月桜亭のはなし
長文になります。ご了承ください。
うっそうとした森の中にぽつんと立つログハウス。外の明かりは“月桜亭”と墨で書いてある丸ちょうちんのみ。
「……また来たのか、俺」
ここは俺の夢のなか。今日が3回目で、いつも決まって金曜の夜だ。
「いらっしゃーい。今日は遅かったねえ。お仕事、大変?」
俺にいつもハーブティをいれてくれるのは、きなこ。あずき色に桜柄のカジュアルな着物に淡いブルーの帯という格好をした蜂蜜色のまっすぐな髪にくりっとした淡い空色と金色のオッドアイの女の子だ。顔を合わせるなり私のことは髪と目の色の組み合わせでイメージした名前で呼んでほしいといわれ、驚いたものの夢のなかだもんなと納得した俺。
彼女の髪と目の色の組み合わせは実家で飼われている猫のきなこと同じだなあ、と思ったらもう呼び名は決まっていた。
ここに来た最初の日に、きなこは実家にいる猫の名前だと言ったら由来を聞かれた。
「どうして“きなこ”になったの?」
「最初は母と姉が“高貴な顔立ちをしてるからエリザベスかマリアンヌとか言い出して。でも父が”動物病院でフルネームを書くときに簡単で、呼ばれて恥ずかしくない名前がいい。そんなわけで、きなこだ“と一喝して”きなこ“になったんだ」
「あなたは何か希望の名前はなかったの?」
「勝手に拾ってきて、捨てて来いって怒られると思っていたから名前はつけないでいたんだ。そしたら、予想外の展開で我が家の一員になった。それに…」
「それに?」
「俺、最初はオスだと思ってたからさ。強そうな名前がよかったんだよね…例えば」
そう言って名前をあげたのはとある格闘家の名前。
「うわあ……それはちょっと」
きなこは嫌そうに顔をしかめた。その顔が、猫のきなこが昼寝を邪魔されたときの顔に似ていたので思わず笑ってしまった。
すこし離れた場所からも笑い声が聞こえる。ふと見ると、そこには黒髪で深緑色の瞳の男性を話し相手に若い女性が楽しげに笑っていた。ショートカットに柔らかな表情、芯の強そうな物腰。
視線に気づいた黒髪の男性にじろりとにらまれ、俺はあわてて視線をそらす。その様子がきなこはおかしかったらしくて、笑われてしまった。
ここで俺は夢から覚めた。これが1回目。
「あなたは今、毎日が楽しい?」
2回目にこの夢をみたのは1週間後のことだった。きなこはどうやら俺の昼間の生活に興味があるらしい。今の俺は社会人3年目。そういえばきなこが家に来て今年で14年だ。
「まあ、仕事が充実してるから楽しいかな。上司が変わったから余計にそう思うのかも」
「そうなの?」
「うん。今の課長は言うことは厳しいし、要求することがとてつもなくハードル高いなあって思うこともある。でも課長がすごいのは俺たち部下の面倒見もいいけど自分の仕事でもきっちり成果を出してるところだな。俺もいつかそういうふうになりたいと思う」
「そっかあ。充実してるんだねえ」
そしていつものハーブティをいれてくれる。
「きなこの入れてくれるハーブティ、あんまり草くさくなくて美味いよな~。何が入ってるの?」
「私もしらなーい」
「は?」
「だってこれ、“月桜亭”のオリジナルブレンドで気がつくと補充されてるんだもん。でも疲労回復、目覚めはすっきりだって書いてあるよ」
ほら、と効用を書いたカードを見せてくれる。へーどれどれと見ようとしたとき目が覚めた。
そして今日は3回目、実に1ヶ月ぶりのことだ。
この日のきなこも陽気に迎えてくれたけど、少し様子が違っていた。うまく言えないけれど、ちょっと儚い感じというか……。
「あのね、私はあなたに言わなきゃいけないことがあるんだ…じつは今日であなたとお別れなの」
「え。どうしてだよ」
「別の場所に行くの。で、ちょっとの間だけはお願いを聞いてもらえるから、私はあなたにお別れが言いたいってお願いしたの」
そう言って俺を見つめる表情は俺のひざのうえで見上げる顔に似ている……まさか。夢だからってそんなことが?
「まさか、本当にきなこ?」
「あのね、14年前に私を拾ってくれてありがとう。ノートとかカーテン破いちゃったり、シャワー嫌がってひっかいたりしてごめんなさいでした」
「そういえばまだ子猫だった頃はそんなことがあったな。成長したらだいぶおとなしくなったけど。お別れなんて言うなよ。母さんと姉さん号泣して大変だぞ」
夢の中なのに涙が出そうになる。
「そこは頑張ってなぐさめてよ。だって、ほら、もう」
そういうと、暗かったはずの外から光が入ってくる。そしてログハウスが消えて周囲は無数の桜の木。ここで、俺はここにいるのが自分たちだけじゃないことに気がついた。
もう一組、1回目に見た黒髪に深緑色の瞳の男性と涙を流すままにしているショートカットの女性。
何を言っているのか分からないけど、たぶん男性はきなこと同じ。
光はいつのまにか消えて、きなこの頭上にたくさんの桜の花が舞う。
「じゃあ私、いくね。あなたが私を見つけてくれたから幸せな一生だった。本当にありがとう」
「……俺も幸せだったよ。ありがとう」
俺がそういうと、きなこはとびきりの笑顔で桜の中に消えていった。桜の花が全て散ってしまったとき、そこにいたのは俺とショートカットの彼女だけ。
向こうも俺に気がついて、ちょっと驚いた顔をしたけど互いに会釈をしてそのままただの暗闇になった空を見上げたところで目が覚めた。
土曜日の朝、実家の近くに住んでいる姉から電話。内容は出る前に分かっていたけれど、それはさすがに家族にはいえなかった。
きなこは眠っている間に息を引き取ったらしい。母がいつものように餌をあげようとしたときに気づいたそうで、看取ってあげたかったと母は号泣していた。
月日は流れ、俺は仕事で一人の女性と出会った。互いに顔を見合わせてはっとなった。そこにいたのは、一緒に夢の中で暗い空を見上げた女性。
まるで、きなことあの男性が引き合わせてくれたように、俺たちはつきあうようになり結婚した。そして新居の片づけをしたあとに互いのアルバムを見ていた。
「あなたの抱いている猫、蜂蜜色で空色と金色のオッドアイなのね。とってもかわいい」
「きなこって言うんだ。もういなくなってしまったんだけどね。俺が拾ってきた。きみの抱いている猫は黒猫で目は深緑色なんだ。男前な猫だなあ」
「佐七っていうのよ…もういないんだけどね。ねえ、頑張って共働きしようね。それで一戸建てかペット可のマンションに住もう。そしていつか猫と暮らそう?」
「それ、俺も言おうと思ってた。気が合うね」
俺たちはきなこと佐七の写真を飾って微笑みあった。




