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想いを綴る

1991年6月 

 

 初詣以来、私はまた記憶を失った時に備えて、備忘録を書くことにした。

昨年夏の出来事を丁寧に思い出していた。

戻らぬ時を、戻らぬ獅狼との思い出を、書き留める。

気付かないうちに涙が落ち、ノートに涙輪を描いた日もあった。

時に休みながら、時には一心不乱に大事な宝物を紡いでいった。

時間がかかったが、夏前には欠落していた記憶を全てを取り返した。


 その頃には私の心は、ある言葉で占められていた。

それは『先に老いていこうが獅狼の傍で時を刻みたい』だった。

記憶を無くしていた間、私はモノクロの世界で、ただ日々が過ぎゆくのを傍観しているだけだった。

生きてる実感もなく。

辛くても、辛いと感じられる。

悲しくても悲しいと実感できる。そんな人生の方がよほど私らしく、意味があると。


 それから私は獅狼に逢いたくて天神さんへ通い始めた。

何度行っても、逢うことは出来なかった。

ある日、阿吽像の前で遊んでいる子供達をみた。

幼稚園くらいの女の子だろう。

自分のおやつなのか、ポケットから飴を1つ出してはつま先立ちでお供えした。

その光景はとても愛らしかった。思わず微笑みながら見ていると、ふと私の脳裏に幼い頃の記憶が蘇った。


 私もお供えしていた。

自分のおやつを自分が食べる前に、お供えしてから食べていた。

時にはビスケット、飴、キャラメル、チョコレート・・・

そして、そんな私の頭を優しく撫でてくれた大きな手があった。

その人は、くせ毛の前髪から少し瑠璃色の瞳を覗かせて、

「お供えしてくれて、ありがとう。」私は綺麗な瞳だなぁと思った。


 それから天神さんへ行っては、そのお兄さんと遊んだ。

でも私があまりに一人で通うから心配したお兄さんはある日

「陽葵ちゃん、君はもうすぐ小学生になる。

沢山お友達を作って、楽しい事を沢山経験しておいで。

俺はいつでもここで陽葵ちゃんを見守っている。」

そう言って、2度と私の前に姿を現わさなかった。


 私は以前から獅狼を知っている。あの綺麗な瞳を知っている。

私は嬉しくなった。また一つ忘れていた大切な思い出が蘇った。




 後日、私は天神さんへの階段を上っていった。

手にはお供えのクッキー、昨夜久しぶりに焼いた。


 記憶を無くしていた頃、元気が無かった私を母は随分と心配してくれた。

母は幼い頃から、一定の距離を持って私に接していた母。

それは私が自分で考え、判断できるよう身を持って学ぶためだ。

そんな母が、そのころは珍しく夕飯は私の好物を良く並べてくれていた。

生きる事に興味を無くしていた私は、食べる事にも興味を失っていた。

日を追う毎に痩せていく娘を見る母の気持ちを考えると、ひどく申し訳ない気持ちになった。


だからクッキーを焼くまでに回復した私を見て、母は本当に嬉しそうに笑顔を浮かべて「いってらっしゃい」と送り出してくれた。

あいにくの空模様だった。まるで獅狼とあの落雷の日のようだ。



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