308.【トキ】泡沫島の研究者達
トキがこの扉以外何もない白い部屋の壁に特殊な金属でできた釘で貼り付けられてから、もうどれくらいが経ったのか分からない。そんなに長くは経ってないけど、短いわけでもない。
「ノブ・・・」
トキの大事な人間。ノブがいる村を人質に取られて、碌に抵抗できずに怪しい人間達に捕まった。
そろそろ・・・。
音もなく扉が開き、研究者と名乗る数名の男女が入ってくる。たぶん数日に一回くらいのペースでこの人間達はこの部屋にやってくる。
そして、白衣を着た男達がいつものように難しい顔で顎に手を当てながらトキをマジマジと観察して、話始めた。
「さてと・・・今回は何をしてもらおうか。時の妖精。前回はネズミを使った実験だったが・・・」
「所長。やはり解剖をすべきではありませんか? 血は流れてるが痛覚はない。でも、痛み以外の触覚や嗅覚や聴覚などはある・・・我々は妖精の生命的なエネルギーを疑似的な細胞に変換していると推測していますが、実際に調べてみないと推測の域を越えません」
所長と呼ばれた白髪交じりの黒髪の男は、青い髪の部下の言葉にコクリと頷く。
「それは分かっている。だがな・・・」
所長と呼ばれる男は、難しい顔のままチラリと後ろにいる女を見る。
「それは時期尚早だと言っていますわよね?」
長い棒みたいなのを持った灰色の髪の女は、そう言いながらトキと研究者達の間に割って入る。
「今のわたくし達の技術では本当の意味で妖精達を捕縛することは出来ません。例の亜空間部屋に捕えている大妖精達然り、彼女らが本気で脱出しようと思えば、この惑星ごと破壊して脱出することだって出来てしまうのです。妖精達が自暴自棄になるような行為は、我々人間が完全に妖精を捕縛しコントロールできる技術を身に付けるまですべきではない・・・と、わたくしは考えていますわ。命あっての物種・・・いえ、惑星あっての物種ですもの」
「悔しいが彼女の言う通りだ。さすがは我が愛しのヨーム君の妹君だ。その洞察力は素晴らしい。それだけに、ヨームほど研究欲が無いのが惜しいな」
「も、もちろん! わたくしも解剖に興味はありますけどね!」
そして男達は「では、当初の予定通りに・・・」と、トキの体によく分からない吸盤みたいなのをペタペタとくっ付け初めて、また難しい顔で鉄の箱を睨み始めた。
「そういえば、捕えた大妖精達はどうしてる? 捕獲班の手違いで一流冒険者のルイヴや、大妖精ではない緑の眷属の妖精まで亜空間部屋に転送させてしまったと聞いているが・・・」
「ええ・・・ヨーム様の妹君の言う通りに、今は何も手を出さずに観察だけに留めておりますが・・・」
部下の男は持ってる紙をペラペラと捲り、真面目な顔で話始める。
この張り詰めるような空気。息なんてしてないけど、トキは息が詰まりそう。ソニアちゃんはまだ捕まってないみたいだけど、トキみたいに大事な人間を人質に取られたらあっさり捕まっちゃいそうで心配。
「観察の結果。新たに分かったことが1つあります」
「ほう・・・」
「緑の大妖精ですが、彼女だけは他の色の妖精と違い、水と呼吸をエネルギーとして生命維持をしているようです。おそらく緑の眷属の妖精達も同様かと・・・」
「はっはっはっ。そうかそうか・・・それでは尚更この時の妖精の力の研究を進めなければな」
「そうですね。時の妖精はあらゆる物質の動きを止めることができます。我々人間の目には見えない極小レベルで。その力で大妖精達を止めることが出来れば、大妖精達を封じ込めつつゆっくりと解剖などが出来ます」
トキなんかの力で火の大妖精を止められるわけないのに・・・。他の大妖精は分からないけど。
「ハァ・・・緑の眷属の妖精を亜空間部屋に転送してしまったことが悔やまれるな。その妖精が居れば、妖精の動きを止められるかの実験が出来たんだがな」
「そうですね・・・亜空間部屋は監視観察は出来ても、扉を開けて繋ぐことは出来ませんからね。一瞬の隙さえあれば、大妖精達にここを脱出される・・・そうですよね?」
部下がそう言いながら灰色の髪の女を見る。女は「そうですわ」と少し機嫌が悪そうに答えた。
「やはりもう一体は妖精が欲しいな。・・・時の妖精のように弱点が分かりやすい妖精がいれば協力を得やすいのだが・・・」
ノブや村の人間達のことを弱点だなんて言わないで。皆はトキにとって掛け替えのない宝物。
「光の大妖精は愛し子と呼ばれる人間を溺愛しているようですが?」
「いや、あれはダメだ。ディルとか言ったか? 人質にとる前にこちら側が殺されかねない」
ソニアちゃんが好きなあの人間。そんなに強かった? スライムに体を乗っ取られてた記憶しかない。
「では、光の眷属の妖精・・・虹の妖精はどうでしょう? マリという幼い少女と常に共に居るようですし、その少女を人質にとってみては?」
「それも1つの手だが、最終手段だ。出来ればやりたくない」
「何故ですか?」
「諜報班から個人的に上がってきた情報によると、マリという少女は我が愛しのヨーム君のお気に入りらしい。そんな者に危害を加えれば、俺がヨーム君に嫌われてしまうではないか」
「そ、そうですか・・・」
部下の男は気色悪そうに所長を見る。トキには分からないけど、所長は気色悪い人間らしい。
「諜報班といえば、新しい情報が上がってましたよ? 所長」
この中で一番若そうな部下がひょいっと手を挙げて言う。
「光の大妖精が新しい眷属を生み出したそうです」
「なに!? それは本当か!? であれば、虹のようにまた新しい自然がこの世界に生まれたことになる! どんな自然を証明する妖精だ!?」
「それはまだ何とも・・・ただ、関係あるか分かりませんけど、その妖精が発見された前日の夜に、夜空に色鮮やかな光のカーテン・・・のようなものが目撃されました」
「なんだそれは!? 絶対に関係あるだろう!」
所長は悪そうな顔で「クックッ・・・」と笑みを浮かべる。
トキにも分かった。この人間は気色悪い。
「その妖精の特徴を全諜報班と捕獲班に共有するんだ。もし虹の妖精のように色付きの光を生み出す程度の力しかないのなら、その妖精を捕獲する」
「ですが・・・その妖精は現在、光の大妖精とその愛し子と行動を共にしているようで・・・危険では?」
「そういえば、愛し子はある海賊と行動を共にしてたと聞いてるが、まだその海賊と一緒にいるのか?」
「はい。そこに光の大妖精とその眷属が加わった感じです」
所長は暫く考え込んだあと、また気色悪くニヤッと笑う。
「あの海賊団にはアレが居たハズだ・・・まだ実験段階にすら到達していないが、やってみる価値はありそうだな。・・・上手くいけば一石二鳥だ」
「あの・・・何の話ですか?」
「いや何。随分昔に停滞していた研究の話だ。・・・そういえば、南の果て付近の報告が滞ってるが、あそこの諜報員は何をしている?」
「さぁ・・・最後に温泉が気持ちいいと報告を受けてからは何も・・・」
「気を抜きすぎだろ・・・まぁいい。今はそれどころじゃない。俺が言う物を迅速に用意しろ」
所長は部下達に指示を出しながら部屋から出て行き、他の研究者達も少し経ってから、トキにくっ付けてた謎の吸盤を剝がして出ていった。
・・・。
「ほら! 入れ! 一日一度だけ食事とトイレで出してやる」
「ぐっ・・・」
トキしかいなかった真っ白な部屋に、手錠をかけられた見覚えのある男の人間が加わった。
「アナタは時の妖精の・・・トキちゃんよネ? 探したわ」
「そう。トキの名前はトキ。ソニアちゃんに名付けて貰った大切な名前。そっちは・・・」
「ミカモーレ・・・ミカよ。覚えてるかしら? 南の果てで会ったわよネ?」
忘れるわけない。こんな個性的な人間。ちょっと懐かしい。
「覚えてる。スノウドラゴンのシロちゃんと一緒にいた。・・・そのスノウドラゴンは?」
「無事よ。何とか逃がしたもの・・・アタシを追いかけて捕まらなきゃいいけど・・・」
ミカモーレはそう言いながらトキを見て、泣きそうな顔をする。
「それにしても、酷いことをするわ。いくら妖精は痛みを感じないとはいえ・・・こんなちっちゃな体に釘を打ち込むなんて・・・血も出てるし・・・」
「トキは大丈夫。ただ・・・皆が心配」
ノブや村の皆が殺されちゃうくらいいなら、これくらい全然我慢できる。
「村の皆よネ。それなら大丈夫よ。安心して」
ミカモーレはトキに近づいて、小声で言う。
「ソニアちゃん達が村を見張っていた悪い研究者達をやっつけてくれたのよ」
「え・・・本当?」
ソニアちゃんが・・・ありがとう・・・。
「人質に取られて、逃げ出すことが出来なかったのよネ?」
「うん・・・」
「だったらもう大丈夫よ。アタシが逃がしてあげる」
「でも、どうやって? トキはこの釘を抜くことも出来ない」
そう言いながら一応抜いてみようとはしてみたけど、やっぱり力が足りなかった。
「そんな釘くらいアタシが抜いてあげるわ」
「そのあとは?」
「アタシを食事とお花摘みの為に一日一度部屋から出すって、研究者は言ってたわ。その時を狙ってトキちゃんが研究者を凍らせるの。あいつらは人質がいる以上トキちゃんが危害を加えてくることはにって油断してる。きっと大丈夫よ」
うん。人質がいないなら、悪い人間は皆凍らせばいい。
ミカモーレは「じゃあ、抜くわよ」とトキに刺さってる釘を抜いてくれた。
・・・。
それから暫く経って、静かに扉が開いた。
「おい、そろそろ食事と――――」
部屋に足を踏み入れた研究者を素早く凍らせる。あとはミカモーレと逃げるだけ。
「ミカモーレ! 行こ!」
「ええ! 分かってるわ!」
トキが部屋の外に出て、ミカモーレが出た途端。ブーー!!ブーーーッ!! っと鋭い音が鳴り響いた。そして同時にミカモーレの手錠に嵌められている赤い魔石が煌めきだした。
「熱っ・・・」
ミカモーレの体が突然燃え始める。
「ミカモーレ!?」
ミカモーレはすぐに部屋に戻る。すると、炎は一瞬で消えた。
「しまったわネ・・・部屋を出れば燃え死ぬわ・・・」
「ど、どうすればいい?」
「トキちゃん。この魔石を破壊出来たりってしないわよネ?」
「出来ない・・・ごめんなさい」
魔石はずっと昔に大妖精が生み出したもの。ただの妖精のトキには壊せない。
「ううん。いいの! 気にしないで! とにかく、すぐに研究者達がここに集まってくるわ! トキちゃんは逃げて!」
「でも・・・どこが出口か・・・それにミカモーレは?」
連れてこられた時は村の皆が心配すぎて、道を覚えるなんてしてなかった。
「とにかく上に向かうのよ! そうすれば地上に出られるわ! 急いで! ・・・アタシは置いて・・・いえ、外に逃げて助けを呼んで頂戴!」
「わ、わかった!」
トキは悪い研究者達を凍らせながら、上に向かう階段を探して白一色の迷路みたいな廊下を進む。
助け・・・助けって誰を呼べばいいの? 大妖精達はソニアちゃん以外捕まっちゃったし、ソニアちゃんまで巻き込んで捕まっちゃうなんてことは避けないと・・・。
『ディルとか言ったか? 人質にとる前にこちら側が殺されかねない』
所長と呼ばれてる人間がそんなことを言ってたのを思い出した。
助けを求めるなら、あの人間しかいない・・・!
読んでくださりありがとうございます。
その頃のヨーム「うっ・・・何だか悪寒が・・・」