第136話 聖女の休日 その『普通』は奇跡か、嵐の前の静けさか
「……次は、私ですね?」
アリシアの物理的監禁デート、ソフィアの人体実験デートを経て、ボロボロになった俺の前に現れたのは、第3夫人ノエルだった。
俺は身構えた。
彼女は、あのルナの師匠だ。
きっと、俺を赤ちゃん返りさせるための『巨大な揺りかご』や、無限にミルクが出る『魔導哺乳瓶』を用意しているに違いない。
俺は、いつでも逃げ出せるように足に力を入れた。
「さあ、来なさいノエル! 俺はもう、おむつは履かないぞ!」
「……ふふ。何を仰っているのですか、ディラン様」
しかし。
ノエルは、困ったように眉を下げ、上品に微笑んだだけだった。
彼女の服装は、いつもの保育士エプロンではない。
清楚な白のワンピースに、淡いピンクのカーディガン。髪には控えめなリボン。
どこからどう見ても、深窓の令嬢――『完璧な淑女』の装いだった。
「今日は、普通にお買い物とお食事を楽しみましょう? ……行きますわよ、あなた」
彼女は自然な動作で俺の腕に手を回し、エスコートを求めた。
その力は、アリシアのように骨をきしませることはなく、ソフィアのように脈拍を測ることもない。
ただただ、柔らかく、暖かい。
「……え? あ、ああ……」
俺は拍子抜けしながらも、彼女に導かれて城下町へと繰り出した。
◇
城下町でのデートは、驚くほど『普通』だった。
本当に、異常なほどに普通だった。
「あら、素敵な帽子ですわね。ディラン様に似合いそう」
「そうか? じゃあ試着してみるか」
「ええ。……ふふ、やっぱり格好いいですわ」
服屋でコーディネートを選び、雑貨屋で可愛い小物を眺める。
俺が重い荷物を持とうとすれば、「半分持ちますわ」と微笑み、俺が喉が渇いた素振りをすれば、すぐに冷たい飲み物を差し出してくれる。
完璧だ。
あまりに完璧すぎて、俺の背筋には冷や汗が流れていた。
(……おかしい。絶対におかしい)
俺の脳内警報が鳴り響いている。
(いつだ? いつ『バブみ』が発動する? あの帽子、被ったら幼児化する呪いがかかってるんじゃないか? あのジュース、母乳成分100%なんじゃないか?)
俺は疑心暗鬼になりながら、彼女の一挙手一投足を見張った。
だが。
「あ、痛っ」
通りすがりの子供が転んで、膝を擦りむいた場面。
いつものノエルなら、ここで【極大ヒール】を放ち、子供をマッチョに変貌させるか、過保護すぎて誘拐未遂で捕まるかだ。
俺が止めに入ろうとした瞬間。
「大丈夫ですか? ……痛いの痛いの、飛んでいけ」
ノエルはハンカチを取り出し、優しく傷口を拭い、普通の絆創膏を貼った。
「気をつけて帰るのですよ」
「うん、ありがとうお姉ちゃん!」
子供は笑顔で走り去った。
魔法も、過剰な干渉もなし。
ただの『優しいお姉さん』の対応だった。
「……えぇぇぇ!?」
俺は思わず叫んだ。
「ど、どうしたのですか、ディラン様?」
「い、いや、魔法は!? ドーピングは!? あの子供を信者にしなくてよかったのか!?」
「……もう。私は公衆の面前でそんな非常識なことはいたしませんわ」
ノエルはプクッと頬を膨らませた。
その仕草が、破壊的に可愛かった。
◇
夕食は、予約していた高級レストランだった。
ここでも俺は身構えた。
(来るぞ……! 『あーん』の強要! もしくは、俺の食事を全部離乳食にすり替える作戦だ!)
だが、運ばれてきたのは普通のフルコース。
ノエルはナイフとフォークを優雅に使いこなし、完璧なテーブルマナーで食事を進める。
「このワイン、美味しいですわね」
「あ、ああ……」
会話も弾む。
俺の最近の仕事の悩みを聞き、的確なアドバイスと、心に染みる労いの言葉をくれる。
そこには、俺を「赤ちゃん扱い」する狂気はなく、夫を支える「妻」としての知性と包容力だけがあった。
食後のデザートを終え、店を出る頃には、俺の疑心暗鬼は消え失せていた。
代わりに残ったのは、純粋なときめきと、困惑だった。
帰りの馬車の中。
俺は我慢できずに尋ねた。
「……なぁ、ノエル。今日はどうしたんだ?」
「はい?」
「いや、その……魔法も使わないし、俺をヨシヨシしないし……普通すぎて、逆に怖かったというか……」
俺の言葉に、ノエルはきょとんとした後、クスリと笑った。
「失礼しちゃいますね。私だって、TPO(時と場所と場合)くらい弁えますわ」
彼女は、そっと俺の肩に頭を乗せた。
「アリシアさんも、ソフィアさんも、貴方に甘えすぎていました。……だから、私くらいは貴方を『甘えさせる』のではなく、『支える』一日があってもいいと思ったのです」
彼女は俺の手を握り、愛おしそうに見つめた。
「私は聖女であり、保育園の園長ですが……その前に、貴方の『妻』ですから」
その言葉と笑顔は、聖魔法よりも強力に俺の心臓を撃ち抜いた。
ズキューン!!
(か、可愛い……ッ!)
俺は認めた。
認めるしかなかった。
この女、普段の『バブみ』と『天然ボケ』を封印すれば、非の打ち所がないパーフェクト・ヒロインなのだ。
いわゆる、「やればできる子」だったのだ。
「……参ったな。これじゃあ、俺の方が君に夢中になりそうだ」
「あら、嬉しい。……では、ご褒美をあげなくてはいけませんね?」
ノエルは妖艶に微笑み、俺の耳元で囁いた。
「帰ったら……寝室で、たーっぷり『よしよし』して差し上げますわ♡」
「……!!」
最後の最後で、本性がチラリと見えた。
だが、今の俺には、それすらもご褒美に思えてしまうのだった。
◇
翌日。
「昨日のノエルさんはズルいです!」とアリシアが騒ぎ出し、「私も淑女データをインストールする!」とソフィアが暴走し、再び城がカオスになったのは言うまでもない。
だが、俺は知ってしまった。
彼女たちの「本気」の破壊力を。
ダンジョン国のヒロインたちは、やはり最強だったのだ。
(第137話:セレスティアのターン……と思いきや、彼女は忙しい。……「デート? それより決算です」と書類の山に埋もれる妻を、俺が全力で『おもてなし』する逆転デート)
※注:予告は執筆中にさらなるアイデアのために変更することがあります。むしろ予告通りにならないことが多々ありますのでご了承ください。




