ねむりからさめたときに
7年前に夫を亡くした幸音と、夫の後輩である長尾さんの話。
18歳で30歳の周悟さんに出会った。
両親を事故で亡くした私の前に、彼は母の親友である一恵さんが手配してくれた弁護士として現れた。
呆然とするだけの私を励まし、支えてくれた人。一恵さんと同様、私の恩人。
そして「お兄さんのようなひと」が「わたしの好きなひと」に変わるのに時間はかからなかった。
「幸音さん、俺の側にずっといてくれませんか」
プロポーズされて結婚したのは20歳。私はまだ大学生だった。
・・・3年後、周悟さんは病でいなくなった。まだ35歳だったのに。
彼が亡くなる前の日。毎日のように周悟さんのもとに来ていた私に対して彼が真面目な顔をして言った。
「幸音、俺が死んでも泣いてばかりいちゃだめだ。出会いを拒否するのもだめ。恋愛して幸せになるんだ。いいね?」と。
私が怒ると、彼は“冗談だよ。俺は長生きする予定だから、ちょっと言っただけ”って笑ったけど、今思うと、あの発言は本心だったんだろうと思う。でも・・・。
あれから7年。落ち込むことはなくなったけど、恋をしたいという気持ちは眠ったままだ。
「お見合い、ですか?」
「そうなのよ。知り合いの洋食店の3代目なんだけどね。3代目は34歳、幸音ちゃんは30歳。ちょうどいい年齢差だと思わない?」
私の勤務先に現れた一恵さんは、ソファに座ったとたん用件を話し始めた。
「は、はあ・・・」
「私、幸音ちゃんには今度こそ幸せになってほしいのよ。だから、どう?」
一恵さんは花屋とカフェを経営している傍らで、いろんなボランティア活動に参加しているせいか顔が広い。ざっくばらんで気持ちの温かい素敵な人で、私のことを心配してくれているのは分かるんだけど・・・。
「ねえ幸音ちゃん。安沢くんが亡くなって7年たつわね。
それをあなたが“もう”と“まだ”のどちらで捉えているのかは分からないけど・・・私はあえて“もう”7年と言わせてもらう。勝手なことを言うけど、安沢くんは幸音ちゃんがずっと独りでいることを望んでいるのかな」
「そ、それは・・・」
「一恵さん来てたんですか」
私が一恵さんの質問に答えあぐねていると、タイミングよく声が割り込んだ。
「おかえりなさい、長尾先生」
「おかえり~、長尾くん。仕事が忙しいようで何よりじゃないの」
「今日はどうされたんですか。法律相談ですか?」
「違うわよ~。幸音ちゃんにお見合い話を持ってきたの」
「か、一恵さんっ!」
「・・・見合い?」
長尾先生はちょっと驚いた様子で私を見た。いつも穏やかな性格だった周悟さんを“春”のような人だとするなら、長尾さんは快活な性格の“夏”みたいな人。
彼は周悟さんがいた弁護士事務所の後輩で、2年前に事務の派遣社員として働いていた私を“今度独立することになったから事務を頼みたいんだ”と誘ってくれた。
長尾さんは依頼者の一人ひとりに真摯に対応する人だ。まるで生前の周悟さんみたいに。以前に私がそう言うと、“安沢先輩は俺の憧れで目標だから嬉しいな”と笑った。
「すいません、一恵さん。ちょっと安沢さんに急ぎで作成してほしい資料があって」
「それは大変だ。じゃあ、この話の続きはまた後でね」
切替の早い一恵さんはにっこり笑うと勢いよく立ち上がって、事務所を出て行った。
一恵さんがいなくなると、長尾さんは茶目っ気たっぷりに「一恵さんをだましちゃったよ」と私に向かって笑って、「さーて。調査資料を見直さないと」と資料に目を通し始めた。私も作成途中だった書類を完成させるべくPCに戻る。
2人して黙々と仕事をして退勤時間になった頃、長尾先生に声をかけられた。
「安沢さん。夕食一緒に食べない?おごるよ」
「そうですね。でも割り勘でお願いします」
私の発言に長尾さんは苦笑いをするけど、私にはごちそうになる理由がない。
長尾さんが連れてきてくれたのは、事務所からちょっと歩いた場所にある居酒屋だった。大皿に盛られた各種のお惣菜から好きなものを注文するシステムのようで、「ご飯と味噌汁あります」と紙が貼られている。
「ここは食事だけでも楽しめるんだ。安沢さんも好きなお惣菜を頼んでね。もちろんお酒を頼んでもいいよ」
「はい」
カボチャの煮つけ、大豆やこんにゃく、にんじんが入ったひじき、ごまのたっぷり入った青菜の胡麻和え。大根と豚バラかたまり肉の煮物、エビの塩焼きもある。
私がご飯と味噌汁も注文すると、長尾さんも食事だけにすることにしたようだ。
「長尾先生、一恵さんの話をそらしてくれてありがとうございます」
「どういたしまして。あのさ、見合い話ってよく持ち込まれるの?」
「以前から再婚したらいいのにとは言われていました。でも具体的な話を持ち込まれたのは初めてです」
「そう・・・・あ、食べようか。いただきます」
長尾さんはぽつりと言うと食事を始めてしまったので、私もそれに倣って箸をとった。
食事を終えると、私が割り勘でと言ったにも関わらず長尾さんは先に会計を済ませてしまった。外に出たときに、あわてて私の分を渡そうとすると笑顔で断られる。
「今度、一恵さんの店でお茶をごちそうしてくれるかな。それでチャラってことで」
「え。でもそれじゃあ・・・」
「いいんだ。それより俺の話を聞いてくれる?」
ん?今、長尾さんが“俺”と言った。普段は“私”なのに。些細な変化なのに、どきっとした。
「は、はい」
私が返事をすると、ちょっと改まった感じで私に向き合う。
「俺ね、今日36歳になりました・・・・安沢先輩より年上になりました」
「え。あ、ああ・・・36歳・・・そうですね。・・・誕生日おめでとうございます」
もっともっと周悟さんに言ってあげたかった言葉を長尾さんに言う。
「ありがとうございます。俺は、36歳になったらって決めていたことがあるんです」
「そうなんですか」
「はい。油断大敵でした。これからは気をつけますから」
「はあ・・・」
普段の長尾さんからは想像もつかない回りくどい言い方に私は戸惑う。
「今は分からなくていいです。でも、俺は安沢さんを手放すつもりはありませんので」
「は?」
手放すって・・・・仕事の話だよね。まあ、解雇されることはないってことかな。それは嬉しいことだけど。
「・・・・安沢さんを眠りから覚ますのは、俺だから。覚えていてね?」
長尾さんが仕事のときとはまったく違う表情で私を見た。