プロローグ:恍惚の人
ここはとある特別養護施設。
介護ベッドに一人の男が横たわっていた。
名は勇。
『メシはまだか……メシは……いつ食べたんだ?
戦後は食うものにも困っていたんだ。
一食や二食抜いたところで……。
それにしても妙に腹が減って無いな。
ここは何処だ?
家族は? 息子は? 娘は? 家内は?
……あれ?
親父は居たっけ? お袋は元気か?
……オレって誰だ?
オレは眠たいのか?
今まで寝ていた様な……?
ずっと頑張ってきたんだよな?
なんかもう……どうでも良くなってきた』
………プツン
『……さん。
………むさん、起きて。
勇さん、起きてってば!』
……ん? メシか?
オレは腹減って無いんやけどな。
目を開けるとオレは床の上で寝かされていた。
酔っ払ってその辺に寝転がっていたんか?
また母ぁちゃんにドン叱られるな。
目を開けると、地平線の向こうまで真っ白で真っ平らな床の上だ。
なんじゃこりゃ?
キョロキョロと辺りを見渡すと床以外のもんが一個だけあった。
一個じゃねぇな。一人か?
他に何も無いんだ。
その人間をじぃーっと見てるいると……そう、女だ。しかも結構若い。
俺からすれば40過ぎの女も若ぇが、施設のバーさん達でも年寄りだとは思っていねぇ。
しっかし薄い服着てんな。
キャバクラのねーちゃんか?
ペロってめくったら先っちょが見えんぞ。
「勇さん、お話して宜しいでしょうか?」
ほぉ、綺麗な声だ。
大きな会社の受付嬢か?
だけどこんなに胸囲のデカい娘は見ねぇな。
ウチの母ーちゃんといい勝負だ。
だが腹回りと腰周りは母ーちゃんの圧勝だ。
ハッキリ言って甲乙つけ難い。
そんな事を思っていたら女は少し怒ったかの様に、もう一度。
「勇さん、お話聞いています?!」
やべ、本当に怒り出しそうだ。
「アンタ誰だ?」
「私はワールドを見守る者です」
「ワールド? 新日本プロレスの中継をやってる番組か?」
「それはワールドプロレスリングです!」
「じゃあ、キンキンとエリコが司会するあれか?」
「それはなるほどザ・ワールドです!」
「じゃあ、昔よく行ってたキャバレーか?」
「それはワールドパラダイスです!」
「じゃあ……」
「もういいです! 話が進みません。今から説明するから聞いて下さい。
後が詰まっているのですっ!」
やべ。ちょっとボケをかましたら本当に怒っちまった。
でもまあ、ここにいるのは俺とこのねーちゃんだけだ。
話を聞いてやるか。
「じゃあ、チャチャっとお願いするわ」
「ええ、今貴方の身体は施設のベッドに居ます。
意識だけがここへとやってきた状態です」
「するってぇと俺ぁ死んだのか?」
「いえ、おそらくは数年間は生き存えるでしょう。
評判の良い施設ですから、丁寧な介護を受けられます」
「へぇ、結構良い所に入所してたんだな。
ボケる前、入所すんのかはあれほど嫌がっていたが、今思い返してみれば俺は迷惑以外の何者でも無いんだ。
姥捨山に捨てられる様な気がしてな」
「ええ、ここにいらっしゃる方は大抵そう言います。
だけどそろそろ真面目に話を聞いて下さい。
イサムさんにはこれから、現世とは異なる世界へ行って頂きます」
「現世と違う世界か?
つまり地獄か? まさか天国って訳はねぇだろ?
戦後の混乱を真っ当に生きた奴なんていねぇかんな」
「違います。
現世とは違う世界ですが、現実の世界とほとんど変わらない世界、ちょっとだけ違うだけです」
「ちょっとか?」
「ええ……ちょっとだけです」
「ちょっとだけ……、同僚の雅ヤンがちょっとだけと言われて投資したらドエライ損したことがあるけど、ねーちゃんの言い方がそれっぽい感じがするのは気のせいか?」
(ギクッ!)
「おいおいおいおい、噓はいけねぇぜ。
もしねーちゃんを信じて話に乗っかってたら、俺ぁ地獄に突き落とされてたんじゃねえか?」
やっぱこのねーちゃん、何か隠しているな。
ビーチ区とか。
「い、いえ、嘘ではありません。
ちょっとがほんの少しちょっと多いだけで、ちょっとの加減がちょっとだけ違うだけです。
ほんのちょっと」
「ちょっとちょっとって、オッパイに乳首がちょっと無いだけで全然違うモンになるんだぞ。
ねーちゃんのちょっとは俺のちょっと違うんじゃねーか?」
「そんなには違いません。
それに今は令和です。
その発言はコンプライアンス的にアウトです。
不適切にも程が御座いますっ!」
「最近の若ぇモンは細けぇことでうっさいんだよな。
オレの若けぇ時はそんな事いってたら『ケツの穴の小せぇ奴だ』と言われるのがオチだったのによ」
「安心して下さい。
勇さんが行く世界は、勇さんの様な方がたくさん居られますから」
「何か棘があるな。
まあいいや。
で”ちょっと違う世界”へ行って何しろっていうんだ?」
「その世界を支配している魔王をその座から引きずり落して下さい」
おいおい妙な言葉が出てきたぞ。
「マオウ?
お茶がいつまでも暖かい入れモンか?」
「それはマホービンです!」
魔王ですっ」
「マオウ?
オレが好きなうめぇラーメンか?」
「それはラ王です!」
魔王ですっ」
「マオウ?
あのおとーさん、おとーさんって歌か?」
「それは魔王です!
……ってワザとやっておりません?」
バレたか……。
「こうゆーのを”こみにけーしょん”って言うんだろ?
オレも若けぇ連中に合わせてんだよ」
「たぶん、勇さん、周りにウザがられていたと思いますよ?」
「何だって?!」
何年ぶりに本気で驚いた。
そんなハズはない……はずだ。
「もうそんな事はイイので話をさせて下さい!
勇さんにはその世界を支配している魔王を、魔王の座から降ろすのに手をお貸し頂きたいのです」
「魔王って強そうじゃねぇか?
その強ぇ奴をオレが一体どうすりゃいいって言うんだ?」
警察か自衛隊にでも頼めばいいだろ」
「そうはいかないのでお願いしているのです。
詳しくは追々教えます。
どうかお願いします」
「理由は分からねぇ。だけどお願いはする……か。
あんま引き受けたくない案件だな。
安請け合いで保証人になって、土地家屋を手放して、あげくに孤独死したマサみたいになっちまいそうだ」
「えぇ~~~、こんなにお願いしているのに駄目なんですか?」
だんだん、ねーちゃんの遠慮が無くなってきた。
「オレもこんなこたぁ言いたくはねぇんだがな。
最近じゃ電話に出たら「俺だ俺だ、オレオレ」って息子を騙って金を騙し取ろうなんて奴がいるからな。
お人好しの年寄りは格好の餌食だ。悪いが他を当たってくれ」
「じゃあ仕方がありません。説得は諦めます」
「悪ぃな。じゃ家に帰してくれ」
「いえ、強制送還します。
先ほども言いましたが、後が詰まっているのです。
これ以上お時間は掛けられません。
旅の成功を祈っております。
もし勇さんが頑張ってくれていて、私の気が向いたら、サポートします。
それでは行ってらっしゃい~」
次の瞬間、目の前が真っ白になった。
(つづきます)
はじめまして。
初のハイファンタジーに挑戦です。
今回の主人公は老人。
昨年ヒットした『ふてほど』にインスパイアされ、執筆しました。
宜しくお願いします。