第56話 偉大なるバーコードと、慈悲なき『公開処刑』
謁見の扉が開かれると、そこには腐った空気が淀んでいた。
かつて豪奢を極めた玉座の間。しかし今のそこには、金目のものは何一つなく、薄汚れた絨毯が敷かれているだけだった。
そして、その中央に――『彼』はいた。
「おお……! ディラン! ディランではないか!」
玉座から転がり落ちるように駆け寄ってきたのは、我が国の国王――いや、ただの初老の男だった。
かつての威厳ある髭は手入れされずに伸び放題。痩せこけた頬。そして何より、目に涙を溜め、子供のように鼻水を垂らしている。
「待っていた! 余はずっと待っていたぞ! お前なら来てくれると信じておった!」
国王は俺の足元に滑り込み、革靴にすがりついた。
「助けてくれ! 頼む! もう食べるものがないのじゃ! 城の家具も売り払った! 余はもう三日も具なしのスープしか飲んでおらん!」
「……陛下。少しは威厳を持たれてはどうですか」
俺は冷めた目で見下ろした。
リディアの時と同じだ。ここまでプライドを捨てられると、復讐する気も失せる。
「威厳など食えぬ! プライドで腹は膨れん! なぁディラン、頼む! かつてのよしみじゃ! ダンジョンの芋でいい! 芋の皮でもいいから恵んでくれぇぇ!!」
国王は半狂乱になりながら、床に額を打ち付けた。
ガンッ! ガンッ! と鈍い音が響く。
「おい、やめろ。床が汚れる」
俺が足を引こうとした、その時だった。
激しい動きの反動で、国王の頭上で『何か』がズレた。
ふわり、と。
不自然にふさふさだった黒髪が右側にスライドし――その下から、幾何学的かつ芸術的な『バーコード』が露わになった。
「――――あ」
時が止まった。
後ろでアリシアが「ひっ」と息を呑み、ヴェルザードが「おや」と口角を上げた気配がした。
しかし、俺の衝撃は、それとは別次元のものだった。
俺の脳裏に、かつての記憶がフラッシュバックする。
まだ俺が幼かった頃、ある貴族の頭部を見た時の記憶だ。
一本一本の髪を極限まで伸ばし、頭皮という広大な荒野を隠すために、緻密な計算の元に配置された『線』。
それは涙ぐましい努力の結晶であり、男が全てを犠牲にして守ろうとした『最後の砦』。
当時の俺は、その神々しさすら感じる執念に圧倒され、子供心に「これは触れてはいけない。いや、敬わなければならない聖域だ」と認識したのだ。
そして今。
目の前の国王の頭上に広がるバーコードは、あの時の貴族を遥かに凌駕していた。
国を憂い、心労に耐え、それでも王であろうとしたストレスが産んだ、究極の芸術。
(……負けた)
俺は直感した。
どれだけ俺がダンジョンで富を築こうとも、どれだけ魔法で武装しようとも、この『悲哀と執念のバーコード』が放つ圧倒的な存在感には勝てない。
このハゲこそが、彼が国を背負ってきた証なのだ。
「……ディラン? どうした? なぜ黙る?」
国王は、自分の頭上で『奇跡のズレ』が起きていることに気づかず、俺の顔色を窺っている。
俺は深く息を吸い、震える声で告げた。
敗北者として。そして、彼への最大限の敬意(と勘違いしたデリカシー)を込めて。
「……分かった。国王、俺の負けだ」
「へ? ま、負け?」
「ああ。あんたの覚悟、しかと見せてもらった。……俺たちが全面的に支援しよう」
「ほ、本当か!? おお、神よ!!」
国王が歓喜の声を上げる。
だが、俺は真剣な眼差しで、人差し指を立てた。
「ただし、条件が一つある」
「な、なんでも聞くぞ! 領土か? 爵位か? なんでも持って行け!」
「いや、違う。……その頭だ」
「あたま?」
俺は国王の頭部を指差し、厳かに宣言した。
「今後、その『ズラ』を禁止する」
「――――は?」
国王の動きが凍りついた。
「隠すな。恥じるな。その見事なバーコードこそ、あんたが国を想って苦労してきた勲章だろう? 俺はそれに感服したんだ」
俺は本気でそう思っていた。
ありのままの姿で国民の前に立つことこそ、王としての真の威厳を取り戻す道だと。
だから、これは俺なりのエールであり、敗者としての提案だった。
「さあ、その偽りのフサフサを捨てろ。そして、堂々とハゲ散らかした頭で国民に号令をかけるんだ。『我を見よ! このハゲこそが憂国の証なり!』と。そうすれば、物資を無制限に援助してやる」
「…………」
国王の顔色が、青から白へ、そして土気色へと変わっていく。
彼の唇がわななき、目から光が消えた。
(……ん? なんだ? なぜ震えている?)
俺は首を傾げた。
感謝のあまり感動しているのだろうか? それとも、長年の秘密から解放される喜びだろうか?
しかし、国王の口から漏れたのは、魂の叫びだった。
「き……貴様ぁぁぁぁ!! あ、悪魔か!! 人の心はないのかぁぁぁ!!」
「えっ」
国王はその場で膝から崩れ落ち、虚空を見つめてガタガタと震え出した。
「殺せ! いっそ殺してくれ! そのような辱めを受けるくらいなら、余は舌を噛んで死ぬぞぉぉ!!」
「な、なぜだ!? 俺はあんたの『偉大さ』を認めて、ありのまま生きろと言っているんだぞ!?」
「それが一番の拷問なんじゃぁぁぁ!!」
背後で、ヴェルザードが腹を抱えて笑い転げ、アリシアが「ディラン様……それは流石に……」と顔を覆い、ソフィアが「うわぁ……」とドン引きしている。
俺は困惑した。
おかしい。俺は過去の経験から「デリカシー」を学んだはずだった。
相手のコンプレックスを「個性」として認め、肯定することこそが、真の優しさではないのか?
どうやら俺は、何か根本的な履修ミスをしていたらしい。
だが、一度口にした条件は曲げられない。
「……とにかく、条件は絶対だ。支援が欲しければ、明日の正午、王城のバルコニーで『開頭式』を行え。以上だ」
「あ、あぁ……あぁぁぁ……」
白目を剥き、魂が抜けたように床に倒れ伏す国王(バーコード露出中)を残し、俺は踵を返した。
俺の心には、「良いことをした」という達成感と、「なぜ分かってくれないんだ」というモヤモヤが同居していた。
やはり、人間というのは難しい。




