聖女をクビになったので辺境の村で薬草茶屋をはじめたら、王都から行列ができました
「地味な祈りしかできない」と神殿を追い出された聖女の、その後のお話です。
「エマ。あなたは今日かぎりで、聖女の役を降りてもらいます」
大神殿の白い広間で、神官長は、帳簿から顔も上げずに言った。
エマは、ほうきを持ったまま、目をぱちぱちさせた。朝のお祈りのあと、いつものように祭壇のまわりを掃いていたところだった。
「……降りる、というのは」
「新しい聖女さまが、お見えになったのです」
神官長は、ようやく顔を上げた。その視線の先、広間の入口に、金色の髪の少女が立っていた。
ベアトリスという名だと、エマはあとで聞いた。少女が両手を胸の前で組むと、手のひらから、まぶしい金色の光があふれた。広間じゅうの神官たちが、ため息をついた。
「ご覧なさい。あれこそ、聖女の光です」
神官長は、エマのほうを見ないまま続けた。
「あなたは十年、ここにいた。けれど、光ったことは一度もない。毎朝、井戸のまわりで何やらぶつぶつ唱えて、薬草を干して、茶を煎じているだけ。……地味すぎるのですよ。聖女に、ほうきは似合いません」
エマは、自分の手の中のほうきを見た。
たしかに、似合わないかもしれなかった。
「分かりました」
エマは、ほうきを壁に立てかけた。
「ひとつだけ、お願いがあります」
「何です」
「王都の井戸は、毎朝お祈りしてあげてください。北区の三番井戸は、とくに水が弱いので」
神官長は、鼻で笑った。
「新しい聖女さまがいらっしゃるのです。井戸の心配など、いりませんよ」
◇
荷物は、トランクひとつと、干した薬草の束が七つだった。
乗合馬車を三回乗りついで、エマは北の辺境の村にたどり着いた。王都から十日。山のふもとに、石の家が二十軒ほど並んでいるだけの村だった。
村の入口に、空き家があった。前は宿屋だったらしい。表の看板は、半分くさって落ちかけていた。
「ここ、借りられますか」
村長は、エマの顔と、トランクと、薬草の束を順番に見た。
「借りるのはいいが……あんた、何をするつもりだね」
「お茶屋さんを」
「茶屋?」
「薬草のお茶を出します。一杯、銅貨一枚で」
村長は、しばらく考えてから、肩をすくめた。
「物好きだね。こんな村、旅人だってめったに来やしないよ」
◇
最初のお客は、村の子どもだった。
咳がひどくて、夜も眠れないのだという。母親に手を引かれてきたその子に、エマは、温かいお茶を一杯出した。干したタイムと、山で摘んだ白い花と、蜂蜜をひとさじ。
それから、湯気の立つ茶碗に、両手をかざした。
口の中で、小さく唱える。十年間、毎朝、王都の井戸のまわりで唱えてきたのと同じ言葉だった。
光りはしなかった。
けれど、お茶の湯気が、ほんの少しだけ、やわらかくなった気がした。
「……あったかい」
子どもは、両手で茶碗を抱えて、ゆっくり飲んだ。
その夜、子どもは、ひと月ぶりに朝まで眠った。
◇
うわさは、山の村ではすぐに広まる。
腰の痛いおじいさん。冷えで手がかじかむ洗濯場のおかみさん。眠れない若い羊飼い。エマのお茶を飲んだ人たちは、次の日、少しだけ楽になっていた。
劇的に治るわけではない。光も出ない。ただ、少しずつ、少しずつ、体が楽になっていく。
「地味だねえ」
村長は、毎朝お茶をすすりながら言った。
「地味ですね」
エマも、笑ってうなずいた。
「でも、地味なほうが、毎日続けられるんです」
ある日、店の扉が、乱暴に開いた。
入ってきたのは、大柄な男だった。黒い外套に、使いこまれた剣。山の向こうの砦の騎士団を率いている、オーウェンという人だと、村長があとで教えてくれた。
男は、カウンターの前に立って、低い声で言った。
「……部下が、三人、熱で寝こんでいる。砦の医者では、下がらない」
「お茶を、持っていきましょうか」
「茶で治るのか」
「治るかどうかは、分かりません」
エマは、正直に言った。
「でも、楽にはなると思います」
オーウェンは、しばらく、エマの顔を見ていた。それから、ぶっきらぼうに、銅貨を三枚カウンターに置いた。
「三杯だ」
次の日、三人の熱は、下がっていた。
その次の日から、オーウェンは、毎朝、店に来るようになった。来ても、ほとんど何も言わない。カウンターの端に座って、お茶を一杯飲んで、銅貨を一枚置いて帰っていく。
「団長さん、また来てるよ」
洗濯場のおかみさんが、エマに耳打ちした。
「あれは、熱じゃなくて、別のものにやられてるね」
「別のもの?」
「さあね」
おかみさんは、にやにや笑って帰っていった。エマには、何のことだか、よく分からなかった。
◇
秋の終わりに、王都から、旅人がひとり、店にたどり着いた。
やせた商人だった。咳をしながら、エマの顔を見るなり、目を丸くした。
「あんた……神殿の、井戸のお嬢さんじゃないか」
「井戸の、ですか」
「毎朝、北区の井戸のまわりで、お祈りしてた人だろう。おれは、あの井戸の近くで店をやってたんだ」
商人は、カウンターにすがるように座りこんだ。
「あんたがいなくなってから、王都がおかしいんだよ。井戸の水が、にごってきた。咳が流行って、子どもが何人も寝こんでる。神殿の新しい聖女さまは、たしかにぴかぴか光るんだが……光っても、井戸の水はきれいにならなかった」
エマは、黙ってお茶をいれた。
「それで、あんたを探しに来たんだ。王都の連中が、あんたのお茶を飲みたいって。……ひとりじゃない。あとから、何十人も来る」
商人の言ったとおりだった。
冬が来る前に、店の前には、王都から来た人たちの列ができていた。村の人たちが、目を丸くした。旅人などめったに来ないはずの山の村に、毎朝、行列ができたのだ。
◇
雪の降りはじめた朝、神殿の使いが来た。
見覚えのある、若い神官だった。王都で、エマにほうきを渡してくれたことのある人だった。
「エマさま。神官長からの、お言葉です」
若い神官は、気まずそうに巻物を広げた。
「聖女の役に、戻っていただきたい、と。……新しい聖女さまは、その、光ることはおできになるのですが、井戸のお祈りは、ご存じなくて」
店の中にいた人たちが、しんと静まり返った。カウンターの端で、オーウェンが、茶碗を置く音がした。
エマは、少しだけ考えた。
それから、カウンターの下から、紙の束を取り出した。
「これを、持っていってください」
「これは……」
「井戸のお祈りの言葉と、やり方です。王都を出る前の晩に、書いておきました。北区の三番井戸は、とくにていねいに。それから、薬草の干し方と、お茶の煎じ方も」
若い神官は、紙の束を受け取って、目をしばたたいた。
「……では、エマさまは」
「わたしは、ここでお茶屋さんをします」
エマは、にっこり笑った。
「光らなくても、毎日続ければ、ちゃんと効くんです。それを、神殿のみなさんに伝えてください。ベアトリスさまにも。あの方の光は、とてもきれいでしたから。光と、毎朝のお祈りと、両方あれば、きっと王都はもっと元気になります」
若い神官は、紙の束に目を落としたまま、唇をかんだ。やがて、それを胸に抱いて、深く頭を下げた。
「……必ず、お伝えします」
「それと」
エマは、湯気の立つ茶碗を、神官の前に置いた。
「帰り道は寒いので、一杯どうぞ。銅貨一枚です」
◇
使いが帰ったあと、店はいつもどおりに戻った。
行列の人たちに、一杯ずつお茶を出す。村の子どもが、茶碗を洗うのを手伝ってくれる。おかみさんが、干した薬草を裏から運んでくる。
昼すぎ、ようやく客がとぎれたころ、カウンターの端から、低い声がした。
「戻らなくて、よかったのか」
オーウェンだった。今日は、まだ帰っていなかった。
「よかったです」
エマは、茶碗をふきながら答えた。
「ここのほうが、毎日、だれかの顔が見られますから。お茶を飲んで、ちょっと楽になった顔が」
オーウェンは、答えるかわりに、空になった茶碗を、カウンターの上ですべらせた。
「……もう一杯」
「団長さん、今日はもう三杯目ですよ」
「知ってる」
「そんなに飲んだら、お腹がちゃぷちゃぷになります」
「かまわない」
オーウェンは、窓の外の雪を見たまま、ぼそりと言った。
「茶を飲んでいるあいだは、ここにいていい理由になる」
エマは、茶碗をふく手を止めた。
それから、少しだけ頬が熱くなったのを、湯気のせいにして、四杯目のお茶をいれた。
光ったことは、一度もない。
けれど、その日の湯気は、いつもより少しだけ、あたたかい色をしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
光らない聖女が、毎朝のお祈りと一杯のお茶で、少しずつ人を元気にしていくお話でした。派手な力より、毎日続けられる力のほうが、案外たくさんの人を助けているのかもしれません。
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