255.【土間彩花】私の先輩
私の名前は土間彩花。ドルオタをやっている。
それは、私が高校を卒業してすぐのこと。女手一つで育ててくれた母親が病気で亡くなり、何もかもにやる気が出なくて、部屋に引き籠っていた私に送られてきた一通のメール。
「てぇてぇ」
お兄ちゃんから送られてきた変な言葉と、添付されていた動画。
「なにこれ? アイドルのライブ?」
とても似た双子のアイドルのライブ動画だった。
「わぁ・・・妖精さんが歌ってるみたい・・・」
気が付けば、その双子アイドルの関連動画をひたすらに観ていた。
最近デビューしたばっかりの新人さんなんだ・・・ていうか、私と同い年だ。
部屋から飛び出してお兄ちゃんに双子アイドルのことを聞くと、嬉しそうに答えてくれた。
姉はヒカリちゃん、妹はアカリちゃん、二人合わせてヒカ&アカというらしい。漫才師みたいなダサいユニット名はともかく、とっても可愛い双子だ。いつもお揃いの衣装を着ている。
「ちょうど再来月に近くでライブがあるんだ。まだそんなに知名度は高くないから、今からチケットを予約すれば最前列もありえるかもしれないよ」
お兄ちゃんの言い方だと、これから人気が出るのを確信しているみたい。でも、行ってみたい。
そしてライブの日。意外と大きなホールで、最前列ではないけど、それなりに前の方で見ることが出来た。
「皆さん、今日は私達のライブに来てくれてありがとうございまーす! 私は妹のアカリで・・・」
アカリちゃんがマイクを持ってにこやかに挨拶をして、姉のヒカリちゃんを見る。けど、ヒカリちゃんは何やら俯いていて挨拶をしようとしない。
どうしたんだろう?
「ちょっとお姉ちゃん! 何してるの! 挨拶! 挨拶!」
アカリちゃんがトントンとヒカリちゃんの肩を叩く。
「うーん・・・今日の衣装なんかスカート短すぎない? ・・・見えちゃってないよね?」
ヒカリちゃんはそう言って最前列に立っている女の子に話しかける。女の子は「見えてないよ!」と大きく叫んだ。
「お姉ちゃん! それはリハーサルの時に確認したから! 今は挨拶して!」
「え!? わたしリハーサルなんてやってないよ!?」
「それはお姉ちゃんが近くのコンビニ行こうとして迷子に・・・っていいから! あ・い・さ・つ!」
ホールが笑いに包まれる。私も自然と笑っていた。
こうやって自然と笑ったのはいつぶりだろう? 暫く母さんのことばっかり考えて笑えてなかったな。
「姉のヒカリです」
ヒカリちゃんはそう言ってパチッと片目を閉じる。少しぎこちないけど、ウィンクしたみたいだ。ホール中がその可愛さに「可愛いいいい!!」と湧き出す。
「あ、ごめん。目になんか入った」
ウィンクじゃなかったんかい!
思わず心の中でツッコミを入れてしまった。どうやらヒカリちゃんは天然みたい。妹のアカリちゃんは苦労してそうだなぁ。今も呆れた顔してるし。
「えーっと、改めて、姉のヒカリです。じゃあ歌います。ヒカ&アカで・・・・・・あ、そう、Miniature Garden!」
「え!? お姉ちゃんその曲は最後って・・・」
~~~~♪
「ああ! もう!音響さん気を利かせて曲かけちゃったじゃん!」
再びホールが笑いに包まれるなか、2人はお互いを見合って歌い出す。
・・・。
何曲かが終わり、次で最後の曲。そこで私は気が付いた。アカリちゃんの動きが気ごちない。足を捻ったのか、靴擦れでもしてるのか、片足を庇いながら踊っているように見える。たぶん、前の方の人達は皆気が付いてると思う。隣のお兄ちゃんも心配そうに見ている。
「じゃあ、次の曲で・・・」
「あ、ちょっと待って!」
アカリちゃんが次の曲に移ろうとするのを、ヒカリちゃんが手をブンブンと振って止める。
「皆ごめんね~。次の曲なんだけど、わたし振り付け覚えて無くて、2人で座って歌ってもいいかなぁ? その代わり、とびっきり元気に歌うから!」
ヒカリちゃんは「おねがい☆」と、照れくさそうにとびっきり可愛くウィンクした。観客席からは「いいよー!」「可愛いー!」と了承の返事が返ってきた。
ヒカリちゃんは妹アカリちゃんを庇ったんだ・・・。
アカリちゃんがヒカリちゃんの方に近付いて、口をパクパクさせる。マイクはその音を拾わなかったけど、「ありがとう、お姉ちゃん」と言っている風に見えた。
仲良しなんだね。
そして、最後の曲が始まる。2人は椅子に座り、お互いを見合って楽しそうに体を揺らしながら歌う。その光景に何故だか涙が出て来た。
「お兄ちゃん・・・この感情って何だろう。涙が出てくるよ」
「それが『尊い』・・・つまり、『てぇてぇ』ってことだ」
「てぇてぇ・・・」
フフッ、変な言葉。
「私達もあの姉妹みたいに、お互い助け合っていこうね」
「ああ、そうだな」
それから私達兄妹は、お互い助け合いながらヒカ&アカを推しまくった。
・・・。
「やはりアカリちゃんだな。アカリちゃんの時々垣間見える冷たさがいい。そしてヒカリちゃんにだけ見せるあの無邪気な笑顔! ギャップが萌えるよな!」
「いいや、ヒカリちゃんだね。ヒカリちゃんのあのマイペースで天然なところが癒される。そして、アカリちゃんが困った時は必ずフォローに入るの! あの時のギャップがカッコイイよね!」
私達はすっかりヒカ&アカの熱烈なファンになっていた。あれからヒカ&アカはどんどんと人気が出てきて、少ないながらも地上波にも出るようになった。
そして、これからだって時に、あのスキャンダルがあった。
【ヒカ&アカのアカリ、ホテル街でしっぽり!?】
「なにがしっぽりさ! 本人は否定してるのに! 出鱈目なことを広めないでほしいよね! ね! お兄ちゃん!」
「まったくだ。アカリちゃんが否定しているのなら、それを信じるべきだ! アカリちゃんが雪は赤いと言えば赤いんだ!」
ちょっと言い過ぎな気がするけど、その通りだよ。ただの写真一枚だけで大騒ぎしすぎだよ!
「だが・・・このままだとアカリちゃんはアイドルを続けられるか怪しいかもな。大きくなりすぎてる」
「そんな・・・」
もしそうなったら、ヒカリちゃんまで辞めたりしないよね?
そしてその翌日、信じられないことになった。
【写真の彼女は妹のアカリではなく、姉のヒカリだった! ヒカリは事実を認め、アイドルを引退!】
「そんなハズないでしょ・・・」
「ああ、分かる人が見れば分かる。この写真に写ってるのはアカリちゃんだ」
いくら双子だからと言って、まったく同じ外見をしているわけじゃない。アカリちゃんの方が少しだけ胸が大きかったり、ヒカリちゃんは化粧で隠してるけど目元にうっすらと隈があったりと、よくよく見れば違いがある。
「きっと、またヒカリちゃんが妹のアカリちゃんのことを助けたんだ・・・」
「そうだな。2人のファンならすぐにそう思う」
私の生き甲斐が無くなっちゃった・・・。
SNS上では賛否両論だった。事実はどうであれ、アカリちゃんの不用心な行動を責める人。出鱈目な記事を書いた記者に憤る人。妹を助けたヒカリちゃんを称賛する人。それから、本当に引退すべきなのはどっちなのか・・・と。
でも、それはお兄ちゃんの「ファンなら推しの意思を何よりも尊重すべきだ。俺は1人でも続けると決意したアカリちゃんを応援したい。ヒカリちゃんはきっとそれを望んでいる」というSNSの呟きがバズりまくり、沈静化した。
私も、ヒカリちゃんの分もアカリちゃんを応援しよう!
そして時は過ぎ、私は大学を卒業して社会人になった。今まではお兄ちゃんと2人暮らしだったけど、お兄ちゃんが結婚することになり、お兄ちゃんにはこのままで大丈夫だって言われたけど、さすがにそこに私も一緒に住むのは気が引けたので、私は春から一人暮らしをしている。
思い切ってヒカリちゃん達の地元に引越してきちゃったけど・・・やめとけばよかったかも。
社会人になって半年くらい。すでに会社を辞めたい。サービス残業、低賃金、モラハラ、パワハラ、セクハラ・・・私がこの会社に何をしたっていうのか。頑張って働いてるのに酷い仕打ちだ。お兄ちゃんに会いたい。お母さんに泣きつきたい。
・・・。
ハァ・・・今日はあのパワハラ上司と2人で営業先に行くのか・・・嫌だな。
「いいか、全部俺に任せろ。お前は喋るなよ。何もするなよ」
「じゃあ、私は何の為に来てるんですか?」 そう聞きたいけど、聞けない。
どうせ上手くいかないんだろうな。この人、営業先にも高圧的だし。
案の定、営業は上手く行かなかった。
「ちょっとこい」
上司に人気のないところに連れていかれる。
あぁ、嫌だな。
「どうしてお前は何もしない! 少しは喋れよ! お前のせいで―――――」
またこの人の責任転嫁が始まったよ。
「おい! 聞いているのか!」
上司が私の二の腕をグッと掴む。
いたっ・・・。
「えっと・・・何してるんですか?」
どこか聞き覚えのある女性の声が聞こえた。上司は私の二の腕を掴んだまま声の聞こえた方を見る。私もその視線を追う。
う、うそでしょ・・・。
そこには、缶コーヒーとスマホを持ったスーツ姿でポニーテールのヒカリちゃんが立っていた。昔と化粧が違うし、髪型も変わってるけど、間違えるハズがない。
「こちらの問題ですので、お構いなく」
「そう言われても・・・その子の腕、そんなに強く握ったら痛いんじゃないですか?」
「これくらいで痛いハズないでしょう」
いや、痛いんだけど・・・。
「放してあげてください。普通に痛そうです」
「ですから、こちらの問題ですので・・・」
上司がまた何か言おうとしたのを、ヒカリちゃんはスマホをヒラヒラと振ってニヤリと笑う。
「訴えますよ?」
「・・・チッ」
上司は私の腕を放すと、「戻るぞ!」とズカズカと歩く。私は慌ててその後ろを付いていく。
「待って」
ヒカリちゃんの横を通りすぎようとした時、ヒカリちゃんに腕を掴まれた。上司とは違って、私より少し小いさくて優しい手だ。
「チッ、先に行ってるからな!」
上司が悔しそうに去って行くと、ヒカリちゃんは「ハァ」と溜息を吐く。顔が近い。
わぁ・・・顔ちっちゃい、まつ毛長い、可愛い・・・じゃなくて! お礼言わないと!
「あ、あの・・・その・・・さっきの・・・」
緊張で上手く喋れないよ! あのヒカリちゃんが目の前にいるのに!
「ああ、さっきの訴えますよってやつ? あれは人に言うことを聞かせる魔法の言葉だよ。困った時は使ってね。意味ありげにスマホをチラつかせたけど、本当は何も撮ってなかったんだよね」
そう言ってヒカリちゃんは笑う。
てぇてぇ・・・。
自然と涙が零れてくる。久しぶりに人の優しさに触れたからか、あのヒカリちゃんが目の前にいて感極まったか・・・どっちもか。
ヒカリちゃんは急に泣き出した私に、持っていた缶コーヒーを渡す。
「え、これ・・・」
「あげるよ。私コーヒー飲めないのに間違ってポチッちゃったんだよね」
「あ、ありがとうございます・・・」
私はそれだけ受け取ると、目をゴシゴシと擦って涙を拭う。ヒカリちゃんはそんな私にスマホの画面を見せてくる。
「これ、うちの会社の求人情報。中途も歓迎だから」
「え・・・」
「実は同期が男ばっかりでやりにくいんだよね。だから、あなたみたいな可愛い女の子が入って来てくれたら嬉しいなって・・・ちょっ、泣かないでよ!」
ヒカリちゃんは変わらないなぁ。・・・それと、私もコーヒーは飲めないんだよね。
私はその翌日に退職届を出して、お兄ちゃんに「ヒカリちゃんと同じ会社を受けようと思うんだが?」とメールを送った。
・・・。
「今日から一緒に働かせて貰う。土間彩花です! よろしくお願いいたします!」
そう言って頭を下げて、顔を上げる。ヒカリちゃんが見当たらない。同じ部署の人達が自己紹介をしていくけど、やっぱりヒカリちゃんがいない。
せっかく同じ会社の同じ部署になったのに、どうしていないの!?
「ごめんね。男ばっかりで。実はもう1人女性がいるんだけど、ちょうど今日お休みみたいで・・・何だっけ? 食中毒?」
「あ~、今朝電話きてたけど、牡蛎に当たったらしい」
「うわ~~~」
ヒカリちゃん・・・大丈夫かな。
「その休んでる女性、稲土光里さんって言うんだけど、すっごく可愛い人なんだよ。あ、もちろん土間さんも可愛いと思うけどね・・・でも、会ったらびっくりすると思うなぁ」
「バカ! お前! そういうのセクハラになるんだぞ!」
「え、あ、ごめん!」
ヒカリちゃん・・・本名は稲土光里っていうんだ・・・・。
そして五日後、やっとヒカリちゃんが出勤してきた。
「あ、会社のメールで聞いたよ。あなたが新しく中途で入った・・・えっと・・・」
同じ女性同士ということで隣のデスクになったヒカリちゃん、改め、先輩の稲土先輩が私の名札をチラチラと見てくる。
「ツチマさんだね。よろしくね」
土間です。先輩。
「私も今年入社したばかりで一応同期だし、気軽に呼び捨てでいいからね。ツチマちゃん」
土間です。
天然なのは相変わらずみたい・・・というか、あのヒカリちゃんを呼び捨てなんて出来ない! いや、心の中ではヒカリちゃんって呼んでるけど、いざ本人を前にしたら畏れ多くて言えない!
それから私は先輩に仕事を教えて貰う・・・ってことはなく、普通に上司に優しく教えてもらった。先輩も入社して半年くらいしか経ってないから、仕方ない。
というか、先輩が私のこと覚えて無かったのが滅茶苦茶ショックなんだけど・・・きっと先輩にとってはああやって困ってる人を助けるのは日常茶飯事なんだろうな。まぁ、話したら思い出してくれたけど。
「お疲れ様、土間さん。これから近くの居酒屋で歓迎会をやろうってなったんだ。急だけど大丈夫かな? 無理そうだったら全然断ってくれてもいいからね?」
軽い雰囲気の男の人がそう言って誘ってくれる。
歓迎会かぁ。前の会社ではやってくれなかったなぁ。
「ぜひ行きたいです!」
先輩ともっとお近づきになりたいし!
「よかった。・・・稲土さんもどう? 前の歓迎会には来れなかったから、何だったら稲土さんの歓迎会も一緒に・・・」
「ごめん、わたしは行かない」
「そ、そうだよね」
え、先輩行かないんですか!?
「あ、本部の女性も何人か来る予定だから、女性1人だけじゃないから安心してね、土間さん!」
「あ、はい」
それは嬉しい心遣いだけど・・・。
チラッと先輩を見る。
「楽しんで来てね。ツチマちゃん」
先輩、土間です。さっき他の人がそう呼んでたじゃないですか。
・・・。
それから1年が経った。私は積極的に先輩に話しかけて、先輩が好きだと言う小説を頑張って全て読破して、それでも何かと理由を付けて不自然なくらい誘いを断ってくる先輩に業を煮やした私は、もう強引に誘うことにした。
「先輩!先輩!先輩!」
定時間近の時間。今日の仕事が終わり、隣の整理整頓のセの字も無いぐちゃぐちゃなデスクでボーっとモニターを見ていた先輩の、私より少し小さな手を両手でギュッと握る。自分自身、大胆なことをしてて凄くドキドキするけど、我慢、我慢。
「う、うぉ・・・ど、どうしたの彩花ちゃん」
「今日このあとって予定ありますか!? 暇ですよね!?」
「予定は無いけど暇ってわけじゃ・・・」
「でしたらこのあと一緒に飲みに行きませんか!?」
「え、いやだから・・・」
「私、先輩ともっと仲良くなりたいんですよ! 先輩仕事で色々私を助けてくれてますし、そのお礼っていうか、それに、私先輩の好きな小説について一緒に語らいたいなって思ってたんですよ! あっ、お店は先輩の行きたいところでいいですよ!」
「あ、あの彩花ちゃん・・・?」
「もし居酒屋が好きでなかったら、別にどこでもいいですからね! 何なら私の家でも先輩の家でもいいですよ! あ、もしかして先輩の家ってデスクと同じでぐちゃぐちゃな感じですか? だったら私が掃除を手伝いますよ!」
椅子を近付けて、グイグイと顔を近付ける。私のちっちゃい胸を先輩のおっきな胸に押し付ける勢いで。
「え、えとえと・・・家はちょっと・・・」
「じゃあ居酒屋ですね! どこか行きたいお店とかありますか!?」
「別に無いけど・・・」
「でしたら私が雰囲気のいい所連れてってあげますね! いいですよね!?」
「う、うん・・・」
やった! ついに仕事以外で先輩とお話出来る!
私の推しは、押しに弱かった。
そして、今では月に何度か一緒に居酒屋で飲みに行くようになっていた。先輩は別にお酒に弱いってわけじゃなかったけど、酔ったら凄かった。調子に乗って飲ませすぎちゃった私も悪いけど、先輩がその場で服を脱ぎ出そうとした時は本当に焦った。
後日、会社で会った先輩は「実は、妹からお姉ちゃんは酒癖が悪いから私以外の人の前では飲まないでねって注意されてて・・・」と言っていた。
先輩の口から妹・・・アカリちゃんの話が出るのは初めてだなぁ。今も仲良しみたいで何だか安心する。でも、少しは先輩と仲良くなれたってことかな?
酒癖が悪い人は普段から自分の自分の感情を無理して抑えてる人に多いと聞く。先輩がそうなのかはまだ分からないけど、そうなら、せめて私の前だけでももっと自分を出して欲しいな。それとも、妹のアカリちゃんの前では違うのかな?
それと、居酒屋でお話して分かったんだけど、先輩は昔アイドルをやっていたことを隠したいみたいだ。私がお酒の勢いで「色々と苦労した人生だったんですよ~」と話すと、先輩は「わたしは特に変わったことのない平和な人生だったかな~」と言っていた。
本気で思ってるのか、隠したいから敢えてそう言ってるのか分からないけど、何となく先輩は大物だな、と思った。
・・・。
「土間先輩お疲れ様で~す! 今日このあと稲土先輩と飲みに行くんスよね!? 俺もついてっていいっすか?」
チャラい。チャラい後輩がウザい。しかも、同じようなことを別の人にも何度か言われている。そのせいで定時に仕事が終わったのに帰れない。
「今日は2人で飲みに行く予定だから、ごめんね」
「ええ~・・・またっすか~。残念だなぁ」
一度断ったら素直に諦めてくれるのはありがたいんだけど。
「ところで、土間先輩って稲土先輩の好みのタイプとかって知ってます?」
「そんなの・・・」
私が知りたいよ! そんな思い切った質問先輩に出来るわけないでしょ!
「あ、稲土先輩はっけーん! 稲土先輩の好きなタイプって何すか~?」
「好きなタイプ? うーん・・・・電気タイプかな」
「え、電気っすか・・・」
先輩・・・ゲームの話と違いますよ。
「あ、彩花ちゃん居た。遅いよ~。早くいこ?」
「すみません。こういう男達がたくさんいて・・・」
先輩に手を引かれて、足早に会社を出る。朝は降って無かったのに、いつの間に雪が降り積もっていた。
「うわっ、雪積もっちゃてますねー、先輩?」
「先輩って・・・あなた中途なんだから、わたしと数か月しか違わないでしょう?友達みたいに気軽に話してよ」
「無理です! 10か月違いですよ!? 先輩は先輩で、私は後輩です!」
そして、先輩は憧れの推しなんです!
「ほーんとっ、先輩って仕事はしっかり定時にあがるのに、そういうところがルーズというか、マイペースというか・・・」
まぁ、そういうところが先輩のいい所というか、可愛いところなんだけど。
「今日はあなたのせいで定時に帰れずにいたんだけどね。あんなの全部無視すればよかったのに」
「もう、先輩じゃないんですから、そんなことできませんよ。美人が勿体ないですよー? それに、皆さん先輩目当てだと思いますけどねー」
というか、確実に先輩目当てだと思う。何人かは先輩が元アイドルっていうのに気が付いてるみたいだったし。まぁ、それが世間に露見しないあたり、いい会社にいい同僚達だとは思う。
そんなことを考えながら歩いていると、いつも通っている坂道がツルツルに凍っていることに気が付いた。
「・・・あっ、ここの坂、凍っちゃてるんでゆっくり下りましょう!」
「あのね、こういう所はあえて走って下った方がいいんだよ。走ろう」
先輩はそう言って走って坂を下って行ってしまった。
マイペースすぎるよ・・・あんな小学男子みたいなことして恥ずかしくないのかな?
「もう、ほんと美人がもったいない―――」
ドコーーン!!!
「――ですよ」
・・・え?
坂の下でこちらに手招きしていた先輩に、青白い雷が直撃した。先輩はその場に倒れる。
う、うそ・・・。
「先輩! 先輩!」
私はさっきの先輩よりも早く坂を走って下り、先輩に駆け寄る。
「先輩! 先輩!」
涙で歪む視界で、必死に先輩の体を揺するけど、まったく動かない。
「先輩!!先輩っ・・・うぅ・・」
起きてくださいよ! 私まだ先輩のこと呼び捨てに出来てないんですよ!?
どれくらい経ったか。寒さで真っ赤になった手で先輩を揺すってひたすら呼び掛けていると、救急車が到着した。誰かが通報したみたいだ。
「お願いします!先輩を助けてください!!」
私は救急隊員に掴みかかる。
お願い。連れて行かないで。
「やめて・・・私の大切なお友達なの・・・光里ちゃん・・戻ってきてよぉ」
光里ちゃんと一緒に救急車に乗り、病院に着く。そして救急救命室に運ばれていく光里ちゃんを見送って、呆然と天井を見つめていたら、お医者さんに呼ばれた。
憧れの推しで、会社の先輩で、私のお友達の稲土光里は、死んでしまった。
「遺族の方達に連絡を―――」
それから光里ちゃんの遺体を・・・うっ・・・遺体を前にして、暫く泣いていると、1人の女性が扉を開けて勢い良く入って来た。
「お姉ちゃん!!」
あっ・・・。
その光里ちゃんとそっくりな女性は、光里ちゃんの遺体を見て、その場に崩れる。
「う、噓だ・・・噓だよ! うっ、うああああああ!!」
床に蹲って泣き崩れるその女性は、光里ちゃんの双子の妹のアカリちゃん。
光里ちゃん・・・。
ずっとここでそうしている訳にも行かず。アカリちゃんは光里ちゃんの所持品を受け取り病院を出ていき、私も何も言わずついていく。
「あの・・・彩花さん・・・であってます?」
「え、はい」
まだ目が赤いアカリちゃんが振り返って訪ねてくる。
「どうして・・・私のこと・・・」
「お姉ちゃんがあなたのことを楽しそうに話してたから」
「そう・・・なんですか・・・」
泣きそう・・・それなのに、私は変に恥ずかしがって名前で呼ぶこともせずに・・・。
「私、これからお姉ちゃんの家に行くんだけど、あなたも一緒に来ない? 少し話したいし・・・今は1人になりたくないの。1人になったら・・・壊れちゃいそう・・・」
「はい」
それしか言えなかった。私も他人を気遣ってる余裕なんてなかったから。
・・・。
ガチャリ。
アカリちゃんが光里ちゃんの部屋の扉を開けて入る。
「どうぞ入って」
「あ、はい」
会社のデスクはぐちゃぐちゃな光里ちゃんだけど、部屋はとても綺麗に整理整頓されていて、少し雑だけど掃除もちゃんとされていた。
そんな光里ちゃんの部屋を見て、アカリちゃんが膝から崩れ落ちる。
「お姉ちゃん!! ・・・・わだじっ、ご褒美あげるっでっ・・・いっだのにっ・・・! うわああああああああん!!」
・・・。
あれから数日が経ち、光里ちゃんのお葬式の日。本当は親族だけの予定だったらしいけど、アカリちゃんの計らいで特別に私も呼んで貰えた。
「それにしても・・・坂の下に居る光里ちゃんの方に当たるなんて・・・不運すぎるわよねぇ」
「それも滅多にない冬の雷でしょ?」
「近くに避雷針だってあったでしょうにねぇ。本当に不運ねぇ」
光里ちゃんの親戚の誰かだろう。お経の最中だというのに、そんな話声が聞こえる。
どうして・・・あんなに優しくて沢山の人達を笑顔にしてきた光里ちゃんが・・・雷が落ちるなら坂の上に居る私に落ちるべきなのに! 死ぬのなら・・・光里ちゃんじゃなくて私の方だったハズなのに!
グッと拳を握る。涙で視界が滲む。
神様・・・もしいるのなら私を殺してよ! どうして坂の下にいた・・・沢山の人を笑顔にして、私を助けてくれた光里ちゃんなの!
その瞬間、視界が真っ白になった。
え・・・?
「はーい。俺が神様だよ~」
え・・・?
目の前にある黒い影が喋ってる。
なにこれ・・・夢?
「夢じゃないよ? 現実だよ」
人っぽい形の黒い影がヒラヒラと手を振る。
「いや~訳あってアレを殺したんだけどさ、まさかこんなに慕われてたとはね~。さすがだね~」
え、アレを殺したって・・・アレって光里ちゃんのこと!?
「あんたが誰だか知らないけど、許さない!!」
陰に掴みかかろうとするけど、透き通る。
「ちょっと~危ないなぁ。ちゃんと事情を説明するから、落ち着いて~」
黒い影がサッと手を払うと、体が勝手に正座する。そして、頭を強制的に落ち着かせられる。
「まずはどこから話そっかなぁ~」
黒い影が話した内容は、それはもう衝撃的な内容だった。
光里ちゃんは元々は別の次元の大妖精さんで、その次元で人間に悪い事をしてしまったらしい。それを見たこの黒い影こと神様は、「一回自分が人間になって反省しなさい」と、この次元で人間に転生させた。そして、そろそろいいかなと思って、さっき殺して元の次元に送った・・・と。
「じゃ、じゃあ・・・光里ちゃんは生きてるんですか!?」
「生きてるっていうか、向こうで生まれ直した感じかな~。でも、もう人間達に悪さ出来ないように彼女の大妖精としての記憶は消してるから~。ほら、何と言ったかな。君達に分かりやすく言うと、異世界転生? みたいな感じになってるよ~」
光里ちゃん・・・異世界転生したんだ・・・でも、私もこうして神様に呼ばれたってことは!
「あ、悪いけど、本当にただの人間である君がそのまま異世界に転生するのは無理だよ~」
「え、そんな・・・」
「何て言うか、魂の強度が弱いんだよね。だから無理」
「じゃあ、どうして私を呼んだの・・・」
期待させといて・・・酷い。
「ただね~。2人分の魂があれば、転生させられるんだよ~」
2人分・・・。
「そうそう。実は俺も困っててね~。向こうの世界で俺の知らぬ間に他の大妖精が何やら企んでいるみたいでね~。それで万が一の時の保険っていうのかな~? そういうのが欲しくて、こうして君を呼んだんだよ~」
「また光里ちゃんと会えるのなら細かいことはいいです。それよりも2人分ってことはもう1人呼んでるんですよね?」
「うーん・・・それが迷っててね~」
何を迷う必要があるんだろう。双子の妹のアカリちゃんでいいと思うけど・・・。
「いや、その稲土朱里なんだけどさ~。もともと稲土光里は途中で殺す予定だったから、そうなったら両親が悲しむかなって思って、じゃあ同じのがもう1人いればいいよねって双子にしたんだよ~」
はぁ!? この神様は馬鹿じゃないの!? 双子だからって同じなわけないじゃん!
「そうなんだよ~。人間って不思議だよね~」
不思議なのはアンタの倫理観だよ!
「ハァ・・・でも現状、その稲土朱里を呼ぶのが一番かな~。君とも相性良さそうだし。仕方ない。呼ぶか~」
神様がそう言った瞬間、私の真横に黒いスーツに身を纏ったアカリちゃんが現れた。
「え・・・なにここ? さっきまでお葬式場にいたハズじゃ・・・彩花さん?」
目を白黒させて驚いている。当然だよね。
「落ち着いて貰おうか~」
アカリちゃんは強制的に落ち着かさせられる。そして、私にした説明と同じ説明を神様がアカリちゃんにする。
「あ、ちなみに、2人の魂を合わせるって言ったけど、人格は別々になるからね~。なんていうか、二重人格? みたいな感じ」
よかった・・・そこら辺ちょっと怖かったんだよね。
「あ、あと、転生先は彼女の・・・光の妖精の眷属の妖精になるからね~。本当は普通に人間に転生させたり、何かの妖精として新しく誕生させるのも出来なくは無いんだけど、そんな大胆なことをすれば闇の大妖精に気付かれかねないからね~。だから光の妖精の願いに便乗してこっそりと君を送るんだよ~。あと、向こうの世界での君達の役割だけど~・・・」
「あ、あの! ちょっと待ってください!」
アカリちゃんが意を決したように手を挙げる。
「その・・・お姉ちゃんとまた会えるのは凄く嬉しいし、絶対に転生したいんですけど・・・私、お姉ちゃんの分までアイドルを頑張るって決めてて・・・それで、もう少し待って貰えないですか? 出来れば両親が寿命で他界するまでは・・・」
アカリちゃんは申し訳なさそうに私を見る。
確かにわたしは今すぐにでもお姉ちゃんに会いたい。でも、アカリちゃんの気持ちも分かる。
「妖精って寿命無いんですよね? だったらあと数十年くらいは・・・」
「まぁ、大丈夫かな? というか、俺は時間を操れるから。こっちと向こうの時間の流れをずらすくらいは簡単だよ~」
「そうなんですか・・・ありがとうございます。・・・それと、ごめんなさい彩花さん。私の我儘のせいで数十年も待つことになっちゃって・・・」
「あ、それなら大丈夫だよ~」
神様が軽い口調で手を振る。
「土間彩花を先に転生させて、あとから稲土朱里の魂を合わせることもできるから~」
え、でもさっき2人分の魂じゃないと無理だって・・・
「確かに2人分の魂が無いと無理だけど、無理をすれば少しの間なら無理じゃないんだよね~」
え、ちょっと待って意味わかんないよ?
「さっき光の妖精の願いに便乗して君達を送るって言ったよね? 願いの力があれば数日間は一つ分の魂を補うことは出来ると思うんだよね~。たぶん」
たぶん・・・。
「その数日間を、こっちの世界で数十年くらいに時間をずらせば・・・ほぉら、無事に稲土朱里も同じ妖精の体に送れるってわけさ~」
滅茶苦茶不安だけど・・・そうすればすぐに光里ちゃんと会えるんだ。
「じゃあ、そういうわけで、稲土朱里はもう戻っていいよ~。ここでの記憶は消さないであげるけど、他の人には言えないようにするから~」
「分かりました。ありがとうございます・・・彩花さん。私もすぐに行くので、お姉ちゃんをよろしくお願いしますね」
「はい! 任せてください! それと、呼び捨てでいいですよ! 長い付き合いになるんですし!」
「フフッ、分かったよ。じゃあ・・・またね」
アカリちゃんは最後にニコリと手を振って、この場から消えた。
「あの、神様。私も少しだけ・・・お兄ちゃんにお別れを言う時間だけ貰ってもいいですか?」
「うーん、いいけど、もうあんまり時間が無さそうだから、俺がここに呼ぶから手短にお願いね」
「ありがとうございます」
その瞬間、目の前にお兄ちゃんが現れた。困惑しているお兄ちゃんに私は簡単に事情を説明する。
「くぅぅ! 推しと一緒に異世界転生とか羨ましい!」
「えっと・・・いいの? 私が居なくなっても」
「いいわけないだろう。めっちゃ寂しい。だが、お前の推しへの想いは俺と同じだ。押しの為なら例え兄妹でも差し置いて優先するのが俺達だ! 異世界でも土間兄妹の意思を貫けよ! 推しは神よりも偉い!」
フフッ、本物の神様の前で言うなんて・・・お兄ちゃんは最後までお兄ちゃんだなぁ・・・。
「それと・・・俺のことも忘れないでくれよ・・・俺はお前のお兄ちゃんで良かった」
「私も、お兄ちゃんの妹で良かったよ。でも、これからは推しだけじゃなくて家族も大切にね」
「ああ・・・そうだな。今度生まれてくる娘にはヒカリと名付けよう」
お兄ちゃんの姿がスーッと消えていく。
「元気でな」
「お兄ちゃんも」
最後は少し目元が赤くなっていたお兄ちゃんの姿が、完全に消えた。
よしっ、もうこの世界に思い残すものはない!!
そして神様に向こうの世界の知識と、私とアカリちゃんの役割を説明されて、いよいよその時が来た。
「じゃあ、くれぐれも、よろしくね~」
「分かりました!」
パーッと視界が明るくなる。
目の前には、金髪碧眼で、羽があって、耳が尖っている白いワンピース姿の光里ちゃんが浮いていた。人間だった頃とは髪の色も瞳の色も違うし、羽も生えて耳も尖ってるけど、間違えるハズがない。
大きく息を吸って、私は口を開く。
「初めまして! 私は虹の妖精です! 光の妖精の願いで産まれました!」
読んでくださりありがとうございます。少し長くなっちゃいました。次話は虹の妖精ことナナちゃん視点のお話の予定です。




