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第126話 闇落ち天使の救済措置 『既成事実』を作るのは業務命令です

「……以上が、現状の報告となります」


 ダンジョン国、王城の執務室。


 かつてないほどの重苦しい空気が、部屋全体を支配していた。


 報告を行っているのは、秘書天使メルだ。


 彼女はいつものように完璧な事務官スタイル――黒のタイトスカートに白のブラウス、銀縁眼鏡――で立っている。


 だが、その瞳にはハイライトがなかった。


「……つまり?」


 ディランは、嫌な汗をかきながら聞き返した。


「つまり、アルテミス様は『妊娠(神核の発生)』により、天界の法に基づき当ダンジョンの『土地神』として正式にインストールされました。これにより、天界への帰還義務は永久に免除されます」


 メルは淡々と、機械音声のように続ける。


「また、父親であるミカエル様も、『育児休暇』および『現地駐在武官』としての長期滞在申請が(事後承諾で)受理されました。お二人は晴れて、この国で幸せな家庭を築くことになります」


「お、おう。それはめでたいことじゃないか」


 俺が同意を求めると、隣で小さくなっていた新婚神様カップル(アルテミス&ミカエル)が、ビクッと体を震わせた。


「そ、そうよねー! いやー、メルちゃんのおかげで助かったわー!」


「うむ! 感謝するぞメル君! 君の迅速な書類仕事がなければ、私は天界軍に連行されていたところだ!」


 二人は必死に笑顔を作っているが、目は笑っていない。


 なぜなら、メルの背後から漆黒のオーラ(怨念)が立ち上っているからだ。


「……ええ。お二人は幸せでしょうね」


 パキッ。


 メルの手元で、愛用のボールペンがへし折れた。


「ですが、私はどうなりますか?」


 彼女が顔を上げた。


 眼鏡の奥の瞳が、虚無の深淵を覗かせていた。


「上司二人が『上がり』を決めて地上に残る中、私一人だけ天界へ戻り、お二人が放り出した数千年分の『残務処理』と、各方面への『謝罪行脚』をこなせと? ……それが、私の未来ですか?」


「い、いや、それは……その……」


 ミカエルが冷や汗をダラダラと流して視線を逸らす。


 アルテミスに至っては、ポテトチップスの袋に顔を突っ込んで現実逃避を始めた。


「ズルいです」


 メルが一歩、前に出た。


「私も、ここのお風呂に入りたいです。セレスティア様の作るマヨネーズ料理を食べたいです。休日はリリスさんのエステに通って、夜はフカフカのベッドで眠りたいです」


 彼女の魂の叫びが、執務室に響く。


 天界のブラック労働から解放され、一度知ってしまった「ダンジョンの快適な生活」。


 それを奪われることは、彼女にとって死刑宣告に等しかった。


「ですから、主殿マスター


 メルが、くるりと俺の方を向いた。


 その標的が自分に向けられた瞬間、俺は本能的な恐怖で椅子から腰を浮かせた。


「は、はい?」


「合理的解決策を提示します」


 メルは懐から、一枚の書類を取り出した。


 それは、見覚えのあるピンク色の用紙――『婚姻届(ダンジョン国・特別永住権申請兼用)』だった。


「私がここに留まるためには、正当な理由が必要です。アルテミス様のような『土地神化』は、神格の低い私には不可能です。となれば、残る手段は一つ」


 彼女はデスクに両手をつき、俺の顔(オリハルコンの影響で18歳の超絶イケメンに進化した顔)を至近距離で覗き込んだ。


「この国の王である貴方と『既成事実』を作り、配偶者ビザ……いえ、『側室』としての権利を行使します」


「ぶっ!!?」


 俺は飲んでいたコーヒーを吹き出した。


「ちょ、待て! 論理が飛躍しすぎだ! なんでそうなる!?」


「業務命令です」


 メルは真顔だ。微塵もふざけていない。


「これは私の『生存戦略』であり、貴方にとってもメリットがあります。私の事務処理能力は、セレスティア様やガリバー殿にも引けを取りません。私が妻になれば、貴方のスケジュール管理、資産運用、そして夜の生活に至るまで、完璧にサポートをお約束します」


「愛がない結婚はダメだろう!?」


「愛? データならあります」


 メルは分厚いファイルをドサリと置いた。


 表紙には『ディラン観察日記(好感度推移グラフ付き)』と書かれている。


「無人島でのサバイバル時、貴方が私を庇ってくれた時の心拍数上昇率:180%。  貴方が私の入れたお茶を『美味い』と言ってくれた時のドーパミン分泌量:基準値の3倍。  ……これらは、世間一般で言う『恋慕』の情に該当すると推測されます」


 彼女は頬をほんのりと朱に染めながら、しかし口調は事務的に告げた。


「つまり、計算上も感情上も、障害はありません。……さあ、サインを」


 ズイッ、とペンを突きつけられる。


 逃げ場はない。


 ミカエルとアルテミスは「あーあ、メルちゃん切れちゃったよ……」と遠くから眺めているだけだ。


(くそっ、万事休すか……!)


 俺が覚悟を決めてペンを握ろうとした、その時だった。


「――あら。面白そうな商談をしていますわね?」


 ガチャリ。


 執務室の扉が優雅に開かれた。


 現れたのは、この国の影の支配者フィクサー、第一夫人セレスティアだった。


 彼女の後ろには、アリシア、ヴェルザード、ノエル、ソフィアといった妻たちがズラリと並んでいる。


「セ、セレスティア!?」


「盗み聞きとは趣味が悪いですわね、奥様方」


 メルは悪びれもせず、眼鏡の位置を直した。


 普通ならここで「泥棒猫!」という修羅場になるところだ。俺は胃が痛くなった。


 だが、セレスティアの反応は違った。


「いいえ。むしろ『歓迎』ですわ」


 セレスティアは、メルの提出した『観察日記』と『家計改善案』をパラパラとめくり、満足げに微笑んだ。


「素晴らしい事務能力。それに、無駄のないコスト意識……。メルさん、貴女なら私の『補佐』が務まりそうですわ」


「……補佐、ですか?」


「ええ。ディラン様の妻は現在5人。ですが、正直なところ……」


 セレスティアはちらりと後ろを見た。


 脳筋のアリシア、浪費家のヴェルザード、研究バカのソフィア、甘やかし専門のノエル。


 ……まともに『経営』ができるのは、セレスティア一人だけだった。


「私一人では、この国の(そしてディラン様の女性関係の)管理に手が回りきらない時があります。貴女のような『有能な管理者』が側室に入ってくれるなら、願ってもないことですわ」


「なっ!?」


 俺は叫んだ。


「売ったな!? 俺の貞操を、業務効率のために売り飛ばしたな!?」


「人聞きが悪いですわね。これも『愛』ですわ」


 セレスティアは俺の頬にキスをし、メルに向き直った。


「交渉成立です、メルさん。……貴女を『第6夫人(兼・筆頭秘書官)』として迎え入れます。ただし!」


 セレスティアの目が、商人のそれに変わる。


「天界とのパイプ役、および『神々の暴走ミカエルたちのしつけ』は、貴女の管轄とします。よろしいですね?」


 メルは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにハイライトを取り戻し、ニヤリと笑った。


「……好条件ですね。承りました、姉さん(マスター)」


 ガッチリと握手が交わされた。


 最強の『管理社会』が完成した瞬間だった。


「えええええ!?」


 俺の絶叫が虚しく響く。


 こうして。


 ダンジョン国に、新たなヒロイン(管理者)が爆誕した。


 彼女の徹底的なスケジュール管理により、俺の『さぼり時間』が消滅し、夜のローテーションまでもがエクセルで管理されるようになるのは、また別の話である。


 あと、天界からは「誰も帰ってこない!」と捜索隊が出されたが、メルが偽造した『集団長期休暇届』によって、全て有耶無耶に処理されたという。


(第127話:神様ベビーの保育園デビュー。……最強の遺伝子を持つ赤ちゃんが、砂場で『小惑星』を作り始めた件)


 ※注:予告は執筆中にさらなるアイデアのために変更することがあります。むしろ予告通りにならないことが多々ありますのでご了承ください。

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