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聖女をクビになったので辺境の村で薬草茶屋をはじめたら、王都から行列ができました

作者: 夜華カナタ
掲載日:2026/11/02

「地味な祈りしかできない」と神殿を追い出された聖女の、その後のお話です。

「エマ。あなたは今日かぎりで、聖女の役を降りてもらいます」


 大神殿の白い広間で、神官長は、帳簿から顔も上げずに言った。


 エマは、ほうきを持ったまま、目をぱちぱちさせた。朝のお祈りのあと、いつものように祭壇のまわりを掃いていたところだった。


「……降りる、というのは」


「新しい聖女さまが、お見えになったのです」


 神官長は、ようやく顔を上げた。その視線の先、広間の入口に、金色の髪の少女が立っていた。


 ベアトリスという名だと、エマはあとで聞いた。少女が両手を胸の前で組むと、手のひらから、まぶしい金色の光があふれた。広間じゅうの神官たちが、ため息をついた。


「ご覧なさい。あれこそ、聖女の光です」


 神官長は、エマのほうを見ないまま続けた。


「あなたは十年、ここにいた。けれど、光ったことは一度もない。毎朝、井戸のまわりで何やらぶつぶつ唱えて、薬草を干して、茶を煎じているだけ。……地味すぎるのですよ。聖女に、ほうきは似合いません」


 エマは、自分の手の中のほうきを見た。


 たしかに、似合わないかもしれなかった。


「分かりました」


 エマは、ほうきを壁に立てかけた。


「ひとつだけ、お願いがあります」


「何です」


「王都の井戸は、毎朝お祈りしてあげてください。北区の三番井戸は、とくに水が弱いので」


 神官長は、鼻で笑った。


「新しい聖女さまがいらっしゃるのです。井戸の心配など、いりませんよ」


               ◇


 荷物は、トランクひとつと、干した薬草の束が七つだった。


 乗合馬車を三回乗りついで、エマは北の辺境の村にたどり着いた。王都から十日。山のふもとに、石の家が二十軒ほど並んでいるだけの村だった。


 村の入口に、空き家があった。前は宿屋だったらしい。表の看板は、半分くさって落ちかけていた。


「ここ、借りられますか」


 村長は、エマの顔と、トランクと、薬草の束を順番に見た。


「借りるのはいいが……あんた、何をするつもりだね」


「お茶屋さんを」


「茶屋?」


「薬草のお茶を出します。一杯、銅貨一枚で」


 村長は、しばらく考えてから、肩をすくめた。


「物好きだね。こんな村、旅人だってめったに来やしないよ」


               ◇


 最初のお客は、村の子どもだった。


 咳がひどくて、夜も眠れないのだという。母親に手を引かれてきたその子に、エマは、温かいお茶を一杯出した。干したタイムと、山で摘んだ白い花と、蜂蜜をひとさじ。


 それから、湯気の立つ茶碗に、両手をかざした。


 口の中で、小さく唱える。十年間、毎朝、王都の井戸のまわりで唱えてきたのと同じ言葉だった。


 光りはしなかった。


 けれど、お茶の湯気が、ほんの少しだけ、やわらかくなった気がした。


「……あったかい」


 子どもは、両手で茶碗を抱えて、ゆっくり飲んだ。


 その夜、子どもは、ひと月ぶりに朝まで眠った。


               ◇


 うわさは、山の村ではすぐに広まる。


 腰の痛いおじいさん。冷えで手がかじかむ洗濯場のおかみさん。眠れない若い羊飼い。エマのお茶を飲んだ人たちは、次の日、少しだけ楽になっていた。


 劇的に治るわけではない。光も出ない。ただ、少しずつ、少しずつ、体が楽になっていく。


「地味だねえ」


 村長は、毎朝お茶をすすりながら言った。


「地味ですね」


 エマも、笑ってうなずいた。


「でも、地味なほうが、毎日続けられるんです」


 ある日、店の扉が、乱暴に開いた。


 入ってきたのは、大柄な男だった。黒い外套に、使いこまれた剣。山の向こうの砦の騎士団を率いている、オーウェンという人だと、村長があとで教えてくれた。


 男は、カウンターの前に立って、低い声で言った。


「……部下が、三人、熱で寝こんでいる。砦の医者では、下がらない」


「お茶を、持っていきましょうか」


「茶で治るのか」


「治るかどうかは、分かりません」


 エマは、正直に言った。


「でも、楽にはなると思います」


 オーウェンは、しばらく、エマの顔を見ていた。それから、ぶっきらぼうに、銅貨を三枚カウンターに置いた。


「三杯だ」


 次の日、三人の熱は、下がっていた。


 その次の日から、オーウェンは、毎朝、店に来るようになった。来ても、ほとんど何も言わない。カウンターの端に座って、お茶を一杯飲んで、銅貨を一枚置いて帰っていく。


「団長さん、また来てるよ」


 洗濯場のおかみさんが、エマに耳打ちした。


「あれは、熱じゃなくて、別のものにやられてるね」


「別のもの?」


「さあね」


 おかみさんは、にやにや笑って帰っていった。エマには、何のことだか、よく分からなかった。


               ◇


 秋の終わりに、王都から、旅人がひとり、店にたどり着いた。


 やせた商人だった。咳をしながら、エマの顔を見るなり、目を丸くした。


「あんた……神殿の、井戸のお嬢さんじゃないか」


「井戸の、ですか」


「毎朝、北区の井戸のまわりで、お祈りしてた人だろう。おれは、あの井戸の近くで店をやってたんだ」


 商人は、カウンターにすがるように座りこんだ。


「あんたがいなくなってから、王都がおかしいんだよ。井戸の水が、にごってきた。咳が流行って、子どもが何人も寝こんでる。神殿の新しい聖女さまは、たしかにぴかぴか光るんだが……光っても、井戸の水はきれいにならなかった」


 エマは、黙ってお茶をいれた。


「それで、あんたを探しに来たんだ。王都の連中が、あんたのお茶を飲みたいって。……ひとりじゃない。あとから、何十人も来る」


 商人の言ったとおりだった。


 冬が来る前に、店の前には、王都から来た人たちの列ができていた。村の人たちが、目を丸くした。旅人などめったに来ないはずの山の村に、毎朝、行列ができたのだ。


               ◇


 雪の降りはじめた朝、神殿の使いが来た。


 見覚えのある、若い神官だった。王都で、エマにほうきを渡してくれたことのある人だった。


「エマさま。神官長からの、お言葉です」


 若い神官は、気まずそうに巻物を広げた。


「聖女の役に、戻っていただきたい、と。……新しい聖女さまは、その、光ることはおできになるのですが、井戸のお祈りは、ご存じなくて」


 店の中にいた人たちが、しんと静まり返った。カウンターの端で、オーウェンが、茶碗を置く音がした。


 エマは、少しだけ考えた。


 それから、カウンターの下から、紙の束を取り出した。


「これを、持っていってください」


「これは……」


「井戸のお祈りの言葉と、やり方です。王都を出る前の晩に、書いておきました。北区の三番井戸は、とくにていねいに。それから、薬草の干し方と、お茶の煎じ方も」


 若い神官は、紙の束を受け取って、目をしばたたいた。


「……では、エマさまは」


「わたしは、ここでお茶屋さんをします」


 エマは、にっこり笑った。


「光らなくても、毎日続ければ、ちゃんと効くんです。それを、神殿のみなさんに伝えてください。ベアトリスさまにも。あの方の光は、とてもきれいでしたから。光と、毎朝のお祈りと、両方あれば、きっと王都はもっと元気になります」


 若い神官は、紙の束に目を落としたまま、唇をかんだ。やがて、それを胸に抱いて、深く頭を下げた。


「……必ず、お伝えします」


「それと」


 エマは、湯気の立つ茶碗を、神官の前に置いた。


「帰り道は寒いので、一杯どうぞ。銅貨一枚です」


               ◇


 使いが帰ったあと、店はいつもどおりに戻った。


 行列の人たちに、一杯ずつお茶を出す。村の子どもが、茶碗を洗うのを手伝ってくれる。おかみさんが、干した薬草を裏から運んでくる。


 昼すぎ、ようやく客がとぎれたころ、カウンターの端から、低い声がした。


「戻らなくて、よかったのか」


 オーウェンだった。今日は、まだ帰っていなかった。


「よかったです」


 エマは、茶碗をふきながら答えた。


「ここのほうが、毎日、だれかの顔が見られますから。お茶を飲んで、ちょっと楽になった顔が」


 オーウェンは、答えるかわりに、空になった茶碗を、カウンターの上ですべらせた。


「……もう一杯」


「団長さん、今日はもう三杯目ですよ」


「知ってる」


「そんなに飲んだら、お腹がちゃぷちゃぷになります」


「かまわない」


 オーウェンは、窓の外の雪を見たまま、ぼそりと言った。


「茶を飲んでいるあいだは、ここにいていい理由になる」


 エマは、茶碗をふく手を止めた。


 それから、少しだけ頬が熱くなったのを、湯気のせいにして、四杯目のお茶をいれた。


 光ったことは、一度もない。


 けれど、その日の湯気は、いつもより少しだけ、あたたかい色をしていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


光らない聖女が、毎朝のお祈りと一杯のお茶で、少しずつ人を元気にしていくお話でした。派手な力より、毎日続けられる力のほうが、案外たくさんの人を助けているのかもしれません。


楽しんでいただけましたら、★評価やブックマークで教えていただけるとうれしいです。

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