Present For You
ショートショート並みの短さです。
幹をかたどったプラスティックの棒切れに、葉っぱの形をした碧色のプラスティックが秩序正しく差し込まれていた。セロファンのついたいくつもの電球が、千切って丸められた綿の欠片を鮮やかに彩っている。
自分が生きてきた十七年という年月が長いものなのか短いものなのか、それすらも理解できずにいる愚か者には、ごちゃごちゃとぶらさがっている星やトナカイの装飾品が持つ重要性など、とてもじゃないけれど理解できそうにない。こんなものがなくても二十四日はやってくるし、恐らく二十五日だって勝手に過ぎて行くことだろう。
黙って待っていれば良いのに、と思う。黙って待っていれば良い。ツリーがあろうがなかろうが、来るものは来るし来ないものは来ない。
「欲しいの、」
ショウウィンドウに目を奪われていた私に、友人が怪訝な目を向けた。
「どうだろう」
私は答えた。彼女は更に怪訝な顔をしたが、ああそう、とだけ云ってまた前を向いた。珍しいね、と加える。どうだろう、と私は云った。
「いつまで信じてた」
サンタさん、と、妙な節をつけて友人は訊ねた。
「どうだろう」
彼女が膝を蹴ろうとしたので、五歳くらいまでだと私は云った。
「私は十歳まで信じてたわ」
彼女は誇らしげに云った。
「サンタさん、か」
改めて口にすると、何だか笑いがこみあげてきた。彼はそんなに可愛らしいものではない。私はそれを知っている。
彼は今年も来るのだろうか。……いや、きっと来ない。来る筈がない。
きっと彼はもう来ない。
あれはいくつの時だったろう。赤川次郎の童話が好きだった時期があった。タイトルは忘れた。町外れの遊園地のさびれたお化け屋敷に入ったことから、ちょっとした冒険をすることになる少女の話だ。例によって、少女は色々と危ない目に遭うのだが、問題を解決した後、彼女は冒険を届けるという不思議な郵便屋さんに頼むのだ。
「また私に、素敵な冒険を届けてね」
と。愚かにも、私はこれに憧れてしまったのだ。
そんなときだった。父が私にこんな質問をした。
「クリスマスプレゼントは何がいい。お父さんがサンタさんに頼んでやろう」
私の回答に、父はどう反応しただろう。笑っただろうか。それとも困惑しただろうか。代わりに父が選んできたのは、大きな熊のぬいぐるみだった。芸がないな。子供心に思ったが、よいこの私は素直に喜んだ。
でもプレゼントはそれだけじゃなかった。サンタさんは私の望みを聞き入れてくれた。「冒険」。それを、彼はじきじきに私に届けてくれたのだった。
サンタクロースが必ずしも煙突から登場するわけではないことを、私は身をもって学ぶことになった。その年、彼は窓を突き破って侵入してきた。
与えられたぬいぐるみを抱いて、今まさに眠りに落ちんというときだった。騒々しい音と共に私の前に現れたのは、サンタクロースその人だった。目の冴えるような赤い服は絵本で見たのと全く同じだったが、白い髭は生やしていなかった。代わりに白いマスクとサングラスを装着し、大きな袋を抱える代わりに大きな肉切り包丁を握っていた。
目を覚まし、自分のすべきことを瞬時に悟ったお利口な私は、手元にあったぬいぐるみを力一杯彼に投げつけ、一瞬の隙をついて子供部屋を飛び出した。泣き叫んで助けを乞うたが、居間にいる筈の両親から、何故か応答がない。私は慌てて襖を開けると、二人はこたつに突っ伏して沈黙していた。まさか。
ぱぱぁ、ままぁ。おきてよ、ねえっ、しんじゃいやだぁ。
声を限りに叫びつつ、私は二人を揺さぶった。が、次の刹那、私は母の安らかな寝息に気付いたのである。ほっとしたのも束の間、次に懸念すべきは自身の安全だ。サンタクロースはもう襖の向こうに佇んでいる。私が一歩退くと、彼もまた一歩、前進する。二歩なら二歩。三歩なら三歩。歩幅が違う分、こちらが不利な気もした。が、どちらにしろ自分に分はないことを漠然と考える。仕舞いにはこたつの周りをぐるぐると巡る形になった。その様子がなんだか平和的だったので、もしかしたら振りだけなのでは、と考え、試しに退くのをやめてみたが、彼は進むのをやめなかった。彼の右手が包丁を斜めに払うと、私の左肩に赤い筋が出来た。やはり殺す気らしい。
弾かれたように走り出した私を、サンタクロースは全力で追ってくる。傷は存外深かった。流石は肉切り。よく切れる。せめて果物ナイフなら良かったのに。桃色のパジャマが赤黒く染まってゆくのを横目で眺めながら、幼い私はぼんやりと考えた。
当然のことながら、私は焦燥に駆られていた。が、意外にも頭は冷静だった。まず私がしたことは、キッチンから包丁を持ち出すことだった。目には目を、歯には歯を。父から教わった有名な諺だ。力の差に気付かなかったわけではないが、ないよりましだろうと思った。手を伸ばして振り回していれば、迂闊には近づけまい。
幼子の浅知恵は、あっさりと打ち砕かれた。私の握った包丁は、もう一本の包丁によって叩き落とされ、乾いた音をたてて床に落ちた。
次に思い立ったのは、電話をすることだ。おまわりさんを呼ぼう。そうすれば助かる。私は必死で電話のある居間へと駆け戻ろうとしたが、はたと思いとどまる。番号が分からない。一一七だろうか、それとも一一九。確か一一七は天気予報だ、それは覚えている。一一〇だったような気もしてきた。片っ端から掛けてみるのも一つの手だが、間違えている暇はない。いや、それ以前の問題だ。ダイヤルしている時間はない。その間に捕まってしまうだろう。
外へ逃げることも考えた。が、生憎ドアにはチェーンが掛かっていた。このときの私に、あれを外せるだけの時間と身長はなかった。
結局、逃げるしかないのだ。そう心得た私は、ただひたすら逃げ回った。幸い家の中は広かった。台所から居間へ、客間から寝室へ。猫から逃げる鼠の気持ちは、こんなものだろうかと考える。生涯、何があっても猫を飼うのはやめておこうと、私はこのとき堅く誓った。
どのくらい、そうしていただろう。五分くらいだったような気もするし、一時間以上だったような気もする。その間、延々と私を追い回していたサンタクロースだったが、ある瞬間をもって、彼はがらりと態度を変えた。
「タイム・リミット」
腕時計に目を遣ってから、彼は一言そう云った。
「え」
私は思わず柱時計を見遣る。針はちょうど零時を指したところだった。彼はもそもそと何かを取り出し、手にしていた包丁を几帳面な手つきで納めた。ケースらしい。包丁を懐に入れてしまうと、彼はゆっくりとマスクを外した。
メリー・クリスマス。
彼は、確かにそう云った。
呆然とする私を後目に、彼は颯爽と身を翻してその場を去っていった。玄関の扉が閉まると同時に、私ははっと我に返った。サンダルを履いて家を出てみるが、彼の姿は既になく、ホワイトクリスマスとは程遠い十二月の涼やかな夜風が、心地よく頬を撫でてゆくだけだった。
「まだ起きていたの」
背後からの母の声に、私はどきりとして振り返った。
「風邪ひくわよ」
と母は云った。うん、と頷き、私は大人しく家へ戻った。
「あら」
居間に戻った母は、不思議そうな声を上げてしゃがみこんだ。
「どうしてこんなところに包丁が落ちているのかしら」
あなた知らない、と父に訪ねるが、父は興味なさげに知らない、とだけ云い放ち、再び新聞に目を落とした。矛先が自分に回ってくることを見越した私は、危ないね、と無邪気に驚いて見せ、自分がその件と無関係であることを暗にアピールした。母は腑に落ちない表情をしながらも、包丁をキッチンへと戻した。
ふと思い出して左腕を上げると、深かった筈の肩の傷が跡形もなく消えている。桃色のパジャマにも、赤黒い染みは見当たらなかった。
「何をしてるの。早く寝なさい」
いいこにしてないと、サンタさんきてくれないわよ。
パジャマの左肩を撫で擦りながら、私ははぁいと返事をした。
子供部屋に戻ると、割れた筈の窓ガラスが何事もなかったかのように私を迎えた。床に転がった熊のぬいぐるみを拾い上げて、私はおもむろにベッドに入った。安心すると、漸く涙が出てきた。泣き出すと止まらないというのが、今も昔も変わらない私の面倒な特徴だ。新品のぬいぐるみに顔を押しつけて、私はぐずぐずと泣きじゃくった。水分を吸ったぬいぐるみの抱き心地はあまり快いものではなかったが、私は構わず泣き続けた。冒険、という言葉が、妙に脳裏に焼き付いた。
その年以来、毎年クリスマスになるとサンタクロースが私を殺しにやってくるようになった。翌年はハンマーを持ってやってきた。去年の希望がまだ有効だとは思いもしなかった私はすっかり不意をつかれ、やはり二、三カ所に幻の傷を負った。次の年からは私も心得たもので、彼の訪問を待たずに眠ってしまうようなしくじりはしなくなった。
彼の持参する凶器はなかなかバラエティに富んでおり、毎年少しずつ違った。いつだったかは日本刀を持ち出してきたこともあって、あのときは不覚にも笑ってしまった。慣れてしまうと割合楽しいもので、予め武器を用意したり罠を張ったりする余裕も出てきた。怪我をしても、どうせ明日には癒えてしまうお手軽な怪我だ。気楽なものである。死んでも生き返るのかどうかを確かめる勇気は流石の私にもなかったが、それを確認してしまっては楽しみが半減してしまう。そうしないことが暗黙の了解だと信じていたし、私自身、実行する気もなかった。
しかし、遂に私はやってしまった。去年のことだ。但し死んだのは私ではなく、サンタクロースの方だった。
私が戦法として最も多く用いたものは、恐らくフェイントだろうと思う。ベッドの中に眠っている私のイミテーションを用意しておき、攻撃しようとした彼の背後から凶器を投げつける、という手法は、特に何度も用いた。三、四度目からはサンタクロースの方も学習したようで、気を取られる振りをしながら背後への攻撃を仕掛ける、などという高等手段もしてのけた。彼がイミテーションに惑わされなくなった頃合を見計らって、私はその手法の裏をかくことを考えた。それが去年だ。
私は敢えてベッドの中でサンタクロースを待った。午後十一時、彼は例によって私の部屋の窓を突き破って侵入してきた。彼はちらりとベッドの方へ視線を走らせたが、案の定、罠だと解釈したらしく、近寄る振りをして後方に私の姿を探した。彼は、まんまと騙されてくれたのだった。全身を巡るスリルと勝利の味とに陶酔しながら、私は隠し持っていたナイフで彼の心臓を貫いた。短い呻き声を残して、サンタクロースはぐんにゃりと床に崩れた。
「え」
驚いたのは私の方だった。命中するとは思わなかったのだ。彼はいつでも巧妙な人だった。ひらりと軽く身を躱し、ベッドに刃物を突き立てるくらいの芸当はやってのけるだろうと思っていた。ところがどうだろう。彼はあまりに呆気なかった。
「ねえ」
呼びかけてみるが、応答はない。
ああ分かった、これも罠だ。こうやって油断させておいて、隙を見て斬りつける気だ。そうに違いない。
「その手には乗らないよ」
私は得意気にそう云い、スペアのナイフを手の上で弄んだ。しかし、彼は一向に動かない。
「成程、良心に訴えようって策略。貴方って意外に卑怯ね」
いいかげん、おきたらどう。ネタはわれてる。
それでも彼は動かなかった。
……ねえ、
私は恐る恐る彼の傍に寄った。斬りつけてくる気配はない。途端に私は青ざめた。
サンタさぁん。おきてよ、ねえっ、しんじゃいやだぁ。
声を限りに叫びつつ、私は彼を揺さぶった。が、彼の口から寝息が聞こえてくることはなかった。私はサンタを殺してしまった。
指先が冷たくなってゆくのが分かった。これも殺人だろうか。彼の死体は、明日になれば消滅するものなのだろうか。もし、戦闘の後始末を担っていたのが彼自身であったのなら、この死体が消えることはないだろう。元々、彼に携わるもの全てがクリスマス終了と共に消えるような仕組みになっているのなら、彼の死体だって自然に処分されるに違いない。後者であって欲しい。そうでなくてはならない。
いずれにせよ、このままここに彼を放置しておくのは危険だ。思い立った私は、震える両手で彼の腕を掴み上げ、よろよろと階段を下りていった。幸か不幸か、両親は死んだように眠りこけている。私は堂々と居間を横切り、玄関まで辿り着くことが出来た。死体は扱いにくかったが、見かけほど重くはなかった。生温い血液が両手にまとわりついて、直視する度に吐き気を催した。
庭まで運んでしまうと、幾らか気分も落ち着いた。埋めるべきか否か、長いこと迷っていたが、明日には消えてくれるだろうことを信じて、結局そのまま放置することにした。それまでに見つかってしまうと一大事なので、色の濃い毛布を持ってきて彼の体に掛けてやった。死体は一つの黒い影と化し、聖夜の闇の内に紛れた。
浴室でこびりついた血痕を洗い流し、私は部屋に戻った。他人の血にまみれた布団で眠ることには少々抵抗があったが、それも仕方ないと思い直し、私はベッドに潜り込んだ。鉄の匂いに呼吸を妨げられてどうにも寝苦しかったが、直にそれも夢に変わり、次に体を起こしたときは外はすっかり明るくなっていた。
血の海は完全に消え失せ、死体は跡形もなく消滅していた。藍色の毛布とナイフだけが庭の片隅に放り出されており、母は不思議そうにそれを片づけた。
その晩の私は、久しぶりに何の警戒もなくベッドに入ることが出来た。平和なクリスマスだった。こんなのはクリスマスじゃないと考えてから、本来クリスマスとは平和なものであったことを思い出して苦笑した。
私は彼を嫌いじゃなかった。戦闘だって嫌いじゃなかった。いや、むしろ好きだったのかもしれない。でもサンタはもう来ない。私が殺してしまった。
やるせない平和だった。眠ろうとはすればするほど、何故か意識は冴え冴えとしてしまい、暗闇で何度もまぶたを開いた。眠りの渦に拒絶されるような不自然な覚醒を、幾度となく繰り返していた。とうとう眠ることを諦め、私はゆっくりとベッドから這い出した。目覚まし時計を見ると、丁度十一時を廻ったところだ。
階下では、父と母が楽しげに話をしている。クリスマスの夜に限ってこたつでうたた寝をする癖があると日頃からこぼしていた母であったが、今年はよいクリスマスを過ごせることだろう。
溜め息を一つつき、階段を下ろうとしたときだった。賑やかな話し声が、突然ふつりと途絶えた。
「え」
まさか。
私は慌てて居間へ飛び込んだ。二人はこたつに突っ伏して、気持ち良さそうな寝息を立てていた。
階上からの騒々しい音が沈黙を破った。ガラスの割れる鋭い音だ。
来た。
彼が来た。
彼が今年もやってきたのだ。
上気する頬を押さえつつ、私は台所へ急いだ。包丁の柄を握る。馴染み深い感触に眩暈を起こしそうになりながら、私はそっと呟いた。
メリー・クリスマス。
スペアの果物ナイフを懐に忍ばせると、私は風のように階段を駆け上がった。




