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LIGHT&DARKNESS ~二人のヒーロー~  作者: takeunder
PROLOGUE――幕開け
6/61

赤金の英雄

 気付けば雨がさらに激しさを増していた。その轟音に静寂などというものは存在しない。教会内も静寂ではなかった

 たった一体の笑い声が静寂を許さなかった


 「ひゃはははははははははははは!!最高だ人間!いいね、俺様を倒すか。言ってくれるじゃねェか」 愉快そうに笑うインセドを橘はさっきまでとは違い真面目な表情で向かい合う

 「やるんだろ?ならこっちには時間がねぇんださっさとやろうぜ」

 「時間がないねぇ・・・そりゃ生存本能すら振り切ってあんだけ動いてりゃ限界も近いはな・・・」


 人間としての許されない範囲の動きをし続けた橘

 限界はもうすぐそこだ

 

 だからこそ橘はその弱みを見せた。インセドが間違っても様子見としてひたすら回避する事がないように。自分の勝利を一ミリでもこちらに近付けるために


 「・・・・なるほど、よく分かった」

 勝手に一人で何かを納得したらしいインセドは笑いを含んだ声で言う

 「人間、名は?」


 その問いに一瞬答えるかどうか迷った橘だったがすぐに口を開き、

 「橘 輝」

 「タチバナ テルね・・・」


 橘の名前を復唱したインセドは大げさな仕草で両手を大きく掲げた

 「テル!俺様はまたお前が気に入った。ここまで楽しませてくれたお前には一つチャンスをやろう」

 いきなりの提案に橘は顔をしかめる


 「なぁに、簡単なゲームをするだけだ。」

 橘に指を差しながら、

 「お前が俺に一太刀浴びせる。それで俺に傷のひとつでも付いたらここにいる全員見逃してやる。だがもし傷がつかなかったら・・・分かるよな?」

 橘は一瞬顔をさらにしかめた


 「へぇ、なかなか寛大な提案だな」

 なめ過ぎだ。いくらあの悪魔たちより強いからってその条件でこちらが負けるわけがない。そう橘は考えていた

 だが、その考えは甘過ぎた・・・


 ハッと乾いた笑いをしたインセドは目を細めた

 「調子にノリ過ぎだぜ、テル・・・」


 ドォ!!っと教会内が何かに押し潰される

 表現がおかしいか、

 教会内にいた橘たちが不可視の力に押し潰さた


 その圧にバタリバタリとクラスメイト達が膝をついて崩れていく

 「なん・・・だ?」

 気付けばそこに立っていられた者は橘とインセドだけだった


 「テメェ何しやがった!?」

 橘の問いにインセドは不気味なオーラを纏いながら笑った

 「何をした?か・・・ちょっと違うんだなコレが」

 もったいぶるように言うインセドを中心として蜃気楼のように視界が歪み、さらに不可視の力が強まった


 誰がどう見てもインセドが何かやってる事は分かる。だが何をやったのかが分からない

 今まで感じた事がない何かが自分たちを襲っている

 その何かが皆を地面に崩れさせた

 橘だって今気を抜けば他のクラスメイト同様地面に崩れ落ちているだろう

 物理的ではない、もっと根本的な、まるで自分の『魂』を直接押し潰してくるような何か・・・


 直感的にそう感じていた橘は気丈に振舞いインセドに問いただす

 「どういう事だ、お前が何かしてんのは確かだろ!」

 インセドは鼻で笑うように息を吐いた

 「何もしてねぇよ。むしろさっきまでやってたんだよ・・・」


 こんな風にな、と末尾に付けてインセドはグッと拳を握った

 すると橘たちを襲っていた不可視の力が何事もなかったかのようにその巨大な形をどこかに潜めた


 「ッ―――――――――――!?」

 言葉に詰まる橘はインセドの言葉の意味を理解したようだ

 嘘だろ、と小さく呟く声が漏れた


 「そうだ、俺様が何かしたわけじゃない。逆だ、さっきまでずっとやってたんだよ・・・」

 

 ――――――――力を抑えてたんだよ――――――――――


 つまりインセドが言いたいのはこういう事なのだ


 近づく時に獲物に気付かれないよう気配を消す獣のように、ただ本能的にやっていたそれをなんとなく必要以上にやり続けていただけだった

 普段垂れ流しの力をちょっと頑張って抑え込んでいただけだ

 それが橘たちに今まで以上の絶望に陥れたのはインセドが狙った事ではない


 抑えていた、つまりあの不可視の圧が垂れ流し状態なのがインセドの通常の状態。まだ上がある・・・

 

 ドサリ


 軽い音を伴いながら橘が崩れ落ちた

 タイルの床に剣を突き立て、項垂れるように膝をついた


 ――――――――無理だ、絶対に勝てっこない

 橘の中で一つの結論が導き出されていた

 

 もう橘の体に立ち上がる力は残っていなかった。先程まで体の中を駆け巡っていたリミッター解除時の力は、橘にあの欲望を上回るほどの恐怖が生まれた時に生存本能が発揮されサ事によりどこかに消え去っていた

 いや、もしあの力が残っていたとしても橘に立ちあがる事は出来なかったかもしれない


 それほど、インセドの放っていた力は異常で規格外で、絶対的だった

 

 カタカタと剣先がタイルに擦れる音が響く

 橘の手が震え、その手に握られる力の勲章が、ニ体の悪魔を切り裂いた大剣が小刻みに恐怖に揺れていた


 そんな橘の姿を見たインセドは、つまらなそうに何も感じていない顔をした

 「どうした?怖くなったか?」

 抑揚のない声で言う悪魔、その表情は複雑なものに変わる


 この悪魔の中には一種の葛藤があった

 

 ―――――――――――――俺様の力に屈しろ!――――――――――――


 という自分と、


 ―――――――――――――立てテル!俺様に向かって来い!――――――――――――


 という正反対の意思がこもった自分がいた


 自分はなぜこの人間一人にここまで心惹かれているんだ?

 

 屈服させるにしろ、立つのを期待するにしろここまで人間の個人に興味を持たされた事は無かった

 全ては『餌』だという認識だったはずなのに

 

 タチバナ テルという個人に悪魔の中でも上位に属される『高位悪魔』のインセドが強く心惹かれている。

 それを認識した時、インセドは一つ、言葉を吐いた


 「逃げてもいいぜ」


 ただ単に、橘という人間個人を立ち上がらせるための言葉を吐いた


 「逃げてもいいが、今回は逃げられるのはお前一人だけだ」

 さらに付け足す


 それに反応したように橘の体が震うのをやめた


 ――――――――そうだ、それでいい!

 インセドは内心ほくそ笑む


 こう言えば橘は立ち上がらざるを得ない。クラスメイトを助けるために立ち上がらざるを・・・

 そしてたとえ逃げたとしても、立ち上がり、クラスメイトを殺した敵を討つべくさらに強大に力を付けてインセドの前に現れるに違いない


 今か、未来か・・・


 たったそれだけの違いだ

 要は橘が立ち上がればインセドは良いのだ

 

 「さあ、どうするテル?」

 催促するようなとどめの言葉がインセドの口より橘に突き刺さる

 それによってかどうかは分からないが橘の体がふらりと揺れた


 そして橘はクラスメイトの集まる教会の一角に目をやった

 その目は弱弱しい光が淡く宿るだけだった

 

 「たち、ばな・・・・」

 「輝くん・・・」

 「たちばな・・・」


 何人かの口から彼の心配をする声が漏れる

 そして、


 「私たちの事はいいから、逃げて橘君!!」

 声の主は黒沢

 弱弱しい橘の姿を見てられないとばかりに声を張り上げた


 「もういい、逃げろ橘!」

 「ありがとな橘、でもお前は逃げろ」

 「誰もお前を恨んだりしないさ」


 黒沢の声を皮きりに、皆の口から橘にこの場を離れろという言葉が出てきた


 「みん、な・・・」

 掠れた声の橘は苦痛に顔を歪める


 今この場からあのニ体の悪魔を屠った橘が逃げ去ったとしても誰も文句は言わない

 状況が状況だ。インセド相手に橘が傷一つでも付けれるかどうかと聞かれればあの不可視の力を目の当たりにした後では全員NOと答える

 誰も助からないのなら橘を道連れに、と考える腐った根性の者はこの中にはいない


 むしろあそこまで頑張った橘に賞賛の言葉を贈り、そして逃げろと促す者がほとんどだ

 だからこそ橘は逃げられない。そんなクラスメイトを置いて自分ひとり逃げるという選択肢がどうしても彼には出来なかった


 俺は一体どうしたいんだ?


 皆を助けたいという気持ちに嘘は無い。だがあの化け物(インセド)から逃げたいというのももっと正直な気持ちだ

 理性的な欲望と本能的な欲求が橘の頭の中をかけずり回り、彼を毒のように苦しめる


 逃げたい、助けたい、逃げたい、助けたい、逃げたい、助けたい、逃げたい、助けたい、逃げたい、助けたい、逃げたい、助けたい、逃げたい、助けたい、逃げたい、助けたい、逃げたい、助けたい――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!


 「うわあああああああああああああああああああああああ!!」

 ガン!とタイルの床が橘の絶叫と共に放たれた右拳に砕かれた

 

 その音と絶叫に教会内は本当の静寂に包まれた


 はぁはぁと荒い息づかいが聞こえる。もちろん変な意味でではなく、橘がその心を落ち着けるためにやっている事だ

 そしてふぅーと大きく息を吐いた橘は右手の調子を確かめるように開いたり閉じたりした後、剣の柄に手をかけ、揺れるように頼りなく立ち上がった


 この世界は一方的に理不尽だ―――――――――――


 「あー、もういいや。諦めた」

 何を諦めたのか?決まっている

 橘は口角を少し上げた


 ―――――――何せバカがいくら悩もうとも結局は原点回帰、一番最初に戻らせるのだから


 「俺バカだからさ、やっぱどんだけ考えても結論なんか出せない。だけど、ここで逃げるわけには絶対に行かないってことだけはもう一回確認できた。だからもう小難しいこと考えんのは諦めた。俺のやることは何も変わんねぇ」

 

 その表情には、再びへらへらした笑みが戻っていた


 そしてあの時と同じように剣先をインセドに向け、高らかに宣戦布告する

 「悪いけど、やっぱ全部救わせてもらうぞ!」


 ――――――――もう我慢できない!

 インセドは凶悪な笑みを一切隠さず、その心のまま解放した

 「ひゃははははは!いいね、やっぱりお前は最高だ!!」


 ドオッ!と先ほどよりも強い圧が教会内を押し潰す

 当然、先程まで橘に逃げろと促していたクラスメイト達は誰一人口が開けないほどインセドの放つ不可視の力に気圧されていた


 だがやはり、一人だけ


 予想通りともいえるが、橘は一人その場に立っていた


 「ハッ!よくよく見りゃあ大したことねぇな!」

 大口をたたく橘には一切の迷いも恐怖も見えなかった。ましてや諦めなんて言葉は最も今の彼に不要な言葉になっていた


 「テメェに傷一つ・・・余裕だ!」

 大見栄を切った橘は大剣を肩に携えて、一歩一歩白き鳥の悪魔に近づいてゆく

 その歩みは常に一定のリズムを刻み、確実に距離を詰めてゆく

 

 もし、この場に詩人がいたとすれば今の橘は伝説にすらなっていたかもしれない


 悪魔の返り血にその衣を真っ赤に染めた、金色の髪の少年――――――――――――――――『赤金の英雄』


 力など保持しないはずの弱者が起こした奇跡から生まれた『英雄』

 悪魔の常識をことごとく打ち破ったその所業は魔界にすら轟くだろう


 だがまあそれはここに詩人がいればの話である


 残念ながらここに詩人はいない。いるのは悪魔から放たれる不可視の力に怯え、それでも英雄を心から憂う優しき学生33名と、白き鳥人の高位悪魔。そして―――――――――


 高々と剣を振り上げた赤金の英雄

 その手に握られる鉄より造られし大なる剣は、悪魔の血を吸い鈍く光る。まるで剣自身が意志を持ち『早く血を吸わせろ!』とでも言っているように

 

 「いくぜ」

 「こいよ」

 極々短いやり取りを交わす

 

 それが悪魔と人間の戦いの始まりにして終了を告げる

 その合図として橘が動いた


 ブゥン!!と空気を斬り裂く刃が振り下ろされた

 直後、刃がその動きを止める。インセドの白い体に接触する寸前、刃が何かに押しとめられた

 あの不可視の力か・・・


 凄まじい力だ。じりじりと少しずつだが橘の刃が押され始めている。もし一瞬でも気を抜けば斬りかかっている刃は不可視の圧に弾かれてしまうだろう


 だが橘はそこで止まらない。止まれない


 ――――――――こんな姿も見えねぇモンに邪魔されてたまるかよ!


 柄を握る手から圧に耐えられず切れ血が滴る


 ――――――――俺の、俺たちの邪魔をするなアアアア!!


 その時、インセドは見た

 橘を中心に蜃気楼のように視界が、空間が歪む現象を―――――――――


 「おお・・・・・おおおおおおおおおおおおおおラァァッ!!!」

 気合いに乗せて自分の持つ全ての力で振り切った


 ズパアアアアアアアン!!

 大気が斬り裂かれ、轟々とした斬撃音が響き、残響を残して消えた


 そこに残るのは剣を振り切った形で静止する橘と、


 「・・・・・・・残念だぜ」


 その白き羽根に包まれた体に傷の証である赤の線が刻まれていないインセド


 「ホントに残念だ・・・・」


 悲報を告げるインセドの言葉に橘は動かない

 剣を振り下ろしたまま、下を向き、その場で静寂を守っている


 所詮は人間である橘が振った剣だ。インセドの体に傷がつかなくてもそれが普通、当然のことなのだ


 だからこそインセドは「残念だ」と呟く――――――――――――――――


 「・・・・・この俺様が人間ごときに負けるとは」


 フッとインセドの体から風に流されるように白い羽根が一枚、地面に墜ちた

 

 「お前の勝ちだ、テル」


 たかが羽根が墜ちただけ、だがそれは確かに橘の剣がインセドの体を切り裂いた証

 

 インセドが提示したチャンス、『傷一つ』は達成された

 だがそこで歓喜の声を上げられるものはいなかった


 フラリと、静止していたはずの橘の体が揺れ、倒れた

 動かなかった。ピクリとも。それはまるで操り人形の糸が切れたような、その姿はまるで人間の命が・・・


 「橘君!!」

 一人の人間の声が響く


 先程までインセドに臆していたはずの人間の一人が今だインセドから放たれている不可視の力の圧を振り切って橘のもとに駆け寄る

 そのまま橘の体を抱き、泣きじゃくるような声で必死に彼に呼び掛ける

 その少女の頬には雫が線を描いている

 

 いやだ、死なないでと懇願するような声で呼びかけ続ける

 すると彼女の頬をつたっている涙を拭うように橘の手が伸び上がり、触れた


 「黒沢・・・俺別に死なないと思うから泣くな」

 にしし、と苦いものが混ざったような表情で笑みを見せた橘に黒沢は思わず抱きついた


 「ちょっ!?え!?く、黒沢!?」

 あまりの緊急事態に橘は狼狽するが彼女はそれに全く気付く様子もなくずっと力強く彼の体に抱きついている

 何が何だか分からない状況だったが橘の頭もこの状況にどのように対処するかを思案できる程度に回復してきた。そして橘はとりあえず一言、

 「黒沢、苦しい」


 すると彼に抱きつく黒沢の腕に籠る力が倍ほどになった

 「ギャアアアアアア!!黒沢マジギブ!ギブ!ギブ!」

 普段なら美少女に抱きつかれてる、ラッキーで済むのだろうが、生憎ボロボロの体を襲う締め付け攻撃に橘は全力で地面をタップする


 フッと橘を襲う締め付けの力が弱まった。どうやら必死のギブが通じたようだと思った橘は額にかいた冷や汗を右腕で拭った

 落ち着き、今だ自分に抱きついている黒沢に視線をやると彼女は真っ赤になった自分のカッターシャツの胸の部分に顔を埋め、小さく嗚咽を漏らしていた


 (え~、俺はどうしたらいいんだ?)

 現状打破の方法が見つからず誰かに案をもらおうとクラスメイトの方に視線を向けると、いつの間にか消えていた圧に解放されたにも拘らずほとんどの者が茫然としたままだった。

 しゃあない、と橘は自分の横に立っているインセドに目をやった


 「よお、気分はどうだテル?」

 「頭がクラクラするけど・・・気分はいいかな」

 

 橘は上体を起こして続ける

 「羽根一枚、傷って事でいいんだよな?」

 確認するように問うと、インセドはコクリと頷いた


 「面白かったぜ!またいつか今度は本気でやろうじゃねェか」

 そう言うインセドの顔には凶悪ではない笑みが浮かんでいた


 たった一太刀だけ、たったワンコンタクトだけだったがインセドにとっては今までで一番有意義な一瞬だった。自分の神の指令を無視してもいいかな?と思うぐらいに充実した一瞬だった


 「今度、ねぇ・・・俺は出来れば二度と会いたくないけどな」

 橘は頭をかきながら自分の心境を吐露した

 「ツレねぇな」

 「うっせ、ただの人間に悪魔の相手が務まるとでも思ってんのか?」


 橘の言葉にインセドは呆れたような顔をした

 当たり前だ。ついさっき悪魔相手に大立ち回りをやらかした本人からそんな言葉が出てくるのだから


 インセドは背にある大きな翼を開いた 

 「・・・まあ勝負に負けた事だし、俺様は帰るぜ」

 「おう。二度と会いたく無いからさよならは言わないぜ」

 ニヤと口角を上げながら言う橘にインセドは同じくニヤと口角を上げて返す


 「生き残れよ、お前を狩るのは俺様だからな」

 「会いたくねぇつってんだろ」

 犬でも追い払うような仕草で橘はインセドにさっさと行けと催促した


 最後に乾いた笑い声を残してインセドは自分が壊した教会の壁から雨の降りしきる夜の空へとその白い姿を消した

 教会に残された人間たちはしばらく時間でも止まったように誰も動かなかった


 夢でも見ていたと思いこんでもおかしくない常識外れの状況。普通に暮らしていればまず遭遇する事のないレベルの危機が立ち去った

 その事が橘たち全員に安堵を与え、それを享受するように皆誰一人としてそこから動かなかった


 だがいつまでもここに止まっているわけにもいかない。一人誰よりも先に動き出した橘はとりあえずと自分に抱きついたままの黒沢に声をかけた

 「もう大丈夫だ、誰も死んでない。もちろん俺もな」

 落ち着いたトーンで言うと黒沢は顔を上げ、橘の目をじっと見た


 「・・・・・・・・・・・・・・・。」

 「黒沢?」

 「・・・・・・・・・・・・・・・。」

 返事がない


 「く、黒沢さん、一体どうなされたのですか?」

 なぜか敬語で喋り始めた橘は今だじっとこちらを見ている黒沢の美麗という言葉がぴったりの顔にドキドキしながら見た


 えっと・・・俺はなんでクラス一の美人に抱きつかれ、こんな至近距離で見つめ合っているんだ?

 今だ離れない黒沢の視線にもはや苦笑いで答えるしか手札のない橘

 そんな彼にやっと黒沢が口を開いた


 「ありがとう」


 たった一言だけ、感謝の言葉を述べると彼女はまた橘の胸に頭を埋めた

 だがその行為が余計に橘を困らせた

 おいおい、マジでどうすんだこの状況?俺いつまでこのまま黒沢に抱き付かれてりゃいいんだ?


 困り果てた橘は再びクラスメイト達に妙案をもらうべく視線を向けると、やっと立ち直り始めた皆が橘たちにいろいろな意味を籠めた視線を向けていた

 いくらかの女子生徒は生暖かい目で見守るような体勢に入り

 いくらかの男子生徒はグオオオと嫉妬の炎を燃やし

 お馴染みバカ三人衆の二人は「橘コロス!」と目で語りかけてくる


 「ははは、あいつら皆タフだな」

 さっきまで命の危機だったというのに皆いつも通りの反応だ

 クラスメイトである橘が一人、あの化け物たちと戦ったというのが彼らに大きな安心感を与えたのもあるが、やはりこの短時間であそこまでいつもどおりに回復するのは全員なかなか精神力が強い


 呆れたような調子で苦笑した橘はいつも通りの彼らに少し安心をもらい、限界まで酷使した体を少しでも労わってやろうと起こしていた上体をその場に横たえた


 終わったな・・・


 感慨深いような感覚が橘の内を駆け巡った

 時間にして10分足らずの出来事だった。それなのに何時間も戦い続けたような途方もない疲労感と体のダメージがより鮮明な記憶に変えた


 何にしてもとりあえずの危機は去ったな。この後はいろいろやる事あるな・・・めんどくせぇ

 ここは一体どこなんだ?異世界?

 どうやったら帰れんだろ?

 というかなんで俺たちこんなところに飛ばされたんだ?


 いろいろな事が頭の中をめぐり、そして一つの終着点に辿り着いた


 『LIGHT&DARKNESS』


 昨日初めて渡され、プレイしたclown社の新作ゲーム

 その物語の始まりとして登場した教会

 その教会にそっくりな教会に橘たちは突如出現した魔法陣によって飛ばされた


 関係ないわけがない。いやあのゲームがおそらく全ての元凶だ

 

 そこまで考えた橘は思考を放棄した

 めんどくせぇ、考えるのは俺の分野じゃねぇなと言い訳を付けて


 とりあえずこの教会を舞台とした悲劇は終わった

 あとは天使が駆けつけてくるのか、皆で近くの町まで移動するのか

 なんにしてもこれで自分の役目は終わりだ


 溜まった疲れをすべて吐き出すように息をついた橘はゆっくりと目を閉じた

 「黒沢、皆が動けるようになったら起こしてくれ」

 最後に一言そう言い残して、橘は死んだように眠った


 だがこの物語はここで終わらない

 まだこの教会を舞台とした事件は終わってはいなかった

 このふざけた物語はまだ橘を休ませてはくれない


 次に橘が目を覚ます時、それはこの長ったらしいプロローグの最終章

 僅か数分後、橘たちは再び絶望に打ちひしがれる

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