隣
地平線が見えそうなほど広大な平原に一筋の鉛の閃光が煌めいた。
それは橘の振るった大剣の軌跡で、その範囲にいた三体のモンスターは竜巻に巻き込まれたこのように吹き飛ばされその身を真っ二つに裁断された。
立ちはだかったモンスターがいなくなったことにより見通しの効くようになった橘。
そんな彼の前に、間髪入れぬ勢いで新たなモンスターが二体、マサカリのような武器を手に襲いかかってきた。
橘は笑う。
ニヤリと口元を歪めると、返す刃で二本のマサカリを迎撃した。
ガキンッ!と鈍く金属同士の衝突音が響くが、直後二本のマサカリに橘の髑髏の剣の刃がめり込み、ほどなく切り落とした。
その圧倒的な切れ味に茫然とする二体。
明確な隙を見せ、ハッと正気に戻った頃には橘の剣に両断。
「つぎツギ次ィ!!」
完全に戦闘狂モードな橘は何者も寄せ付けない暴風雨のように刃を振るう。
そこに近づく者は例外なく斬られ、呆気なく落ちた。
こんな光景がかれこれ三時間は続いている。
それを後ろから呆れ眼で見守るのは篭手を両手にはめた黒沢だ。
「橘くーん!」
「オラオラオラァ!――――なんだ黒沢?」
「やり過ぎ、ちょっと休憩したら?」
言われ、橘はひと振りで目の前にいた最後の一体を屠ると剣を異次元魔術の中に収めて彼女の元まで戻ってきた。
「いやぁー、暴れた暴れた。楽しいなダンジョン、こんないい所があったなんて」
「普通ここは危険地域で楽しいなんて言葉が出るはずないんだけどね……」
黒沢はやれやれと首を振りながら辺りを見渡した。
無限に広がっていると錯覚するほど広い平原。
穏やかな日光に照らされ、優しそうな色をした植物が絨毯を作る。
そんなここはダンジョンだ。
見た目に反して危険地帯で、凶悪なモンスターがわんさかと湧いて出る。一流と呼ばれるハンターや騎士、魔術師でも一人で足を踏み入れるのは躊躇われると言われるような場所。
「一番簡単な草原のダンジョンを選んだんだけど、この調子じゃ関係なさそうね。もっと難しい洞窟とかにすればよかったかな」
「それにしても草原がダンジョンって何か違和感あるよな。ゲームとかだとダンジョンって大概洞窟とか塔とか地下とかだから」
「モンスターがある一定以上の間隔で湧くところをダンジョンって呼ぶらしいから。草原でこんなに湧くところも珍しいらしいよ」
モンスターはある特殊な環境が揃った場所で生まれる。
魔力が多かったり人通りが少なかったり日当たりだったりと色々あるのだが、その条件が高い水準で揃った場所がダンジョンだ。
モンスターが卵なりから生まれたあと、必要とする栄養は大気中に漂う魔力。
それが濃ければ濃いほどモンスターの成長速度は早まり、増殖速度も比例していく。
ダンジョンになるとその速度たるやハッキリ言って人間がどうこう出来るものではなく、増えすぎないよう狩り続けるのがやっとだ。
だから頻繁にハンターズギルドにはダンジョンで討伐依頼が、王国の軍隊には定期的に討伐遠征の任務が任されている。
それでも抑止が限界なのだが、さっきの橘のペースは明らかに全滅させる勢いだった。
二人はもうダンジョン奥地に足を踏み入れていて、それまでにいたモンスターは全て(橘が)狩った。
となれば、あと残るのはこれ以降の奥地にいる個体ばかりであれ以上続けていたら本当に全滅が有り得る。
モンスターがいなくなれば街に安全がもたらされるのだが、ダンジョンそのものがただの草原になってしまっては、いろいろ不具合が生じるのだ。
「橘くん化け物じみてるね」
「それは貶してるのか?」
「褒めてるよ。けど、ここで生計を立てている人もいるんだしそろそろ自重しよう?」
「……おう」
欲求不満だと言いたげな顔をして橘は渋々帰り道に目を向けた。
まだやり足りないのかこのバカは、という目をして橘を見る黒沢だがやがて笑んで、
「でもまぁ、この奥にいるボスぐらい倒して行っても問題はないでしょ。私の受けた依頼もボスを剥ぎ取ってこいってやつだから、行かないと私が困るし」
「よし!そうなれば善は急げだ」
急に目の色変えて喜ぶ橘は更に奥地へ走り出した。
まったく、とんだ戦闘狂になったものだ。昔は当然ただの高校生なので戦うということにあまり積極的でなかったが、四ヶ月見ない間にあの通り。
橘が教えを請うた師匠、ガイウスの戦いっぷりは黒沢たちは目にしている。
まさに鬼神。四面楚歌だろうがお構いなしに暴れまわり、鼻歌交じりで悪魔の神と剣を交わしていた。戦闘そのものが三度の飯より好きという感じで、その属性は顕著に橘にも受け継がれている。
「……」
それでも、黒沢は嬉しかった。
橘は今すぐそこにいる。
目の前にいる。
手の届く場所で、その勇敢な背中を向けている。
それだけで安心できる。
クラスメイトたちが木本に連れられ四大ダンジョンの攻略に向かったというのに、こうやって落ち着いていられるのも彼という存在があるからだろう。
彼が大丈夫と言えば、そうだと思えてしまう。
――――そんな橘くんの後ろ姿を見て、私はあなたの隣にいたいと思った。
決意した。彼をもう二度と一人にしてたまるかと。
だから、もう一歩――――。
「おーい、黒沢!早く行こうぜ!」
前から橘が声を上げて黒沢を呼んできた。
少女はまた笑って、
彼の隣へ行くよう為に、一歩踏み出した。
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ダンジョンクリア、午後が夕方に傾く頃にその偉業を達成した二人はギルドに戻っている道中だった。
もう壁を越えて街の中に入っている。朝いた門兵は交代したらしく、代わりにいかにも真面目に仕事してます、といった表情の若い兵士が槍を持って立っていた。
サソリみたいなダンジョンボスの毒針。
黒沢の受けた依頼の内容の品だ。それを大きな麻袋に入れ橘が担いでいる。彼女はその隣を歩き、後ろ手に組みながら傾きつつある空の色を眺めていた。
「橘くん、この後どうするの?」
「黒沢はギルドに戻るんだろ。ならとりあえず俺もついてくよ。その後は……飯食う前に昨日行ったあのでかい教会に行ってみようと思う」
「どうして?」
「ん、まぁちょっと気になることがあってな。神父あたりが知ってるといいんだが……」
誤魔化す気があるのかないのか、微妙な言い方に黒沢は首を傾げた。
「気にすんな。別にまたいなくなるとかなじゃいから。それよりもさ、街の様子へんじゃねぇか?」
橘が周囲に視線を回した。
続いて黒沢も周囲の様子を伺うと、確かに変だった。
街は相変わらず人の喧騒に満ちて活気づいているように思えるのだが、その喧騒がいつもと違う。
普段なら談笑なり商人の交渉なりで騒がしいのだが、今日はどちらかというと暗い。恐慌に怯える民衆だとか、パニックに陥った群衆だとか、そんな感じだ。
一人一人にスポットライトをあててみれば、ある女性は怯えるように肩を震わせ、ある少年は空元気を振りまくように年下の子供たちに力強い言葉をかけている。
商人たちは慌ただしく自分たちの荷物を確認して、いつだ、どこだ、どうするだと近い未来の話を数人で固まってしている。
「確かに、変だね……」
黒沢も事態の異様さに気付いた。
嫌な予感がしてきた。ひしひしと、身を焦がすように悪い予感がわだかまる。
そして、決定的に普段の街と様相が異なる点に目がいった。
商店の立ち並ぶ一角で、重武装をした男たちが輪になって話し合っていたのだ。
彼らは全員黒沢の所属するハンターズギルドの面々で、普段飲んだくれに徹しているダメ男どもなのだが、今の彼らの表情は真剣そのものだった。
きっと何かあったのだ。
形のない不安が質量を帯びて黒沢の心臓にのしかかった。自然とその集団に足が向いた。
「何かあったの?」
「ん?……黒沢か。それがなまずいことになった」
気付いたのは橘や黒沢のクラスメイトの一人だった。
彼は不吉な顔をして事態の概要を伝えた。
「子供が攫われたんだ」
「人攫い?なら早く捜索した方がいいわね。早く探し出さないと」
「いや、その必要はないんだ。もう居場所はわかっている。問題なのは……」
クラスメイトが他のギルメン達と顔を見合わせた。
その表情は曇っている。
信じられないものを見たかのように、言葉を詰まらせているみたいだ。
「何があったんだ?」
そこへ橘が背中を押すように声をかけた。
彼の顔を見たクラスメイトは、一瞬逡巡して一度頷いて言った。
「悪魔が、子供を攫ったんだ」
「なっ、有り得ない!?」
食ってかかったのは黒沢だ。
それも当然、今彼女らのいるこの『クリストマア』という街は大陸随一といっていいほど天界からの庇護が厚い。それは邪神がかつてここにいたという経緯も含まれるのだが、何よりこの街の住人が天界への信仰が厚いということからくるものだったはずだ。
そんな場所に、悪魔?
有り得ない。
黒沢は知らず知らずの間にクラスメイトの胸ぐらを掴む。
「この街に悪魔なんて来れるはずない!だってこの街には天界の監視下にあって、庇護の結界も張られているはず。そんな場所に無理矢理悪魔が入り込んだってたちまち……」
「そうだよ。そうだったはずなんだ!でも、なんでか分かんないけど……こんなことになっているんだよ!」
要は、悪魔は侵入してきたのに天界は動いてくれなかったのだ。
説明されても信じられないと掴む手の力を緩めない黒沢の肩に橘は手を置いた。
彼は特段焦る様子も
「一旦落ち着こうぜ黒沢。焦ったって物事は上手い方向に転がっちゃくれないぞ」
「でも!…………そうだね」
黒沢は若干の平静を取り戻し、胸ぐらを掴む手を緩めた。
「で、攫われたのはどんな子だ?」
「すぐそこの宿屋やっているところの娘さんだよ。まだ八歳だと。お母さんがすぐに娘を助けてくれってギルドに駆け込んできて、それで俺らも詳しい事情がわかったんだ」
橘は頷き、
「で、その悪魔の目的は?その場で喰わずに攫うなんてまどろっこしい真似したのはそれなりの目的があるんだろ?」
「……お前、本当に橘か?」
えらく訝しんで聞かれ橘は気を悪くした。
「どういう意味だよ?」
「いや、やけに頭がキレてるな、と思って」
見れば黒沢まで頷いている。
――――こいつら俺のこと舐めてんな。
「失礼な。俺の頭脳はいつだってキレキレさ!」
「3の2乗は?」
「6!」
「ああ、いつもの橘だ」
間違ったのに胸を撫で下ろす安心感を得られるのは橘であるが故か。
その様子を見ていたギルドの男が、こほん、と乾いた咳で流れを切った。
そうだ、今は緊急事態。橘をバカにして遊んでいる場合ではない。
「それで、悪魔の目的ってのが『俺たち』なんだ」
「『俺たち』?なんだ、お前らのギルドは悪魔に喧嘩でも売ったのか?」
「違う。ギルドの方じゃなく、俺やお前――――異世界からこっちに送られてきた連中のことだ」
「俺たちが目的……つまり相手は四大ダンジョンとやらにいる邪神の部下か?」
異世界から来た人間を現時点で街に奇襲を仕掛けてまでも狙うような悪魔といえば、かつて橘たちと同じように異世界から来た少年たちにやられたという事実を持つ邪神、その復活を控え邪魔者を排除したいと思っているであろうその部下共ぐらいだ。
と橘は考えたのだが、またしても疑いの目が向けられている。
「お前やっぱり橘じゃないだろ?」
「2の2乗が4ってことはさすがに分かるぞ」
「1の3乗は?」
「3だ!」
「よし、話を続けるぞ」
おい、答えなんだ!?と騒がしい橘そっちのけで黒沢に説明する。
「悪魔の要求は俺たちが揃って北にある四大ダンジョンに行くこと。期限は今日中。それでもし来なかったり一人でも足りなかったら」
「人質の命はないってことね」
「正解。でも今の俺たちは……」
足りない。大部分が木本に率いられ他の四大ダンジョンの攻略に向かっている。
今この街に残っているのは橘を含めても五人だけ。どう見繕っても誤魔化すことは不可能だ。
「どうするの?」
「正直お手上げだ。今いるギルドメンバーで特攻かけても人質の女の子のみに危険が及ぶだけ。そんでもって木本たちがタイミングよく帰ってくるなんてことは考えないほうがいい」
「軍は?動くつもりなの?」
「今急ピッチで準備中。四大ダンジョン、邪神の部下が相手だから国の方から大天の魔術師を一人よこしてもらうらしい。けど……」
黒沢は苦々しく下唇を噛んだ。
国から魔術師が移動するのには少なからず半日はかかる。もう日は完全に傾き夕暮れも黄昏も遥か後ろに走り去ろうとしていた。
「私たちだけで何とかするしかないわけか」
「だが、策がない。ダンジョン内部の構造は分からないし、どうやったって悪魔が人質をどうこうする前に倒すなんてことは出来ない」
「……」
苦虫を噛み潰し、断腸するような悲痛な表情を浮かべ黒沢は膝を折った。
絶望的だった。人質の女の子を助ける術が圧倒的に欠如していた。
黒沢は宿屋の娘を知らない。もしかしたら街中を徘徊する際に見かけているかもしれない。
けれど、その程度の関係。赤の他人と変わらない。
なのに彼女は膝を折り、涙を流した。
他人のために絶望した。
思えば、黒沢真希という少女はこうだった。
自分は逃げられる状況にいるのに、他の誰かを心配してそれを棒に振るった。
その対象がクラスメイトだったからというのもあるかもしれない。
しかし今、彼女は現にこうして涙を流している。つまりそういうことなのだろう。
彼女は今まで努力してきた。
誰も死なないよう、誰も危険にされされないよう。
無論、彼女一人で終える重責ではないが、それでも彼女の努力は幸運にも結果に結びついていた。
誰も死なせてこなかった。
なのに、今回――――いくらなんでも無慈悲だ。
少女は打ちひしがれる。
どうやっても、女の子を助けるのは不可能だった。
この世界は理不尽だ。
努力する人間からあっさりとその功績を奪うのだから。
しかし、それが世界の真理。
神の作った狂い無き完璧なる秩序。
そして今は、黒沢を泣かせるためだけに働くクソッタレな法則。
何のことはない。世界規模で見れば日常茶飯事だ。
人はそれを運命という。天使はそれを神の意思として尊重する。
覆ることのない――――絶対がそこに立ちはだかっていた。
ただ、
「まだ諦めるには早いぞ黒沢」
泣かされるだけの弱者の少女の横には今、
「待ってる奴がいるんだろ?」
かつて運命をねじ曲げた少年が立っている。
「なら、助けに行かない理由はないわな。不可能だの、絶対無理だのと言い訳するのは後でいい。救える可能性がちっぽけだとしてもそこにあるんだ。たとえ無かったとしてもどっかから引っぱてくればいいだけだ。無様でも、滑稽でも、必死こいて掴めばいい」
涙を止めた少女が見上げれば、輝くような金髪をした少年が笑顔でむかえていた。
「さぁ行こうぜ、俺はハッピーエンドしか認めない主義なんだ」
崩れた彼女に手を差し伸べ、
「道案内ヨロシク」
こんな状況だというのに、彼の表情はいつもと同じマヌケヅラだった。
それが何故かおかしくて、笑みが溢れてきた。暖かく、安心できる優しさがそこにあった。
少女は涙を拭い、橘の手を取り、力強く立ち上がった。
「勝算あるの?」
「検討中。ま、なんとかなるさ」
「それじゃダメ」
「――――なんとかするさ」
黒沢はよろしいと頷き、北を向いた。
その空はすっかり暗がりに染まり、先に待ち受ける不安を一層騒がせる。
しかし、彼女の隣にはいるのだ。
かつて彼女の絶望を打ち払った英雄が。
ならば、迷う必要はない。
「おい待て、二人で行くつもりか?」
クラスメイトが話しかけてきた。
すると橘は持っていたボスの剥ぎ取り品の入った袋を彼に投げつけた。
「それ、黒沢のだから大事に持っとけ。あと、心配すんな。お前らの女神様ちょっと借りてくけど、傷一つ付けずにに返品してやる」
「私をモノみたいに言わないでよ。あと女神様はやめて」
ていの悪そうに苦笑した橘は誤魔化すように北を指差した。
「さぁ行くぞ黒沢!強い奴との戦いが俺を待っている!」
「え、待ってる奴って悪魔の方なの!?」
「大丈夫、人質の女の子もちゃんと助けるからさ」
「すっごい不安になってきた……」
勝手に走っていく橘のあとを追って、ため息混じりの黒沢も走り出した。