棘
狗太君の落とした小さい棘は、私達の微妙な関係に影を落とすには十分だった。
私は、獅狼達が神使と聞いた時に、獅狼と同じ時を過ごせないことは覚悟していた。
いつか老いていく自分に気付き、彼に寄り添って生きる事を諦める日が来るだろう。
でもその『いつか』はもっと先だと思っていた。
しかし、束の間の幸せも私の手からこぼれ落ちている。思いもよらぬ形で。
現実は無残にも私にのしかかった。
一人、町が見渡せる鐘つき堂の前に立っていた。
眼下にジオラマのように所狭しと並ぶ町並みを見ていた。
まるでおもちゃ箱の中のようで、私はここから見る景色が好きだった。
しばらくすると、狗太君が現れた。
「陽葵ちゃん、どうしたの?元気ないね。昨日言い過ぎちゃったかなぁ?」
真っ直ぐ私を見て「でも、嘘は言ってないよ。」
「分かってる。狗太君に聞きたいの、貴方達の寿命は人間とは異なるわよね?
獅狼と私が同じ時を刻む事は、できないんだよね?」
「うん、そうだよ。だから、僕は反対したんだ。
愛しい者において逝かれる辛さ。愛しい者の前で一人時を刻む辛さ。
どちらも耐え難い辛さだよ。」
遠いどこかに想いを馳せながら、悲しそうな目で言った。
「僕は陽葵ちゃんを大事な友人だと思っているし、獅狼は兄弟のように思っている。
どちらも大切だから敢えて厳しい事を言った。君が別の人を選べば、幸せになれると思うんだ。」
「ありがとう、狗太君。やっぱりそうなのね。
分かっていたけど、やっぱり突き付けられると・・・」
私は溢れてきそうな涙を見せたくなくて、
「しばらく一人にしてもらえるかな?」
どの位たっただろうか、ジオラマのような町並みが赤く染まり、山に添うように並ぶ家々に暗い影ができはじめていた。
気付けば遠く空が、赤から紫へと変わろうとしていた。
しまった!逢魔が時だ。周りを見回すと影の中で何かが蠢いていた。
私は慌てて境内を走り抜け、石段を駆け下りていた。
その時階段で何かに足が引っかかった?いや、何かが私の足を引っ張った?
と思った時には転がり落ちていた。
何故か石畳から外れた場所に落ちたようで、土がクッションとなり大怪我には至っていない。
しかし、恐怖は私の側へ一歩一歩と近づいていた。形を成さない大きな影が近づいてくる。
恐怖で遠ざかる意識の中、私は木彫りのリンゴを握りしめて獅狼を呼んだ。
声にならない声で。
次に気が付いた時は、獅狼が何かを塵に返した後だった。
獅狼は私に駆け寄ると抱き起こし、
「陽葵、大丈夫か?陽葵。」声が震えているのが分かった。
獅狼は震える手で私の顔の泥を拭い。
まるで壊れ物に触るかのように優しく私の頬を撫でた。
私は微笑んで「大丈夫よ、獅狼。ありがとう。」
微笑んだ私を見て安堵したのか、獅狼は私を強く抱きしめ震えていた。
「良かった。陽葵に何かあれば、俺は・・・」
私はこんなに怯えた獅狼を初めて見た。
こんな時なのに、獅狼に大切に思われている事を知り、私は満たされていた。
そして私は生まれて初めて、自分より大切な存在を見つけた。