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11.青年は魔物バカ

 千載一遇の魔物調査依頼――それはアルスにとって、喉から手が出るほど欲しかった機会だった。

 たとえ無報酬の奉仕活動だったとしても、現地へ向かっていただろう。それほどまでに、彼は“魔物”という存在を追い求めている。


 だが、隣に立つガーディールの視線は鋭かった。

 手紙の内容がどうこう以前に、別の問題を見据えている目だ。


 “それはそれ、これはこれだ”


 口に出さずとも、その眼差しが雄弁に物語っていた。


「報酬の話もできてねぇし、目的地も聞いてねぇだろ。受諾する前に最低限の話を付けようじゃねぇか」


「あ……そういえばそうか」


「そういえばって、お前なぁ……家賃っつー目の前の問題から目ぇ逸らしてんじゃねぇよ」


 その言葉に、アルスの口から間の抜けた声が漏れた。


「……あー」


 完全に忘れていた。


 魔物の話になると、どうにも頭の中から生活という概念が抜け落ちる。

 胸の高鳴りに引っ張られるまま動いてしまう悪癖を、自分でも嫌というほど理解していた。


「ごめんごめん。それじゃそっちの話をしようか。今回の調査依頼、どれくらい出していただけますか?」


 アルスがそう問い直すと、エスカは少し姿勢を正し、慎重に言葉を選ぶように答えた。


「目的地は、ここから高速飛空艇で四時間くらいの場所にある“ヒヒイロ”っていう村です。報酬は……前金として金20枚……終了後に追加で30枚……で、どうでしょう……」


「合わせて50……?」


 ガーディールが低く呟く。


「随分安いっスね。研究家の相場は100からだ。現地での滞在費や準備費用の一部を依頼者が持つことも多いし……その辺、ちょっと勉強不足なんじゃないスか?」


「うっ……」


 鋭い指摘に、エスカの肩がびくりと震えた。


 研究家の調査任務は拘束時間が長い。

 移動、現地調査、聞き込み、危険対処――ひとつの案件に一週間から一ヶ月以上費やすことも珍しくない。


 1金でパン10個が買える程度の相場を考えれば、50という額は確かに安い。

 皿洗いのアルバイトを真面目に続けた方が、まだ稼げるかもしれない。


「ちょっとガーディ、そんな睨んだらかわいそうじゃないか」


 アルスが小声でたしなめると、ガーディールは顔を寄せ、さらに声を潜めた。


(バカ、考えても見ろ。こんな屋敷に住んでんのに、相場の半分程度しか出ないわけねぇだろ? お前がすんなり受けるもんだから、足元見られてんだよ)


(う、うーん……でも、そういう事考える子には見えないんだけどなぁ……)


(どっちでも良いが、もうちょい出してくれるかもしれねぇだろ。つか家賃50金なんだからギリギリじゃねぇか。せめてもうちょい出してもらわねぇと……)


 男二人が肩を寄せてひそひそ話していると、それを見かねたエスカが、おずおずと口を開いた。


「その……相場については、あたしも調べました。現地での滞在期間によっては、もっと高くなることも。だから、すごく安く依頼しようとしてる自覚もあります」


「僕は全然それでもいいんだけど――う゛っ!」


 にこやかに手を挙げた瞬間、隣から鋭い肘鉄が脇腹に突き刺さって息が詰まる。


「黙ってろボケ。ってか、俺がお前を諫めてんのがおかしい話なんだけどな? これお前の仕事の話な?」


「はい……任せきりでごめんなさい……」


 ぐうの音も出ない正論だった。


 アルスはしゅんと肩を落とす。

 金の話になると、自分が途端に頼りなくなる自覚はある。


 だがエスカが“安い”ことを理解した上でこの額を提示しているのなら、そこには何か理由があるはずだ。

 これほどの屋敷に住みながら、なぜ金が出せないのか。


「あれとかそれとか。この家の調度品売ったら、まとまった金になるんじゃないスか? 余計なお世話かもしれないスけど」


「う、うそっぽく聞こえちゃうかもしれないけど……このお屋敷自体、叔父から借りてる物で、勝手には……。家賃も無いようなものですので、本当に私の手持ちはそれだけなんです……」


「あー……なるほど」


 その説明は、拍子抜けするほど単純だった。

 もちろん、口から出まかせの可能性もあるが、むしろ妙なリアリティがあった。


 傭兵稼業は過酷な分、もちろん稼ぎも良い。一応、こんな大きな屋敷に住むこと自体は可能だろう。

 だというのに、今の彼女にはお金がないというその理由は──


「……」


 アルスは静かに部屋を見回す。


 立派な応接室。

 高価そうな家具。

 磨き上げられた床。


 それなのに、この館へ入ってから、子供達以外の“大人の気配”を感じていない。

 夜が近い時間帯だというのに、両親らしき人物も帰宅していない。


 ――もしかすると。


 エスカの両親は、既に他界している可能性が高い。

 だからこそ親戚の屋敷に身を寄せ、幼い弟妹達の面倒をこの子が一人で見ているというわけだ。

 いかに傭兵稼業が儲かるとはいえ、流石にそんな状況でお金がたまるはずもない。


 そこまで考えた時、アルスの中で、報酬への執着はすっと薄れていた。


 確証はない。

 ただ、それでも十分だった。


「ガーディ、大丈夫だよ。いずれにせよ変わらないから」


 アルスは静かに話を打ち切った。


 魔物研究家の本質は、社会貢献だ。

 もちろん金は必要だ。生きていくためには避けられない。


 だが、それだけに固執するのは違う。


「ったく~~~~俺としちゃ変わって欲しい所なんだけどな。まぁ、他にアテもねぇ……。もうどうするかは任せるぜ」


 ガーディールは盛大なため息を吐き、肩を竦めた。

 半ば呆れ、半ば諦めた声音だった。


「大丈夫。足りない分は皿洗いするからさ。エスカさん、改めてその依頼引き受けます」


 アルスはぐっと親指を立ててみせる。

 その顔は、妙に晴れやかだった。


 家賃問題は何一つ解決していない。

 むしろ悪化している可能性すらある。


 それでも、ようやく掴めた“研究家としての仕事”を前に、胸の奥が熱くなって仕方なかった。

 そんな二人のやり取りを見つめていたエスカは、ぱっと表情を明るくすると


「あ……ありがとうございます!」


 安堵と感謝の声色を込めて、深々と頭を下げた。

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