覚悟のほど
ああ、冬休みが終わった・・・
あ、これ話になんの関係もないです
橘は誰にも言わずに部屋を出た
おそらくみんなは心配するだろうと思いながらも彼は誰も待つことなく部屋のドアを開けた
途端、当たり前だが右に進むか左に進むかの分かれ道が現れる
橘は左右を一瞥ずつし、一瞬考える素振りを見せてから右に進んだ
左へ進む道はたくさんの蝋燭が灯り、なんとも明るい
たいして彼が選んだ道は、10mはたくさん蝋燭が灯り明るいが、それ以降は一気に蝋燭の数が減りどんどん薄暗くなっていく
ギリギリ人間の目が捉えられる廊下の先に見える曲がり角以降はおそらく肝試しが出来るんじゃないかというほど暗いに違いない
橘はそんな道を迷いなく踏み進んでいく
コッチに彼が部屋を出なければならなかった理由が『いる』と勘が騒いだから
僅かな蝋燭で照らされている薄暗い廊下は不気味なほど静寂だった
聞こえる音といえば古くなってギシギシと軋む床の音ぐらいだ
この宿屋、古い造りの割には大きいらしく、最初に見えた曲がり角に向かって歩くが距離があり、なかなか端につかない
しばらく床を鳴らしながら歩くと闇を照らす蝋燭の炎が完全になくなり、普段は使われず、さらに掃除もされていないと思われる埃まみれの廊下に差し掛かった
気にせず足を踏み入れると積もった埃が不自然に思えるほど巻き上がる
元々夏独特の暑さが廊下に満ちているのに、埃まで満ちてはたまったものではないと近くにあった窓を開ける
開け放った窓からは穏やかな夜風が吹き込み、橘の金髪を撫で、少し熱を帯びる頬を心地よく冷やした
埃の舞う廊下から外へ顔を出し、大きく深呼吸して呼吸を整えると再び廊下を進み始めた
窓から入る月灯りだけが真っ暗な廊下を照らす
頼りにならない程度だが、僅かに見える廊下の道を辿る
やがて右折の角が現る。曲がると、
「I've been waiting you.(待ってたぜ)」
ネイティブな発音の英語が待ち受けていた
視線を向けるとそこは廊下の突き当り。大きめの窓が備え付けられ、そこから月光が射し込むが、その軌跡以外は暗闇に包まれ肉眼ではその奥に何があるかは分からなかった
しかし目を凝らすと闇の中で揺れる影があることが目に映った
カツ、カツ、とブーツ底の音が鳴ると、暗闇の中から闇よりも暗い黒を纏った男が浮き出る
男は月明かりに照らされる位置まで歩いてきた。そこでやっとハッキリと男の顔が確認できた
全身面白いほどの黒ずくめ。月明かりが頼りなく思えるほど黒い髪に、それに相反する白い肌
ガイウス――――橘はこの男に会うために部屋を出たのだ
橘は直感が当たり、目的の人物に遭遇できた事に頬を緩め、次いで口角を引き上げて言った
「わりぃ、待たせたな」
ガイウスは気怠そうに近くの壁に背をもたれ掛からせる
「別に待ち合わせなんかしてなかったろ。それにまだ10分も待ってねーから気にすんな」
そんなことより、と謝罪は無用だと強調するように言葉を切ってガイウスは続ける
「もう気付いたのか?坊や頭悪いわりにはなかなかキレるところもあるな」
「勘はいい方なんだ。つーか勘で動いてるからな」
笑い話のように言うとガイウスも笑い始める
「ハハハッ!やっぱバカだな坊やは。・・・・・・覚悟は決またんだな?」
「ああ、もう決まった・・・」
一気に空気が変わる
張り詰めたような緊張感のある雰囲気で二人は互いを見交わす
そこでガイウスは思わず微笑む
目の前に立つ橘の表情が素晴らしいものだった
真剣――――それを表現するかのような表情
『バカ』という印象を強く与える彼には相応しくないが、『ヒーロー』としての彼ならば最も相応しい表情
そんな表情のまま橘は言い放った
『橘輝』という一般人の運命を捻じ曲げる言葉を―――――
「俺に、新しい力を下さいッ!!」
覚悟を伝えるには十分な一言だった
ガイウスは目を細め、決意のほどが伺える橘の目を見返す
そして目を閉じ、息を一つ吐くと最終確認の意を込めて返した
「戻れなくなるぞ。いいのか?」
すると橘は一瞬、黙り込んだ
躊躇ったのかとも思えるがそうではない
彼は思い出したのだ
黒沢が一緒に戦うと言ってくれたとき、橘は一度その案に乗ろうとした
だが直前、ガイウスの声が脳裏に過ぎった
『何かを捨てないと人は何も得られねーんだからな』
その言葉にふと疑問が浮かぶ
――――――――俺は一体何を捨てようとしているんだ?
――――――――今捨てようとしているモノを捨てれば何が手に入るんだ?
そんな疑問の答えはすぐに出た
今、橘が捨てようとしているモノ―――それは、
今、橘が手に入れようとしているモノ―――それは、
――――――――ふざけんな!!
答えに気付いたとき、思わず心の中で自分を自分で罵った
彼が捨てようとしたモノ
それは『みんなの絶対の安全』
彼が手に入れようとしたモノ
それは『僅かばかりの自分の安全』
そんなモノは望んでいなかった
自分が甘えて戦う道を捨てればおのずと他の誰かに危険が回る
他の誰かが危険の相手をすれば自分は安全になる
いらない
そんなモノはいらない
ちょっとした安全程度なら大人しくしていれば手に入ると言われた
だが橘が求めていたものは『みんなの絶対の安全』
ガイウスにもそう言った
それが手に入らないから戦おうとしたのに
なぜ――――自分は甘えようとしている?
気付けば心の中だけではなく、表情にも自分を罵るように嘲笑の色が滲み出ていた
それを隠すように黒沢に背を向けた
――――――――俺は何を捨てればいい?
――――――――どうすれば欲しいモノが手に入る?
その時、またガイウスの言葉が脳裏を過ぎる
『もうお前に悪魔と戦う力は残ってねーんだ』
思わず歯噛みしたくなる
欲しいものに必要なはずの『力』がもう残ってないと言われたのだから
人間の悪魔に対抗する戦闘術は全てが才能
その才能は全て橘にはない
それが悔しくて、反論しようとした時ガイウスは彼を黙らせた
目を真紅に光らせて、
自分がただの人間ではない。だから橘に才能がないことが分かる と伝えたのだ
「――――――――ッッ!?」
そこまで思い出したとき、橘の頭の中にひとつの可能性が浮かぶ
人間としてでは力は残っていなくとも、違う力を継ぎ足せばどうだろうか?と
例えば、悪魔や天使の戦闘術
それならば人間として詰んでいても、まだ活路はあかもしれない
元より『魔術』は天界と魔界のものらしい
その上、人間の形をした人間ではない存在のガイウスがいる
―――――――――可能性は0じゃない!
自分が得るべきモノは決まった
となれば、あとは捨てるモノ――――――――
考えた瞬間に答えは出た
そして決まったからこうして彼はガイウスの前に立っている
「あんた言ったよな、俺に大人になれって。それ思い出したから考えたんだ、大人になるにはどうすりゃいいのかってな。したらすぐ分かったよ」
橘は肩をすくめて見せて続ける
「我が儘を捨てることだってな」
「それで?」
「俺って結構我が儘なんだ。自分でも数え切れないくらいの我が儘を抱えてんだ」
橘は今までその我が儘で全て何とかしてきた
けど、それではダメだと気付いた。それでは今後何も乗り越えられなくなると理解した
大人になるしかない
何かを考え、何かを切り捨て、何かを妥協しなければならない
「そいつら全部一旦捨ててみたら一体何が残るかって考えてみたんだ。そしたら二つ残ったよ」
二本指を立てた
「俺はクラスメイトと一緒にいたい!そんでもってあいつらを守りたい!あいつらと一緒にバカやって、笑っていたい。あいつらの笑顔が消えるのは嫌なんだよ」
だけど、と彼は呟く。拳は強く握られミシミシと音が聞こえる
「それじゃ足りないんだろ?教会の時も多分その二つ以外欲は捨ててたはずなんだ。けど、俺はあいつらを助けきれなかった。あんたが来なきゃみんな死んでた。嫌なんだよ・・・そんなが結末が有り得る事が」
嫌で嫌で仕方ない
みんなの笑顔が奪われるかもしれないと思うと、嫌悪感で吐き気がしそうだ
だから、彼は大人になる事にした
「なら俺は捨てる!みんなといることを―――俺の『甘え」を捨てる!!
もう覚悟は出来た。俺はみんなを守る!これが俺だ、これが橘輝の覚悟だっ!!」
全ては自分の最大の『我が儘』を通すために――――
しばしの静寂、互いを見交わす二人に変化はなかった
橘は真剣な表情で、ガイウスはただ冷淡ともいえるクールな表情で佇んでいる
だがこの静寂に気まずさは感じられなかった
むしろ落ち着いた、集中力を研ぎ澄ませたようないい緊張感だ
その場にいたら思わず微笑んでしまいたくなるような、そんな空気
しかし二人は何も変わらない
いつまで経ってもそのまま。まるでその静寂を楽しんでいるかのように身動き一つしない
不意に、窓から射す月光が途切れた
おそらく雲の陰に隠れたのだろう。廊下が光源を失い一気に闇一色になる
すると、ついに静寂が破られた
闇の中で黒い男の影が壁に背を預けるのをやめ、橘に一歩近づいた
そして穏やかな声で言った
「そうかい・・・。なら、問題はねーな」
視界は見えない
それでも橘にはわかった―――――
ガイウスは大きく手を開き、まるで凄い事をした息子を褒めるような仕草でこう言った
「WELCOME!!」
―――――その顔は、教会で初めて会った時のように不敵な笑みを浮かべている、と
「自分の『魂』の声が聞こえるようになったなら何の問題もねぇ!!いいぞテル、やっぱりお前は大バカ野郎な『ヒーロー』だ!!」
嬉しそうな声で言うガイウス
そんな彼の後ろから、再び月光が射し込んだ
視界が確保され、薄らと見えるガイウスの顔を確認すると
「えらく嬉しそうだな」
「そりゃモチロンだ!目の前に運命捻じ曲げる奴が現れたんだからな!」
「う、運命を捻じ曲げる?なんのことだ?」
「なんでもねーよ。こっちの話だ」
誤魔化すようにそう言った彼の顔には再び笑みが
なんでも見透かしていそうな不敵さを持つ笑みがあった
それに返すように橘もニヤリと笑う
するとガイウスから手を差し出された
「?」
「これから宜しくな、テル」
そう言われて手の意味を理解した橘は手を出して握り返した
「よろしくお願いします。え~と・・・なんて呼べば?」
「なんでもいいさ。お前が呼びやすいように呼べばいい」
これまでずっと『あんた』で統一していたが、流石に教えを請うのにそれはまずいだろうと思った
だから橘は少し下を向いて考えた
「じゃあ老師!」
「俺はそんなに老けてない。せめて師匠ぐらいにしてくれ」
「じゃあ師匠!」
にっとガイウスに笑みを向ける
「これからよろしくお願いします!――――」
感想、誤字、ご指摘等ありましたら教えていただけるとありがたいです