254.【稲土朱里】私のお姉ちゃん
私の名前は稲土朱里。アイドルをやっている。
「朱里ちゃん、お疲れ様でーすぅ! さすがピンでトップアイドルまで上り詰めただけはありますね! 憧れちゃいますぅ」
共演していた後輩アイドルがそう言って駆け寄ってくる。
かまととぶりやがって・・・。
私はお礼を言って軽く流し、後輩アイドルの横をさっと通り過ぎる。
今日の収録は北の大地をのんびり歩くロケだった。雪が降るこの寒い中、長時間の食べ歩きロケとかふざけんなよ・・・とか思ったけど、現場がお姉ちゃんの会社の近くだったから広い心で許してあげる。
久しぶりにお姉ちゃんに会える!
TV局が借りていた部屋で素早く着替えて、私はお姉ちゃんの家に向かうべく部屋を飛び出す。
「おっと!朱里ちゃん、急に飛び出したら危ないわよ?」
「あ、水谷さん。すみません」
マネージャーをしてくれている水谷さんの断崖絶壁の胸に激突してしまった。鼻が痛い。
「朱里ちゃん、マスクと眼鏡はどうしたの? それに髪もそのまんまよ?」
水谷さんに注意されて初めて気が付く。
危ない危ない、変装しておかないと。
私は髪を梳いてマスクと眼鏡を付ける。
「ねぇ、朱里ちゃん。前にも行ったかもしれないけど、やっぱり髪を伸ばさない? 絶対そっちの方が似合うと思うんだけど・・・」
「私も前に言いましたけど、これ以上伸ばすつもりはありません」
「あ~、お姉ちゃんだっけ?」
「そうです」
無駄話はこれくらいにして、明日の予定を確認してから「お疲れ様です」とその場を立ち去る。スマホの時計を見ると、丁度お姉ちゃんが家に帰ってるくらいの時間だった。
うぅ・・・歩きづらいなぁ。誰か砂撒いといてよ。
ツルツルに凍った坂を下り、お姉ちゃんが住んでいるアパートに向かう。その途中で後ろから誰かに肩を叩かれた。振り返ると、見知らぬ女の人が立っていた。
「えっと・・・何か?」
女の人は私の顔を見て首を傾げ、髪の長さを見てハッとしたように口に手を当てる。
もしかして・・・アイドルの朱里だってバレた?
「あっ、すみません。人違いでした。その・・・背恰好と言うか・・・雰囲気が会社の先輩に似ていて・・・」
主に私の胸を見て言う。女の人はそれだけ言うと、恥ずかしそうに足早に去っていった。
もしかしてお姉ちゃんの後輩だったりするのかな? 身長と胸の大きさだけで判断出来るなんて、かなりお姉ちゃんのことが好きみたい。まぁ、お姉ちゃんより私の方が胸はちょっぴり大きいんだけどね。
ピンポーン
築9年という新しいのか古いのか微妙なアパートの203号室のチャイムを鳴らす。
「・・・・・・・・・出ない」
私は上着のポケットから合鍵を出して、鍵を差し込んで回す。そしてドアノブに手をかけて回す。
ガコン!!
「開かないし・・・」
もう一度鍵を回すと、ドアが開いた。
鍵開けっ放しって・・・危なすぎるよ!お姉ちゃん!
何故か端と端に靴が片方ずつ置いてある玄関で、私は靴を脱ぎ、ついでにお姉ちゃんの靴も整えてあげる。
居間に続く扉を開けると、お酒の臭いが漂ってきた。豆球だけつけた部屋で、下着姿に腹巻というおかしな恰好でPCの前に座り、ヘッドホンをしながらタブレッドで小説を読み、机の上には缶ビールが数本と、お姉ちゃんが作ったであろうサンガ焼が置いてあった。
そして、相変わらず部屋は散らかりまくっている。
「もう・・・お姉ちゃん!!」
無理矢理ヘッドホンを外して、耳元で怒鳴る。
「うひゃあ!! ・・・あ、朱里!? いつの間にいたの!?」
お姉ちゃんは驚いた顔で振り返り、私を見上げる。鏡でよく見る私とそっくりなのに、どうしてこんなに可愛く思えるんだろう。こんなにだらしないのに。もしかして庇護欲とか母性?
「ハァ・・・さっき来たばかりだよ。それとお姉ちゃん。玄関の鍵開けっ放しで、下着姿でヘッドホンなんて危なすぎるよ」
「あ~、鍵ね。失くしちゃったんだよ。今管理会社に頼んで新しい鍵を作ってもらってる最中」
「鍵って失くしちゃうものだよね」と笑いながらお酒をクピッと飲むお姉ちゃん。
まったく・・・鍵を失くしても内側から閉める分には問題ないでしょう・・・。
私はそんな適当なお姉ちゃんの顔面に自分が持っていた合鍵をぶん投げる。
「ぶべっ! え・・・何? 鍵?」
「それ私が持ってた合鍵。新しいのが出来たらそっちを私に頂戴」
「わー、ありがとー」
お姉ちゃんはそう言って、受け取った鍵を散らかりまくった部屋の中に放り投げる。
「ちょ、お姉ちゃん!!」
私はお姉ちゃんの脇の下に両手を突っ込み、ズルズルと座椅子の上から引きずって、正座させて説教する。
「もう! 久しぶりに来たらまたこんなに散らかして・・・」
「久しぶりって・・・先週も来てたじゃん。わざわざ週一で飛行機に乗って来なくても・・・」
「だったらもうちょっとシャキッとしてよ!」
「はいぃ」
ハァ・・・これだけ言っても、どうせまた来週には同じくらい散らかってるんだろうな。
「じゃあ、私も手伝うから一緒に片付けしようね」
「えぇ~」
「お姉ちゃん?」
「はーい」
お姉ちゃんは渋々と言った感じで片付けを始める。
「ハァ。学生の頃の朱里はもっと優しかったのにな。あの頃の朱里はどこにいっちゃったの?」
「ここにいるけど? 優しいから片付けを手伝ってあげてるんでしょう」
「誰かわたしを養ってくれないかな。イケメンで童顔で筋肉質で一途な男の子と結婚したい」
「そんなの現実にいるわけないでしょ」
アニメとか小説の見過ぎで考えがおかしくなっちゃったのかもしれない。このままだとお姉ちゃんが犯罪に走ってしまうかもしれない。
「朱里は学生時代モテモテだったよね。沢山の男の子達に告白されてたっけ」
「お姉ちゃんだっていっぱい告白されてたじゃん」
「ほとんど女の子だけどね」
学生時代のお姉ちゃんは、とにかくカッコよかった。困ってる人がいれば必ず助け、場合によっては先生にも立ち向かう。そんな女子高生だった。そしてあまりにも男に興味が無さそうだったから、女の子の方が好きなのでは? と噂が広まっていた。
双子で付き合ってるの? とか聞かれたこともあったっけ。
「そういえば、またマネージャーさんから髪を伸ばしたらって言われたんだけど、お姉ちゃんは髪切ったりは・・・」
「しないよ。短いと頻繫に美容室に行って整えないといけないじゃん。面倒だよ」
「だよね~」
「別にわたしのことなんて気にせずに髪を伸ばしたらいいじゃん。化粧の仕方が違うんだから、そう簡単には間違われないと思うよ」
お姉ちゃん、化粧下手くそだもんね・・・。
「・・・ねぇ、お姉ちゃんはアイドルに戻らないの?」
お姉ちゃんの手が止まり、呆れた顔になる。
「まだ気にしてるの? 戻る気はないし、今更わたしにアイドルなんて出来ないよ。もう振り付けとか覚えられないし、当時の歌だって碌に覚えて無いもん。それに、おへそ出した衣装なんて着たら、絶対にお腹下しちゃうもん」
自分の曲よりもアニソンばっかり聞いてたもんね。それに、もともとそんなに高くなかったやる気が今は低いどころか皆無だもん。無理矢理やらせるのも可哀想だし、そんなことできない。
・・・。
私が今こうしてアイドルを続けられるのはお姉ちゃんのお陰だ。
もともとは、高校卒業間近に街中で人助けをしていたお姉ちゃんがスカウトを受け、そのお姉ちゃんに私も誘われて美少女双子アイドルなんて言われてデビューしたのが始まりだった。
楽しかった。何よりも、お姉ちゃんと一緒に憧れのアイドルを出来るのが。隣で、一番近くでお姉ちゃんを見ていられるのが。
そしてすぐに人気が出始め、少しずつTVでのお仕事を貰い始めた頃、私がスキャンダルにあった。
街で偶然会った男の子の同級生と2人で話しているところを撮られた。場所がたまたまホテル街の近くだったことや、夜遅い時間だった頃もあり、いくら否定しても信じて貰えなかった。
お姉ちゃんの足を引っ張る前に、私だけ辞めようかなと思い始めた頃・・・またスキャンダルがあった。内容は、先日の写真は妹の私ではなく、姉の光里の方だったと。
私の不注意のせいでお姉ちゃんが・・・。
そんなことを思いながら家で記事を見ていたら、大学から帰ってきたお姉ちゃんが私が見ていた記事を見て「あっ」と声をあげる。
『それ、わたしから言ったんだよね』
『え?』
『ほら、朱里って小さい頃にアイドルになりたいって言ってたでしょ? このままアイドルを続けられなかったら可哀想じゃん?』
このお姉ちゃんは何を言ってるの?
私が否定して、お姉ちゃんが肯定したのなら、もうこの記事はひっくり返らない。
『わたしは正直アイドルとか興味無いし、朱里と一緒じゃなかったら特に続ける理由も無いんだよね』
それは・・・私もだよ!!
それから三日三晩お姉ちゃんとは喧嘩したけど、最終的に『わたしの分まで頑張ってね』と言われて、私は大学を止めてアイドルに専念することにして、お姉ちゃんはそのまま大学を進学することになった。
「朱里はダンスも歌も私より上手だったもん。今更わたしが復帰したって足引っ張るだけだよ。カラオケでも平均くらいの点数しかだせないし」
「確かにお姉ちゃんは歌もダンスもそんなにだけど・・・人を魅了する才能は私なんかよりはよっぽどあると思うけどな」
「フフッ、なにそれ」
お姉ちゃんは笑いながら流しちゃうけど、私は本気で思ってる。私じゃなくてお姉ちゃんがアイドルをやっていたら、もっと人気があって、もっと熱烈なファンもたくさんいたと思う。
「ねぇ、朱里」
「何? お姉ちゃん」
「アイドルは楽しい?」
「うーん・・・イラつくことや辛いことももたくさんあるけど・・・でも、少なくとも今は辞めたいとは思わないかな」
今はファンの人達のために責任もってアイドルやってるからね。
「逆にお姉ちゃんは会社、楽しい?」
「そうだね~・・・アイドルと違って有休があるのがいいよね」
確かに・・・でも、楽しくはないのかな。やっぱり私のせいで・・・
「あ、でも。仲が良い後輩がいてね・・・」
それからお姉ちゃんは片付けの手を止めて、楽しそうに会社の後輩の彩花さんのお話をする。
仲のいい友達が出来たんだね。嬉しいけど、ちょっと妬けちゃうな。
例のスキャンダルが会ってからあんまり人付き合いをしてなかったみたいだから、お姉ちゃんに趣味の合う友達が出来て安心した。
たぶん、今日ここに来る途中で声を掛けて来た女の人だろうな。
「それにしても、片付けても片付けても散らかったままだね・・・このショーツとかちゃんと洗ってる?」
スンスンと匂いを嗅いでみる。いい匂いはしない。けどそんなに臭くもない。
「ちょっと・・・いくら姉妹だからって姉のショーツの匂いを嗅がないでよ。変態みたいだよ。それに、ちゃんと洗ってるし・・・柔軟剤が切れてるから洗剤だけで洗ったけど」
ハァ・・・お姉ちゃんが都会で一人暮らしするって言った時にママとパパが酷く心配してたのがよく理解できる。ホント、お姉ちゃんは私がいないとダメダメなんだから。
「今週もありがとね。何か適当に作るから待っててね」
まぁ、料理だけは上手なんだけどね。
それからお姉ちゃんの手料理を食べて、交代で小さなお風呂に入り、一緒のベッドで眠る。
翌朝、私は早起きして、バンザイの姿勢で気持ちよさそうに寝ているお姉ちゃんを起こす。
「お姉ちゃん、私もう出るからね。お姉ちゃんは今日も出勤でしょ? 早く起きないと遅刻しちゃうよ」
「ふぁ~~~~っ・・・おはよぉ」
お姉ちゃんは目を擦りながらトロンとした目で起き上がる。
寝起きのお姉ちゃんって妙に色っぽいよね。同じ顔の私がそう思うんだから、よっぽどだ。
「じゃあ、また来週も来るからね。それまでちゃんとこの状態の綺麗な部屋を維持してね」
「えぇ~」
「維持してたら、何かご褒美上げるよ」
「うぇ~~~・・・うーん、分かった。前向きに検討する」
それ絶対にやらないやつじゃん。
「また来週ね」
「うん、またね」
玄関に立ったパジャマ姿のお姉ちゃんが、眠そうにお腹を搔きながら笑顔で手を振る。私も同じように手を振る。まるで鏡合わせだ。私はパジャマじゃないしお腹も掻いてないけど。
・・・。
そして一週間が経った。
私は空港から出て、先週よりも一層下がった気温に身を震わせる。空には分厚い雲がかかっていて、雪がシンシンと降り積もっている。
今日は空が荒れてるなぁ。
都心直結のバスの中で、飛行機の中でお姉ちゃんから送られてきていたメールを読む。
「今日は先週話した後輩と飲みに行く予定だから、ゴメンだけど帰り遅くなるね・・・か」
私の方が先約のハズなんだけどな。まぁ、いいや。このマイペースなのがお姉ちゃんだもんね。先に部屋に入ってちゃんと綺麗な状態を維持できてるか確認してあげよっと。
そう思って寄り道せずにまっすぐにお姉ちゃんのアパートに来たけど・・・。
しまった。そういえば、合鍵はお姉ちゃんに渡したんだった。
「そろそろ仕事終わった頃だよね?」
後輩と飲みに行く前に一度こっちに帰って来てもらおうかな。いや、いっそのこと私も一緒に飲みに行うかな。お姉ちゃんと違ってお酒は苦手だけど、お姉ちゃんの後輩とは一度会って話してみたいし。
お姉ちゃんに電話をかけようとポケットからスマホを取り出す。
ドコーーン!!
「きゃ!」
近くで雷が落ちたみたいだ。驚いてスマホを落としてしまった。その瞬間・・・とてつもない喪失感が私の心を襲った。
この季節に雷なんて・・・珍しいこともあるんだなぁ。
「よかった。ちょっと端が欠けたけどスマホは無事だ」
私は寒さでかじかんだ手を自分の息で「ハァ」と温めてから、スマホを操作してお姉ちゃんに電話をかける。
「・・・・・・あれ? 繋がらない」
さっきの雷の影響で通信障害でも起きてるのかなぁ。仕方ない。メールだけでも送っておこっと。
お姉ちゃんに、鍵を持ってないから一度帰って来て欲しいことをメールで送り、スマホをポケットに仕舞う。
とりあえず、もう少し待ってようかな。下手に動き回って通信障害で行き違いになったりしたら嫌だし。
ウ~~!ウ~~!
近くで救急車の音が聞こえる。道路が凍結したこの時期では事故は頻繫に起こる。別に珍しいことではないけど、何だか落ち着かない。
私は扉の前で1人白い息を吐いて、曇って光の無い空を見上げる。
「お姉ちゃん・・・まだかなぁ」
読んでくださりありがとうございます。
朱里「お姉ちゃん、もし好きな人が出来ても片付け出来ないままなの?」
光里「好きな人にはありのままのわたしを好きになって欲しいかな」
朱里「物は言いようだね」




