異世界を着ぐるみで歩く
異世界召喚の連載で、「召喚条件が人型なら、類人猿が召喚されたら」みたいなご感想を頂き、面白がってしまいました。動物が召喚された話は面白く書ける自信がないので、じゃあ着ぐるみならどうだ! とね。
そんなお話です。
そのときの私は、物欲にまみれていた。
新しい洋服が欲しかったし、可愛いカバンも欲しかった。
少しお高めのスニーカーで欲しいものもあった。
食べてみたいスイーツも、お高めパン屋さんの高級パンも食べたかった。
短期バイトで稼ごうと思ったものの、昨今は高額バイトという名の危険な罠があると聞く。
ちゃんと高額な理由がある、しっかりしたバイトを選ばなければと考えて。
近所の遊園地の、着ぐるみバイトに応募した。
着ぐるみバイトは、暑くて蒸れて臭いと聞いていた。
重労働だからこその高額バイトなのだと。
体力には自信があったし、きっと何とかなると、消臭剤片手に現場へ向かった。
事前の噂どおり、着るようにと渡された着ぐるみは臭かった。
ヨシキタ! と、ファブりまくった。
ちょっと湿ってしまったけれど、臭いがマシになったのでヨシとする。
本当はもっと乾かしたい。でももう着るように指示されている。
うん。きっと大丈夫。そんな気がする。
息を止めるわけにはいかないので、あとは気合いだ。
女子的にも小さい私に与えられた着ぐるみは、カエル君。
ぽっちゃり胴体はふんわり厚みがあり、ファンタジーっぽいチュニックのような服に太いベルト。足も腕もふんわり厚みがあり、足元はガッシリとしたブーツ。手は革グローブ。頭にゴーグルまでつけている。
大きな斜めがけカバンをぶら下げていて、確認するとカバンは開け閉めできた。
何も入っていなくて、きっと意味はないけれど、凝っていて面白い。
キャラ設定はよくわからないものの、元気に飛び跳ねてくださいと言われた。
お天気がいいと暑くて死にそうですねと返すと、人気のないところでこっそり休憩してもいいよと言ってもらえた。
うまく子供たちをまいて、人気のない休憩ポイントに逃げ込もう。
幸いにも、カエルの口が大きく開ける仕様になっていたので、顔のところに空気が入りやすかった。
覗き込まれないよう角度に気を付ければ、外気をそれなりに取り入れられる。
そうして始まった着ぐるみバイト。
真夏でもないので、少し暑いけれど水分補給に気をつければ大丈夫そうだ。
弾む動きを心がけるのはキツイけど、子供に抱きつかれている間は動かないので、ある意味休憩になる。
子供たちも喜んでくれて、ときに突撃されてグボっとなるけど、お腹も分厚い着ぐるみなのでまあ、それなりだ。
視界は少し悪い。
カエルの口から顔を出せるけれど、人間の顔が見えるとヤバいので、のぞき見る程度だ。
というか、カエルの口から人間の顔が見えたら、子供的にはトラウマだろう。
あちらから見えないように、気を付けなければならない。
ミッションをやりとげるのだ!
決められたコースを歩きつつ、水分補給な休憩タイミングを狙う。
このバイト、こまめな水分補給は必須だ。
若い男の子たちの集団に見つからないように物陰を通り抜けた。
通りから見えない位置のベンチでこっそり水分補給をして、ぐてっと力を抜いたときだった。
変な浮遊感があった。
あれ、と思う間に、体が怠くてたまらなくなった。
ベンチの感触もなく、体が地面に沈む感じがする。
分厚い着ぐるみがあるので、衝撃はそれほどなく私は地面に転がった。
「え、何ココ」
「ちょっと、どういうこと?」
「お前ら、何だよ」
さっき見かけた若い男子たちのものらしい、戸惑いの声。
それに答える年配っぽい男性たちの声も聞こえる。
怠くて動けない私は倒れ込んだまま、彼らの話を聞いていた。
異世界召喚がどうの、ひとまず異世界人として保護をするとかいう話だ。
合間に若い男子の「ゴリラか?」「ゴリラだ」という声が聞こえるのは、いったい何だろうか。
年配男性たちの話によると、この国の魔法陣は魔力がたまると異世界人を召喚してしまうもので、元の世界に帰る方法はないという。
え、待って。異世界召喚って何。どういうこと?
私も疑問を挟みたいのに、声が出せない。
体が重怠く地面に沈み込んでいる。誰か気づいて。
その心の声が届いたのか、年配男性のような声がした。
「あそこのあれは、何だ?」
「お? あー、ぬいぐるみ?」
気づいてもらえたのに、あっさり物として片付けられそうだ。
ノー! 私、人間! アイアム人間!
「遊園地の備品じゃね? オレらの近くに倉庫みたいなのあったし」
「ああ、そういや足元の荷物がここにあるもんな。近くにあって、一緒に運ばれたのかな」
ノー! 生きた人間だから、気づいて!
祈りも虚しく、倒れ伏して動けない私は、物として彼らの意識の外に流された。
「異世界の方々には、とりあえず休める場所にご案内いたします」
「こちらの事情に巻き込んでしまい、大変申し訳ございません。衣食住は保証いたしますので」
あああ、私の衣食住もプリーズ!
あと三十分で休憩時間だったので、お腹も減ってきてるの!
もっと水分補給もしたいの!
怠くて動けず、声も出せない私を置いて、彼らは立ち去る。
どうにか気づいてもらえないか、ウンウン考えていたときだった。
「異世界人の女はいなかったな」
「残念だな。使い勝手がいいと聞くのにな」
使い勝手、という言葉に、心のジタバタが止まる。
なんだかそれって、利用する、的な?
え、どういうこと?
「特殊な魔力を授かるから、異世界から来た女はしばらく動けないんだよな」
「その間に隷属のコレを填めればいいって聞いていたんだがな。チッ」
「国の命令で、せっかく準備をしていたのに、野郎どもばっかりってハズレだな、今回は」
「あー、これかなり魔力が必要だから、もう一度やるとかは出来ないんだろう。全員男って、ねえわー」
レイゾク。隷属。
奴隷とかそういうヤバい系?
おおお、着ぐるみで良かった! 助かった! 着ぐるみバンザイ!
異世界の女性だとバレたらヤバイやつだった!
私はこのとき決意した。
アイアム、カエル人間! イエス!
着ぐるみを脱がずに過ごせばどうにかなるはず。
大丈夫。成せば成る! わかんないけど。
そしてアイアム、両性類!
言い間違いではない。
蛙が両生類だということは知っている。
でも私の声は甲高い。女性だとバレる。
なのでカエル人間は両性類だと、あえて言い張ってみるのだ!
カエル人間という不可思議生物だ。オッケーオッケー。
女性的な声でも、カエル人間なのでで通せばオールオッケーだ。
知らんけど。
とりあえず、体が動くようになれば。
ここを逃げ出して、私はカエル人間として生きていく!
そう決意した私の方に、現地人らしい人たちの足音が近づく。
「この、ヌイなんとかってやつ、どうするよ」
来るなよ、来るなよ!
私に触らないでくれ。生きた人間だと気づかないで!
「異世界の物質だろう。彼らに扱いを聞いてから動かした方がいいんじゃないか?」
「下手に触って、何かあれば困るからな」
そうして彼らは立ち去ってくれた。
イエス、ジャスティーッスッ!
勝った! 生き残った!
あとは動けるようになれば、さっさとここを脱出だ!
いつ動けるのか、わかんないけど。
あー、怠い。
さて、放置されてしばらく、周囲の光が暗くなってきた頃に、体の怠さがとれてきた。
周囲を窺ってみるが、人の気配はなさそうだ。
薄暗い中、カエル口を大きく開けて私の頭を少し出し、周囲の景色を確認する。
天井の高い、薄暗い部屋。
四方は壁ばかりだけれど、天井近くの出っ張りの上に窓を発見する。
出入り口になる大きな扉は見張られている可能性もあるから、脱出するならあの窓だろうか。
そういえば特殊な魔力って何だろう。
魔力ですよ魔力。
魔法が使えるってこと?
ステータスとか出てくれないかな。
そう考えてみたけれど、出る気配がない。
おっと、そううまくは行かないか。どうしようか。
魔力は感じられるのかな。魔法は使えるのかな。
怠さがとれてきたけれど、まだ元気に動けそうにないので、頭を戻してまたぐでっと横たわり、体の中に集中してみる。
魔力さん、魔力さん、どうか応えてー。
そんなぬるい呼びかけが通じたのかどうか、なんとなく体が温かくなった。
おおお、これって魔力? ちょっと意思で動かせる? お、出来そう。
しばらく試していたら、本格的に怠さがとれてきた。
さて、魔力を使えるのかどうか。
「いざ、カエル、ジャーンプッ!」
魔力を足に集中して、天井近くの出っ張りを目指してジャンプしてみる。
身体強化とかって定番だよね。
そうして私は、天井に頭をぶつけた。
着ぐるみの分厚い頭だったので、衝撃は少なかった。
そこからうまく天井近くの出っ張りに落ちた。
おお、ジャンプ成功!
威力に気をつける必要があるけど、身体強化は可能だった!
カエル人間、ジャンプで生き延びますよ!
出っ張りのところから、横手にある窓を抜ける。
少し高い位置から飛び降りれば、庭みたいな場所に出られそうだ。
よし、脱出だ!
カエル人間、行きまーす!
今度は軽く飛び降りる感じで、ひとまず全身に身体強化。
軟らかい土に足がめり込んだけれど、怪我もなく着地が出来た。
カエル人間の足元は、ガッシリしたブーツのような靴だ。
がっしりしたブーツに、手は革のグローブ。
設定はよく知らないものの、今はこの頑丈そうな感じが心強い。
カエルキックやカエルパンチで戦えそうな予感がするんだけど、どうだろう。
無敵のカエル人間になっていたら嬉しいのだけれど、どうだろう。
特殊な魔力って、無敵魔法が炸裂できたりしないかな。
情報が少ない不安があるけれど、ここで立ち止まったら危険な気がする。
私はとりあえず、ここから遠ざかる方向に走り出すことにした。
カエル人間、行きまーす!
カエル君の衣装はファンタジー仕様だ。
せっかくなので、例えばカバンが魔法の保存カバンで、靴は疲れない魔法のブーツで、革グローブは強い魔法のグローブで、ゴーグルで鑑定できて、カエル胴体も防御力の高い無敵胴体だったらいいのにと、身体強化で森っぽい場所を走りながら、なんとなく魔力を込めてお願いしてみる。
ははん、叶うわけないけどね。
でもただ走って逃げるだけの状況で、不安を紛らわす考え事は必要だしね。
理不尽に召喚された、魔法のある世界だから、叶えてくれてもいいじゃん。
こんだけ不利な状況に追い込まれてるんだから、そのくらい叶えてくれてもいいじゃん!
叶えろやコンチクショー!
そんな心の声を叫びながら魔力を発したら、体から力が抜けた。
え、何だコレ。
そう思う間に、体がまた地面に沈む。
着ぐるみなので衝撃は大きくないけど、地面に体が沈むような感覚で、気がついたら横たわっていた。
また怠い。え、マジで?
あ、これもしかして脱水症状?
まずくない? カエル人間、ピンチ!
焦ったけれど、怠さはさっきより早くとれてきた。
あれ、体調が戻ったって事は、脱水症状ではない?
カエル君の腕から自分の腕を抜き、胴体の中にある私のマイカバンからペットボトルを取り出して、水を飲む。
目指す場所もわからず森を走っているけれど、私、大丈夫だろうか。
ペットボトルは二本忍ばせていたものの、一本は既に空だ。
ちなみに荷物はペットボトルの他、タオルとタオルハンカチと、ティッシュ、スマホ、財布、鍵類、折りたたみ傘、エコバッグ、そして消臭剤。
あとはミニソーサリーケースやリップクリームなんかの、カバンに常駐させている小物がいくつかあるけれど、そのくらいだ。
おやつも入れておくんだった。あ、飴ちゃん発見!
どうしたものかと思いながらも、起き上がる。
夜らしく暗くなった森の中。
闇雲に走ってみたけれど、もしかして最悪の行動をとっただろうか。
カエル人間として元気に動き回り、お腹が減っている。
食べられる物は、この森の中にあるのだろうか。
いや、食べられる物があったとして、私に見分けがつくものか。
さっきの場所からは、走ってずいぶん遠ざかっている。
不安になりながら、今度は歩き出すことにした。
今からでも枝を折ったりして、グルグル同じところを回っていないかとか確認した方がいいだろうか。
そう考えていた私の目に、洞窟みたいなものが見えた。
よし、休憩だ。
洞窟で身を隠して、ちょっと落ち着いて考えよう。
そうして洞窟に足を踏み入れる。
動物の巣穴みたいなのかと思ったけれど、けっこう広くて何もない。
奥の様子を知りたいので進んでみたら、突き当たりを曲がったところで、その先に鉄格子みたいなものが見えた。
その牢屋みたいなものの中に、人影があった。
ひいっ、なんか怖い!
え、罪人?
土牢とかいうやつ?
湿っぽい洞窟の中に閉じ込められていて、健康に悪そうだなと思う。
さらに彼は、両手を鎖で拘束されているみたいだ。
え、死んでる?
固まって覗き込んでいると、牢から呻き声が聞こえた。
おお、生きている。生きた人だ。
あの城の人たちは悪者っぽいので、ここで牢に入れられている人が、いい人という可能性はある。
怖い人な可能性も高いけれども、どっちだ!
「あ、あの」
呼びかけてみると、はっと人影がこちらを向いた気がした。
「女、か?」
「カエル人間です」
「……女ではないのか」
ちょっと声に不信感が混ざってしまった。
ここは堂々と答えるべきだろう。
「両性類です」
堂々と答えたら、沈黙が来た。
ツッコミは不在らしい。
ツッコミがあればさらにボケられるのに、スルーされてはどうしたものか。
「……名前は」
「カエ……ル君です」
おっと、危うくカエデという自分の名前を言ってしまうところだった。
「カエルクン」
「カエル君です」
どうやら君まで名前に含まれているらしい。
まあ、いい。私が名乗るのはカエル君だ。
カエル人間のカエル君だ。
「あの、どうしてあなたは捕まっているのでしょうか」
質問してみた。
もしかすると嘘をつかれるかも知れないけれど、ちゃんと答えてくれるかも知れない。
とにかく今は情報が欲しい。
「国王を殺そうとしたら捕まった」
物騒だった!
殺そうとしたらって何! 暗殺者? 殺し屋?
しかも国王。狙ったのはトップ!
「えええと、なぜ国王を殺そうとしたんですか」
「一族を解放するには、それしかない」
一族を、解放。
なにやら深い理由がありそうだ。
ぽっと出のカエル人間には、さっぱりですが!
「ここからあなたを解放したら、どうしますか」
「国王を狙いに行く」
おおう、初志貫徹!
立派だが、その初志は貫徹していいものなのでしょうか!
「えええと、ひとまず、ここを出てすぐじゃなくて、回復が必要ですよね」
私がそう言うと、彼はしばらく黙り込んだ。
しわがれていて年齢がわかりにくいけれど、声は男性的だ。
話し方も、あと薄闇に見える骨格とかも。
「私はこの森を迷走中です。とりあえずこの国の人に思い入れとかまったくないので、私が助かるために、あなたを解放してもいいかなって思ってます」
そう。彼は迷走中の私の、命綱かも知れない。
だってこの森の中で、他に人がいるかどうかわからない。
「ちょっと森の知識とかもないので、とりあえず一緒に生き延びるために、どこか落ち着ける場所に向かう、というのはどうでしょうか。それであなたが回復してからどうするかは、それぞれ自由ということで」
なんとなく、彼の言葉に嘘はない気がした。
殺し屋だか暗殺者と行動を共にするのは、怖いことかも知れない。
でも、闇雲にこの森を走り回るよりも、いい気がした。
何より国王は、異世界の女性を利用する気まんまんな人たちの、親玉だ。
私が助かるために犠牲になってもらっても、いいんじゃないのとか思ってしまう今現在。
いや、とにかく情報がないから、もしかしていい人だったら申し訳ないけど。
でも彼の、一族を解放するという言葉も、意味深だ。
隷属がどうのなんて話をしていた人たちのことだ。
一族を隷属させているので、解放するために、とかだったら、殺されても仕方がないかも知れない。
だって隷属とか、ダメだと思う。
「お前の話に乗ろう」
私がグダグダ考えている間に、彼の考えはまとまったみたいだ。
「それで、どうやってオレを解放してくれるんだ」
うん。それが問題だ。
ちょっと錆び錆びとはいえ、鉄格子。身体強化でどうにか出来るかな。
まあいい。やってみよう。いざ!
「カエル君パワーっ!」
身体強化で鉄格子をこじ開けるみたいにしたら、バキっと鉄の檻が折れた。
え、嘘。脆いな!
劣化したプラスチックみたいに、あっさり折れた。
私もびっくりしたけど、相手もびっくりしている気配を感じる。
うん。まあ、隙間は出来た。
折れた鉄格子だったものをポイッとやると、意外と重い音で地面に沈んだ。
あれ? ……まあ、いい。
折れた鉄格子の間を入っていくと、髭の生えた男の人の目が、丸く開いていた。
ポカンと私を見上げている。
ふはははは、カエル君パワーに驚いているね。
私も驚いたんだけどね!
そのことはひとまず置いておく。
次は彼の手を拘束する鎖だ。
片手ずつ、壁に鎖で固定されている。
その鎖も錆び錆びなので、行けるかも知れない。
両手で鎖を握り、引きちぎるよう力を入れる。
「カエル君パワーっ!」
あっさり引きちぎれた。
カエル君、強い!
もう片手も同じように引きちぎれば、彼は地面に膝をついた。
そのままじっと動かない。
ええと、これどうすればいいかな。
しばらく突っ立って待っていると、彼の肩が震えた。
そして、低い何かの声が聞こえたと思ったら、ウハハハハと声が大きくなった。
あ、笑い声だった。
「信じ、られない。この鎖を、引きちぎる、なんて」
笑いながら話すので、途切れ途切れだ。
信じられないと言いながらも、ちょっと楽しそうだ。
「カエルクン、ありがとう」
おお、礼を言われた。
怖い人かも知れないけれど、お礼がちゃんと言えるのは、いいことだ。うん。
「どういたしまして。じゃあ森から脱出しましょう!」
そもそも彼は動けるのかと心配したけど、少しよろけながらも彼は歩き出した。
道案内をしてくれるのだろうと、私は素直に彼の後をついて歩く。
しばらく歩いたところで、何か空気が変わった気がした。
すると彼はグルリと周囲を見て、私を見て、また低く笑う。
もう、何だよう。
それからまた歩き出したかと思えば、一本の木に目をとめて、木の実をもいで口に入れた。
「あ、それ、食べられるの? 私もお腹減った!」
要求すると、もうひとつ、もぎ取って渡してくれた。
リンゴみたいな大きさだけど、ブドウみたいな感触の実だ。
彼を真似てかじりつけば、じゅわっと果汁が口いっぱいに広がった。
甘酸っぱくて、おいしい!
「おいしいね、これ! ああ、生き返る!」
「ああ、生き返るな」
彼のしわがれていた声が、すっきりした声になっている。
ちょっと低めの、若い男性っぽい声だった。
髭むくじゃらになっているけど、意外と若い人だったのか。
そうだね。若くてもきっと髭は伸びるんだよね。
「この森は恵みの森だ。魔力の集まる場所だから、こうした特殊な木の実も成る」
「特殊、なんですか?」
「知らないのか。アダブの実だ。蘇りの実とも言われる」
そう言いながら、もうひとつ、高い場所の実をもぎ取って、渡してくれる。
「おかげで動けるようになった。まあ、全快にはほど遠いが」
彼は髭で見えにくい口元を、ぐいっと笑ませたようだ。
そうして手首についたままだった枷を、バキっと握り壊した。
え、マジで?
それぞれ片手で、反対側の手首の枷を、握るようにして潰す。
彼は何もなくなった手首を確認するようにさする。
それから、体のあちこちを自分で確かめるように動かした。
「ああ、すごいな。さすがアダブの実だ」
うん。なんか、すごい木の実なのだろう。
え、これどうしよう。
とりあえず、カバンに入れておこうか。
あ、着ぐるみの中の自分のカバンに入れるのは、難しいな。
いいや、カエル君のカバンに入れておこう。いちおう開け閉めできたし。
そう思って、カエル君のカバンに木の実を入れた。
「ほう、入れ場所があるなら、もっと取っておくか」
なぜか彼は、追加でポイポイと、もいだ木の実をカエル君カバンに入れた。
うん。まあ、いい。非常食だ。
あの木の実のおかげなのか、疲れ知らずで私たちは歩いた。歩けた。
そうして空が白む頃に、森を抜けた。
森を抜ける直前、彼がふと足元に目をやった。
「ああ、これも持っておけ。貴重な薬草だ。これも」
足元の草をムシムシとして、彼はいくつかの草や花をポイポイとカエル君カバンに入れる。
私はよくわからないので、されるがままだ。
カエル君カバン、そろそろ入らないんじゃないかなと思うけど、彼は容赦なく入れている。
茸まで入れているけれど、果物と茸と草と、潰れて混ざったらすごいことになりそうなんですけどね。
あ、石まで入れるのヤメテ。
「あの、そろそろもう」
私が言うと、彼も頷いた。
「ああ、そうだな。そろそろ動かないと、馬車が動き出す時間になる。その前に街道を横切ってしまわないと」
彼の口調から、現在地をきちんと認識していそうだと知った。
おお、頼もしい!
そろそろの意味は違ったけれど、まあいい。
彼が進むままに、私はついて歩く。
「なあカエルクン」
「あ、カエでいいです」
なんだかクンまでが名前のように呼ばれて、ちょっと折れた。
あとずっとカエル君で呼ばれ続けるのも何だか違和感しかない。
カエなら、親から呼ばれているので、自然に返事が出来る。
すると彼は目を丸くしてから、嬉しそうに笑った。
「そうか、愛称を許してくれるのか。オレはライと呼んでくれ」
愛称ではないのですが。
いや、これ愛称になるのかな?
まあ、いいか。うん、ライ君よろしくね。
「オレに出来るのは、お前を隣国まで送ってやることだ」
彼が街道と呼んだ広い道を横切り、また森に入って歩きながら、ライ君は言った。
「私は街に行けるのでしょうか」
カエル人間のまま、人前に出て大丈夫なのか。
すると彼は私をまじまじと見て、ああと頷く。
「沼地の一族なのだろう。隣国でなら問題なく生活できるはずだ」
沼地の一族。
なんだろう、そのワードは。
「違うのか? その見た目は、沼地の一族だと思ったが。声からしか判断出来ないが、まだ幼そうだな」
幼いと言われましても。
まあ、高めの声で女性じゃないイコール幼いは、アリか。
「沼地の一族は見た目で判断がつかないが、強くても幼いお前は、確かに危なっかしいな」
うん。色々知らないからね。
幼いで通した方が、知らないことを許される気がする。
うん。アイアム幼い沼地の一族なカエル人間、イエス!
新情報をインプットしておいた。
今歩いている森は、さっきの森より少し薄暗い。
あの森は夜に歩いていても、なんとなく雰囲気が明るかった。
こちらは朝日の中なのに、不穏な薄暗さだ。
「瘴気が来ているな」
彼は少し嫌そうな口調で言った。
瘴気。ファンタジー的で不穏な響きだ。
「魔獣が出るかも知れない。用心して進むぞ」
魔獣。これまたファンタジー的、不穏な響き。
そう思っていると、横手からカンガルーみたいなのが飛び出してきたと思ったら、シャーッと怒る猫みたいな声を上げて牙をむいた。
怖っ!
「カエル君キーック!」
思わずカエル君のがっしりブーツで蹴りつけてみたら、カンガルーもどきは吹っ飛んでくれた。
ふっ、つまらぬものを蹴ってしまった。
カエル君、強い!
ライ君は目を丸くしてから、また笑う。
「本当に、カエは頼もしいな!」
うん。カエル君、強い。
これが異世界の女性の力なのか。知らんけど。
「休憩なしで悪いが、この森はさっさと抜けないとまずいな。これを食べながらなら、どうにかなるだろう」
ライ君はカエル君カバンをゴソゴソして、あの果物を出してきた。
草と混ざることはなかったようだけど、受け取った果物をちょっとだけスリスリとカエル君の口元で拭いてから、私の口に入れた。
相変わらず生き返る。
蘇りの実だなんて変なことを言われたけれど、これを食べるだけで休憩なしで歩ける今、もしかすると本当に不思議な木の実なのかも知れない。
まあ、ここは異世界だ。不思議がいっぱいだろう。
そうして果物を食べていたら、ライ君はさっきのカンガルーもどきを見つけて引きずって。
なんてこった、カエル君カバンに入れてしまった!
「ちょっ、死体! 死体を入れてしまった!」
「なんだよ、いいだろう、マジックバッグなんだから。お前の新生活の足しにする必要があるだろうが」
マジックバッグ、とな。
またもファンタジーな名称が来た。
あれ、異世界召喚されたら、カエル君カバンはマジックバッグになったの?
私は着ぐるみの中の、自分のカバンを確かめた。
うん。普通のカバンだ。
それからカエル君カバンを確かめた。
開けて中を見てみると、空っぽに見える。うん?
中に手を突っ込むと。
おおお、なんか中に入っているものが頭に浮かぶ。
うわーすごい! これ想像していたマジックバッグだ!
カンガルーの死体まで頭に浮かんだので、慌てて手を外に出した。
やべえ。本当に死体まで収納されてるよ。
新生活の足し。
そうだね。ここがファンタジーな世界なら、魔獣の素材を冒険者ギルドで売るとか、そんな感じだよね。
カエル君の冒険者デビュー。アリか。アリだな。
「ほら、行くぞ」
ライ君に促されて歩き出した。
ライ君は、しわがれた声が戻って元気になっただけでなく、なんとなく態度が優しくなっている。
死体を突然私のカバンに入れたりもするけれど。
優しくというか、親しく、かな。
まあ、旅の仲間だしね。仲良くしないとね。
それからも何度か、クマもどきや猪もどきが出たけれど、カエル君は強かった。
キックとパンチでどうにかした。
猪もどきは私の胴体に突っ込んで来たけれど、カエル君は無傷だった。
異世界召喚で着ぐるみが最強になるとか、あるんだね。すごいね。
そう感心していると、ライ君が足を止めた。
「ああ、この川を超えれば隣国だ。あちらに渡れば、ひと安心なんだが」
大きな川らしい水の流れが、目の前に広がっている。
対岸は見えるけれど、泳ぐのは厳しそうだ。
飛び越えられるような小川ではない。ちゃんと橋が必要な川だ。
「橋とか船とか」
「そんなものはない。お前は魔法は使えないのか?」
聞かれたけれど、魔法の使い方はわからない。
魔力は感じたので使える気はするものの、使用方法のレクチャーが欲しい。
それをどう言ったものか。
「身体強化は、出来るんだけど」
そう伝えれば、ライ君は考えるふうに顎に手を当てた。
そういえばライ君、あの木の実を食べるたびに、体が復活している気がする。
最初はフラフラ動く、細っこい体だったのに、だんだん足や腕がしっかりしてきている。
ていうか、筋肉質になってきてないかな。
蘇りの実とか言ってたな。
ライ君は元々こうだったのに、鎖につながれて、弱って細い体になってたってことかな。
背まで伸びている気がする。
最初は私と同じくらいだったのに、カエル君の頭より高い。
今も顎に当てている手が、がっしりした男の人の手になっている。
あれ、そういえば、声もなんだか低くなっていやしないかな。気のせいかな。
「あの実で体はかなり戻ったが、魔力が戻らないからなあ」
今では低く男らしくなった声で、ライ君が呟く。
やっぱりそうだ。体があの土牢では弱って縮んでいたのが、復活したんだ。
いや、待って。弱っても、縮むかなあ。
蘇りの実って何だろう。ライ君ってそもそも、どういう人なんだろう。
あと回しにした疑問がここで来た。
ただ、わかっていることがある。
ライ君は、いい奴だ。
ここまで一緒に行動して、私にもちゃんと木の実を渡して、一緒に食べるようにしてくれている。
律儀に道案内をしてくれている。
私がいると便利というだけじゃなく、ときどきちゃんと気遣ってくれている。
なんとなく、考えていることがある。
彼らが、異世界の女は使い勝手がいいと言ったこと。
強いからとかでは、ないんじゃないかなーと。
カエル君ボディが無敵で、カエル君カバンがマジックバッグなのは、もしかして、と思い当たることがある。
私、こうだったらいいなーと、魔力を込めて願ったな、と。
そしてあのとき、魔力を使い果たして、脱力状態になっていたのなら。
異世界の女は、魔力で色々と願いを叶えられる?
そんなバカなと思う反面、それが正解だという気もする。
利用したいと、無理でも召喚したかった異世界の女。
それだけの価値があるはずだ。
目の前には、広々と横たわっている川がある。
今の私たちは、川を渡る方法を考えあぐねて立ち尽くしている。
「ねえ、ライ君」
呼びかけると、ライ君が振り向いた。
「ライ君の魔力が戻ったら、この川を渡れるのかな」
彼は何を聞かれているのだろうという雰囲気でしばらく止まってから、ああと頷いた。
「これでも魔法は得意だ。魔力が戻れば、どうにでも出来る」
なるほど。ライ君の魔力が戻れば解決するらしい。
たぶんライ君は、私が脱力して動けなくなっても、安全な場所へ連れて行ってくれるだろう。
「わかった。ちょっとライ君の手をとってもいいかな」
ライ君はしばらく固まってから、ゆっくりと手を差し出した。
カエル君のグローブで、ライ君の手をとる。
心の中で、思う。
ライ君の魔力が戻りますように。
強く念じて魔力を注ぎ込んだ。
あの怠さが来た。
ずしゃっと地面に沈んだカエル君に、ライ君が慌てた様子で膝をついた。
「おい、カエ! 大丈夫か!」
「ちょっと怠くなっただけ。それよりライ君、魔力は?」
初めてのときとは違い、声は出せる。怠いけど。
ライ君は何を聞かれたのかと、目をパチパチして。
ふと、自分の体を見下ろした。
「え?」
しばらくフリーズしている。
自分の手をにぎにぎして、自分の体を見回して、体内に意識を向けるように目を閉じて。
「どういう、ことだ」
呆然とした声になっている。
うん。たぶん成功だよね。そういうことだ。
私は願いを叶える能力を持っている。
どうしてかは、知らないけれど。
「カエ、お前は何者だ」
「カエル人間のカエル君だよ」
最初の主張を通せば、ライ君はしばらく黙って考える様子のあと、頷いた。
「ひとまず、この国を出るぞ」
だよね。それが肝心だ。
魔力が戻ったライ君は、ちょっとすごかった。
自分も私も、ライ君の魔力で浮かせて、ふよふよと空を飛んだ。
人って、こんなふうに飛べるんだ!
私もそのうち自由に飛びたい!
夢の中で飛んだときみたいだよ。
夢でビルをひとっ飛びしたときみたいだよ。すごいよ!
対岸どころか、対岸の森を大きく越えて、やがて私たちは草原に降り立った。
その頃には体の怠さはなくなっていた。
私はちゃんと、地面に立つことが出来た。
「この少し先に街がある。カエ、行こう」
ライ君は私の力の詳細を訊くことなく、私を促した。
うん。ライ君、いい奴だ。
私たちはまた歩き出し、やがて広い道に出て、道の先に大きな壁と、広い門みたいなものが見えた。
「あれがラステフの街だ。冒険者ギルドも商業ギルドもある大きな街だし、人に紛れやすい」
おおお、冒険者ギルドがあるのか!
ちょっとウキウキしてしまった。
「カエは冒険者登録をしているか?」
「してないよ」
うん。この世界で私の身分証明的な物は何もない。
ライ君はあるのかな?
「そうか。オレも証明書は紛失したから、入街料が必要になるな」
お金か。持ってないな。
どうしようか。
そう考えていると、ライ君がカエル君カバンをゴソゴソした。
「たぶんこれでどうにかなる。交渉しよう」
ライ君が手にしたのは、最初の森を出る頃に入れられた石だ。
石で、どうにかなるの?
「硝魔石は、小さくても価値がある」
おお、何か珍しい石だったのだね。
「入街料なら、これでも高いくらいだ。まあでも、金がないなら、これを渡した方が早い」
なるほど、そういうことが出来るのか。
私はわからないので、すべてライ君にお任せします。
「街に入ったら、まず冒険者登録をして、倒した魔獣を売ろう」
街門とやらに向かいながら、ライ君が言った。
私は頷いて、ライ君について歩く。
「カエは頼もしいのに、色々と物を知らないからな」
「お世話になります!」
きっぱりと返したら、笑われた。なんだよー。
「危なっかしいから、面倒見てやる」
ヒゲに覆われたライ君の顔だけど、優しく笑っている気がする。
ちょっとヒゲを剃った顔を見たいなと思った。
宿とかに泊まったら、身支度を整えて、見せてくれるだろうか。
街門では、ライ君が交渉して、さっきの石を渡したら、通してもらえた。
カエル人間だけど、軽くこちらを見て、何かの装置に手をかざすように言われてかざしただけで、何もなく通された。
「大きな街に入ること自体が初めてなのか?」
私があの装置を知らないことで、ライ君が驚いている。
「そうだね。初めてだね。あの装置は何かな」
「魔力で危険人物ではないか確認されている。危険人物として登録されている者ではないかの確認だな」
おお、そういう仕組みがあるのか。納得。
ライ君はこの街のことも知っているのか、すいすい街中を進み、やがて大きな剣と槍と杖の紋章みたいなのが飾られている建物に来た。
ほほう、これが噂の冒険者ギルド!
ライ君が慣れた調子で扉をくぐり、慌てて私も続いた。
人はそれなりにいるけれど、受付はそれほど待たずに案内された。
「どうされましたか」
ヒゲもじゃ人間とカエル人間に、受付の人は平然と声をかけてくる。
「冒険者ギルド証の再発行と、新しい登録だ」
ライ君は冒険者ギルドに登録済みらしい。
そういえば、国王の命を狙って捕まっていたのに、ライ君は街門の装置で引っかからなかった。
どういうことなのか。
あの国の方が悪人だから、ライ君は罪人扱いされていないのかなと思った。
国がおかしいと、無罪の人をどんどん罪人登録するから、その国で登録された罪人は除外とか、ありそうな気がする!
ライ君は、またカエル君カバンから、さっきより大きい石を取り出してカウンターに置いた。
「現金がないから、再発行料も登録料もここから頼む」
「はい。ではまず再発行の確認をいたしますので、こちらに手をかざして下さい」
街門の装置みたいなものが、また差し出された。
ライ君が手をかざすと、相手の人がカウンターの中の何かを見て、少し驚いた顔になる。
「ライゼンラーグ様! あの、失礼いたしました」
「いや、大げさにしないでくれ。少しトラブルがあって、ギルド証を無くしたんだ」
「直ちに再発行いたします!」
カウンターの人、なぜか直立で胸に手を当てる仕草をした。
こちらの世界の敬礼みたいなものだろうか。
ライ君、偉い人っぽい。ライゼンラーグ様とかいう名前らしい。
一族がどうとか言っていたし、何だろう。事情が色々ありそうだ。
「再発行もだが、彼女……彼? の登録も頼む」
「あ、はい。え? どちらでしょうか」
窓口の人が私を向いたので、私は片手を上げて宣言した。
「両性類です」
「……沼地の一族か」
それで済まされるらしい。
沼地、どういう場所なんだ。逆に気になる。
「こちら、記載は可能でしょうか」
訊かれてちょっと考える。
言葉は通じているけれど、こちらの世界の文字が書けるかわからない。
下手に日本語を書いて騒がれても困る。
迷っていると、ライ君がペンを手にとった。
「オレがかわりに書くからいい。名前はカエルクン、性別は両性、特技は身体強化でいいな」
さくさくと書き進めてくれる。私の名前はカエルクンになった。
両性で通るのは、まあ、ありがたい。のかな?
「年齢は?」
「十六歳」
「お、……そうか」
なんだ、その間は。
そう言えば、アイアム幼い沼地の一族なカエル人間。
インプットしたはずの情報があったな。記憶が迷子になっていた。
でも嘘をつき続けるのは私の記憶力では無理そうなので、両性類という部分だけ押し通そう。うん。
私も魔力を読み取る装置に手をかざして、登録完了。
冒険者ギルド証だというタグが渡された。
ギルド証は身分証明になるとともに、ギルドの口座でお金の管理も出来る、優れものだ。
ライ君と私には、タグを首に下げられるように革紐をくれた。
「あとは素材の引き取りは、あちらのカウンターだな」
「はい。よろしくお願い致します」
おっと、買い取りカウンターは別の場所みたいだ。
ここは冒険者証関係と、依頼などの受付窓口らしい。
買い取りカウンターでは、またライ君がカエル君カバンから、倒した魔獣と草、花、茸を出していた。
果物と石は出さないみたいだ。
「ほう、珍しい薬草と茸があるな。虹花の花弁もあるのか!」
「いくらになる?」
「ざっと五万カエンほどだな」
「そうか。すべてこちらの、カエルクンの口座に入れてくれ」
「え?」
疑問の声は私だ。
全部私の口座って、どういうこと?
「半分こじゃないの?」
私が訊くと、ライ君が笑う。ちょっとクセのある、うははと笑う声。
最初に聞いたときより、快活な笑い声。
「オレの口座には、金がちゃんとある。冒険者証の再発行をしてもらったから、金には困らない」
なるほど。ここは無一文の私に譲ってくれるということみたいだ。
あちらのお金は通じないだろうし、ありがたく頂いておこう。
ところで五万カエンって、どのくらいの価値なんだろうか。
買い取りの手続きが済んだあと、ライ君に連れられて宿に入った。
二人部屋にされかけたけど、頼み込んでひとり部屋にしてもらった。
ライ君はちょっとしょんぼりしていた。
だって着ぐるみ脱ぎたいんだよ!
汗だくだし、体も拭きたいんだよ!
食事も部屋に運んでもらうことにした。
ライ君はさらにしょんぼりしていた。
だって頭を出して食べたいんだよ!
カエル君の口の隙間から食事を突っ込んで食べるの、ツライんだよ!
ついでに自分の手でないと難しいんだよ!
果物をかじるのは出来たけど、あれだって汁で口元がベタベタになった。
合間にこっそりタオルで拭いていたのだ。
大変だったんだよ。
宿をとったあと、必要なものを買いそろえるのに付き合ってもらった。
石鹸的なもの、歯ブラシ的なもの、手ぬぐい的な布や、その他下着なんかに出来そうな布。
本当は服や下着を買いたかったけれど、カエル君として買えない気がしたので、今日はあきらめた。
後日、ひとり行動のときに、どうにか買いたいと思う。
宿に帰り、タライのお湯と食事を運んでもらい、ようやくひと息。
着ぐるみをようやく脱げた。
もちろん着ぐるみは全体をファブっておいた。大事な作業だ。
服を全部脱いで体や頭を拭き、脱いだ服を洗濯してお部屋に吊す。
裸に毛布的なものを被り、食事にありついた。
普通においしい食事だった。
よかった。あまりにも味覚が違う世界だったら困るなと、思っていたのだ。
満腹になり、そこで緊張の糸が切れたのか、気絶するように寝たのだと思う。
気がついたら朝だった。
「カエー!」
外から扉が叩かれている。ライ君だ!
干した服は乾いてくれていたので、慌てて身につけて、着ぐるみも装着。
着ぐるみの中、顔も洗わず寝癖だらけだけど、まあ、着ぐるみなのでいいことにする。
扉を開けると、体格のいい若い男性が立っていた。
まるで俳優さんみたいに整った顔立ちの、二十代くらいの人だ。
見覚えはまったくない。
「誰?」
思わず呟いた声に苦笑が返る。
「ひどいな。ライだよ」
「え……?」
あのヒゲもじゃが、別人になっている。
ライ君、こんな人だったのか。
「ヒゲで認識していたので、びっくりした」
「ちょ……ひどいな!」
抗議しているけど、ライ君も笑っている。
若者らしい快活な笑顔だ。
あの土牢で会ったときは怖い人かと思ったけれど、こうやっていると普通の男の人だ。
事情は、聞かない方がいいのかな。
「今日は街を案内する。カエが今後、この街でひとりで生活できるように」
今後ひとりで。
ああ、ライ君は行くのか。
「オレも準備をして、あちらに戻る」
だよね。初志貫徹なんだね。
どういう初志なのかわからないけど、一族を助けるためなんだよね。
「準備って、買い物とか?」
「ああ。武器も道具類も、色々と無くしてしまったからな」
無くしたのか、取り上げられたのか。
まあ、それも聞かない方がいいんだろう。
ライ君が言わないなら、積極的には聞かないことにする。
「今日は一緒?」
「ああ。今日はこの街にいる。明日の朝、出る」
明日の朝は起こしに来ないということだ。
短い期間なのに、ライ君と一緒にいられたらいいなと思っていた。
刷り込みかも知れない。
ライ君は私にとって、この世界の第一異世界人だ。
第一村人発見的な、この世界を知るための、最初の出会いだ。
でもライ君にはライ君の生きる道がある。
「無事だったら、戻ってくる?」
「ああ。目的を達成したら、ちゃんとここに戻るから」
また会える。
目的達成が暗殺的なものかも知れないことは、考えないでおく。
宿の朝食はパンとスープ。
ライ君に押し切られて、一緒に食べることになってしまった。
なんとかカエル君のグローブでも食べられるメニューだった。
カエルの口からパンを入れ、スープの匙を突っ込み、朝食をお腹に入れる。
「カエ、そんなに匙を奥まで突っ込んで大丈夫か?」
ライ君に変な心配をされた。
だって奥まで突っ込まないと、私の口に届かないんだよ!
街のどこに何があるのか、どういう仕組みなのか。
この世界のこと、街のこと、施設、お店のこと。
様々な一般知識を、何も知らない子供に教えるように、ライ君は私に教えてくれた。
とてもありがたいことだ。いい人だ。
第一異世界人がライ君でよかった。
ライ君は私のあの能力について、あれから確認しようともしていない。
あの川のところで、魔力が戻らないと言っていたライ君の事情は、わからない。
でも、戻らないはずのものが戻ったことで、私の特別な能力は察しているだろう。
私の能力を知ったけれど、自分の目的達成のため、その力を使えとは言わない。
だからこそ、ライ君はいい人だと、私は思う。
ライ君は武器屋で、試しに何度か剣を振ってみて、手に馴染みそうなものを買っていた。
剣を振るライ君は様になっていた。たぶん強いのだろう。
ライ君の縮んでいた体が大きくなり、筋肉質になったと感じたのは、あの実をいくつ食べたときだろうか。
弱っていたから、瘴気のあった森の魔獣は、私に任せていた。
きっと今のライ君なら、あの森の魔獣は自分で倒せるだろう。
行く先々の会話で、ライ君はSランクという特別な冒険者らしいと知った。
買い物の様子からも、ギルド証に貯金がたくさんありそうだとも思う。
マジックバッグは普通に魔道具屋で売っていた。
ライ君はそれを買い、便利そうな魔道具などもそこに放り込んでいた。
私も武器屋でナイフを買い、魔道具屋でランプ魔道具とか、日常で便利そうな魔道具を購入した。
私はどうやら、それなりにお金を持っているみたいだ。
五万カエンをパンや食事、宿代の価値と比べて、五百万円くらいだったのではないかと推測している。
当面困らない資金を得られたようだ。
必要な物は、しっかりと買っておくことにする。
「カエの実力なら、冒険者として充分にやっていけるだろうが、下手な依頼を受けるくらいなら硝魔石を売って生活費にしろ。無茶はするなよ」
夕食の席で、ライ君にそんなことを言われた。
夕食といっても、一緒に食べたがったライ君に折れて、サンドイッチ的なものとスープだ。
とりあえずカエル君の口の奥に突っ込めば、私が食べられる物だ。
街で買って、宿の部屋に持ち込んで、今は二人だ。
変な食べ方だなあとライ君に呆れられたけれど、仕方がないんだよ!
ライ君の忠告は、お別れが近づいている証拠に感じた。
第一異世界人とのお別れ。
ちなみに街に来てからも、ずっとライ君と一緒なので、他の人は必要な言葉を交わした程度だ。
ライ君がいなくなってから、カエル人間として、ひとりでやっていけるのか、はなはだ不安だ。
「行かないでって言ったら、ライ君困るよねえ」
思わず言ってしまうと、ライ君から困った顔が返った。
そうだよねえ。
「ライ君こそ、無茶なことするの?」
「無茶だろうと、オレが行かなければいけない」
「どうしてって訊いてもいい?」
訊かずにおこうと思ったけれど、気になった。
「あの国は、人を隷属させる禁術を使っている。あの魔術は個人に属する。つまり国王を殺せば、その禁術は解除される」
ああ、そういうことだ。
異世界の女を隷属させると言っていた。
あれは、あの国だからだった。
じゃあライ君が一族を助けようとしているのは、一族が隷属させられているってことかな。
禁術だというのなら、本来使ってはいけない隷属という魔術を使っている。
使ってはいけない魔術を解除させる手段が、国王を殺すこと。
殺人はダメだと思うけど、異世界の私に、こちらの世界のルールをジャッジする理屈は何もない。
まして殺人と同じくらいに、人を隷属させるなんてことも、いけないことだ。
個人としては、助けたいというライ君の気持ちを重んじたい。
あと、私があの国に捕まったら、私も隷属させられる。
その危険回避だって、私個人としては、しておきたい。
ライ君。
誰にも捕まらないで。誰にも傷つけられないで。
魔力をまた奪われたり、弱らされたりしないで。
ちゃんと無事に、ここへ帰ってきて。
むしろライ君を傷つけよう、捕まえようとする奴らなんて、弱ってしまえ!
ライ君に何かしようとしたときに、弱ってしまえ!
願いを魔力に、私はライ君に抱きついた。
「おい、カエ!」
ライ君の焦った声は、どこか遠くに聞こえた。
気がついたら、宿のベッドに寝ていた。
起きて、しばし考える。
たぶん私は、ライ君に願いを魔力に込めて抱きついたあのとき、気絶した。
そして今、ベッドの上の私は、着ぐるみを着ていない。
「バレた」
うん。ライ君に着ぐるみのこと、バレちゃった。
カエル君は、ベッドの横の椅子の上に、くたっと置いてあった。
私が着ぐるみだったと知って、ライ君は何を思っただろうか。
ベッド横の小さなテーブルに、ライ君の書き置きがあった。
『必ず戻るから、待っていろ』
なんだか偉そうだ。
私はこの世界の文字が読めるみたいだ。
宿の私の部屋には結界が張られていた。
ライ君が、ここへ他の人が入れないようにしてくれていた。
そして隣室は、もうチェックアウトされていた。
ライ君は行ってしまった。
着ぐるみを身につけて、宿の朝ご飯をもらってきて部屋で食べて。
とりあえず冒険者活動をしてみようと思った。
ライ君が帰ってくるまで、私はここで一生懸命に生きてみよう。
宿にはひと月分の宿泊費を払っておいた。
腰を据えて、やれるだけやってみようと思う。
そうして始めた冒険者活動。
着ぐるみの息苦しさと視界の悪さは、着ぐるみに魔法をかけて解決した。
不便な思いをすることはない。
着ぐるみが快適なものになるように、あのときみたいに魔法をかければいいじゃない。
そう考えて実行したら、出来てしまった。
怠くなってしばらく動けなかったけれど、部屋の中でやったので大丈夫。
着ぐるみの内部から、視界は透過して周囲を見渡せる。
着ぐるみは清潔に、中の空気は快適に、清浄に。
魔法で毎晩の消臭剤は不要になった!
おかげで冒険者活動は、順調だった。
しばらくすると無敵のカエル君は、この街でちょっとした有名人になっていた。
見た目がコレなので、目立ってしまったらしい。
街の外で、森で魔獣討伐をして街道に戻ったときに、魔獣に襲われている馬車を助けたら、大商人の跡取り息子とその奥さんで、たいそう感謝された。
街のごろつきに絡まれている女性を助けようと割って入ったら、斬り付けられて、それなのに無傷で相手に文句を言うだけの私に怯えて、相手が逃げだした。
そのごろつきたちが、本当に始末に負えないごろつきで、後ろに有力貴族がいたとか。
その女性が貴族の娘さんで、懐かれてしまったり。
有力貴族が差し向けた人たちも、私をどうにも出来なかった。
無敵着ぐるみは、なんだか本当にすごいものになってしまっていた。
その貴族は権力でどうにかしようと、冒険者ギルドに手を回そうとされたけれど、Sランク冒険者ライ君の相棒として私は登録されていたらしい。
ギルドの詳細調査が入り、逆に有力貴族の方が責任追及されていた。
ライ君がいない間に私にも、この世界のいろんな縁が出来た。
でも、ライ君は第一異世界人で、初めてこの世界で友達になった人。
無事な姿を見せて欲しい。早く帰ってきて欲しい。
そう思いながら、日々を過ごす。
「おはよう、エマちゃん! 今日のオススメのパンは何かな!」
行きつけのパン屋ができた私は、今日も元気においしいパンを物色する。
冒険者活動のお金で、ちゃんと生活も出来ている。
「前にカエさんが、ハンバーグをパンに入れてって言ったやつ、作りましたよ!」
「おおー、やったあ! 食べたい食べたい。それ五つ買っておこうかな」
「味見しないで大丈夫ですか?」
「エマちゃんのご両親のパンは絶対においしいから。大丈夫!」
「はい、五つですね! ありがとうございます!」
パン屋を出て、おいしいスープのお店にも顔を出す。
具だくさん野菜スープのおいしいお店だ。
宿の食事もおいしいけれど、この世界は朝晩の二食だけの文化なので、私はお昼ご飯が必須なのだ。
「おはようございます! このお鍋にスープを買いたいです!」
「あはは、カエちゃんはいつも大量購入だね」
「だってここのスープ、おいしいし栄養もあるし、最高だから!」
「あははは、ありがとう!」
冒険者活動の日は、森と往復してクタクタになるので、お休みと決めた日に大量購入するのだ。
洋服屋さんで、中の私用の服もちゃんと購入した。
下着は思ったのがなかったので、チクチク縫って作った。
必要な物はちゃんと揃えて、快適な生活を送っている。
お菓子のお店もあり、あちらほど便利ではないけれど、この世界でそれなりに生活出来ている。
もちろんあちらに帰りたいと思って、涙が出そうになる日もある。
でも、どうやら本当に帰れそうにないと、次第にわかってきた。
ないものを求め続けても仕方がない。
懐かしむのはアリだけど、悲しみに浸って動けないのはいけない。
何かのときに、大人な女性として憧れていた従姉がそんなことを言っていた。
そうだ。彼女の家で長年飼っていた犬が亡くなったときだ。
母がずいぶん気落ちしているので、私がしっかりしないとと言っていた。
森へ行き、魔獣を狩り、採取をして。
冒険者ギルドで採取する物のリストや資料も閲覧できたので、この世界の知識も頭に入れる。
「カエちゃん、熱心ねえ。私が薬草を覚えるために若い頃に作った覚え書きだけど、良かったら持って帰る?」
「え、いいんですか!」
「カエちゃんが役立ててくれるなら、いいわよ。私こそ、あのときは助かったわ」
「わあ、ありがとうございます!」
森を歩いていたとき、悲鳴に駆けつけて魔獣を蹴飛ばしたら会ったお姉さんだ。
私は採取する薬草がよくわからないと、帰り道に話していたら、ギルドの資料について教えてくれた。
そうして今、イラスト付きの薬草数種類の解説メモをくれるという。
これは嬉しい。
「頑張って採取もします!」
「ええ。冒険者が採取してくれないと、自分で採取に行かないといけないから、カエちゃんが採って来てくれたら助かるわ」
お姉さんは薬師で、足りない素材を採取するために森へ行っていたらしい。
魔獣よけをしていたけれど、たまにそれでは避けられない魔獣もいるそうだ。
積極的に採取して欲しいという素材と、おおよその採取場所やコツも教わった。
後日、メモと知識のお礼に採取したものを渡すと、きちんと買い取るからギルドを通すようにと怒られた。
うん。いい人だ。
異世界にも騙そうという意図で近づいてくる、悪い人も当然いる。
でもそれは、カエル君イヤーで解決した。
カエル君の頭を通して声を聞くとき、騙そうという悪意や変な意図があるとき、一緒に警告音が出るようにしてみた。
これも願いながら魔力を込めたら、怠くなったけれど、ちゃんとその機能がついた。
ううん、この能力って制限なしかな。
あとから寿命が削られてましたとか言われたら怖いんだけど、大丈夫かな。
でも安心安全に異世界生活を送りたいから、必要だよねえ。
私はこちらの常識を知らない。
だから騙そうとする人は、簡単に私を騙すことが出来る。
その対策に必要なんだ。
そんなふうに考えていると、不意にライ君が恋しくなる。
たった数日一緒にいただけなのに、ライ君はこちらの世界の保護者みたいな存在になっている。
ライ君は、私を騙そうとか利用しようとか変な意図はなく、ちゃんとこちらの世界のことを教えてくれた。
ライ君、ちゃんと無事でいてね。
森で魔獣討伐と採取をして、冒険者ギルドで買い取りをしてもらい、帰ろうとしたときだった。
「おい、聞いたか。隣国の王宮が壊滅状態だってよ」
「ああ聞いた。禁術の隷属魔術が解除されて、隷属させられてた奴らが一斉蜂起したってな」
「当たり前だろう。隷属なんて、どれだけ古い時代のやつだよ」
「川向こうの奴らは、本当に厄介だよなあ」
ああ、ライ君だ。
きっとライ君が目的を達成したんだ。
帰ってくるかな。帰ってきてくれるかな。
でも、一族の人を助けるためだって言ってた。
ということは、大事な家族とか親戚とか、そういう人たちと一緒なんだよね。
あれからもう二ヶ月だ。
たった数日一緒にいただけの私のことは、忘れているかも知れない。
そうだよね。本来の仲間と一緒にいたいよね。
でも無事だって知りたいな。会えないかな。
ちょっと寂しくなった私は、宿のお部屋で縫い物に集中した。
お金もそれなりに貯まったし、冒険者活動は休憩しても大丈夫だ。
それよりも、着やすい服が欲しい。
試着が出来ずに買った服は、ちょっと具合が悪い部分が多い。
ほどいたり縫ったり、着てみては印をつけて、また手を入れて。
細かい作業に集中して、嫌な思考をやり過ごす。
ひとしきり縫い物をしたあとは、また街に出て、買い物とおしゃべりだ。
冒険者ギルドで聞いた話は、思ったほど街の人たちの口からは聞かなかった。
それとなく川向こうについて聞いてみると、あの川には水棲魔獣がいて、泳ぐことも船も、橋をかけることも困難なので、あまり交流がないという。
あちらについて知っているのは、方々を旅する商人か冒険者だと言われた。
なるほど、川向こうの国について、街の人たちはあまり知らないようだ。
今日は果物とお菓子を買い込み、パン屋で新商品のホットドッグを買い、宿に戻った。
「よう、カエ!」
宿に入ってすぐに、ライ君がいた。
え、なんで?
「うははは、びっくりしているな。ただいま、カエ」
ライ君は明るい調子で笑って声をかけてくる。
ああ、元気そうだ。
ちゃんと大人で元気で、明るい笑顔のライ君だ。
「なあ、部屋で話してもいいかな。オレもまた、あの隣の部屋が空いていたから、あそこに戻ったんだ」
嬉しくて驚いても、反応って出来ないものなんだね。
私はカエル君の中で、口を開いてぽかんとしたままライ君を見つめ返す。
ライ君は驚いた状態のまま動かない私の手を引いて、部屋に入った。
といっても宿なので、ライ君の部屋も、私の部屋と見た目は同じだ。
違いは、ライ君の剣が、部屋の壁に立てかけてあるくらいだ。
「カエ、ありがとうな」
ライ君は私に向き合って、カエル君の肩に手を置いてから、ちょっと微妙な顔をした。
「あー……それ、脱いでもらっても、いいかな」
微妙な顔は、カエル君が私の本体ではないと知ったからだ。
中の人と話したいらしい。
もうバレているのだからと、私はカエル君の頭を外し、ジッパーを外してカエル君を脱いだ。
あ、寝癖がそのままだと思い出し、ちょっと気まずい。
どうせ着ぐるみを着るのだからと思って、中身の私はあまり身なりを整えていなかった。
でもライ君は、着ぐるみから出て向き合った私を見て、嬉しそうに笑う。
「カエ、ようやく会えた!」
そうして抱きしめてきた。
最初に会ったときとはまるで違う、大きな体に包まれる。
この世界の人体の神秘はわからない。
でも縮んでいないということは、元気だということだ。
「ライ君、おかえり!」
私も抱きしめ返した。
ちょっと胸板の厚さに阻まれて腕が届かないけれど、いい。
ライ君だ! ライ君が帰ってきた! 帰ってきてくれた!
「カエ、来たばかりで放り出すことになって、ごめんな。でも、色々とありがとう」
それからライ君が話してくれたのは、目標を達成して一族の人が自由になったということ。
目標の詳細は聞かないことにする。
「オレは一族を離れて、冒険者として旅をしていたから、みんなが捕まったこともあとから知ったんだ」
一族の女王があの国の罠にかかり、隷属魔術をかけられた。
それをきっかけに、一族みんなが隷属させられることになった。
ライ君はそれを助けに行った。
Sランク冒険者というのは、国際間でもそれなりの立場らしい。
その肩書きで、どうにか交渉しようとしたけれど、あちらは逆に女王を人質に、ライ君を好きにしようとした。
ライ君は知識として、隷属魔術が個人との契約になることを知っていた。
その個人が国王であることも会話の中で探り出し、その時点で国王を殺せばどうにかなると考えた。
相手を打ち負かし、国王を殺そうとしたときに、女王を解放するからと命乞いをされたそうだ。
一族を解放することが目的なので応じたら、相手は簡単に裏切った。
騙されて捕まり、結果、魔力を封じてあの土牢に入れられた。
うぬぬ、卑怯なり!
「たぶん、隷属魔術にも条件があり、オレは弱らせてからでなければ、隷属させられなかったんだろうな」
弱り切ったところで、隷属させる予定だったのだろうと、ライ君は言う。
実際に、魔力を吸い取られるあの手枷のせいで、弱って縮んでしまっていた。
その、縮むというのが、私は理解出来ないけれど、そういうものらしい。
まあ魔力も魔法も不思議なものだ。
この世界で、そういうものだと言われたら、そういうものなのだろう。
「あの手枷と鎖は、魔力を吸い上げるひとつの魔道具で、簡単に壊せないものなんだ。カエがあんなふうに引きちぎったから、驚いた」
うん。簡単だった。鉄の鎖っぽかったから、私も驚いた。
私が鎖を引きちぎったので、魔道具としては壊れた。
だからアダブの実で少し回復した彼が、手枷を簡単に壊せたという。
「オレを送り出した日、カエが倒れたあれは、オレに何か特別な魔法をかけてくれたんだよな」
ライ君が何かを思い返すような顔になった。
「今回ひとりであの国に潜入して、国王の居場所を探って。無謀なことをしたと思う。何度も危険な場面があった。なのになぜか、相手が弱体化したんだ」
あー、そういうふうに、願った気がするね。
「カエ、ありがとうな。オレはかなり怪しい男だったと思う。それなのに、信頼して、後押ししてくれて」
「私こそ、怪しい着ぐるみだったよね」
ヒゲもじゃと着ぐるみ、どちらが怪しいかはわからない。
どっちも怪しいのに、お互いに信頼が芽生えた。
うん。なんだろうね。
「カエのことは、あの森に入れたことで信用できると思っていた」
そうして明かしてくれたのは、あの果物を食べた森のこと。
あれは妖精界との境界にある森で、ライ君たちの一族だけが入れる場所だった。
この世界との接点になる各地に、出入り出来る場所があるそうだ。
「オレたちが一緒にいて、認識したら他の者も入れる。でも、邪念があれば入れない。弾かれるんだ。だからこそ、オレたちにとっては安全地帯だ。」
邪念。邪念か。
私はちょっぴり目を逸らして言った。
「私、邪念はたくさんあると思う。美味しいもの好きだし、欲しい物もあるし」
「それは普通の欲求だ。あのときオレに対して悪意などは、なかっただろう」
まあ、それはなかった。
むしろ助けてくれそうだと思っていた。
「一緒にあの森に入れたから、カエのことは信用出来ると思ったんだ」
ああ、それであのときから態度が柔らかくなったように感じたのか。
なるほどと私が頷くと、ライ君は改まったように私に向き合った。
「カエ、オレはカエを守りたい。カエルクンとして強いのはわかっているけど、カエは、か弱い女の子でもあるだろう。こんなにも細くて柔らかくて」
そう言いながら、ライ君は私の二の腕をプニプニする。
ちょっと、それはやめてもらえないかな。
「カエのことをどうか、オレに守らせて欲しい」
ライ君が大切そうに抱きしめてくれて、私も頷いた。
「うん。私も、ライ君と一緒にいたい。ライ君はこの世界の保護者なんだよ!」
なぜかライ君がちょっと固まり、それから耳元で息を長く吐いた。
「なるほど。保護者。うん、まだそこだったか」
ちょっと低くなった声。
まだそこ、というのが何か、よくわからない。
「よし、わかった。まだ再会したばかりだ。ここから頑張る」
何かを決意した声で、ライ君が宣言する。
「ひとまず、今日は一緒にご飯を食べよう。部屋の中なら、そのままのカエと一緒に、食事が出来るよな」
そうしてライ君は、美味しそうな食事を、部屋のテーブルに並べた。
私が好きそうなサンドイッチ、野菜たっぷりのスープ、串焼き肉。
あ、グラタンみたいなのもある!
「うん。着ぐるみだと食べにくいから、このまま食べたい!」
私たちは食事をしながら、いろんな話をした。
ずっとカエル君を着ていたのか聞かれたので、頷いた。
「着ぐるみが強いから、脱いで冒険者活動は難しいよねえ」
ライ君はすかさず同意の頷きを返してくる。
「カエはその格好で、カエルクンとして知られているからな。脱いで活動は難しいだろう。それに、その方がいい」
何がその方がいいんだろうと思っていたら。
ライ君はテーブルに身を乗り出し、間近から私の顔を覗き込むようにする。
なんだか真剣な顔に見えたので、内緒話かと私も身を乗り出すと。
「カエのその姿は、オレだけのものだ。な」
ひそめた低い声で、耳のすぐ傍で囁かれた。
ぱっと顔を上げると、意味深な目。
なんだか気まずくなり、挙動不審に目がうろついた。
するとライ君は、朗らかに笑った。
「うはは、いいな。こういうのは反応するんだ。そうか、頑張ろう」
だから何を頑張るんだろう。
変なこと言い出すのは、やめて欲しい。
ライ君かっこいいから、心臓に悪い。
そう返したら、ライ君は嬉しそうに笑った。
「そうか。オレはカエから見て、格好いいのか。良かった」
なんだよ。人がドギマギするのを見て、そんなに楽しいのかよ!
からかわれたと口を尖らせたら、ライ君は美味しいお菓子も出してきた。
こんなもので懐柔……まあ、今日はされてあげよう。うん、美味しい。
ライ君とは冒険者の相棒として、この世界各地を巡ることになった。
ときどき意地悪なからかい方をしてきて、憂いの晴れたライ君は、タチが悪い。
でもまあ、それなりに仲良しだ。
私は今日も、異世界を着ぐるみで歩いている。
一緒に召喚された男子高校生たちはどうなったんだとか、色々とすっ飛ばして、ひとまず本筋の書きたい部分だけ書き散らかしての短編です。
どうも短編はとりあえずの勢いで書いてしまうのです。
書いてて楽しかったのでヨシとする!
きっかけになった異世界召喚の連載や、他のお話は、作者名のリンクから、よろしければご覧頂けましたら嬉しいです。