表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/16

世界樹の門番

アレンの決死の覚悟に支えられ、リコは再び旅を続ける。数々の困難を乗り越え、二人はついに夢に見た世界樹があるという「嘆きの森」へ辿り着く。しかし、森は邪悪な瘴気に覆われ、生命の気配が失われていた。そこで彼らを待っていたのは、世界樹の門番を名乗る謎の老婆。彼女は、リコこそが世界樹が待ち望んだ最後の巫女だと告げ、最後の試練を与える。

アレンの腕の中で目覚めた時、リコは自分の身体に起きた変化に気づいた。生命力を使いすぎた代償として、亜麻色だった髪の一部が、まるで月光を浴びたかのように白銀色に変じていたのだ。それは、彼女が禁断の秘術を使った、消えない証だった。

「…リコ様、申し訳ありません…!この俺が、不甲斐ないばかりに…!」

アレンは、自責の念に苛まれ、リコの前に深く頭を垂れた。彼にとって、リコのその白い髪は、自分の無力さを突きつける、何よりも痛々しいしるしだった。

「ううん、アレンさんのせいじゃないよ」

リコは、静かに首を振った。その瞳は、以前よりも、さらに深く、澄み渡っているようだった。命のやり取りを経て、彼女の魂は、巫女として、また一つ、大きな成長を遂げていた。

「私は、あなたを守れて、よかった。それに、わかったことがあるの。私のこの力は、誰かを守りたい、助けたいって、心から思った時に、一番強くなるんだって」

彼女の言葉に、アレンは何も言えなかった。ただ、心に誓った。二度と、彼女にこのような無茶はさせない。この身が朽ち果てようとも、必ず自分が彼女を守り抜くのだ、と。

錬金術師ギルド「ウロボロス」の追跡は、その後も続いた。しかし、二人の間の絆は、以前とは比べ物にならないほど、強固なものになっていた。アレンは、リコの気配を探知する魔道具を持つ錬金術師たちを、巧みな陽動と罠で翻弄し、リコは、森の動物たちや精霊たちの助けを借りて、追跡の網を巧みに潜り抜けていく。守られるだけだった少女と、ただ守るだけだった騎士。二人は、いつしか、互いの弱さを補い合い、共に戦う、唯一無二のパートナーとなっていた。

そして、幾多の困難を乗り越え、旅を始めてから数ヶ月が過ぎた頃。二人は、ついに、目的地である「嘆きの森」の入り口にたどり着いた。

その光景に、二人は言葉を失った。

森は、その名の通り、まるで世界そのものが嘆き悲しんでいるかのように、深い絶望に包まれていた。木々は、生命力を失って黒く枯れ果て、ねじ曲がった枝が、まるで亡者の腕のように空を掴もうとしている。地面には苔一つ生えず、乾いた土がひび割れている。そして何より、森全体が、濃密で、息の詰まるような、紫色の「瘴気」に覆われていたのだ。

神殿の壁画で見た、あの厄災の光景。それが、今、目の前に広がっていた。

「…ひどい…。生命の気配が、全くしない…」

リコは、胸を押さえた。薬草師としての彼女の魂が、この大地の死に、悲鳴を上げている。

「世界樹は、この森の、中心にあるはずだ。リコ様、瘴気に気をつけて」

アレンは剣を抜き、警戒しながら、一歩、森へと足を踏み入れた。

足元の枯れ葉が、カサリ、と乾いた音を立てる。鳥の声も、虫の音も、風の音さえも聞こえない、完全な沈黙の世界。ただ、瘴気が淀む、重苦しい空気だけが、二人の行く手を阻むように、まとわりついてきた。

どれくらい歩いただろうか。森の中心に近づくにつれて、瘴気はさらに濃度を増していく。普通の人間なら、吸い込んだだけで肺を焼かれてしまうだろう。アレンは、リコが以前作ってくれた、瘴気を防ぐ薬草を詰めたお守りを握りしめ、必死に耐えていた。リコ自身は、巫女としての力か、瘴気の影響をほとんど受けていないようだったが、それでも、この淀んだ空気は、彼女の精神を少しずつ蝕んでいた。

やがて、二人の目の前に、ひときわ巨大な、枯れた大樹のシルエットが、瘴気の向こうにぼんやりと見えてきた。

あれが、世界樹だ。

夢で見た、光り輝く壮麗な姿は、どこにもない。まるで巨大な骸骨のように、ただ、黒く、空虚に、そびえ立っているだけだった。

二人が、その枯れた世界樹に近づこうとした、その時。

「…そこな若者たちよ。そこから先に、生者が足を踏み入れてはならぬ」

しわがれた、しかし、凛とした声が、どこからともなく響いた。

ハッとして周囲を見渡すと、世界樹の根元、巨大なうろの前に、一人の老婆が、いつの間にか立っていた。

背は低く、腰は深く曲がっている。顔には、深い皺が、まるで年輪のように刻まれている。しかし、その瞳だけが、長い年月を生きてきた者特有の、全てを見通すような、鋭い光を宿していた。

「あなたは…?」

アレンが、警戒して問いかける。

老婆は、二人を値踏みするように、じろりと見つめた。そして、その視線は、やがてリコに注がれると、ほんの少しだけ、和らいだ。

「…わしは、この世界樹を守る、門番のようなものさね」

老婆は、手にしていた樫の杖で、地面をコン、と突いた。

「そして、お前さん…その白い髪が混じった娘っ子。お前さんが、この樹が、永い、永い間、待ち続けていた、最後の一族の巫女じゃな?」

その言葉に、リコは息を呑んだ。

「どうして、そのことを…」

「わかるさ。お前さんの魂から、懐かしい、大地の匂いがする。そして、その身に宿した、純粋で、しかし、まだ不完全な、生命の力を感じる。よう、戻ってきた。いや、よう、目覚めてくれた、と言うべきかの」

老婆は、リコが壁画と夢で知った、全てを知っているかのようだった。

彼女は、自らを「エルダ」と名乗った。そして、リコの一族がまだ光と共にあった、遥か昔から、この森で、世界樹と共に生きてきたのだという。

「門番、と言ったな。ならば、我々を、世界樹の元へ通してはもらえないだろうか。この方は、世界樹を癒すために、永い時を超えて、ここにたどり着いたのだ」

アレンが、懇願するように言った。

しかし、エルダは、ゆっくりと首を横に振った。

「それは、できん相談じゃ。確かに、この樹は、巫女の訪れを待ち望んでおった。じゃが、今の、不完全なお前さんでは、世界樹を癒すことなど、できはしない。逆に、この樹に溜まった、強大な瘴気に、魂ごと喰われて、おしまいじゃろう」

「不完全…?」

「そうさね。お前さんの力は、まだ、母御ははごによって、その大部分が封じられたまま。怒りや、自己犠牲のような、強い感情に揺さぶられた時に、その力の片鱗が、無意識に漏れ出しているに過ぎん」

エルダの言葉は、リコの現状を、的確に言い当てていた。

「世界樹を癒すには、お前さん自身の意志で、その力の全てを、完全にコントロールする必要がある。そのための、最後の試練を、今からお前さんに、課させてもらうよ」

エルダはそう言うと、樫の杖を、世界樹の枯れた幹に、そっと触れさせた。

すると、幹の表面から、どす黒い、凝縮された瘴気が、まるで生き物のように蠢きだし、一体の、巨大な魔物の姿を形作った。

それは、鹿のような角と、獅子のような胴体、そして、蛇の尾を持つ、伝説の魔獣「キマイラ」の姿をしていた。しかし、その身体は、全てが瘴気によって構成されており、その瞳は、憎悪と絶望の色に、どろりと濁っていた。

「こ、これは…!」

アレンが、その圧倒的なプレッシャーに、身構える。

「これは、この世界樹が、永い年月をかけて吸い込んできた、世界中の嘆きと、苦しみの、化身じゃ」

エルダは、静かに言った。「この『嘆きの化身』を、お前さんの力で、癒し、鎮めてみせい。それができなければ、お前さんに、巫女としての資格はない」

それは、あまりに過酷な試練だった。ただの魔物ではない。世界中の負の感情の集合体。そんなものを、どうやって癒せというのか。

「さあ、始めなされ。お前さんの『覚悟』を、わしに、そして、この世界樹に見せてみせい」

エルダの言葉を合図に、瘴気のキマイラが、咆哮を上げた。その声は、森全体を震わせ、聞く者の心を、絶望で凍てつかせるようだった。

アレンは、リコを守ろうと前に出ようとした。しかし、リコは、その彼の腕を、そっと制した。

「…アレンさん。ここは、私に任せて」

リコの瞳には、恐怖はなかった。そこにあるのは、巫女としての、揺るぎない覚悟だった。

彼女は、一人、ゆっくりと、キマイラの前へと歩みを進める。

巨大な魔獣の前に立つ、小さな少女。あまりに絶望的な、力の差。

しかし、リコは、ただ、静かに、その化身を見つめていた。

そして、彼女は、歌い始めた。

それは、薬草を調合する時に、いつも口ずさんでいた、優しい、子守唄のような歌。

悲しみを、怒りを、絶望を、ただ、受け入れ、包み込むような、慈愛に満ちた旋律。

彼女の歌声は、瘴気が渦巻く、この死の森に、唯一の、生命の光を灯した。

咆哮を上げていたキマイラの動きが、ぴたり、と止まった。

その濁った瞳が、目の前で歌う、小さな少女の姿を、ただ、じっと、見つめている。

最後の試練が、今、始まろうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ