162.食堂のお姉さん
「ソニアちゃん。服を脱いでくれませんか?」
この国で恐らく一番偉い立場で、国民からは聖女と呼ばれていて、誰からも好かれそうな人の良い瞳をしているおばあちゃんが、ディルや他の男の人がいる前でわたしに向かって服を脱げと言う。
フィーユのその突飛な発言に、学園長から学園の説明を受けている最中のディルも、思わずこちらを二度見する。
「普通に嫌なんだけど」
常識のある大人の女性なら皆同じようなことを言うと思う。普通に嫌なんだけど。
真顔で拒否したわたしに、フィーユは慌てて謝罪する。
「も、申し訳ありません! 初めて見る妖精様に興奮して、ついおかしなことを口走ってしまいました。今の発言はどうか忘れてください」
「無理だよ」
たぶん来年になっても覚えてると思う。なかなかないよ? 聖女にあんなこと言われるなんて。
わたしとフィーユの間に沈黙が流れる。ディルに説明する学園長の話声だけが部屋に響く。
「実は私、お裁縫が趣味なんです」
「え、そうなんだ?」
突然なに?
「それで、可愛い子供を見るとつい可愛い服を着せたくなるのです」
着せたくなるのです・・・じゃないよ!
「思いっきり脱がせようとしてたじゃん! ・・・というか、わたし子供じゃないし!」
「いえ、身体のサイズを計ろうかと・・・」
なるほどね・・・ボソッと「妖精様のサイズが気になるので」と呟いたのはちゃんと聞こえてるよ。
「でもわたし、可愛い服は間に合ってるからね」
ジェシーが作ってくれた服がたくさんあるからね。わたしにはもったいないくらいに可愛いものばかりだ。
「今着ている服はご自分で作られたのですか?」
「ううん。このニットのワンピースも、ディルのリュックの中にある他の服も、わたしじゃなくて別の人が作ってくれたんだよ。可愛いでしょ!」
浮いたままクルリと回って微笑む。そしたら部屋にいる皆がニコニコ笑顔でわたしを見ていた。わたしの笑顔は引き攣る。
いや、可愛いでしょって言ったのはわたしのことじゃなくて、服のことを可愛いって言ったんだからね?
「と、とにかく! これ以上新しい服はいらないの!」
「そうですかぁ」
フィーユ、しょんぼりしちゃった。
「作ってくれるって言うんだから、作ってもらえばいいじゃん。お金を取られるわけでも無いし」
説明を受けながら聞き耳を立てていたらしいディルが、椅子に腰かけたままわたし達の方へ声を掛ける。
「うーん・・・ディルがそう言うなら、まぁ、いいけど」
「ではさっそく服を脱いでいただけませんか!?」
グイグイと顔を近付けて来る。
最初の畏まった感じはなんだったのか。ぜんぜん聖女じゃないよ。
「ハァ・・・別の部屋でいい? さすがにここで脱ぐのは嫌だよ」
「どうぞこちらへ!」
本当に、元気なおばあちゃんだよ。
学園長室から出てすぐ隣の部屋に連れていかれる。
「ここは医療室兼私の趣味部屋です」
まんま学校の保健室みたいな部屋だ。手前に椅子と机、奥に白い清潔そうなベッドが三つ並んでいる。フィーユは机の引き出しから小さめのメジャーを取り出して「さぁ、脱いでください」と据わった目でわたしを見てくる。
はいはい、脱ぎますよっと。
「すみません。やっぱりソニアちゃんは大人ですね」
どこ見て言ってんのさ・・・。
身長から羽の長さまで隅々まで測られて、わたしは脱いだ服をいそいそと着る。
羽があるせいで一回脱いだら着るのめんどくさいんだよね。
「学園長室に戻りましょうか」
フィーユがわたしのサイズを書き記したメモをポケットに仕舞って、満足そうな顔で扉を開ける。
「そのメモ絶対に他の人に見せないでね!」
「フフフッ、見せても何のサイズかなんて分かりませんよ。数字が小さすぎますから」
確かに。でも、恥ずかしいものは恥ずかしい。
念の為「それでも!」と釘を刺して、学園長室に戻る。
「お、新しい服出来たのか?」
「そんなすぐに出来るわけないでしょ。サイズを測っただけだよ」
「そっか~」
ディルがテーブルの上に置かれた丸いお菓子を次々と口に放り込みながらわたしのことをマジマジと見てくる。
・・・学園長に餌付けされてる!
「だらしない格好してるけど、学園の説明は終わったの?」
「終わったぞ~。今日はとりあえず自由に学園内を見て回っていいってさ」
「え、いいの!?」
バッと横にいるフィーユを見る。
昨日は目立つから寮から出ないで欲しいみたいなことを言われた気がするけど。
「生徒達には昨日の夕方にソニアちゃん方のことを話しましたし、今日のホームルームでも各教師から説明してもらっています。ですので、目立つかもしれませんが大きな騒ぎになることは無いと思います」
「ほんと!? やったー!」
異世界の学校! 早く見て回りたい! 気になる!
「フフッ。・・・ですが、学園内の生徒達にしかソニアちゃん方のことは話していないので、学園外には出ないでいただけると助かります」
「おっけおっけ! ディル! 早く行こうよ!」
「早く早く!」とディルの額をペシペシ叩く。片手で持たれて頭の上に乗せられた。頭にわたしを乗せたディルは、片手に紙袋を持って立ち上がる。
「あ、ソニアちゃん。服はお昼頃には出来ると思いますので、それ以降に先ほどの医療室に来ていただければお渡ししますね」
「うん! 分かったー!」
ディルの頭の上に座ったまま振り返って、バイバイと手を振る。
最初は乗り気じゃなかったけど、やっぱり新しい服は楽しみだ。
自由に学園内を見て回っていいと言われたディルは、学園長室から出て何の迷いもなく寮がある方向に歩き出す。
「今は授業中なのか誰ともすれ違わなかったね」
「そうだなっ。明日から俺もその授業を受けられるんだよな!」
ディルの声が弾んでいる。明日が楽しみでしょうがないみたいだ。嬉しい。
「ところで何処に向かってるの? こっちって寮がある方向だよね? わたしもっと違うとこが見たい」
「まぁ、寮がある方向っていうか・・・食堂がある方向だな」
「そっか。そういえば朝ご飯まだ食べてなかったもんね」
「ああ、とにかく腹に溜まる物が食べたい」
さっきお菓子食べてたじゃん・・・って今更か。この年頃の男の子は皆これくらい食べるんだろうね。知らんけど。
食堂は寮のエントランスの奥にあるので、食堂に向かうためには一度寮のエントランスを横切る必要がある。
「この受付にいる人。朝もそうだったけど、ずっと寝てるね。受付としてダメじゃない?」
「寮長さんらしいな」
「もっとダメじゃん」
朝からずっと同じ姿勢でデスクに突っ伏している赤髪の・・・たぶん男の人の横を素通りして、食堂に向かう。
ディルが食堂の二枚扉を開けると、空腹感を煽るような美味しそうな匂いがしてきた。ゴクリと唾を呑む音がディルの喉から聞こえた。
食道の中に生徒っぽい人はいないけど、従業員らしき大人の人がちらほらと食事をしている。
「めっちゃ良い匂い!」
ディルがそう叫ぶと、食堂にいた全員がこちらを見て、食事中の料理に視線を戻して、もう一度こちらを見た。息ピッタリの二度見だ。
「どこで料理を頼めばいいんだ?」
ディルはそんな周囲の様子など気にも留めず、お腹を擦りながらキョロキョロとする。
「ちょっと! そこの君! こっちこっち!」
すぐ横にあるカウンターから女性の声がした。ディルがそちらを向くと、頭の上に乗っているわたしも自動的に同じ方向を向く。
「このカウンターで料理を頼むんだよ!」
茶髪の髪を上に上げて、その上にコック帽をかぶった緑色の瞳の女性がこちらに手招きしている。
髪と瞳の色的に緑の地方の人間かな? なんだか懐かしい気持ちになっちゃうな。久しぶりにマリちゃん達に会いたくなる。
「ここで頼むのか! 美味しくて腹に溜まるやつ頼む!」
ディルが持っていた紙袋を脇に抱えてカウンターに身を乗り出して叫ぶ。カウンターの奥の方が床が高いのか、頭の上に乗っているわたしの目の前に女性の顔がある。目が合った。
「もしかして、あなたがあの妖精さん?」
頬に手を当てて首を傾げる女性に、わたしも首を傾げる。
「ああ、ごめんよ。説明が足りなかったね。私はミリド王国っていうグリューン王国の隣国の出身なんだけどね、最近国のトップが変わって不安定でさ、色々とあってこっちに逃げ・・・いや、引っ越してきたんだ」
今、逃げてきたって言おうとしてなかった? 気のせいだよね?
「それでまぁ・・・ミリド王国でも金髪の妖精が魔物の大群を退けた話は有名でね。この学園に金髪の妖精がやって来たって聞いてまさかと思ったんだよ」
魔物の大群かぁ。・・・もう三年前のことだよね。
「なぁ! それよりも早く飯を食いたいんだけど!」
ディルがずいっと背伸びして女性の顔を見て抗議する。
「アッハッハッ、ごめんよ、つまらない話だったね。メニューは上に書いてあるから好きなのを頼んでね」
ディルが上を見上げる。頭の上に乗っていたわたしは後ろに落っこちた。
「おっと・・・ごめんソニア」
ディルに首根っこを摘ままれた。頭の上に乗っていると、こういうことはよくある。いちいち謝んなくてもいいんだけど、ディルは毎回謝るんだよね。
「ナイスキャッチ!」
グッと親指を立ててニコリと微笑むと、ディルが「フッ」と笑って摘まんでいた指を放して再びメニュー表を見上げる。
その様子をカウンターの奥にいる女性がじーっと見ていた。わたしはなんとなく恥ずかしくて、咄嗟に口を開いた。
「えっと・・・あの・・・何て呼べばいいの?」
「あ~・・・食堂のお姉さんとでも呼んでよ」
名前を聞いたつもりだったんだけど・・・まぁいいや。
「ラーメン! ラーメンっていうのをくれ! 生徒に人気だって聞いて食べてみたかったんだ!」
「はーい、ラーメンね。じゃあこの木札を持って好きな席に座っててね」
番号の書かれた木札を受け取ったディルは、軽い足取りで近くの席にまで行って座った。
そういえば、昨日の炒飯を運んでくれたナナカ君はどこにいるんだろう?
カウンターの上に浮いて厨房の方を覗いて見るけど、見当たらない。
「どうしたの? 妖精さん」
厨房の奥に注文を伝えて来た食堂のお姉さんが首を傾げてわたしを見上げる。
「昨日の夕方にナナカ君っていう少年が炒飯を運んで来てくれたんだけど・・・いないの?」
「ああ、彼なら今は授業中だよ」
「あ、生徒だったんだ」
言われてみれば確かに大人って感じでは無かったかもしれない。
「授業が終わったあとにここで働いてるんだよ。昨日はすぐに調理できるのが炒飯で、その炒飯を一番上手に作れるのがナナカ君だから、彼に運ばせたんだ」
「へぇ~! 作った人が自ら運んでくれたんだ!」
「まぁ、私が妖精さんが女の子なら顔が良い子が運んだ方がいいんじゃないかって言った結果でもあるね」
わたしは無言で親指を立てた。食堂のお姉さんもドヤ顔で親指を立てる。
「それで、妖精さんは何か頼む? というか妖精って食べ物食べるの?」
「食べるけど、ディルから少し貰うだけで大丈夫だよ」
「へぇ~・・・ちなみに妖精さんの好きな食べ物って何?」
好きな食べ物かぁ~・・・定番の質問だよね~。
妖精になってから食べた色々な物を思い浮かべる。
「アザラシかな」
「はい?」
食堂のお姉さんがキョトンと目を丸くする。
南の果てで食べたアザラシのお肉が一番好みだったかもしれない。ディルは好きじゃなさそうだったけど。
「おーいソニアー! 何してるんだー?」
先に席についているディルがわたしを呼んでいる。
「今いくよ~」
そう言いながらディルのもとに戻る。
「何話してたんだ?」
「ナナカ君のこと」
「あ~、昨日のあいつか。俺の裸を見た」
男同士なんだからいいじゃんね。何を不貞腐れたような顔してるんだか。
「お待たせしました~。ラーメンでーす」
ディルの前に大きな器とコップが置かれる。テーブルの上に座っているわたしから中身は見えないけど、ラーメンから出る湯気が既に美味しそう。
「ねぇねぇ! わたしにも一口ちょうだいよ!」
「え~・・・また麵が太いとか言うんじゃないか?」
うーん・・・わたしサイズだと麵が太すぎて味が分からない可能性もあるね。
「じゃあスープ! スープだけでいいから! そのレンゲで掬ってちょうだい!」
「レンゲ・・・ってこのスプーンみたいなのか? 俺もこれ使って食べるんだけど・・・」
もしかして間接キスとか・・・そういうこと考えてる? ダメダメ! わたしまで意識したらダメだよ!
必死に羽がパタパタするのを我慢して、笑顔で誤魔化す。
「早く~!」
「分かった分かった・・・ほら、これでいいか?」
ディルがレンゲでスープを掬ってわたしの前に近付ける。
か、間接キス・・・。ううん! わたしはもう大人だもん! 大人はそういうの気にしないもん! たぶん!
レンゲに口を付けてクピッと飲んだ。その瞬間、咽た。
「ケホッ・・・コホッ・・・!」
あ、あんかけラーメンかい! スープが変なとこに入ったよ!
「だ、大丈夫かソニア!?」
「み、みずぅ・・・」
わたしはディルが慌てて傍に置いたコップの中にダイブする。
「ごぼぼぼぼぼ・・・」
わたしは人間だった頃も含めて、初めて口と鼻から同時に水を飲んだ。呼吸を必要としない妖精だから出来ることだと思う。
「ぷはぁ!」
水の中から顔を上げる。肩まで水に浸かっている状態だ。
「落ち着いたか?」
ディルの声に濡れた前髪を上げて見上げると、食堂にいる全員がわたしに注目していて、いつの間に駆け寄ってきてたのか、食堂のお姉さんまでもが心配そうな顔でわたしを見下ろしている。
その光景に、一気に顔が熱くなった。
は、恥ずかしいところ見られた!
わたしはすぐにコップから脱出して、ディルの腕時計の中に入った。まさに穴があったら入りたい状態だ。
皆はわたしが腕時計の中に入ったことに驚いているけど、ディルだけは軽く溜息を吐いて食事を再開させた。とても美味しそうに食べている。
・・・って、その水は飲まないで!!
読んでくださりありがとうございます。ちなみに氷水です。