白の聖痕
一体どれほど経ったのか
あれほど土砂降りだった雨はすっかり止んでいた
それでも、雨が降った痕跡というのは至る所に残っていた
例えば、どんよりとした湿気。例えば、地面に作られた水溜り。例えば、木々の葉に付着した雫
雨が降ればいろいろな跡を残していく
だが同時に、雨に打たれるものの痕跡を消してしまうこともある
例えば、少年の頬を伝っていたはずの涙の跡とか・・・
亮はあの後も泣いていた
相変わらず幼馴染、優花の亡骸を抱えながら
もういくつ涙を流したのか分からない
もう何度嗚咽を漏らしたのか分からない
何度、愛しい彼女の名前を叫んだのかも分からない
もう手遅れだ。どれだけ手を伸ばそうが声を飛ばそうが、彼女にはもう届かない
それを分かっていながらも彼は涙を流し、嗚咽を漏らし、彼女の名を呼んだ
涙が、喉が枯れ果てるほどに・・・
引き裂けるような痛みが喉に走る。亮はしばらくろくに声を出せないだろう
だから彼は口を動かさずに体を動かせた
内容は『埋葬』
紫電によって穿たれた地面に、クラスメイトたちの亡骸を入れていく
全員分、ひとまとめの大きな穴に無感情に放り込んでいく
適度に土を被せ、目印程度に大きめの石をいくつか埋め込むように置いていく
そしてその後、最後に残った亡骸を眺めた
優花だ。
亮は彼女を一瞥したあと、近くの教会からなんの部品かわからない小さな鉄板を引きずり出してきて、それで地面に穴を掘った
深さは1mほど。埋葬には十分だ
そこにゆっくりと彼女を横たえる
亮はしばらくそのまま動かなかった。彼女の白い顔を上からずっと眺めていた
するとたった一滴だけ雫が彼女の頬に落ちてきた。雨だろうか?
亮は空を仰ぐ
だがそこに雲はない
その一雫の後、彼女の頬に雨が落ちることはなかった
まるで、それが最後だとでも言うかのように
亮は優花の白い顔に向き直った
無表情で、それでいて穏やかな表情の彼女に届くはずのない思いを、誓いを告げる
――――――――悪は全部、俺が消す
彼女はそんなことを望んでいないはずだ
幼馴染の亮もそんなことは分かっている
だが彼女が何を望んでいるか分からなかった
だから・・・いや、亮は彼女を言い訳にしたくない
彼女を自分のせいで汚したくない
結局は自分のためだ
憎いから、殺したいから――――悪を滅するのだ
そこにヒーローのような真っ当な理由など存在しない
ただの復讐―――その言葉で全て事足りる
亮は彼女を埋め墓石代わりの大きな石を一つ置いた
そして彼は最後に一瞥したあと、森へと向かった
理由はなんとなく
その向こう側に何かがあると思ったから
自分が復讐すべき相手がいると思ったから
そして―――――
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脳が沸騰するような感覚に陥った
原因は目の前の男
森の中で行き倒れた亮を発見し、助けてくれた長髪の男
無邪気な笑みを浮かべ、決して悪人には見えない男
そんな男の頬に―――
亮が『悪』の一つとして定める者の象徴が
優花を殺した『使徒』と同じ白いタトゥーが刻まれていた
「あ゛あ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!!!!!!!」
声にすらなっていない咆吼を上げた
渇れ果て、壊れたような音しか出ない人体最大の発音部位。それでも亮は自分の中の劫火の如き憎悪をぶちまけるように叫び、目の前の男の胸ぐらに掴みかかった
そのまま床に押し倒すような形になり、男に馬乗りになった亮は固く拳を握った
(フザケルナ!フザケルナ!なんで笑っていられるんだッ!?お前たちはみんなを、優花を殺したのになんで普通に笑っていられるんだッ!?それがお前たちの当たり前なのか?天使に従い何の疑いもなく人を殺し高笑いするのがお前たちの当たり前なのかッ!?)
考えただけで反吐が出そうになるような疑問が頭の中を駆け回る
それを声で男に訴えようと叫ぶが、喉が枯れ果てていて掠れる様な音しか出てこない。それでも、自分の内から湧き出る激情を押さえつけることが出来ず叫び続ける
押し倒されている男は、急に発狂し襲いかかってきた亮に驚きいている。だがそれでも無邪気な笑みは崩れない。そうする事で亮を落ち着かせようとしているのだ
それは逆効果だった
亮には男の笑みは自分を、死んだみんなを嘲笑っているようにしか見えなかった
天使が付けていた仮面の表情のように
――――――――殺すッ!悪は全て俺の手でッ!!
あの時の感覚が蘇る
怒りで、憎しみで、心が、魂が、どうしょうもないほど包まれ、支配され、
そして亮に告げる
――――――――奴は悪だ。滅せ、怒りのままに鉄槌を振り下ろせ、と
亮は実行する。あの時と、天使と使徒を屠った時のように
怒りの鉄槌を、紫電を下敷きになっている男に向かって――――
「うあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!!!!」
叫びを上げ―――叩き落とした
はずだった・・・。
いくら念じても、いくら叫ぼうと、紫電が起こることはなかった
「―――――っ!?」
わけが分からなかった
確かにあの時と同じようにしたはずなのに、紫電は応えない
あの力は偶然ではなかった
間違いなく、自分の意志で操っていた
ならばなぜ応えない?
それが許せなかった
ギリっと奥歯どうしが噛み締め合う音が聞こえる
これではあの時と一緒ではないか
何も守れなかったあの時と―――何も変わらない
何か出来る可能性が残っているのに、自分は何も出来ない
明らかに自分が主導権を握っているはずなのに、この男に傷一つつけられていない
自分はなんて弱くて、情けなくて、そして何より、憎いんだ・・・
ドン!と握った拳を男の顔のすぐ横に叩きつけた
特に意味がある行動じゃない。威嚇程度の意味すら持ち合わせていない行為だ
ただ悔しさを八つ当たりしただけ
それを感じ取ったのか、男は震える亮の拳のすぐ横で優しげな笑みを浮かべた
「落ち着いてください。暴れると体に響きますよ」
男はさっと右手を亮の額に手を当て、何かを呟いた
『天に庇護されるべき者に一時の安らぎを』
すると亮の額に当てられた手が薄緑色の光に包まれ魔法陣を形成する
「おやすみなさい。次起きた時は掴みかからないでくださいね」
冗談めかしたように言う男。その手にある魔法陣が強く光を発した
亮がそう認識した時には、彼の意識は暖かいまどろみに呑まれていった
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再び目が覚めたとき、目線の先に映るのはまたあの文字だらけの天井だった
「・・・。」
そして思い出した。先ほどの長髪の男とのやり取り
(あいつ何者なんだ?あの頬の白いタトゥー・・・やっぱり使徒なのか?)
亮は黙って天井を眺めた
使徒と同じ白いタトゥーがあったとしても、冷静になってみればあの男の笑顔はどう見ても悪人には見えなかった。それに加え、おそらくだが森の中で行き倒れた彼を助けてくれた恩人でもある
(いきなり掴みかかったのはマズかったかな・・・)
己の突発的すぎる行動を反省し、再び目を閉じて手を額に当てた
その時ちょうどドアが開く音がして元気な女の子の声が耳に入った
「あー!起きた起きた!ししょー、行き倒れのお兄ちゃんが起きたよ~」
少女はペタペタと足の大きさに似合わないスリッパを引きずるようにして亮の寝るベットの横まで駆け寄った
「おはよう、行き倒れのお兄ちゃん!なんであんな森で行き倒れてたの?気分はどう?もういきなりししょーに掴みかかっちゃダメだよ」
少女の口から矢継ぎ早に出てくる元気すぎる声が少々耳障りなり亮は人差し指を立てた手を彼女の顔の前に突きつけ視線を向けた
12歳ぐらいだろうか。少し茶味がかった髪を右側で束ねている
吸い込まれそうなほど大きな瞳は髪と同じ茶色
一目で元気で活発だとわかる顔立ちで、人差し指を立てる行為の意味がわからないのか不思議そうに首を傾げている
「行き倒れのお兄ちゃん?」
人差し指を自分の口元へ持って来、「しー」と言うと少女は大人しく口を閉じた
彼女に静かにしてくれと頼んだ理由は彼女の声が元気すぎて寝起きの身には少し耳障りだったのと、精神を少しでも落ち着けたかったからだ
おそらくこれから彼の目の前に現れる長髪の男の顔を、もっと言えば白いタトゥーを見ても掴みかからないよう自制するために
そうこうしている間に部屋の外から足音が近づいて来るのを聴覚が捉える
その瞬間、反射的に亮は身体に力を込めた
男の頬を見ても飛び掛らないように、そしてあの男の顔に少しでも悪意の表情が浮かんでいれば躊躇なくその喉元に喰らい付くために
そして―――
「『エミリア』、行き倒れのお兄ちゃんはまだ元気ではありませんからあまり騒がしくしてはいけませんよ」
少女に注意を促しながら男は部屋に入ってきた
その顔にはやはりあの白いタトゥーが。それを目視した瞬間やはり亮の内からドス黒い激情を覚えるがなんとか自制し、静かに鎮めていく
そして表情、そこには全くと言っていいほど悪意は無く、この前と同じように無邪気な笑みが浮かぶだけだった
「再び、おはようございます。気分の方はどうですか?」
先ほど掴みかかれたにも拘わらず、警戒心を全く抱かないのか男はすぐにベットの隣まで歩いてきた
あまりにも無警戒すぎる態度に、逆に亮が必要以上に警戒して男を睨んだ
「ハハハ、怖いですよ。私怖いのは嫌いなんです。そんな顔でまた掴み掛られたら思わず失禁しちゃいますよ」
「ウソだ、ワタシししょーがビクビクなってるところなんて見たことない」
「そんなことありませんよ。例えばほら、ここの裏に住んでいる『ロバート』さん。あの迫力あるスキンヘッドの彼に鋭い目つきで睨まれるたびに私は背筋に嫌な汗かいてますよ」
「あ~、でも『ロバート』おじさんは仕方ないよ。元『まふぃあ』だってみんなに言ってたし。近所のみんなは全員怖がってたしね」
ハハハ、と笑い合う男と少女
よほどおしゃべりが好きなのか、そのまま『そういえばこの前ロバートさんが・・・』とか『朝、サティーお姉ちゃんが・・・』などなど井戸端会議レベルの会話を続けてバカ笑いする二人
だが、それを間近で聞いている亮からすれば『ロバートおじさん』と『サティーお姉ちゃん』って誰だよ?となるわけであって
「・・・。」
当然、黙り込んで唖然となる
亮はもはや警戒する気も、男の喉元に噛み付く気も失せていた
「―――でしてね・・・おっと、失礼しました。あなたをおいて長々と世間話を・・・。改めまして自己紹介といきましょうか。私の名前は『クレイド』、一応村の医者をしています。そしてこの茶髪がチャーミングな女の子が『エミリア』、私の弟子です」
丁寧な口調での自己紹介に思わず頭を下げる亮
「あなたの名前を教えていただけますか?」
そう言われて亮は素直に自分の名を告げようとした
「あ゛っ、ぁ―――――――っ!?」
だが、彼の喉から出たのは掠れた様な雑音だった
そういえば長髪の男、クレイドに掴みかかった時も喉が枯れ果てていて出てくる声は声でなかった
普通ではありえないほどに彼の喉は壊れていた
「やはり声が出ませんでしたか。それではこちらに書いて筆談ということで」
クレイドは近くに置いてあった机の上から白いわら半紙と筆を取って亮に渡した
「では改めて、あなたの名前を教えてもらえますか?」
言われて亮は頷き、筆を走らせた
『安斎 亮』
「アンザイ・・・リョウ、ですか?」
亮は首を横に振ってまた紙に筆を走らせる
『トオル』
クレイドはそれを見て少し申し訳なさそうに笑った
「すいません。名前を間違えるのは失礼ですね。以後気を付けます」
『気にしなくていい。よく間違えられるから』
「そうですか。それではトオルくん、次は・・・」
クレイドが次の質問に入ろうとすると、亮が手を彼に向けて翳し言葉を遮った
「なんですか?」と首を傾げるクレイドに、亮は筆を走らせ紙に用件を書いた
『先にこちらから聞きたい事がある』
「ええ、なんでしょう?」
再び紙に聞きたいことを書いたあと、亮は自分の頬を指差した
『その白いタトゥーは一体何だ』
そう書いた紙を見せるとクレイドとエミリアは目を丸くした
そして珍しいものを見るような目つきに変わったエミリアがベットに飛び乗り亮に迫った
顔をグッと近づけ、吐息があたるような距離で目をキラキラさせるエミリア
別に小さい女の子に対してドキッとしない亮は訝しげな顔で彼女の顔を見返した
「お兄ちゃんもしかして『邪神大陸』から来た人なのっ!?」
「??」
首を傾げる亮
するとエミリアはまた更にグイっと顔を近づけてくるので焦って思いっきり頭を引いた
それでも追い詰めるように続ける彼女はもう完全に亮を押し倒しているような体勢になる。元の世界だったらいろいろ規制に引っかかりそうな絵面になるが、本人は全く気にしている様子もない
「ねぇ、そうなんでしょ!?『天聖魔術師』の証の『白痕』を知らないのなんて邪神大陸の人ぐらいだもんね!?」
感嘆符が語尾につくたび、ズン、ズン、と迫ってくるエミリアにたじろぎ、亮は助けを求めるようにクレイドに「help!」と視線で訴えた
クレイドは苦笑いしながら亮の上に乗るエミリアを持ち上げ床に下ろした
「こらこら、エミリアやめなさい。亮くんが困ってるじゃないですか」
「え~、ししょーだって邪神大陸の人は珍しいでしょ?」
「まぁ、40年近く生きてきて何度か会った事はありますが、確かに珍しいですね。どうなんですか亮くん、あなたは邪神大陸から来たのですか?」
今度はクレイドまで興味津々そうな顔で聞いてきた
亮からすれば「『邪神大陸』ってなんだよ?」という気分なのだが、目の前の二人は彼が答えるまで待ちの態勢に入っている
はぁ、と小さくため息をついた亮はまた筆を執る
『多分あんたらが知らないところから俺は来た』
「知らないところ、ですか?」
『異世界』
「異世界・・・ですか・・・。」
戸惑ったように言葉を詰まらせるクレイド
その反応を見て亮は後悔した
(しまった。いきなり異世界とか言っても信じてもらえないよな普通・・・)
しかし、状況は亮の後悔とは少し別方向に進展し始めた
クレイドはしばらく逡巡したように顎に手を添えて考え込み、「もしかして・・・」と何かの結論を導き出したのか、亮の方を向いて聞いた
「あなたはまさか『天の召喚に応じる者』ですか?」
恐る恐るといった調子で訪ねてくるクレイドに亮はまた訝しげな顔をする
(リヒト・ガルディアン?たしか『リヒト』はドイツ語で光を表す単語で、『ガルディアン』はフランス語で『守護者』・・・光の守護者?)
「『天の召喚に応じる者』とは20年前、魔界と天界の戦争がここ人間界で行われた時、当時の天界の最上神が最後の希望として異世界から召喚した少年、少女たちのことです」
「ッッ――――――!?」
亮は目を見開いて驚愕した。クレイドの口から聞かされた話に
異世界から召喚された少年、少女・・・呼び出したのは『神』
一気に飛躍する話に思わず眉をしかめる
だが、自分という実例がここにある以上、認めないわけにもいかなかった
そして一度自分の中へ飲み込んでしまえば気になる単語が耳に残った
(20年前に、神が父さんと同じことを?・・・いや、父さんが神の真似を・・・?)
それを意識した瞬間、亮は自分たちがこの世界に送られた理由の一端を掴んだ気がした
ちなみに、この世界の言語や文字などは基本日本語で、英語やフランス語などの単語がちょくちょく混ざってくるという感じです