虚ろの世界の成り立ち
ご注意:本作品には、主人公が育った時代背景を反映し、現代では差別的とされる表現が一部含まれています。これらは昭和時代の風習や価値観を忠実に描写するためのものであり、差別を助長する意図は一切ございません。当時の文化や社会の在り方を理解する一助となれば幸いです。
作品の趣旨をご理解いただいた上で、ご鑑賞いただければと思います。
(※毎回このフレーズが入ります)
ガラゴロガラゴロ……
空になった荷車の後ろを態度のでけぇ俺と、胸のでけぇテイラーが並んで話をしていた。
どうやらこの世界ってのは思った以上にけったいな世界だという事が分かってきた。
◇◇◇◇◇
「猪人ってのは人を襲う異常性欲者だと思っていた。
だから小悪魔みたいに駆除の対象になるとばっかり思っていたぜ」
「確かに猪人はこの世界では異常性欲者だ。見ての通りだっただろ?
しかし元の世界では半分が普通の市民だった者達だ」
俺の素朴な疑問にテイラーが教えてくれた。
「前世が性犯罪者が成るモンじゃないのか?」
「宗教によっては性欲を戒める宗派もあるだろうが、所詮性欲とは創造主が生けとし生ける者達全てに仕組んだ符号化みたいな物だ。
そうなるように胎内に組み込まれている仕組みを拒むのは難しいし、拒めやしない」
少々難しい例えだが、乳を見ただけでムラムラするのは俺のせいじゃなく、そうなる様に人間を作った神様のせいだと言われれば、確かにその通りな気がする。
現に今の俺はテイラーの胸の位置に浮かび上がった二つのポチがチラチラと気になって仕方がねぇ。
「ふふふふふ、猪人になる条件は性欲ではなく、愛の有無なのだと私は思っている」
「愛だぁ?! そんなキザな物、オレには無いぜ」
「そんな事を言いながら、結婚してから奥さん以外とシていなかったんじゃないか?」
「そりゃあそうだろう。
俺のカミさんの乳も尻も顔も、全部が世界一だ! 誰が何と言おうともな!」
「浮気が悪いかどうかは知らないが、本気で愛している相手と交わるのだったらそれでいいと私は思っている。
子供を欲して、女は命懸けで子供を出産し、男は愛する者達のために身体を張る。
そのような営みを何万年、何百万年と私達は繰り返してきたのだから」
「こう言っちゃあ失礼だが、見かけによらずテイラーは考えが固ぇんだな」
「ふふふふ、一応は敬虔なクリスチャンだからね。
この世界では、貴族のように振舞っていた者達が猪人となって、この世界に堕ちてくるという言い伝えがある。
つまり連中(猪人)は、性被害とも言える性交を繰り返し、多くの者を不幸にした者達だと言われているのさ」
「嫌がる女を相手にするくらいだったら、エロ本読んで自分でシた方がなんぼかマシだ。俺には理解できないぜ」
「私も同感だ」
「じゃあ何故、連中を塀で囲って餌のようなの作物を与えて保護しているんだ?
そこんとこが分からねぇんだが」
「性欲を除けば連中はごく普通の者達だ。
その有り余る性欲のはけ口を自分達の集団の中に求めるのなら、周りに害はない。
いつからかは知らないが、この街では猪人を塀の中に隔離して、その塀の中で好き勝手させるようになっている。
もしこの街の住人で性犯罪に手を染めるようであれば、イサムと言えども塀の中で猪人共に掘られることになるかも知れないよ。
事実、あの中には私がここに来たばかりの頃、一緒に仕事をした者がいた」
「そいつぁ勘弁してくれよ。
ところでさ、さっき貴族って言ってたが、貴族ってまだ居るんか?」
「知らないのか? 貴族は現代にもいるさ。
共産主義で社会体制を破壊された東側以外のヨーロッパの国には殆どすべて貴族がいる。
市民革命の後のフランスだって、二度の対戦に敗れたドイツにだって貴族は居る。無論、イギリスにもな。ただ、昔のような実権を持っていないだけだ。
もしイサムが実権を持った近世の貴族をイメージしているのなら、中東の王族やアフリカの世襲制の領主がそれに近いかも知れない」
「へぇー、外国にゃまだお貴族様って居たんだ。
すっかり戦争の後、財産をブン取られて消えて無くなっちまったと思っていた。
昔の日本には華族ってのが居たからな。
じゃあそのお貴族サマが今の猪人なんだな?」
「いやいやいや、そうじゃない。
本当に昔、市民を蔑ろにして贅沢三昧で自堕落な生活を送っていた貴族の事だ。
200年以上昔の話だ」
「200年?! ここはそんな昔からあるのか?」
「正確なところは全然分からん。
おそらくだが、人類が生まれて明確な自我と、医療の発達のおかげでこの世界が存続できるようになったと推測されていると聞いた」
「医療の発達が?」
「そう、聞いたことがあると思うが、この世界に居る者はまだ死んでいない者の意思が形作る世界だ。
生きてはいるが意識を手放した者。
つまり意識の無いまま長い期間存続できるだけの環境が必要なんだ。
昔は主に『植物状態』と言われる人間がやって来る世界だったそうだ。
一時期は『脳死』となったものが来ることも多かったらしいが、今は見ない。
おそらく現代医学では脳死は本当の死として定義されるようになって、生命維持装置を取り外されるようになったからだろう」
「テイラーもそれなのか?」
「ああ、心当たりがある。最後の記憶は海の底に沈んでいく自分だった。おそらくは私の身体は病院のベッドで点滴を受けていると思う」
「俺はどっちでもないな。
耄碌して特別老人介護施設に居たはずだ。
ここに来る前、あの姉ーちゃんもそう言っていた」
「姉ーちゃんって……、まあいい。
最近一番多いのが、認知症末期の老人がこの世界にやって来るパターンだ。
これは医療技術だけでなく社会インフラが必要で、それを支える強力な財政的基盤が無ければならない。
世界で最も早いペースで超高齢社会に突入した国でもある日本は、今やこの世界の一大勢力となっている」
「そうなんだ。入所した先でこんな世界にやって来れるんなら、悪いもんじゃないな。
もうひと働きしてから死ねるのなら本望だ」
「ふ……日本人って奴は本当に働くのが好きだな。
私はもうリタイアしたいよ。
現世にいる身体が回復するか、息絶えるかどちらかはっきりして欲しいと思っている。
そうすれば私は幽霊のように消えて無くなるだろう」
そう言えばそんな事を誰かが言ってたな?
あの姉ーちゃんだっけか?
つまり俺も、施設で寝ている俺の寿命が来たら消えちまうって事か?
「どうしたんだ? そんな事も聞いていなかったのか?」
驚いた顔の俺を見て、テイラーが聞いてきた。
「ああ、ハッキリとはな。だが考えてみりゃあ当たり前の事だ。
現世の身体が死んじまえば、意識も消えるんだからな」
「私がこっちに来てからもうすぐ1年になる。
その間に消えていった者は多い。
今日だって本当は5人来るはずだったが、その内の1人は今朝になって姿が消えていた。
戻って来るかもしれないが、多分戻ってこないだろう」
ああ……そう言えばマサヨシが言ってたな。
『その日の体調ってのもあるから予めメンバーを決めるのが難しい』って。
つまり、何時誰が突然消えちまうのかも分からねぇって事か?
目の前のテイラーも、俺も、マサヨシも、リチャードも、節子も……。
そーいえば節子が『いつ如何なる時も後継を準備しなければなりません』とか言ってたな。
つまり何時消えるか分からないのは、みんな同じなんだ。
そして小悪魔も猪人もか……。
この世界が分かってきたつもりだったが、どうやら俺はまだ全然分かっていなかったみたいだった。
当然ですが、認知症やアルツハイマー病はどの国にも存在します。
しかし日本の認知症死亡率は世界的に見ても圧倒的に低く、介護職員さん達の日々の献身の結果が数字となって表れています。
また、65歳以上の高齢者割合の多い日本は、認知症有症者の人口割合でも他国に比べて多く、今後さらに増えていくと予想されております。