もう1人の見える人
くだんの秘密会議? から程なくして。
「こんにちは!」
勢いよく『はるぶすと』の入り口が開いて、元気な声が響き渡る。
「お休みなのに、ごめんなさいね。お邪魔します」
続いて落ち着いた上品な声。
今日は日曜日。
ディナー前に一度打ち合わせをしたいと志水に申し出たところ、彼女が快く了解してくれたため、本日のご招待となり。
そのことを両親から聞いたあやねが、「私も行く! 」と、嬉々として、滝之上のおばあちゃん、についてきたと言うわけだ。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
おだやかに微笑みながら、シュウがカウンターの向こうから声をかける。すかさず夏樹が、トントンと軽く弾むような足取りでカウンターから出てきた。
「どうぞこちらへー」
打ち合わせしてあったのだろう。前に弦二郎を案内した、暖炉前のソファへと2人を誘導する。
迷うことなく弦二郎が腰掛けた席へ座る志水を、ふっと優しそうな顔で見やるシュウ。そんな2人に夏樹がメニューを差し出す。
「どうぞ」
「あら? 今日はお気遣いいただかなくて良いのに」
と言う志水の申し出に、あやねの声がかぶる。
「ありがとう! えーっと、何にしようかなー」
嬉々としてメニューを選び出したあやねに、志水はフフッと笑って、
「何も頂かないわけにも行かないようね」
と、自分もメニューに目を落とす。
「…ねえ、あさくらくん」
あやねは、由利香の呼び方にならって、最初は夏樹と冬里は呼び捨てだったのだが、泰蔵に何か言われたらしく、しばらくすると、夏樹のことは「あさくらくん」、冬里のことは「しすいくん」と呼ぶようになっていた。
「今日はお店お休みだよね」
「はい、そうだけど? 」
「じゃあ、ケーキは作ってないんだね~」
残念そうに言うあやねの頭の上で声がした。
「大丈夫ですよ。と言っても、シフォンケーキしか作っていませんが」
シュウが水の入ったグラスを持ってきたのだった。
「ホント?! わー嬉しい。じゃあ、あやねはシフォンケーキ! 」
「かしこまりました。それでしたら、ホイップクリームと、特製のイチゴジャム、そして特別に、新鮮なイチゴをたっぷりおつけしておきますね」
「ありがとう! くらまくん、だーいすき」
にこにこ笑って「おばあちゃんは何にするの?」と聞くあやね。
志水は感心した様子で今までのやりとりを聞いていたが、あやねに言われてメニューを見直す。
「そうねえ、じゃあ、ロイヤルミルクティを」
「かしこまりました」
そうして、あやねが夏樹と楽しそうにやりとりしだしたのを確認して、メニューを受け取るためにかがんだシュウに、こっそり耳打ちする。
「できれば本気モードで」
不意打ちをくらって、さすがのシュウもそこで固まってしまう。
しかしそこはやはりシュウ。すぐにニッコリと立ち直り、おもむろに小声で聞く。
「今まで何人くらいの正体を見抜かれましたか? 」
「そうねえ、数え切れない、とは言いがたいわね。絶対数が少ないもの」
のんびりと答える志水に、シュウは少し苦笑しながら言った。
「いつかゆっくりとお話を伺いたいものです」
「そうねえ、でも、こんなおばあちゃんですから、時間がないわよ。なるべく早く誘ってね」
「はい」
「ねえ、あさくらくん。今日はしすいくんはいないの?」
こちらはあやねと夏樹のお子様?コンビ。いつも「姫、姫」とからかってくる、約一名がいないのを不思議に思ったあやねが聞く。
「へ? いや、いるよ。あれ? さっきまで一緒に厨房にいたのに、どこいっちまったんだろ?」
そう言ってキョロキョロとあたりを見回す夏樹。
あやねも真似して面白そうにキョロキョロする。
すると。
「あ! いた!」
あやねが指さす先を見ると、ちょうど冬里が後ろにいる誰かに話しかけながら、ディナー用個室のひとつから出てくるところだった。
そこには、思った通りの由利香。
そして…
なぜか弦二郎が、そおーっ、という感じで彼女のあとから顔を出した。
「あ! 由利香おねえちゃんだ。それから、うーんっと。ねえねえ、あさくらくん。あのおじちゃん、だれ?」
「え、あやねちゃん、見えて、る?」
驚くように言う夏樹に、怪訝な顔を向けるあやね。なんとあやねは、さすがに志水の孫だけあって、見える方の人だったようだ。
「ちょっと待っててね、俺もわかんないから冬里に聞いてくるよ」
言うが早いが、夏樹は個室の入り口へ飛んでいって弦二郎と由利香を部屋の中へ押しやり、冬里になにやらワタワタと話をしている。
冬里は慌てる様子もなく夏樹の話を聞いていたが、おもむろにあやねの方を見て、手を振りだす。
「姫様。おひさしぶりです」
「しすいくーん」
あやねも嬉しそうに手を振り返している。
そのあと冬里は夏樹と交代であやねたちの方へとやってくる。
「あやね姫には、本日もご機嫌麗しく」
うやうやしく胸に手を当てながら、身体を折る冬里。
「えへへ、ねえ、あのね、しすいくん」
あやねはうれしそうに、冬里に質問しようとしたのだが。
「おまたせいたしました」
ちょうどそこへ、シュウが注文の品を運んできた。
「どうぞ」
まず志水の前にロイヤルミルクティーを置き、次にあやねの前にイチゴがたっぷり乗ったシフォンケーキを置く。
「ありがとう。…良い香りね」
「わあ! いちごがたくさん~! ありがとう」
2人が食べたり飲んだりし始めたのを確認すると、冬里がシュウの腕をポンとたたいて個室へと戻っていく。シュウは迷わずその後について個室へと入っていった。
ディナー用の個室の中では、弦二郎と夏樹が目をウルウルさせながら、手を取り合って嬉しそうに話をしている。
「志水さん、相変わらず美しいですなあー。で、なんですか! あやねには私の事が見えてるんですか? ウ、…ウ、なんと嬉しいこと」
「弦二郎さん、ウェッウエッ、良かったっすね、あやねちゃんが見える子で、んでもって、奥さんにも会えましたねー」
入って行った2人はその様子を見て、肩をすくめたり、ため息をついたりしながら目を見合わせた。
由利香も困ったように苦笑いしながら、やってきた2人に話しかける。
「ねえー、あれどうかしてよ。私、弦二郎さんが見えないから、夏樹の独り芝居がホント可笑しくて」
「フフ、夏樹だけしか見えないんじゃ、ちょっと引いちゃうよね」
「でも、困りましたね。あやねちゃんに弦二郎さんが見えてしまうのでは、弦二郎さんが自由に動けませんね」
すると、夏樹との感動場面を終えた弦二郎が、涙を浮かべた目に笑みをたたえて言う。
「いやー、こんな嬉しい理由なら、私はここからこっそり様子を見るだけで十分ですよ」
予定では、このあと弦二郎は志水の近くまで行って、そのそばで彼らの打ち合わせを聞くはずだった。
先ほどの感じでは、意外というか、やはりというか、志水は弦二郎の姿はもとより、気配すら感じていないようだったから。
「わかりました。申し訳ありません」
シュウが弦二郎に頭を下げていると、由利香がシュウの服を引っ張って言う。
「もう、鞍馬くん。説明してよ」
「あ、申し訳ありません。弦二郎さんは、ここからひっそりと、私たちがする話し合いをお聞きするだけで十分だとおっしゃっています」
「そうなの…」
由利香が少し寂しそうな顔で答える。
「志水さんの体温が感じられるくらい近くまで行けますよ、って言っていたのに。これは誰のせいでもないんだけど、なんだか申し訳ないです」
と、由利香は先ほどシュウが頭を下げていた方向へ向かって、自分も頭を下げた。
弦二郎は恐縮して「い、いや」などと言いながら手をブンブンと振っている。
シュウはまた、くそ真面目に自分も手をブンブン振って、彼の様子を由利香に説明するのだった。
「あー美味しかった。ごちそうさま!」
そのとき、あやねの元気な声が聞こえてきた。
シュウたちはその声を聞いてうなずきあい、弦二郎1人を残してゾロゾロと個室を後にした。冬里と夏樹がカウンターの中へ、シュウは食べ終えた食器を下げるため、志水とあやねが座るソファへと向かう。
「そういえば飲み物を出してなかったね、あやねちゃん。何かお出ししましょうか?」
ソファに到着したシュウがあやねに聞くが、あやねは「ううん、いらない」と断って、ピョンとソファから立ち上がると「手が汚れちゃった。洗ってくるねー」と、カウンターに作り付けの洗面台へと走って行った。
「鞍馬さん、ありがとう。暖かくて……とても懐かしい感じがしましたわ。どんな思いを込めて下さったのかしら? ほんとうに素敵」
しばらくして、志水も正直な感想を述べはじめる。
「ありがとうございます」
シュウが少しはにかみながらお礼を言っている。珍しい光景だ。
「鞍馬くん、照れてる?」
まだ個室の入り口近くにいた由利香が、そんな様子を見て思わずつぶやいた時。
「ねえ、由利香おねえちゃん。あのおじちゃんはまだ中にいる? 」
目の前にあやねが立っていた。
「キャッ!」
慌てて文字通り飛び上がる由利香。
「あ、あやねちゃん! あー驚いた」
いつの間にやってきたのか、あやねは由利香の横から、個室の中を見ようとしている。由利香は慌ててその前に立ちふさがり、あやねの肩に手を置いて言う。
「え? 誰のこと? 誰もいないわよ? ねえ、それより鞍馬くんが赤くなってる。かーわいいー、わよ」
必死で中をのぞこうとしていたあかやねだが、シュウが赤くなっていると聞いて、思わず振り返る。
「え? あ、ホントだ。ええー、なんでー? 」
「ちょっと聞きに行こうか? 」
「うん」
ホッとした由利香は、あやねと手をつないで個室の前から離れようとした。
そのとき、ふと振り返ったそこに、なんと見えないはずの弦二郎が、ひとり肩をなで下ろす光景が見えた。
予想外のことに驚いて、思わずその場に立ち止まる由利香。
その拍子にあやねと繋いでいた手が離れて…
同時に弦二郎の姿が、スッと消えてしまったのだった。




