパチンと合わせて頭を下げた。
「お願い! 1回でいいから、間近で鞍馬くんの本気が見てみたい~。お願いします~」
「由利香さん…」
また困らせてるなー、と思ったけど。
「前の店で、飲み物をお出ししたことがありますが」
「ええー、でもそれって料理とはちょっと違うでしょ」
「本当に由利香さんは…」
ため息をつく鞍馬くんに、テヘっと笑いかける。
すると…
鞍馬くんは、さっき半分に切ったタマネギをまな板に置き。
「! 」
何が起こったんだろう。
鞍馬くんは神々しいほど近寄りがたい雰囲気で、包丁を手に取ると。
ストン。
その1回しか音がしなかったのに。
目の前には、みごとに切りそろえられた、美しいとしか形容しようのないみじん切りが出来上がっていた。
「…」
唖然として言葉も出ない私に、鞍馬くんってば、
「お見せするほどのものではありませんね」
と、少しおどけたように言うんだもん。
「鞍馬くん~」
あまりにも感激してしまったので、私は横から思いきり鞍馬くんに抱きついてしまった。
え? と言う顔をする鞍馬くんに、
「素晴らしいー」
と、言ったところで、「あーっ!」と、声がする。
いつの間にか、リビングに来ていた夏樹が、ビシッとこちらを指さして叫んでいる姿が目に入る。
「ななな、なにしてるんすか由利香さん! 冬里に言いつけますよ!」
なんか誤解してる。
でも、感激があとを引かなかったので夏樹に教えてあげた。
「聞いて聞いて! あのね、今、鞍馬くんが本気でみじん切りするところ、見ちゃったー」
すると夏樹が騒ぎ出す。
「ええ? ずるいっすよーシュウさん! 俺だってここんとこシュウさんの本気、見られてないんすから。俺にも俺にもー、俺にもみせてー」
言いながらやって来て、鞍馬くんにすがる。
「ほんとうに、あなたたちは…」
でね、その日の夕食は久しぶりに鞍馬くんの本気の料理。
神々しいまでの作る姿を堪能し。
食べる前からうっとりしている夏樹と私に、
「どうしちゃったの、この2人」
と言った冬里が、料理を一口食べて納得したのは言うまでもなかった。




