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30.貞操の危機?

 

 酒場を飛び出した二人の足音は、夜のヒヒイロにやけに大きく響いていた。

 宴の喧騒から離れた村道には冷たい夜風が吹き抜け、空には雲の切れ間から月光が差し込み、淡い銀色の光がぬかるんだ道を照らしていた。


 酒場から出て辺りを見渡したエスカは土の上に残る二人分の足跡を見つけるや否や、反射的に宿へ向かって駆け出した。


 革靴が湿った地面を蹴り上げ、泥が跳ねる。

 食後に急に走ったせいでガーディールが少し苦しそうに息を漏らしていたが、エスカはそんな事を気にしている余裕もなく、その腕を半ば無理やり引っ張りながら突っ走る。


「アルス!! 無事!?」


 勢いそのままに宿へ辿り着いたエスカは、宿の扉を押し破るように開け放ち、そのままアルスの部屋へ雪崩れ込んだ。


「――あっ……」


 次の瞬間。


「きゃーーーーーーーー!!!!」


 宿中に響き渡るほどの悲鳴が炸裂した。


 部屋の中では、ソフィアによって上着を脱がされ、半ば上裸になったアルスがベッドにもたれかかっていた。

 酒精で赤くなった肌にはまだ汗が残っており、乱れた前髪が額に張り付いている。ソフィアはそんな彼の肩に手を添え、濡らした布で汗を拭おうとしていたところだった。


 だが、扉を開けた側から見れば――どう見ても完全に現場である。


「なっなっなになになになにしてんのよあんた達ーーーー!?!?」


 顔から耳まで真っ赤に染めたエスカは、慌てて両手で目を覆いながら絶叫する。

 しかし指の隙間が妙に開いている辺り、動揺で色々隠しきれていなかった。


「あっ! あっえっと、ち、違います! 違いますわエスカ様! その、暑そうでしたので汗を拭って差し上げようと!! 決して何も! それ以外何もしていませんわ!」


 突然の乱入にソフィアも半ば半狂乱だった。

 普段の淑やかな態度はどこへやら、珍しく声を裏返らせながら必死に弁明している。

 だが、顔を赤らめたアルスのシャツを脱がし、ベッド脇で身体を支えている構図は、残念ながら弁解すればするほど状況を悪化させていた。


「紛らわしい事すなーーーー!!!!」


 羞恥と混乱で限界突破したエスカの怒号が部屋を震わせる。

 その直後、ようやく追いついたガーディールが扉口から顔を出し、室内の様子を見渡してから「あー」と妙に納得したような声を漏らした。



 ◆



 その後。

 誤解と混乱が一段落した頃、三人は熟睡すらアルスを部屋に置いて、宿のラウンジへ移動していた。

 夜も更けたラウンジには暖炉の火が静かに揺れている。ぱちり、と薪の爆ぜる音が時折響き、先ほどまでの騒ぎが嘘のように空気は落ち着いていた。

 もっとも、一人だけは全く落ち着いていなかったが。


「あのねぇソフィアさん……? 言ってなかったこっちも悪いけど、魔物が出るかもしれないって所で夜道を二人だけで歩くのって危ないわよねぇ」


 エスカは声を震わせ、完全に説教モードに入っていた。

 頬はまだほんのり赤く、先ほどの光景を思い出しているのか、妙に視線が泳いでいる。

 対するソフィアも流石に居心地が悪そうで、指先を胸元で絡めながら小さく肩をすくめていた。


「そ、それはおっしゃる通りですわ。その、気持ちが逸って……差し出がましい真似をして申し訳ございません……」


「まぁお前……そんな怒る事ねぇだろ。色々ほら、勘違いだったわけでな」


 ガーディールは気まずそうにしながらも場を宥めようとするが、エスカは即座に睨み返す。


「勘違いで良かったけどね! どうすんのよこれでぽっくり行かれてたら! あんたリリスの話聞いてなかったわけじゃないでしょ!?」


 感情が高ぶったまま名前を口にした瞬間、ラウンジの空気がわずかに止まった。


「リリス……?」


 ソフィアが不思議そうに首を傾げる。


「あっ……」


 エスカはしまった、という顔で舌打ちした。

 村に潜伏されている可能性がある以上、その名は伏せるつもりだったのだ。

 暖炉の火が揺れ、沈黙が数秒流れる。


「……アルスの言う事が正しいなら、この村に現れた魔物の名前よ。ごめんなさい、他の人には内緒にしておいて」


 エスカは観念したように小さく息を吐き、真面目な声で告げた。


「え、えぇ……わかりました」


 その言葉の意味をなんとなく察しながらソフィアは小さく頷き、そしてすぐに疑問符を浮かべる。


「あ、あの。リリスというのはどういう魔物なのですか?」


「女の人の姿をした魔物……だっけ。だからこの村自体を警戒してるってわけ」


「なるほど……そういう事でしたら、わたくしにも協力させてくださいまし。村の人間にはなるべく外出しないよう言い聞かせますわ」


 静かながらも芯のある声音だった。

 この村を守る村長の一人娘としてこの村を指揮する義務がある。言外にそんな意味を含ませているように聞こえる言葉だ。


「それはありがたい、けど……貴方自身もあたしは信じてるわけじゃないわ。普通は男の人にあ、あ、あんな……あんな事しないし!!」


 思い出してしまったのか、エスカは再び顔を真っ赤にする。


「お前って、ちゃんと見た目通りウブなんだなぁ」


 ガーディールが呆れ半分に笑えば、


「うっさい!! あんたはデリカシーをもうちょっと身につけなさい!」


 即座に怒鳴り返された。

 そのやり取りを見て、ソフィアは思わず吹き出しそうになりながら口元を押さえる。


「……っふふふ。ご、ごめんなさい、以後は気を付けますわ」


「わーらーうーなー! 真面目なのよこっちはー!!」


 なんとなく穏やかな空気に戻った部屋の中、騒がしい声が宿に響く。

 だがその空気の中で、ソフィアだけはふと何かを思い出したように表情を曇らせた。


「でも……魔物の正体が女性の姿をしているというのなら、あの写真は一体……」


「写真?」


 エスカとガーディールが同時に反応する。

 ソフィアは少しだけ迷うように視線を伏せてから、静かに続けた。


「父が消える前に残したものがあるのです。……明日、写真館でお見せしますわ」


 その言葉に、場の空気がわずかに張り詰めた。

 暖炉の火が、ぱちりと小さく爆ぜる。


「まぁ、今日はおせぇし、アルスがあれだしな……俺はなんか酔いが冷めちまった。ちょっと飲みなおして寝るとするぜ」


 ガーディールは気まずい空気を払うように肩を回した。


「……そうね。ほんとにとんだ人騒がせだわ、もうっ!」


「ふふふ、本当にごめんなさいエスカ様。どうかご機嫌を直してくださいまし」


「なんか子ども扱いしてない…!?」


 ぷんすか怒る頭をなでてくるソフィアに、エスカはほのかに青筋を浮かべるのだった。



お前のセクシーショットはいらんのよ

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