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忘れられた神殿の壁画

森の精霊ピクシーたちに導かれ、追っ手から逃れたリコとアレン。精霊たちの聖域で休息を取る中、リコは自分が「世界樹の巫女」と呼ばれる存在であることを知る。聖域の奥、蔦に覆われた忘れられた古代神殿に足を踏み入れた二人は、そこで壮大な壁画を発見する。そこに描かれていたのは、世界樹と共に生き、その力で大地を癒していた一族の歴史、そして、やがて来る厄災の予言だった。壁画は、リコの失われた記憶をさらに呼び覚ます鍵となっていく。

ピクシーたちの聖域は、時間が外界とは異なる流れ方をしているかのように、穏やかで静謐な空気に満ちていた。泉のほとりで数日を過ごすうちに、アレンの傷は癒え、リコの心にも少しずつ平穏が戻ってきた。彼女は、ピクシーたちから森の成り立ちや、精霊たちの暮らしについて教わった。彼らは、リコを「巫女様」と呼び、心からの敬意と親愛を示してくれた。

「リコ殿、君がここにいると、森が喜んでいるのがわかる。花の色は濃くなり、泉の水は輝きを増しているようだ」

アレンは、聖域の変化を感じ取り、感嘆の声を漏らした。リコの存在そのものが、周囲の自然に生命力を与えている。彼女が「世界樹の巫女」であるという精霊たちの言葉は、もはや疑いようのない事実として、彼の胸に落ちていた。

ある日、リコは聖域のさらに奥、巨大な岩壁に囲まれた一角に、古びた石造りの建造物が半分土に埋もれているのを見つけた。全体が分厚い苔と蔦に覆われ、長い年月の間、誰にも顧みられることがなかったのは明らかだった。

「これは…神殿でしょうか?」

リコが呟くと、そばにいたピクシーが答えた。

『はい、巫女様。我々が生まれるよりも、ずっと昔からここにあります。古き民が、世界樹を祀っていた場所だと聞いておりますが、今では誰も近づきません』

古き民。その言葉に、リコは心を惹かれた。エリアーナと見た夢、世界樹の根元で祈りを捧げていた人々の姿が、脳裏をよぎる。

「アレンさん、中に入ってみましょう」

「危険かもしれん。だが、君の過去に繋がる何かがあるかもしれないな」

アレンは剣の柄に手をかけ、慎重に周囲を警戒しながら、リコと共に神殿の入り口へと向かった。石の扉は重く、固く閉ざされていたが、リコがそっとその表面に触れると、まるで彼女の訪れを待っていたかのように、石の扉に刻まれた蔦の文様が淡い緑色の光を放ち、ゴゴゴ…と音を立ててひとりでに開いた。

神殿の内部は、ひんやりとした空気に包まれていた。天井には穴が開き、そこから差し込む木漏れ日が、幻想的な光の柱を作っている。内部は一つの広大なホールになっており、その壁一面に、壮大な物語を描いた壁画が、色褪せながらも残されていた。

二人は、息を呑んでその壁画に見入った。

最初の壁画には、天を衝くほど巨大な世界樹と、その周りで暮らす人々の姿が描かれていた。彼らは、リコが着ているのと同じような、簡素な白い衣服を纏い、樹から滴る光の雫を集め、それを大地に撒いている。すると、不毛だった大地からは若葉が芽吹き、涸れた川には水が戻り、世界が生命力に満ち溢れていく様子が描かれていた。

「…これが、古き民…世界樹の一族…」

リコは、壁画に描かれた人々の姿に、懐かしさのような不思議な感情を抱いた。

壁画の物語は、続いていく。

一族の中から、特に強い力を持つ「巫女」が選ばれ、世界樹と直接交信し、その恩恵を世界中に広めている様子。巫女を中心に、人々が平和で豊かな暮らしを営む、牧歌的な光景。

しかし、物語は、ある一点を境に、不穏な影を落とし始める。

次の壁画には、空に不吉な赤い星が輝き、大地から禍々しい紫色の瘴気が噴き出す様子が描かれていた。エリアーナと見た夢の光景、そのものだった。瘴気は世界樹を蝕み、大地を枯らし、人々を苦しめる。壁画の中の人々の表情は、平和な時代のものとは打って変わって、恐怖と絶望に満ちていた。

「厄災だ…。この世界に、かつて大きな厄災が訪れたんだ」

アレンが、厳しい表情で呟く。

そして、最後の壁画。それは、ひときわ大きく、神殿の最も奥の壁に描かれていた。

そこには、瘴気に蝕まれ、輝きを失った世界樹を背に、一族の民が二つに分かれて対立している、衝撃的な光景が描かれていた。

片方は、最後まで世界樹と共にあり、その力を信じて大地を癒し続けようとする者たち。彼らは、巫女を囲むようにして、必死に祈りを捧げている。

そして、もう片方は、世界樹の力に見切りをつけ、瘴気の力を利用してでも生き延びようとする者たちだった。彼らは、瘴気から生まれた歪な武具を手にし、その身体には不吉な紫色の文様が浮かび上がっていた。

「なんてことだ…一族は、ここで袂を分かったのか…」

壁画の下には、古代の文字で碑文が刻まれていた。リコには読めなかったが、アレンは貴族としての教育で、いくつかの単語を拾い読みすることができた。

「『大いなる厄災は、同胞を分かち…光の一族は樹と共に眠りにつき…闇の一族は…力を求め、北へ…』…くそっ、これ以上は読めない」

光の一族と、闇の一族。

リコは、自分がどちらに属するのか、考えるまでもなかった。夢の中で、自分を「リコ」と呼んだ女性は、光の人々の中にいた。

その時、リコは壁画のある部分に、自分の記憶と繋がる、決定的なものを見つけた。

対立する二つの派閥の間に、一人の巫女が描かれていた。彼女は、産着に包まれた赤子を抱き、涙を流しながら、世界樹の根元にある「うろ」へと、その赤子を託そうとしていた。

夢で見た、最後の光景。自分を隠した、あの女性の姿。

その巫女の顔は、長い年月で摩耗していたが、その瞳の色だけは、不思議な顔料で描かれているのか、鮮やかな青色を保っていた。その瞳は、リコ自身の瞳の色と、全く同じだった。

「…お母…さん…」

リコの口から、無意識に言葉が漏れた。

その瞬間、壁画に描かれた巫女の瞳が、まるで生きているかのように、一瞬だけ、強く輝いた。そして、膨大な記憶のイメージが、奔流となってリコの脳内へ流れ込んできた。

――世界が、終わろうとしていた。瘴気は止まらず、世界樹の力は弱まる一方。一族の長であった母は、最後の希望を、生まれたばかりの娘に託すことを決意した。

『この子だけは、生き延びさせなければならない』

『世界樹の最も純粋な生命力が宿る「揺りかご」…うろの中ならば、瘴気から守られるはず』

『いつか、厄災が過ぎ去り、世界が再び癒しを求める時、この子が新たな巫女として目覚める』

『その時まで、この子の記憶と力を、世界樹そのものに預けよう。全てを思い出せば、幼い身体がその力に耐えられないかもしれないから』

『我が娘、リコ…。どうか、強く生きて…』

「ああ…っ!ああああああっ!」

リコは、頭を押さえてその場にうずくまった。断片的だった記憶が、一つの物語として繋がり始める。自分は、厄災の時代、母によって未来へと託された存在だったのだ。記憶を失っていたのも、力が不完全なのも、全ては母が自分を守るために施した、封印だった。

「リコ殿!しっかりしろ!」

アレンが、慌てて彼女の肩を抱く。

しばらくして、記憶の奔流は収まった。リコは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。その瞳には、もはや迷子の少女の怯えはなかった。そこにあるのは、自らの出自と使命を理解した、「巫女」としての強い意志だった。

「…思い出した…。全部じゃないけど、私が誰なのか、わかった…」

リコは、アレンに、自分が夢と壁画から知った全てを話した。母の想い、一族の悲劇、そして、自分に託された使命。

アレンは、そのあまりに壮大な物語を、黙って聞いていた。そして、全てを聞き終えると、彼はリコの前に片膝をつき、騎士としての最上級の礼を取った。

「…リコ様。もはや、あなたを『リコ殿』とはお呼びできない。あなたは、この世界を救う希望そのものだ。このアレン・シルフォード、我が剣と我が命の全てを懸けて、あなたを世界樹の元へとお連れすることを、ここに改めて誓います」

彼の瞳には、迷いも揺らぎもなかった。彼は、一人の女性を守る騎士から、世界を救う巫女に仕える騎士へと、その忠誠を昇華させたのだ。

リコは、彼のその手を取り、しっかりと頷いた。

「ありがとう、アレンさん。私、もう迷わない。世界樹へ行って、母の、そして一族の想いを、私が継がなくちゃ」

忘れられた神殿の壁画は、リコに過去を教え、そして未来へ進むための、揺るぎない覚悟を与えてくれた。

二人の旅は、ここから新たな意味を持つことになる。それはもはや、単なる逃避行ではない。失われた光を取り戻すための、聖なる巡礼の始まりだった。


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