始まりの街・・・(4)
主人公は若き頃、西部劇の映画が大好きでした。
……と言いますか、テレビの普及率が低かった時代、映画は娯楽の王様でした。
手塚治虫、藤子不二雄の初期作品に西部劇を題材にした漫画が多いのは、漫画家は映画が大好きでそこからインスパイアを受けていたとか。
最近ですと『保安官エヴァンスの嘘』くらいですね。
じんわりと笑えます
意識で造られた世界ってのもなかなか厄介みたいだな。
実物の俺は介護施設の介護ベッドの上で横になっているらしい。
肉体も魂も現世にあって、意識だけがこの世界へやって来る。
その結果、人格や精神が顕在化した肉体は、俺みたいな力持ちだったり、小悪魔と呼ばれる物欲に囚われた弱い心の持ち主たち、猪人と呼ばれる性欲に支配された者、など様々な様だ。
◇◇◇◇◇
チャーリーに案内されたのは番屋みたいな場所だった。
中には何人もの男女が居るようだ。
「失礼します。新しい人を連れてきました」
チャーリーが案内すると代表者らしい男が立ち上がりこちらの方へやってきた。
「おお、チャーリーじゃないか。
人手不足だから助かるよ。新人はその人かい?
「おう! 勇っていう者だ。
ここに来て数時間だ。
何が何だか全然分かっていねーが、ヨロシク頼むな」
「ははは、元気のいい人が来た者だ。
俺はマサヨシ。
ここの自警団で団長みたいなことをしている。
名が勇って事は日本人か?
俺は津軽の者だ」
「俺は熊本の出だ。
つっても、中学を卒業して暫くしてからずっと東京に居たから、生粋の肥後もっこすとは言えんかもな」
「肥後もすっこ?」
「もっこすだ!」
「すまんすまん、俺達のところで津軽じょっぱりみたいなもんか?」
「知らんが、多分そうだろう。
俺もじょっぱりを知らんからお互い様だ。
三味線弾きか?」
「それは津軽じょんがら節だ!
まあいい。
人数が足りなくて困っていたから助かる。
一応は一日8時間労働、週休二日で働いてもらう。
残業はないが、3交代制だから夜勤はある」
「ずいぶんと企業らしい感じなんだな」
「元の世界で会社を経営していたのも多い。
コンプライやンスなんて考え方も浸透してきている」
「労働組合もあるなんてこたぁ無いよな?」
「ああ、無い。
そのんなものを作っている暇は無いからな」
なんだかここの住人は時間に追われているのか?
住む家に手を掛ける時間が無いとチャーリーは言っていたし、マサヨシもそうだ。
ずいぶんと世知辛い気がする。
「ところでチャーリー、イサムの寝床はあるのか?」
「いえ、マサヨシさんに紹介してから案内するつもりでした」
「そうか、じゃあ明日から宜しく頼むとして、今日は寝床と飯だな。
チャーリーが一緒なら飯に喰いっぱぐれる事も無いだろう。
案内してやってくれ」
「分かりました。それでは失礼します」
「おう、明日から宜しくな。こっちに来てから口にしたのが、まだジャーキーだけだ。
どんな飯が出るか楽しみだ」
「じゃあな」
なんとなくマサヨシとは気が合いそうなやつだと感じた。
伊達に七十年以上も生きてきた訳じゃない。
人を見る目はある。
つーか俺って幾つだっけ?
介護施設に入って何年寝ていたんだろ?
もしかして俺の年ってもっと上か?
「イサムさん、それでは互助会に戻りましょうか?
住宅の準備も整っていると思いますから」
「本当に手際がいいな。大助かりだ」
これは世辞でなく本音だ。
良い職場ってのは役割がキチンとしていて、自分が何をやるのか考えて仕事をしている。
だから次を待つ間が無いから、一日で驚くほど仕事が進む・
大企業ってところは特にこれが下手糞なんだ。
口ばっかりでよ。
「慣れた仕事ですから。
それにイサムさんは恩人です。
お礼の気持ちもあります」
しかしチャーリーも外人ぽくないよな。
日本人でもここまで気づかいの出来る奴は居ねぇ。
差し詰めシェーンみたいなもんか?
SAAキャバルリーが火を噴くぜ!
くぅー、イカすなぁ。
『シェーン、カムバーック』って言いたくなるよ。
こんな空想をしながら互助会の建物へと戻っていった。
「今戻ったぜ」
「お待ちしておりました。
もうそろそろお帰りになると思い、家の案内の準備は出来ております」
事務員さんの節子が俺達の帰りを待っていた。
本当に準備が出来ていたみたいだ。
やっぱデキる女は違うな。
ウーマンリブってやつだな。
「ありがとよ、節子さん。
何から何まで至れり尽くせりってやつだ。
おかげで明日からバリバリ働けるぜ」
「そのようにお礼をして頂けますとやりがいがあります。
困った事がありましたら何でも仰って下さい」
くぅ~~!
見掛けは新人みたいに若い娘なのに、ベテラン事務員みたいな風格がある。
生田悦子みたいな”良いOL”か?
「じゃあ、オレの住処ってのを見に行こうか。案内頼むぜ」
「では行きましょうか」
案内の節子とオレとチャーリーの3人、そして別の若い子を連れてわが家へと向かった。
◇◇◇◇◇
スラムのような雑然と乱立する小屋のどれが我が家となる家が何処なのか気にしながら、小屋と小屋の間の小道を縫うように進んで行った。
何となくだけどさっき行ったばかりの番所の方向に近い。
暫く行くと、可もなく不可もなく、日本昔話に出てくる様な小屋の前で止まった。
「ここになります。如何でしょうか?」
「まずは中を見ていいか?」
「ええ、どうぞ」
節子の返事を待って、戸を開けて中へ入った。
綺麗ではないが片付いている。
痛みはそれほどない。
道中見た小屋の中には痛みの激しい小屋があったのを考えれば、多少なりとも気を使ってくれたのだろうと思えた。
「悪くねぇな。この世界ってのが分かっていないからこれが上モノかどうかは分からねぇが、住むには十分だ。不足はねぇ」
「今用意できますのはこれが精いっぱいですので、そう言って頂けますと助かります」
「気を遣わせちまって悪ぃな。じゃあここで寝泊まりして、自警団の番所みたいなあの場所に通えばこの町に住んで食うに困らない……って事になるのか?」
「はい、人が足りていない上に、最近は小悪魔が増えておりますので、私達も助かります」
「ところで、その姉ーちゃんは?
さっきから気にはなっていたけど」
「いえ、引継ぎのための勉強中なだけです。お気に為さらず」
はじめてその娘っ子が口を開いた。
引継ぎ? 節子さんは辞めるのか?
「節子さんは辞めんのかい? 寿退社か?」
「いえ、今のところ辞める予定はありません。
しかしいつ如何なる時も後継を準備しなければなりませんので、必ず二人一組で仕事をしております」
「人手が不足している割に人を掛けるんだな。勿体なくねぇか?」
「機織りや裁縫が滞ったところで着る物が痛んでも着続けられますが、互助会の担当者が不在となりましたら、この街の全員が立ち行かなくなります。
ですので予備は必要です」
かなり差し迫った理由が他にもありそうだ。
あまりしつこく聞くのも悪いだろう。
「そんだけ仕事を真面目にやっているって事だ。いいこった」
「それでは食事に為さいますか?」
「そうだな、腹がペコペコだ。ここで何が食えんのか楽しみだ」
「ええ、ではそこにあります食器をお持ちください。
配給場所をお教えします」
食器を持って配給? 炊き出しって事か?
本当に戦後のドサクサを思い出すな。
熊本も空襲の被害が酷かったから大変だったなぁ
(つづきます)
熊本空襲について
1945年7月1日深夜~2日未明にかけて、沖縄を飛び立った米軍のB29爆撃機154機が熊本市を爆撃し388人が犠牲になりました。翌8月10日にも約210機による爆撃を受けて、これらの空襲によって市街地面積の30%が焼け、被災者4万7598人、死者617人、行方不明13人の大きな被害を出しました。
戦後の混乱とインフレによる財政難、資材不足の影響で戦後復興事業は停滞して、更に1953年の大水害によって復興事業は一時中断するなどして、最終的に完了したのは1975年でした。