第67話 大賢者の静寂と、最高級の『あーん』
「……遅い」
待ち合わせ場所であるダンジョンの第50階層『古代図書館』の入り口。 そこに立っていたのは、いつものボロボロのローブ姿ではない、別人のような少女だった。
秋色のニットに、膝丈のロングスカート。 ボサボサだった髪は丁寧に櫛が通され、ハーフアップにまとめられている。 そして、鼻に乗っているのはいつものグルグル眼鏡ではなく、少しお洒落なシルバーフレームの眼鏡だ。
「……ソフィア、か?」
俺が声をかけると、彼女は本から顔を上げ、頬を少し赤らめて頷いた。
「うむ。……ノエルに『デートならこれくらい着ないとダメです!』と無理やり着せられたのじゃ。……似合わんか?」
「いや、びっくりした。素材がいいから、ちゃんとすれば美少女なんだな」
「ふん……口が上手い男じゃ」
ソフィアはそっぽを向いたが、その耳まで赤くなっているのが見て取れた。 彼女の背負っているリュックが、本ではなく「何か別のもの」でパンパンに膨らんでいるのが気になるが、あえて触れないでおこう。
今回の名目は『希少薬草の採取と、古代魔導書の解読』。 だが、実質的には彼女が希望した『読書デート』だ。
俺たちは図書館の中へと足を踏み入れた。 天井まで届く巨大な本棚が無限に続く、知の迷宮。 宙に浮く魔法の灯りが、静謐な空間を優しく照らしている。
「……静かじゃな」
「ああ。王都の騒ぎが嘘みたいだ」
俺たちは並んでベンチに座り、それぞれ本を開いた。 会話はない。 ただ、ページをめくる音と、隣に座る彼女の体温だけが伝わってくる。
普段の俺たちの周りは、常に騒がしい。 アリシアが叫び、ヴェルザードが暴れ、ルナが飛び回り、ハゲた貴族たちが泣きついてくる。 だからこそ、この『何もしない時間』は、何よりの贅沢だった。
ソフィアがチラリと俺を見て、小さく微笑んだ。
「……悪くない」
「ん?」
「お主とこうしていると、言葉がいらん。……楽じゃ」
彼女にとって、それは最大級の賛辞だったのだろう。 俺も黙って頷き、穏やかな時間を噛み締めた。
その時だった。
『グオオオオオオオッ!!』
静寂を切り裂くような、野太い咆哮が響き渡った。 本棚の奥から現れたのは、この階層の守護者である『ライブラリー・ゴーレム』だ。 全身が魔導書と岩石で構成された巨人が、侵入者を排除しようと迫ってくる。
「……チッ」
俺が立ち上がろうとした瞬間、隣のソフィアから凄まじい『殺気』が放たれた。
「……うるさい」
彼女は本から目を離さず、ただ低く、冷たく呟いた。
「今、いいところなんじゃ。……消えろ」
カッ!!
ソフィアの眼鏡の奥から、覇王色のような魔力の波動が奔流となって叩きつけられた。 魔法ですらない。ただの「威圧」だ。
『ヒッ……!?』
ゴーレムが急ブレーキをかけ、震え上がった。 Sランク冒険者すら苦戦する守護者が、文学少女(大賢者)の『不機嫌オーラ』にビビり、脱兎のごとく本棚の裏へ逃げ去っていく。
「……ふぅ。マナーのなってない石ころじゃ」
ソフィアは何事もなかったかのように、再び本に目を落とした。
「……お前、強くなったな」
「お主の隣にいるには、これくらい嗜みじゃ」
俺は苦笑した。 戦わずして敵を制す。これぞ大賢者のデート術か。
「さて……ディラン。腹が減った」
正午を過ぎた頃、ソフィアが本を閉じた。 彼女はパンパンに膨らんだリュックを開けると、そこから取り出したのはサンドイッチでもおにぎりでもなく――
『七輪』と『最高級備長炭』。 そして、宝石のようにサシが入った『Sランク・ドラゴンの極上カルビ』だった。
「……図書館で焼肉か?」
「換気魔法は完璧じゃ。煙感知器も無効化してある」
ソフィアは手際よく炭に火をつけ、肉を焼き始めた。 ジュウウウウ……ッ。 静謐な図書館に、暴力的なまでに食欲をそそる脂の香りが広がる。 文学少女の雰囲気はどこへやら、完全に『肉奉行』の顔だ。
「焼けました」
ソフィアは最高の焼き加減に仕上がった肉をトングで掴み、じっと見つめた。 彼女の喉がゴクリと鳴る。 大賢者ソフィアにとって、肉とは命であり、誰にも譲りたくない至宝だ。
だが、彼女は震える手で、その肉を俺の口元へと差し出した。
「……食え」
「え? いいのか? お前の大好物だろ?」
「……今日は、デートじゃからな。……特別じゃ」
彼女は顔を真っ赤にして、視線を逸らしながら言った。
「私の『一番好きなもの』を、お主に共有したいんじゃ。……受け取れ」
それは、彼女なりの精一杯の愛情表現だった。 自分の食欲よりも、俺を優先する。 あの食いしん坊のソフィアが、だ。
「……ありがとう。いただくよ」
俺が肉を口に含むと、濃厚な旨味が爆発した。 だがそれ以上に、彼女の「想い」が胸に染みた。
「どうじゃ……?」
「ああ。世界一美味い」
俺が答えると、ソフィアは「ふん……当たり前じゃ」と照れ隠しに鼻を鳴らし、自分も肉を焼き始めた。
「……あ、あのな、ディラン」
「ん?」
「その……さっきのトング、私が味見で使ったやつなんじゃが……」
「あ」
「……かんせつ、きす……じゃな」
ソフィアは茹でダコのように赤くなり、眼鏡を曇らせてフリーズした。 どうやら、肉をあげる勇気で精一杯で、そこまで計算していなかったらしい。
「……意識しすぎだ。ほら、肉が焦げるぞ」
「あわわっ!? 私のロースが!!」
結局、静寂な読書デートは、慌ただしくも幸せな「高級焼肉ランチ」へと変わった。
帰り道。 肉の匂いと、微かな炭の香りを纏った文学少女は、俺の袖を少しだけ掴んで歩いた。
「……また、来ような。肉を持って」
「ああ。次はハラミも頼む」
「贅沢なやつじゃな……♡」
口数は少ない。けれど、その沈黙は心地よく、俺たちの距離を確かに縮めていた。 彼女のリュックが空になった分、俺たちの思い出が詰まった気がした。




