まほうつかいのおばあさん?
乾杯の声とともに、カチンとグラスのぶつかる音がする。
「お疲れ様ー」
「お疲れ~」
「お疲れっす! にしても無事終わりましたねー」
「…」
皆が慰労の言葉を口にする中、ただひとりシュウだけは、無言で微笑みながらグラスを持ち上げる。
夏樹が言ったように、第1回の変則シチュエーションディナーは、滝之上夫妻に幸せなひとときをもたらして、無事大成功で終えたのだった。
今夜はがんばった夏樹のために、ささやかな打ち上げをしている。
「それにしても、志水さんが弦二郎さんに、あーん、してあげたらお料理が食べられるっていうの、本当だったのね。私はてっきり、いつもみたいに冬里の冗談だろうって思ってたのに」
由利香の楽しそうな言葉に、曖昧に顔を見合わせるシュウと冬里。
そうなのだ。
せっかく夏樹が習ってきた料理を食べてもらいたかったのは、やはり弦二郎だったのだが、シュウにも冬里にも、はっきりした方法がわからずにいた。そこで志水に相談したところ、彼女はフフッといたずらっぽい微笑みで「大丈夫よ」と、いとも簡単に言ってのける。
そして当日。
このディナーはかなり特別なシチュエーションなので、参加者は志水のみ。
(あやねは行きたいと言ったのだが、夜がかなり遅くなることがわかっていたので、志水が説得して納得してもらった。そのかわりに、坂の下一家を招待した試食ランチが事前に開催され、あやねも念願の料理を食べることが出来た。)
くだんの料理を、本当に美味しそうに、嬉しそうに食べる志水を、こちらも本当に嬉しそうに眺めていた弦二郎に、
「はい」
と、料理をフォークに乗せて差し出す志水。
「志水さん。いくらなんでも、私は、あー、いわば幽霊なんですから。実体のあるものは食べられませんですな」
「あら? 大丈夫よ。はい、あーん」
子供のような笑みに、あきれた顔をしながらもつきあってやる弦二郎。
「はいはい、わかりましたよ。あーん…」
誰もが志水のたわいない遊びをほほえましく眺めていたそのとき。
「ム、むむむ?! 」
フォークが弦二郎の口に触れたとたん、いつもならそのまま通り抜けるはずの料理が、すうっと消えてなくなる。
驚きながらも、料理を味わうように口をモグモグと動かしていた弦二郎が、コクンとそれを飲み込み。天を見上げて、長いため息をついた。その目には涙が光っている。
「ああ…。この味」
「あのときの味、ね? 」
「はい、いや…、美味い。あのデートの情景がよみがえりますな。なんと嬉しくて懐かしいこと。志水さん、本当にありがとう」
「どういたしまして。でもお礼は私じゃなくて、完璧に再現してくれた彼によ」
と、夏樹を指し示す。
いきなり話をふられた夏樹は、焦って手をブンブン振りながら言う。
「へっ? いやいや! 教えてくれた親父さんがすごかったんすよー」
「しかし、それを忠実に守りながら作ってくれた君に感謝です。本当にありがとう」
すると夏樹は頭をかきながら嬉しそうに俯いた。
「それにしてもどうなってるの?」
由利香がびっくりしながら聞く。今日もネコ子が奈良から特別参加してくれている。そのおかげで、「見えない」人である由利香にも、弦二郎の姿が見えるのだ。
すると志水が由利香の疑問に答えるように、フォークを杖のように持って、くるくると回しながら言う。
「あら、こんな事が出来るのは、魔法使いのおばあさんだからに決まってるでしょ? 」
「ええー? またまたぁ~」
由利香は思わず可笑しそうに吹き出した。
「人はね、信じたくない事柄に出会ってしまうと、脳がなかったことにしちゃうんですって。私たち百年人の中にも色んな方がいらっしゃる、のにね。皆、素直になって真実を見つめなきゃ」
どこかで聞いたことのある言葉と、その口調を真似する志水に、由利香は思わずシュウを盗み見る。そのシュウはというと、少し眉を動かしはしたが、さすがにポーカーフェイスは崩さずにいた。
そこへ声がする。
「志水さん」
茶目っ気たっぷりな表情で、あーんと口を開けている弦二郎。
志水はあきれながらも嬉しそうに微笑んで、
「はいはい」
と、また一口料理を口に運ぶのだった。
「なんだか今日は、ものすごーく暑いわね。ねえ、ネコ子」
由利香がソロソロとネコ子をなでながら言うと、
「にゃーーおーーん」
そうだー、と言ったのかどうか、ネコ子が長く鳴いて答える。
そんなやりとりに、千年人も、百年人も、そして幽霊さん? も、ほんわかとした幸せに浸っていくのだった。
「うーんとね。あーんしてあげればって言ったのは軽いジョークのつもりだったんだけど、志水さんどこで聞いてたんだろ。結局、本当にしちゃうんだもんね」
「え? じゃあやっぱりあれって冗談だったの?」
「もちろん」
「ええっ、そうなのー? 」
冬里の答えに今度は本当に驚く由利香。
「志水さんっていったい…」
「何者でしょうね。もしかしたら本当に魔法使いかも」
あとを引き継いで、わざと真面目な顔で言うシュウに、まったくこの人は、と、ガックリ肩を落とす由利香だった。
まあいいか。
この人たちが何者?っていう感じなんだから。
色んな事があるけれど、『はるぶすと』はいつでも不思議な優しさをまとって、日々営業を続けているんだから。
RRR…
そのとき、リビングに置かれた電話が鳴る。
一番近くに座っていたシュウがすっと立って行って受話器を取った。
「はい、…。お久しぶりです。はい、はい。いま替わります」
相変わらず静かな口調で答えていたシュウが、真面目に受話器の口元を手で押さえて冬里を呼んだ。
「冬里。総一郎くんからだよ」
「あ、ありがと」
冬里はそのあと、何やら楽しげに話しをしていたが、カチャ、と電話を切ると、おもむろに3人を振り返って言った。
「あのさ、総一郎と中大路の婚約が決まったんだって。だからさ、第2回目の変則ディナー、彼らに、き・ま・り」
「「ええっーーーーー! 」」
ポカンとしていた夏樹と由利香が、またまたびっくり二重奏をしたのは、言うまでもなかった。




