幻聴
人知れず森の中で行われた、永遠にも一瞬にも思えた魔術合戦は幕を閉じた。
倒れ伏す少年を見下ろすクレイドは狂喜し、歓喜した。
やっと、目障りな相手が倒れたのだ。
自分に良心が残っているなどとほざき、復讐を止めると宣った少年はもう立ち上がる力すら失って無様に敗者に成り下がった。
これを喜ばずにはいられるか。
そう考えたとき、クレイドの中の狂気が勢いよく吹き出した。それはより深くクレイドを包み、より強く悪意の存在を肯定する。
「アー……アヒャ、アヒャヒャヒャハヤヒャァァ!!」
壊れたラジオのように歪にひび割れた声を喉から絞しだす姿は、かつての彼の面影を感じさせないほどに真っ黒に染まりきっていた。
もう、クレイドという存在は闇に呑まれて消えてしまったとしか考えられない。
「イヤァ~焦った焦った!もっと早く『リバウンド』が来るものだと思ってましたからねぇ。あと数秒遅ければ倒れていたのは私の方だったでんしょうが……ざぁんねんでしたねぇ!!」
亮が倒れ理由は魔術の行使による体の負荷が限界に達したというものだ。
世界の理に触れる事ができる力の魔術。それを使ってノーリスクなんて虫のいい話は無い。
といっても、魔術を使うものが全員が全員負荷に苦しむことがあるかというとそうではない。というより無い方が断然に多い。
まず、魔術の行使を限界までする人間などまずいないからだ。
本当の限界が来る前に、脳の方がリミッターとしてもうひとつの限界を定めてしまうから、その先に行ける者などそうそういない。
だが、今回亮はクレイドと戦うという危機感から無意識の内にリミッターを外していた。そのおかげで人間離れした動きをすることも出来、魔法陣を浮かび上がらせるという奥義的な手法を駆使するクレイドに一瞬ではあったが押し勝っていた。
しかし無茶をしたツケが当然のように、最悪のタイミングで降りかかり、亮は負荷によって体の内側をズタズタにされ吐血して倒れた。
「それが運命というやつです。誰も運命には逆らえない。たとえヒーローを名乗ろうが、悪党を語ろうが、全ては世界という濁流に呑まれ消え失せるんですよ!さぁ、絶望しながら死んで逝け!!」
叫んだクレイドに同調するように、彼の頭上に巨大な魔法陣が浮かぶ。
真っ赤に、燃え盛るように光るそれは五重の円陣を持ち、人間という領域内で行使することが出来る最大級の威力を持つ魔術を放つ引き金となる。
轟々と、世界を焼き尽くすような劫火の炎が現出された。
逆巻くように荒ぶる炎は、渦を巻きどんどん圧縮されていく。それでも規格外に巨大な炎は大して小さく纏まる事はなく、直径一mはありそうな火球となってクレイドの掲げた手の上で、出番はまだかと待ちわびるように唸りを上げる。
あとはこれは振り下ろすだけでいい。
それだけで亮は細胞の一片も残すことなく消滅するだろう。
――――――――さぁ、振り下ろせ!
最高の気分だった。すべてに復讐したいという思いが、すべてを破壊したいという激情が、行き場を無くし容器を壊して溢れ出すように、破裂した。
クレイドの顔が狂気と悪意に満ちる。
その表情は人の命を踏み躙ることに一縷の迷いすら覚えるとは思えない。
なのに、なぜだろうか。
彼の腕は一向に振り下ろされることはなかった。
「あァ?」
不機嫌に顔が歪む。
一体何が起こったというのか、クレイドは自分の腕を見上げた。
燃え盛る火球を掴もうとするかのように真っ直ぐの上へ向けられた彼の腕に特に変わったところはなかった。なのに、動かなかった。
ピクリとも、氷付にされたように指一本思うままにならなかった。
「なんだ何だなんですかァ!?折角いいところだっていうのに!!」
誰というわけでもなく叫んだ。
別に答えが欲しくて叫んだわけではない。ただなんとなくそうしただけだ。
だが答えは返ってきた。
どこからは分からない。消え入りそうなほど小さな声。
もしや亮かエミリアが目を覚ましたのかとも思ったが、二人は気を失ったままだ。
では誰が?
その疑問がクレイドの頭に浮かぶ前に、また声が聞こえてくる。
「うるさいんですよ!耳障りだ!」
意識しなければ聞こえないほどの声だというのに、それは直接クレイドの頭の中で反響しガンガンと頭痛を誘発しながら響いた。
何と言っているのかは聞こえない。ボヤけた音ばかりが響いてくる。
「うるさい!うるさい!うるさい!うるさい!」
クレイドは頭を抱えるように抑え、苦悶の表情で必死に耐えるように歯を食いしばった。
なおも声は聞こえてくる。その声量がハッキリと大きいものに変わってきているような気がした。
それは同時に、今クレイドを支配しているものの根幹を徐々に大きく揺さぶっていた。
一体、何が起こっているというのか。
なぜ、自分はこんな微かな声ごときに苦しめられているのか。
その時だ。
今度は明瞭に、眼前から声が届いた。
ハッと視線を動かせば、
「聞こえ……てるん、だろ?あんたの、魂の、声が!」
そう言った亮が、足を震わせながら立ち上がっていた。
「まだ、立てたんですか?」
「当たり、前だろ。俺、が倒れ……たら、誰があんたを……殺せるんだ?」
ゴホッ、と水っぽい咳の音が亮から発せられる。
それに混じるように口から血反吐がこぼれ落ちた。
ガクン、と亮の膝が片方地面へ落ちた。
限界だった。どんなに強がって見せても、亮にはもう立ち上がる力すら残されていなかった。
何度か吐血が続く。そろそろ出血量が致死に達しそうな勢いだった。
そのまま放っておいても、勝手に死にそうなくらい衰弱している。
さぞ苦しそうな表情を浮かべているのだろう、とクレイドは思った。
だが、亮は笑っていた。
しっかりと光の灯った目でクレイドを見据えている。
その表情にクレイドはゾッと背を震わせた。
――――――――なぜ、笑っていられる?なぜ、そんなにも強い目をしている?なぜ……。
疑問が連鎖する。
答えが出ない無限サイクルに陥ったクレイドに、亮口角を上げて言った。
「分かったんじゃないか、あんたの中にまだ良心が残っているって。さっきはうるさいうるさいって喚いたが、俺には何も聞こえなかったよ。多分それは幻聴だ。あんたの魂が、悪意に呑まれまいと抗って、本当の気持ちを幻聴としてあんたに聞かせたんだろうよ。目ぇ覚ませってな」
饒舌だった。自身の身体が内側からボロボロだということを忘れ去ったように、スラスラと言葉が紡がれる。その繋ぎに淀みはなく、またその言葉に間違いなどなかった。
「言い当ててやろうか?その幻聴がなんて言ってるか」
クレイドは一歩吹き下がった。
まずいと思った。このまま亮に語らせるのは危険だと。
悪意が恐怖し、警鐘をけたたましく鳴り響かせた。
「やめろ、やめろ!やめろおおおおおおおおっ!!」
慌てふためき、クレイドは叫ぶ。響く絶叫は自身を守るために発したはずなのに、なぜかクレイドの纏った悪意の鎧をボロボロと古くなった角質のように崩していく。
それに止めを刺さんと、亮の口が動いた。
同時、発狂したように叫びを上げたクレイドがついに火球を振り放った。
到底人が躱せる速度で突き進むそれをゆったりとした目つきで眺めた亮は、引き金を引いた。
魔術は使えない。動くこともできない。
そんな状態で、この状況を逆転させる引き金を。
チリチリと、触れてもいないのに皮膚を焼くような熱を受けながら。
亮はそっと囁くように言った。
「死ね」
天空で漂う分厚い雲が光った。
色は紫。
その光は雷光。
亮の左こめかみ辺りに生える、青く染まったひと房の髪が神秘的な光を放つ。
それと同時、音を置き去りにした紫電が雷鳴を轟かせて天から飛来した。
一拍遅れて轟音が大地を叩き付け、世界が紫を帯びた白の激光に塗り潰された。
運命だとか、復讐だとか、罰だとか、そんなもの全てを無に帰した。
あと二話ぐらいで一章終わります。




