露店
黒沢の爆弾発言の直撃を食らい真っ白になっている橘の手を引き、彼女は買い出しに来ていた。
メインストリートから少し外れると、今度は商店街のような食品を多く扱う露店が並ぶ道に出た。
「橘くん何食べたい?」
「え、あ、うん……」
「おーい、意識はちゃんとある?」
「え、あ、うん……」
虚ろな返答をするばかりの橘。さっきからずっとこの調子だ。
呆れたように黒沢は肩をすくめるが橘の視線はどこか遠く彼方を見据えているばかりで反応が薄い。
「私が手料理を振舞うっていうのがそんなに嫌なの?嫌なら言ってくれれば適当なレストラン紹介するけど」
「いやいやいや、イヤってわけじゃないんだが」
「ないんだが?」
首を傾け上目遣いで聞いてくる黒沢に、その仕草はヤバイって!心臓がヤバイ、頭がヤバイ、バクバクでクラクラする!やっぱりこいつ悪女だろ!?と心の中で好き勝手絶叫する橘は自然に視線をよそへと逃がして口ごもった。
「俺、やっぱり別に何もしてないと思うんだが?」
言った彼に黒沢はさきほどよりも呆れた調子で嘆息した。
まったく、その朴念仁なセリフをどの口が言うのだろうか?というか恥ずかしくないの?
思って黒沢は頭が痛いというように手を添えた。
4ヶ月前と今日の昼。
少なからずこの2回の機会で幾度となく彼女は橘に命を救われている。
彼女だけじゃない。今ダンジョン攻略に赴いているクラスメイトたちもみんな橘が獅子奮迅の大立ち回りをしなければ命を落としていた。
それだけで十分なほど大恩だ。
別に手料理振舞っただけでその恩をチャラにしようなどとは黒沢は思ってはいないが、少しくらいは返済したい。
それをこの朴念仁は恩を売った覚えはないと言っているのだ。
呆れを通り越してイラつきすらも覚える。
この男、自分の命を投げ出すことになんの躊躇も感じていないフシがある。
誰かの為に死ねるなら、それでいいと思っているように思える。
確かに橘は昔言っていた。
自分が自分であるために人を助けるのだと。
しかし、それは彼だけの事情であって助けられたが分からしてみればしっかりと、その背負うだけで重ったらしい大恩は残っているのだ。
それに、吊り橋効果なんてものもある。
そいつにどっぷりはまってしまった少女もここにいる。
さらに黒沢は頭が痛くなった。
私は何故こんな鈍感野郎に……と。
「うぅ、ほんとツイてないな私……」
「え、何が?」
「こっちの話。で、何が食べたいの橘くん?」
「本当にいいのか?」
「こっちから誘ってるんだから私が拒むわけ無いでしょ。あ、クラスメイトに作ってもらった料理が超激マズでした、なんてテンプレな展開を警戒してる?安心していいよ、それなりだけど私料理できるし」
自信満々に胸を張る黒沢に、視線が若干落ちてそれを戒めるようにすぐ視線をそらす橘。
何かを誤魔化すように頭を掻いた彼は、じゃあ、と続けた。
「ハンバーグで」
「了解。じゃあ必要なのはひき肉と卵と玉ねぎ……あとはうちに全部あるかな」
黒沢は頭の中のレシピを開いて言い、辺の露店に視線を転じた。
するとすぐそこにちょうど良さげな肉を売っている店があり、私ちょっと品定めしてくるからここで待っててと言い残して走り去った。
一人ポツンと残された橘はストリートを駆け巡る喧騒に揉まれ、手持ち無沙汰に立ち尽くすばかりだった。
まじまじと飾られている肉を品定めしている黒沢の後ろ姿は見ているだけでそれなりに時間を潰せそうだが、道のど真ん中で女の子をただ凝視してつっ立っているというのもさすがに気まずい。
食料品が多く扱われているとはいえ、この道に並ぶ露店はそればかりということもない。
だから黒沢が自分を見失わない程度のところの店を見てまわろうと思った橘。
ちょうど彼は目立つ赤いコートを着ているのでそうそうはぐれるなんてことはないだろう。
橘は視線を名残惜しくも思いながら黒沢から外し、取り敢えず自分から一番近い露店に目を移した。
「ちょいとあんちゃん!」
するとその逆方向から元気のいいしゃがれた声が聞こえ、振り返った。
そこにもシートの上に商品を並べただけの露店があり、テンガロンハットを目深にかぶった老人が店番をして座っていた。
その老人は顔を上げず帽子に隠れて鼻より上の顔は見えないが、シワシワの手をこっちへ来いと橘に向けていた。
「なんだ爺さん?」
「いやね、あんちゃんが着ているその赤いコート。ちょいと見せてもらえんかね?」
「悪いがこれは売れないぞ。師匠からもらったものなんでな」
「師匠?なんのだい?」
えらく興味を示す老人を訝しむ橘は一度黙った。
すると老人は笑い、謝罪した。
「ハハハ、悪い悪い。別にあんちゃんの素性を聞き出そうってわけじゃないんだ。ただ、気になってね」
「気になる?何がだ?」
「そのコートに刺繍されている紋章がさ」
老人は橘を指差して、彼も自分の背中を見た。
赤い布地に黒でドクロと剣を象った刺繍。
師匠であるガイウスが自分の弟子だから付けとけと言っていた紋章だ。
「これが、どうした?」
さらに目を細め怪しむ表情を強くする橘に、老人は手を横に振ってまた笑った。
「その紋章は『大罪』のもんだよね。あんちゃん、そいつは人間なんかが背負ってていいシロモンじゃないよ。そいつは悪魔の持ち物さね」
口元を三日月に歪ませ、老人は不気味な調子でハットのツバを指先で押し上げた。
そしてその顔を橘に拝ませた。
途端、橘は絶句した。
テンガロンハットの縁から覗いた老人の顔の右半分、鼻から上の部分が無かったのだ。
蟲に食われたのか、魔術的な要因で抉られたのかはわからないが、まるでそこにないのが普通。虚無を演出することこそが全ての存在を指し示すような、そんな無くなり方だった。
そんな状態で生きているのだ。もちろん、人じゃない。
しかし橘にはこの老人から人外の気配を感じ取れずにいた。
だから橘は表情を険しく歪め、ドスの効いた低い声で老人に尋ねた。
「あんた、何もんだよ?」
「ワシは悪魔じゃよ。もう老いぼれて悪魔らしい欲も何も消えちまったが、これでも立派な悪魔。引退した記念に娯楽の観光を兼ねて人間界で商売しているんじゃ」
見れば老人の露店に並ぶのは、天使だか悪魔だかわからない羽の生えた生物のアクセサリー。
老人は楽しげに笑い、覆い隠すようにまた帽子を目深に被る。
「悪魔の気配を感じられないんだが?」
「気配を消すぐらいわけない。技量さえあれば悪魔なら誰でもできるさね。人間界に来て人の生活に紛れ込むには必須の能力じゃ。何しろこの大陸にはあのガイウスがいるからのう。下手に尻尾を出したら気付いた瞬間にはあの男が振るう魔剣で真っ二つなんて、笑えないくせに現実味のある冗談みたいな話が出来上がっちまう」
この爺さんは橘の師を、ガイウスを知っている。
確かに彼は有名人だった。
空前絶後、前代未聞、そう呼ばれることを鼻歌混じりにやってのける奇人。もしくは鬼神。
一部の事情を知る人からは救世主と崇められ、
逆に全ての悪魔からは『大罪』の血を引いた裏切り者と罵られている。
だが同時に、神をも殺す処刑人として畏怖され崇拝する対象でもある。
この老人の格好を見る限り、一部の人間である可能性はまずないだろう。彼を知っている人間というのはほとんどが貴族か教会の関係者だ。だから、この老人が悪魔であることはまず間違いない。
しかも彼を忌避し警戒しているということは、相当上位の悪魔ということになるだろう。
いくら力が衰えている悪魔とはいえ、師匠が見逃すとは思えない。
いや、それ以前にここは天使に監視されている街のはず。
そこに悪魔が紛れ込むなど……まず考えられない。
それを認識したとき、橘は舌打ちした。
物語は最悪の方向へと転がり始めた――――。
「気ィつけなよあんちゃん」
老人は立ち上がると露店に並べたアクセサリーをせっせとしまい始めた。
そして言う。
「あんちゃんは綺麗な魂をしとる。欲を失ったわしでも涎が滝のように溢れるくらいにな。じゃがそれ以上に強く頑強そうな魂じゃ。この老いぼれの顎では噛みきれんほどな」
その物言いに橘は苦笑した。
「俺の魂は食いもんじゃねぇぞ」
「知っとるよ。だから言うんじゃ。悪魔にはその魂はさぞ輝いて見えるじゃろうて。皆お前さんに目を眩ませる。気付いたら後ろからパクリ、なんて面白くない展開もありうるぞ?」
真剣な剣呑の表情。
それが誰に向けられているのか定かではないが、少なからずその言葉は橘に向けられている。
気ィ抜いたら死ぬぞ、と。
橘はしばらく口を開かなかった。いつもの緩んだ表情を引き締め鋭く纏う。
爺さんもややニヤけたようなツラを下げながらも、真面目に向き合った。
視線は交差する。
衝突などしない。
ぶつけ合う意志も主張もないのだから、お互い自分の言いたいことを視線で伝えるのみ。
やがて、ちょうどいい区切りのタイミングで橘は言った。
「ありえねぇさ」
老人は聞いた。
「何でだ?」
すると橘は真剣な表情をシニカルに緩め、敵を皮肉って不敵に構える笑みを浮かべ、
「俺は負けないからな。背中に大切なものがある限り」
言うやいなや橘も踵を返す。
さっさと会話を切り上げて、老人に別れの手を振った。
「じゃあな爺さん。これから俺は美味いメシを食う予約があるんだ。今はそのことしか考えらんねぇから、あんたの忠告は夜中のベットの上でも考えるよ」
いつも通り変わらぬ調子で、バカっぽい顔で言った。
唖然となる老人。
あんな人間見たことがない。
悪魔に対して不敵で、不適な笑顔を見せる。
それは一般的に油断または愚行というのだが、どうも違う。
大罪の紋章を背負っていることといい、妙にあの少年と影の重なる古い記憶がある。
まさか、な――――それこそありえねぇや。
老人は遠い記憶を懐かしむように黄昏の空を見上げ、手に持ったアクセサリーを固く握った。
吐き捨てるように言う。
「もうお前さんたちの時代は終わりかい、ガイウス?」
一陣の風が吹いた。
ストリートを吹き抜けるように駆ける風。
細かな粒子を巻き上げて、そこの活気は一瞬だけ静まる。
しかし次の瞬間にはすべて元通り、大声出して客を呼ぶ店主もいれば、黙ってじっと座り込むだけの奴もいる。
ただ、さっきまでその一角の影を占めていた老人が忽然と姿を消したことと、誰もそのことに気付かないこと以外何も変わりない。
橘は振り返り、さっきも何もなかったかのような不自然に自然な空きスペースを一瞥した。
あの老人はただものではない。
きっと、またどこかで会うような気がした。
騒然とするような物語の渦中で、また視線を交えることになるだろう。
けれど、それは今じゃない。
転がり始めたこの物語に、彼の席は用意されていない。
それに橘の気がかりは、
「橘くーん、買い出し終わったよ」
黒沢が大きく手を振って呼んでくる。
ガキかよ、と呆れた笑いを溢すも橘も小さく手を振って彼女のもとへ向かう。
「どこ行ってたの?」
「適当に露店見てた」
「何か面白そうなものあった?」
「いんや。それよりも――――」
橘は微笑んで言う。
「お前の料理が楽しみで仕方ない」
空はもう夕焼けが沈もうとしている。
しかしそれでも空はまだ黒と赤のコントラスト。
地上を染めるには絶好の配色だ。
「あっ、そう……。期待してて……」
「どうした黒沢、顔赤いぞ?」
「ゆ、夕焼けのせいじゃない?」
「そっか」
そんな使い古された言い訳にも、この朴念仁は気付きはしない。




