巫女の奇跡と開かれる心
闇の一族の卑劣な罠により、水の都の命運は尽きようとしていた。リコは、自らの力を解放し、汚染された「浄化の泉」に、その身を投じる。彼女の、自己犠牲をも厭わない、純粋な癒しの光は、瘴気を浄化するだけでなく、族長カイの、氷のように閉ざされた心をも、溶かしていく。
水の都アクアリアの、中央広場は、阿鼻叫喚の、地獄絵図と、化していた。
都の、命の源泉である、「浄化の泉」から、どす黒い、瘴気の水が、溢れ出し、それに、触れた人々が、次々と、苦しみの声を上げ、倒れていく。それは、肉体だけでなく、魂そのものを、蝕むような、邪悪な、呪いだった。
「くそっ…!なぜだ…!」
若き族長、カイは、泉のほとりに、膝をつき、必死に、自らの、水の力を、注ぎ込んでいた。彼の手のひらから、清らかな、青い光が、放たれる。しかし、その光は、泉の、圧倒的な、闇に、触れた瞬間、かき消されてしまう。彼の力では、もはや、どうすることも、できなかった。
(…これまで、なのか…)
カイの心に、深い、絶望が、広がった。
先祖代々、守り続けてきた、この美しい都も、民も、今日、ここで、終わるのか。
かつて、光の一族が、自分たちを、見捨てたように、またしても、自分たちは、見捨てられるのか。
彼の、青い瞳が、憎しみと、諦観に、濁っていく。
その、彼の目の前で。
リコは、静かに、泉へと、歩み寄った。
彼女の、銀色の髪が、瘴気の風に、揺れている。その小さな、背中は、あまりに、頼りなく、見えた。
しかし、その瞳には、一点の、曇りもなかった。
「…あなたも、見たでしょう。光など、無力だ。我々を、救えはしない」
カイが、吐き捨てるように、言った。
リコは、彼を、振り返り、静かに、微笑んだ。
「いいえ。光は、無力では、ありません」
彼女の声には、不思議な、確信が、満ちていた。
「ただ、光だけでは、だめなのです。光と、水。二つが、手を取り合ってこそ、本当の、奇跡は、起きるのですから」
そう言うと、彼女は、ためらうことなく、その両手を、黒く、汚染された、泉の水の中へと、深く、差し入れた。
「なっ…!馬鹿な、ことを…!」
カイが、驚愕に、目を見開く。
常人ならば、触れただけで、その身が、溶けてしまうほどの、高濃度の、瘴気。
アレンもまた、「リコ様!」と、悲鳴を上げた。
しかし。
リコの身体は、溶けるどころか、逆に、まばゆい、黄金色の、光を、放ち始めたのだ。
それは、彼女が、アレンを救った時に、見せた、自らの、生命力そのものを、燃やす、究極の、癒しの光。
彼女は、自分自身を、触媒として、泉に、直接、語りかけていた。
(お願い、目を覚まして、水の精霊たち)
(思い出して。あなたたちの、本当の、力を)
(この、穢れを、洗い流して…!)
彼女の、魂の、呼びかけに、応えるように。
泉の、奥底から、微かな、青い光が、灯り始めた。それは、瘴気に、押しつぶされ、眠っていた、水の、精霊たちの、意識の光だった。
光は、一つ、また一つと、増えていく。
そして、リコの、黄金色の光と、混じり合い、螺旋を、描きながら、泉の、中心へと、集まっていく。
黄金と、青。
光と、水。
二つの、聖なる力が、永い、永い時を経て、再び、一つになった、瞬間だった。
次の瞬間。
泉の中心から、巨大な、光の、間欠泉が、天を、衝いた。
その光は、都全体に、降り注ぎ、瘴気に、倒れていた人々を、癒し、そして、黒く、濁っていた、全ての水を、元の、水晶のような、透明な水へと、還していった。
浄化は、一瞬で、終わった。
後には、何事も、なかったかのように、静かに、水を、湛える、美しい泉と、呆然と、立ち尽くす、人々だけが、残された。
そして、その泉の、中心に。
リコが、静かに、立っていた。
彼女の、全身は、ずぶ濡れだったが、その身体は、まるで、月の光を、浴びているかのように、神々しく、輝いていた。
カイは、その光景を、言葉もなく、見つめていた。
彼の、氷のように、凍てついていた、心の、何かが、音を立てて、崩れていくのを、感じていた。
裏切られた、と思っていた。
見捨てられた、と思っていた。
しかし、違ったのだ。
光は、決して、彼らを、忘れてはいなかった。
ただ、自分たちが、信じることを、やめてしまっていただけなのだ。
彼は、ゆっくりと、リコの前に、歩み寄ると、その場に、深く、膝をついた。
水の民の、族長が、誰かの前に、膝をつくなど、前代未聞のことだった。
「…巫女、殿…。いや、リコリス様…。我々の、愚かさを、どうか、お許しください。我々は、過去に、囚われ、真実を、見ることを、忘れていた」
彼の、青い瞳から、一筋の、涙が、こぼれ落ちた。
その涙は、泉の水面に、落ちると、美しい、波紋を、広げていった。
リコは、そんな彼に、優しく、手を、差し伸べた。
「…顔を、上げてください、カイ様。謝る、必要など、ありません。あなたもまた、民を、守ろうと、必死だっただけなのですから」
その、あまりに、慈愛に満ちた、言葉に、カイは、もはや、何も、言えなかった。
彼は、ただ、子供のように、声を、上げて、泣いた。
その日、水の都アクアリアと、世界樹の巫女との間に、失われた、古の盟約は、再び、結ばれた。
それは、もはや、過去の、しがらみによる、誓いではない。
互いの、痛みを、理解し、共に、未来を、築いていこうとする、新しい、絆の、誓いだった。
しかし、安堵したのも、束の間。
泉を、浄化した、代償は、やはり、大きかった。
リコは、カイの前で、ふらり、と、体勢を、崩すと、その場に、倒れ込んでしまったのだ。
「リコ様!」
アレンが、慌てて、彼女の身体を、抱きとめる。
彼女は、力を、使いすぎたのだ。
その顔は、蒼白で、呼吸も、浅い。
カイは、我に返ると、叫んだ。
「すぐに、巫女様を、神殿へ!我ら、水の民が、持つ、最高の、癒しの術で、お助けするのだ!」
闇の一族の、卑劣な、罠は、結果として、水の民の、心を、再び、一つにした。
だが、その代償として、リコは、今、命の、危機に、瀕していた。
彼女の、運命は、そして、世界の、運命は、一体、どうなってしまうのだろうか。