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第68話 魔王の休日と、路地裏の『黒い絶望』

「遅いぞ、ディラン。レディを待たせるとは、万死に値するぞ?」


 第60階層『黄金のカジノ街』。


 ネオンが輝く大通りの待ち合わせ場所に現れたのは、ハリウッド女優も裸足で逃げ出すような美女だった。


 漆黒のイブニングドレスは、大胆に開いた背中と深いスリットで彼女の完璧な肢体を強調している。 顔には大きな女優帽とサングラス。 変装のつもりなのだろうが、隠しきれない魔王のオーラと美貌のせいで、逆に周囲の視線を独り占めしていた。


「……すまん。人混みがすごくてな」


 ディランが到着すると、ヴェルザードはサングラスを少しずらし、不機嫌そうに、しかし嬉しそうに口角を上げた。


「ふん。まあよい。今日は『視察』という名目だが……実質的には、余がお前を連れ回してやる『デート』だ。光栄に思うがよい」


「へいへい。仰せのままに、魔王様」


 今回のデートコースは、彼女が自身の趣味で作らせたカジノ街だ。


「さあ、行くぞ! まずはスロットだ! 今日は出る気がするのじゃ!」


 ヴェルザードは俺の腕に自然と自分の腕を絡ませ、豊満な胸を押し付けるようにして歩き出した。 普段の威圧感はない。あるのは、休日に浮かれるただの可愛い女性の顔だ。


 数時間後。


「うひょぉぉぉ! またジャックポットじゃぁぁ!!」


「……おい、勝ちすぎだろ」


 俺の両手は、彼女が稼ぎ出したコインが入ったバケツで塞がっていた。 ヴェルザードは『魔眼』で当たり判定を見ているのか、それとも単に強運なのか、行く先々の台で大当たりを出していた。


「ふふん、チョロいものよ。……ほらディラン、あーんしてやろう。最高級のキャビアじゃぞ?」


 彼女は上機嫌で、カジノのVIPルームで俺に高級珍味を食べさせてくる。 支配者として振る舞いながらも、その瞳は「楽しい」「もっと褒めろ」と語っていた。


「……楽しいか?」


「愚問だな。お前とこうして遊ぶのが、楽しくないわけがなかろう?」


 彼女はグラスを傾け、頬を染めて微笑んだ。


「余は魔王として生きてきた。孤独が当たり前だった。……だが、今は違う。お前がいるからな」


 不意打ちのデレ。 カジノの煌びやかな光よりも、その笑顔の方が俺には眩しかった。


「さて、次は裏通りの隠れ家バーに行くぞ。あそこのカクテルは絶品でな……」


 ヴェルザードは俺の手を引き、カジノの裏手にある薄暗い路地へと入っていった。


 その時だった。


 カサカサッ……。


 湿ったゴミ捨て場の陰から、黒光りする『何か』が現れた。


 それは、ダンジョンの環境に適応し、魔力を吸って異常進化した『エンペラー・コックローチ(皇帝G)』。 体長は猫ほどもあり、触角を不快に蠢かせている。


「……ん?」


 ヴェルザードが足を止めた。 彼女の『魔眼』が、その黒い物体の正体を捉える。


 瞬間。 魔王の顔色から、全ての血の気が引いた。


「ひっ……!?」


「ヴェルザード?」


「い、嫌ぁぁぁぁぁッ!!」


 ヴェルザードは悲鳴を上げると、俺の背中に飛びついた。 ガシッ! とコアラのようにしがみつき、俺を盾にする。


「く、来るな! あっち行け! やだやだやだ! 気持ち悪いぃぃ!!」


「お、おい!? お前、ドラゴンでもワンパンで倒せるだろ!? たかが虫だぞ!?」


「無理じゃぁぁ! 生理的に無理なんじゃぁぁ! あのテカり! あの動き! この世のバグじゃぁぁ!!」


 最強の魔王が、涙目でガタガタと震えている。 どうやら彼女にとって、Gだけはステータスに関係なく「絶対的恐怖」の対象らしい。


『ギチギチ……』


 Gが羽を広げ、こちらに飛んでこようとした。


「ひいいぃぃ! 飛んだぁぁぁ! ディラン! 殺せ! 塵一つ残さず消滅させろぉぉ!!」


「分かったから! 耳元で叫ぶな!」


 俺はため息をつき、足元に落ちていた「古新聞」を拾って丸めた。


「【管理者権限・必中】」


 スパンッ!!


 小気味良い音が路地裏に響いた。 俺の一撃はGを正確に捉え、その外骨格を粉砕し、壁のシミに変えた。


「……終わったぞ」


「……ほ、本当か? もう動かんか?」


 俺の背中から恐る恐る顔を出したヴェルザードは、Gが動かなくなったのを確認すると、へなへなと座り込んだ。


「うぅ……怖かった……余の寿命が縮んだぞ……」


「大袈裟だな。……立てるか?」


「無理じゃ。腰が抜けた」


 ヴェルザードは涙目で俺を見上げ、両手を広げた。


「……背負え」


「は?」


「おんぶじゃ。……怖くて歩けん。ホテルまで運べ」


 傲慢な命令口調だが、その顔は真っ赤だ。 俺は苦笑しながら背中を向けた。


「へいへい。……高いぞ、運賃は」


「ふん。……勝ったコイン、全部やる」


 俺は彼女を背負って歩き出した。 背中に感じる彼女の重みと、柔らかさと、甘い香水の匂い。


「……ディラン」


 耳元で、彼女が小さく囁いた。


「……助かった。……見直したぞ」


「新聞紙で虫を潰しただけだろ」


「それでもじゃ。……お前は、余のヒーローじゃ」


 そう言って、彼女は俺の首に腕を回し、チュッと頬にキスをした。


 カジノ街のネオンに照らされながら、俺たちはホテルへの道を歩く。 最強の魔王の、一番弱いところを知ってしまった夜。 背中の上の彼女は、カジノで勝った時よりも、ずっと幸せそうに笑っていた。

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