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それぞれの朝 (1)

 ずいぶん夜が明けるのも早くなった。

 シュウは木々の葉に朝露が美しく光る、新しい『はるぶすと』の前庭に降り立つと、ふっと微笑んであたりを見渡した。

 今年は桜が遅いと言われていたが、4月に入ったとたんに気温がぐんぐん上がり、どの木々もあっという間に満開を迎えていた。


 ホ ♪ ♪ ♪ ケキョ


「…」

 こんな時期に。

 毎年恒例のことだけれども。


「梅にうぐいす、ならぬ、桜にうぐいす、だね」

 振り向くと、いつの間にそこにいたのだろう。冬里がニッコリと笑って、決して広くはない庭に、ただ1本だけ立つ、樹齢70年くらいの若い桜(…それは彼らに比べれば、と言うだけだが)を眺めていた。

 彼は女性と見まごうほどの綺麗な微笑みを見せて(本人に言わせると、どのあたりが女の人なの? と言う事だが)シュウの隣をすり抜けて行く。

「散歩?」

「……まあね」


 返事までに少しの間があいたのが気になりつつも、どうしてかシュウは桜の方へ向かう冬里のあとに続いて歩き出す。


 そんな冬里は桜の真下までやってくると、くるりと振り向いて、思案顔で右手人さし指を立て、くるくる回していたが、突然その指をシュウの鼻先につきつけた。

「ちょっと睡眠不足じゃない?」

 何を言うのかと少し驚き顔でシュウは答える。

「? いや、いつもどおりだよ」

「ふうん」

「なにか気になる?」

「うーん…」

 と、上を向いたり、下を向いたり、腕を組んだり、かと思うとその腕を後ろ手に持っていったり。

 長いつきあいなのだが、たまに冬里はシュウでさえ理解に苦しむ不思議さがある。


「ま、いっか」

「なにが?」

「シュウくんは言って聞くような軟弱な頭を持ってないからね」

「またそんな風に人で遊ぶ」

「遊んでないよ? 本人に自覚がないんだもん、しょうがないじゃない」

「…」

 返す言葉がなくなったのか、シュウは黙りこくっている。


 そんなシュウに、もう一度ほほえみかけると、

「じゃあ行ってくるね」

 と、冬里はまたひらひらと手を振って、★川の方へと歩いて行った。




 その後ろ姿をしばらく見やって、ふっ、と笑みとも、ため息ともつかないような息を吐いてシュウは、草花が咲き乱れている店のエントランスにむかう。

 ここへ越してきてから、『はるぶすと』で使うハーブの一部をエントランスに植えて、休みの日に少しずつ手を入れてきたシュウだが、いまのところは思惑通りに育ってくれている。



 どのくらい放置されていたのか、草が伸び放題だった、店の出入り口に続くエントランスを芝生にしたいと言い出したのは、坂の下工務店の泰蔵社長。


 けれども…

「また! 親方ー。この店はグリーンゲイブルズじゃないって、何度も言ってるじゃありませんか!」

 それに反対したのはやはり由利香だ。


「ものすごく広いところに建つ一軒家ならともかく、こんなに狭いところを狭い芝生にしたって、貧乏くさい感じがするたけです! 」

「や、しかし…」

「とにかくダメ! 」

 むう、と、黙り込んだ社長は、それでも納得しないような顔をしていたが、建物自体にかなり自分の趣味を盛り込んでしまったあとだったので、それ以上反発はしなかった。


 その由利香はというと、

「やっぱりエントランスはお花いっぱいにしたい~。特にバラ! 絶対にバラは欠かせないわ!」

 と、夢見るように言う。

「由利香さんがバラなんて、ちっとも似合わないじゃないすかー。おっかしいっすよ」

 余計なことを言ってまたはたかれかけている夏樹。

「夏樹はわかってない。女の子はとにかくお花が好きなものなの! 」

「そんなもんなんすかねー?」


 わからないような顔をしている夏樹に、にっこり笑いながら答える冬里。

「そんなもんじゃない? いつの時代も、花と宝石はご婦人とともに、だよ」

 由利香はその言葉に、思わずパチンと手と手をあわす。

「そうよね、って…。冬里のいういつの時代もって、もしかしたら、とっーても昔からなの? 」

「ぜんぜん。エリザベス女王がまだ若い頃から」

「あ、そう」

「そ、エリザベス一世がね」

「! また! 」


 からかわれた由利香は、笑いながら、冬里の腕のあたりをポカポカとたたく。

 冬里は「いったーい」などと大げさに言いながらも、ふふっと笑ってそれに答えていた。



 そんなわけで、エントランスには季節ごとの花を植えていくつもりだったのだが、ふと、そういえばバラはその花をハーブとして使えますね、という思いが頭をかすめる。

 なぜそんなことが頭に浮かんだのか、わからなかったのだけど。


 それに答えるように、花を植えて何日かしたあと、手入れをしていたシュウは、まだ整備していないあたりに、見覚えのある葉が小さく群生しているのを見つけた。

「これは…」

 きれいに整った葉を指でこすり、指に鼻を近づけると、ほのかにレモンの香りがした。

「やはり、レモンバーム、ですね」


 もとの持ち主が育てていたのか。それとも鳥が種を運んできたのか。

 それにしても、この間のバラで感じたものはこれだったのだなと思う。


 そして、せっかくここにあるものを刈り取ることもないし、店でもハーブは使っているし、という理由から、レモンバームは育てるべく残したのだった。

 すると、手入れをするうち、どうせなら他のハーブも植えてみようかと思い立ち、少しずつ種類が増えている。



 ただ、店の最終決定権? を持つ由利香の意見をスルーするわけにはいかないので、バラももちろん育てている。

 バラは好きな部類に入る花だ。

 昔、ヴィアンお嬢様に聞かれたときに、「バラに恋しています」などと言ってしまうほどには。

 ほんの冗談だったが。

 あれはまだ冬里と自分が現れたばかりの時でしたね。



 ほほえみながら懐かしい思いに浸っていると、足下に何かが動く感じがした。

「にゃおん」

 見ると、小さな白い猫がシュウの足に顔をすりつけてゴロゴロのどを鳴らしている。


 シュウは思わずかがみ込んで、あごの下を優しくなでながら聞いた。

「あなたは? どこから来たのですか」

 すると、彼だろうか、彼女だろうか?

 白い猫はスッとシュウの手をすり抜けて、今し方冬里と話をしていた桜の木へと走って行く。そうして「にゃー」と、木を見上げながら含みのある鳴き方をした。


「?」

 振り返った猫がなぜかニコッと笑ったような気がして、シュウは自分も桜の元へ行き、根元にちょこんと座っている猫の隣に腰掛ける。


「不思議な人ですね。ネコ子とお友達ですか? 」

 また手をさしのべながら聞くと、白い猫はシュウの腕に前足を伸ばす。

「! 」

 チクッとした痛みが腕に走る。

 爪をたてたのだろう。

 けれどおかしなことに、傷になっていた爪の後が、そのままスウッと消えていった。そうしてまたその猫が、にっこり笑ったように見えたあと…


 シュウは猛烈な眠気に襲われて、桜の木にもたれたまま深い眠りに入っていった。




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