第70話 最強の進化と、壊れたブレーキ
ある朝のことだ。
俺は、ひどい寝苦しさで目を覚ました。
「……んぐっ、苦しい……」
何かがおかしい。 いつものキングサイズのベッドが、やけに狭く感じる。 それに、愛用のシルクのパジャマが全身に食い込み、今にも弾け飛びそうだ。 視点もいつもより高い気がする。
俺は重い体を起こし、のそのそと洗面所の鏡の前に立った。
「……誰だ、これ」
そこに映っていたのは、見知らぬ青年だった。
身長は180センチを超えているだろうか。 鍛え抜かれたしなやかな筋肉が、破れかけたパジャマの隙間から覗いている。 顔立ちは、かつて『神童』と呼ばれた子供時代の面影を残しつつ、父親譲りの精悍さと、母親譲りの整ったパーツが融合した、超絶美青年になっていた。 そして何より、髪は黒々とフサフサだ。
「……俺、なのか?」
喉から出た声は、変声期を完全に終えた、低く響くバリトンボイスだった。 俺は自分の頬をつねった。痛い。夢じゃない。
原因はすぐに思い当たった。 数日前、ダンジョン最深部で『オリハルコン』や『深淵の魔神』のエネルギーを大量に浴びたことだ。 あの時、俺の身体は環境に適応するため、急激な『種族進化』を起こしたらしい。 結果として、俺の肉体は最もポテンシャルを発揮できる『全盛期(18歳)』へと強制成長したのだ。
「まいったな……。服が全部着られないぞ」
俺はとりあえず、腰にバスタオルだけを巻き、破れたパジャマを脱ぎ捨てた。 まあ、中身は45歳のおっさんのままだ。見た目が良くなったなら儲けものだろう。
そう軽く考えていた俺は、まだ気づいていなかった。 この変化が、ヒロインたちにとって『核爆弾級』の衝撃であることを。
「ディランさ~ん、朝ですよ~」
ドアがノックされ、いつものようにノエルが入ってきた。 手には朝食の載ったお盆を持っている。
「お着替え手伝いますね~……って、え?」
ノエルは俺(半裸のイケメン)を見て、凍りついた。
「おはよう、ノエル。……ちょっと服がなくて困ってるんだが」
俺が低い声で振り返ると、ノエルの瞳孔がカッ!と開いた。
「ひゃ、ひゃあぁぁぁッ!?」
ガシャン!!
お盆が床に落ち、スープとパンが散乱する。
「だ、誰ですか貴方!? 泥棒!? 不審者!? ……え、でもその魔力……その目つき……まさか、ディランさん!?」
「ああ。どうやら成長期がいっぺんに来たらしい」
「せ、せいちょうき……?」
ノエルの視線が、俺の広い肩幅、厚い胸板、そして割れた腹筋へと釘付けになる。 彼女の顔が、瞬く間に熟したトマトのように真っ赤になった。
「あ、あわわ……お、男の人……大人の、男の人……!」
「ノエル?」
「す、刺激が……バブみキャパシティを超過しました……プシュッ」
ノエルは鼻からツーっと鮮血を垂らし、白目を剥いてその場に卒倒した。
「おいノエル!?」
俺は慌てて彼女を抱き起こした。 気絶した彼女を抱えて、とりあえずリビングへ向かう。
リビングでは、すでにアリシア、ヴェルザード、ソフィアが朝食をとっていた。
「遅いぞディラン。……む? 誰じゃその男は」
ヴェルザードがコーヒーカップを片手に、怪訝な顔をする。
「曲者か! ディラン様はどうした!」
アリシアが瞬時に剣を抜き、俺に切っ先を向けた。
「待て待て。俺だ、ディランだ」
俺は片手で剣先を掴み、制止した。 その動きと声、そして魔力波長を感じ取り、三人の動きが止まる。
「「「……え?」」」
沈黙が流れた。 俺は事情(深層での進化)を簡潔に説明した。
説明を聞き終えた後も、沈黙は続いた。 だが、空気が変わった。 先ほどまでの『警戒』が、別の種類の『熱気』へと変質していくのを肌で感じた。
「……ほう」
最初に動いたのは、ヴェルザードだった。 彼女は舌なめずりをし、肉食獣のような目で俺を上から下まで値踏みした。
「やっと……やっと『食べ頃』になったか。長かったぞ」
「は?」
「今までは『子供だから』と我慢してやっていたが……もう遠慮はいらんな?」
彼女はゆらりと立ち上がり、捕食者の足取りで近づいてきた。
「ま、待ってくださいヴェルザード様!」
アリシアが叫んだ。 彼女は顔を真っ赤にして、両手で顔を覆いながら、指の隙間からガン見している。
「で、ディラン様……その、あまりに凛々しくて……直視できません! ですが……そのお姿なら、もう『犯罪』ではありませんね?」
「……何の話だ?」
「結婚です!!」
アリシアが叫んだ。
「貴方様の遺伝子は、私が責任を持って継承いたします! さあ、教会へ行きましょう! 今すぐに!」
「落ち着け!」
最後に、ソフィアが眼鏡を光らせて近づいてきた。 彼女は俺の二の腕の筋肉をペタペタと触り、うっとりとしたため息をついた。
「素晴らしい……。オリハルコンの影響で、細胞密度が通常の100倍になっておる。……これは研究が必要じゃな」
「研究?」
「うむ。特に『生殖能力』の変化については、実地試験を行わねばならん。……協力せよ」
ソフィアの目がマジだ。
俺は一歩後ずさった。 今までは『子供』という最強の盾があった。 彼女たちも『将来が楽しみ』という余裕を持って接してくれていた。
だが、今の俺には盾がない。 目の前にいるのは、タガが外れた肉食系ヒロインたちだ。
(……まずい)
俺の本能が、ダンジョン深層よりも危険なアラートを鳴らしている。
「あ、あの……ディランさん……?」
腕の中で、気絶していたノエルが目を覚ました。 彼女は至近距離にある俺の顔を見て、とろんとした瞳で囁いた。
「……もう、我慢しなくていいんですよね?」
「ノエル!?」
「私、決めました。……養ってあげるんじゃなくて、食べちゃいます♡」
「「「抜け駆けは許さん!!」」」
その瞬間、リビングは戦場と化した。 飛び交う魔法、閃く剣撃、そして四方八方から伸びてくる手。
「わー! ディランかっこいー! ルナも結婚するー!」
さらにルナまで混ざり、カオスは加速していく。
「お、お前ら落ち着け! 話し合おう! まずは服を着させろ!!」
俺の叫びは、愛の暴走にかき消された。 最強の力を手に入れたはずの俺が、この日ばかりは『無力な獲物』として、朝から晩まで追い回されることになったのだった。
こうして、俺の身体的成長と共に、この国の恋愛模様は新たなステージ――『仁義なき結婚戦争編』へと突入した。




