①
大規模な発展を遂げ続けた近未来都市・デュプラーダ。
都市を形成する四つの区の内、第二経済特区にて――
「あのクソガキ、どこまでつけてくる……!」
息を切らした一人の男が、ビルとビルの狭間をすり抜けるように走っていた。
しかし、背後より迫り来る蛍光色の風がほんの少しだけ男の体を掠めたかと思うと、またたく間に男は地に倒れ伏していた。
男を昏倒させた一陣の風は、その””歩み””をゆっくりと止め、男に近づくと、その懐から一本のデータメモリを取り出した。
その存在は、手にしたメモリを腕のデバイスに収めると、しっかりと脚を溜め、再び歩み始めた。
そして、耳の辺りをコリコリと弄り、どこにいるとも知れぬ何者かと話し始めた。
「メリス文書入りのデータ媒体、確かに回収しました」
『感謝する。やはり失せ物は失せ物、専門家に任せた方が早い』
「数十年前の失せ物、とすべきでしょう。よりにもよってこんな浮浪者の元まで転がってしまっているものとして」
『やれやれ、相変わらず口の減らぬ者だ』
「懸念の種を、ここで消し去っても構わないんですよ?」
『正気か? 我が社の誇る情報部隊が貴様を回収にかかるぞ』
「冗談ですよ。もうすぐそちらにお届けに上がります」
目深に被ったフードの先には、立ち並ぶビルの中でも一際巨大なビルが待ち構えていた。
エルゴン・ダイナス社。特筆すべき他の二企業と共に、第二を支える柱の企業と呼ばれる会社であった。
ビルの六十五階、常にグラフと眼下の様子を刻む五枚の壁面モニタ、そしてデスクには三枚のモニタが鎮座するダイナス社社長室にて。
「ジルトリット社長、シトリアという女性の方が面会を求めておりますが」
「社長室直通の許可証を、そして外からの侵入は禁止だと伝えてくれ」
社長と呼ばれた男――四代目社長ジルトリット・ダイナスは、以前部屋の窓に刻まれた綺麗な円形の修復痕を見て、秘書にそう告げた。
果たして十分後――
「どうも社長。ご注文の品物をお届けに上がりました!」
蛍光色のパーカーのフードを捲り上げたその顔は、ある角度によっては少女に、またある角度によっては女性に見えるような、不思議な表情をする少女――シトリアであった。
「感謝する。今度は外からの侵入を行わなかったな」
「依頼費ごと持っていかれるのは、御免被りましたよ」
シトリアはそう言って、腕のデバイスから一本のメモリを取り出し、机の上に置いた。
「それにしても、よく見つけ出してくれたものだ。どうやって探し出したのだ?」
「そりゃもう、この都市の上から下まで探した、ということだけ。それ以外は企業秘密ですよ」
「個人事業主の君が、企業秘密を語るか……ともかく、世話になった。報酬はいつもの口座に送金しておこう」
ジルトリットは手元のコンソールを操作し、画面上の数字を動かしていく。
6桁の数字が前後したかと思うと、シトリアの腕のデバイスがカタカタと音を立てて数字を刻んでいく。
額にして四十万D、ただの遺失物捜索の依頼金にしてはずいぶんと高額ではあるが、ジルトリットにしてはそれほどの金額を払ってでも自らの管理下においておかなくてはならない品物であった。
「それではまた機会がありましたら、このシトリアにご用命ください!」
シトリアは頭を下げると、軽快な足取りで社長室を後にした。
「戻りましたよ~、マイラさん」
デュプラーダの第三区――先ほどまでの第二区と同じ世界とは到底思えないほどに退廃しきった世界の一角にたたずむ家を、シトリアは拠点としていた。
他と違い、セキュリティの「セキ」までしか存在していないような第三区は、他の区から逃げてきた無法者、そいつらを極限まで絞り上げようとやってきた集金業者、あるいは第四区から金を求めてやってきた他国からの人間など、まさしく人種の坩堝と言っても過言ではない場所であった。
「よおお帰り、社長からいくらせしめてきたんだ?」
「ちゃんとした仕事の対価ですよ。ほら!」
フードを脱いだシトリアは同居人の女――マイラに腕のデバイスの数字を見せると、背負ってたリュックを雑に投げ捨てた。
マイラはその数字に目を見開くと、傍らの電卓を叩き、紙の帳簿にメモをし始めた。
「情報料で三万、お前さんの整備代で四万、それだけ飛んで行っても少なくとも二ヶ月は食えるな。モノが安いってのはそれだけで助かるなあ」
「安全性を確かめなければ、でしょう?」
「言うな言うな、どうせ焼けばなんでも食えるし、お前さんには毒も何も効きやしないだろうが」
「毒も痛みも、期限切れの乳製剤も、この身体にはちゃんと効きますよ。昔の時代に作られたアンドロイドは知りませんけど、新しい世代になるにつれて、どんどん人間に近づけられているんですよ!」
シトリアはそう言って、鎖骨部分に刻まれた製造番号「XG-04SS」を同居人に見せる。
XG――現在主に第一区などにて生産されているAAllより数世代前の型落ち品ではあるが、
「じゃあなんでそんなアンドロイドが、こんな激ヤバ地帯にいるのかねえ……」
少なくとも第三区に存在する代物ではないのは確かであった。
「それは、お互い様じゃないですか! アズビダン社の幹部研究員なんて、一生食べていくに困らないポジションだったはずのあなたが!」
「そうなんだよなあ、アズビダンが解散してなきゃ、アタシもお前さんも、第一で豪遊してたんだ……」
「それでも私はこの生活、なんだかんだで気に入ってますよ。さっきマイラさんが言った通り、食うだけなら困りませんからね。研究所で缶詰になっているよりはよっぽど健全です」
マイラの言葉に耳を貸しながら、シトリアは冷蔵庫から昼食を取り出し、レンジに投入した。
「そういえば、先日の手紙の内容はなんだったんですか?」
レンジを眺めていたシトリアは、ふと先日届いたマイラ宛の手紙を思い出し、内容を尋ねた。
「あ~……そういや、まだ中身見てないんだ。どうせ大した内容でもないだろ」
「アレ、第一区からの特送便ですよ!? しかも差出人が第一調査機関です!」
「マジで? ヤバいな、捨てちゃったかも……」
マイラが自分の部屋に手紙を取りに行っている間、シトリアはレンジから昼食を取り出し食べ始めた。
「や~ばいやばい、クラリネ捜査官からのお手紙だった……」
第一区にいたことがあるなら大体の人物が聞いたことがあるその名前を聞いたシトリアは、思わず吹き出しそうになる口元を即座に押さえた。
雑多に手紙を扱ったことへの猛省を表情に出しながら、マイラは手紙の内容を一字一句読み逃さずに確認し始めた。
「六月三十日、超常捜査局で待つ……良かった、三日後だ……」
「三日って、ここから第一まで行くには検疫も合わせると最低二日はかかりますよ?」
「もう準備して、向かうことにするよ。お前さんは?」
「丁度明日から、クオンザイト社の技術研修の講師役として出席しなければいけないんですよ……調査機関の話は、そちらに一任します」
シトリアは食べ終わった後の容器をゴミ箱に放り投げ、自分の部屋に向かった。
「クオンザイト社……アンドロイドで民間警備、って所だったな。アンドロイドは仕事が途切れなくて、うらやましいもんだ。アタシもそろそろ、仕事の一つでも舞い込んでこないもんかね」
マイラはそう言って、第一区へ赴くための準備を開始した。
今着ているような服装では、第一区の関門でまず弾かれるため、正装を見繕う必要があった。
数年ぶりにクローゼットから発掘した正装に着替えたマイラは、資金、着替え、携帯、第一区の電力向けに調整された充電器など、あまり長居はすまいと最小限の荷物を鞄に納め、
「シトリア、後よろしく~」
『は~い』
扉越しの返答を聞き、区と区を繋ぐ都市間鉄道へと向かった。
第三から第二、そして第一に行くためには、少なくとも二日は必要となる。第三から第二まではそこまで離れてはいないが、第二から第一までの距離がそれなりにあるためである。
飛行機で行けばおよそ半日もかからずに済むが、天候不順、一部の企業が設置している電磁フィールド、その他様々な理由により、四つの居住区全てで空路の安全性が未だに担保されていないため、よっぽどの急ぎでもない限り陸路で行くのが一般的であった。
「本当に久々だな、この空気は」
車窓から光景を見て、マイラは呟く。
当時は名前でなく型番で呼ばれていたシトリアと共に、確かにここにいたという思い出に耽りながら、マイラは第三区以南から来た者のための検疫所へ向かった。
用途不明、なおかつ簡単には対処不能の病原菌やコンピューターウイルスを持たされた鉄砲玉が入ってくる可能性が第三・第四からは極めて多くなるため、より厳重な検査が求められていた。
数時間後、ようやく入区の許可が出たマイラは、件の人物に連絡を入れ、今日中に向かうことを告げた。
そして、超常捜査局へ足を運んだマイラを待ち受けていた人物――。
「お久しぶりです、クラリネ捜査官」
「親愛なる友人に向けての五年ぶりの第一声がそれか? マイラ・レンドハート。後、お前が第一を離れてる間、捜査局長になったんで、そこんトコよろしく」
「これは失礼、クラリネ捜査局長」
「それでよし」
中肉中背のマイラを二回りほど上回る体格を持つ、青い制服に金獅子の紋章を付けた女性、クラリネ・アルハンブラ捜査局長であった。
「アズビダン社がなくなって以来、何をやっていたのか色々聞きたいもんもあるが、まずは要件から話そう」
捜査局の応接室にマイラを招いたクラリネは、棚から紅茶と茶菓子、そして数枚の書類が入ったファイルを取り出した。
「この顔、見覚えがあるだろ?」
「……忘れようにも忘れられませんよ、アズビダン社軍事研究部――グライト・バリスタン本部長」
「それじゃ、本題入るぞ。そのグライトが、数ヶ月ほど前に国家撃滅級武器準備罪により逮捕された」
「あ~あ、ついにやっちゃいましたか。アタシがいた頃から絶対にやらかすと思ってたんですよ。それだけが呼んだ理由じゃないんでしょ?」
そう言って、淹れたての紅茶を一気に飲み干すマイラ。
軍事研究部という場所に籍を置いていた以上、いずれグライト本部長はやらかすだろう――アズビダンが解散に至ってからも、マイラはそう思っていた。
「そう、本題はこの後だ。逮捕から三日後、留置所にいるはずのグライトが忽然と姿を消しているのが確認された。留置所の壁に焼け焦げたようなデカい大穴を残していってな」
焼け焦げたという箇所を重視したクラリネは、ファイルの中から壁に人為的な大穴が開けられた留置所の写真を取り出し、マイラに見せた。
「現場の検証から、電熱系の兵器によってブチ開けられた、ということだけがわかった。加えて、全区において指名手配されている革命組織・ジェムドゥの関与も疑われている」
「つまり、それ以外は何もわかってないって認識でよろしい?」
「そうだ。アズビダン社から奴が使用した兵器などの情報を得ようにも、六年前に解散済み。となれば、関係者に話を聞くのが筋だろう」
「アタシじゃなくても、軍事研究部だけってなら、もっとこう……いたでしょう。漁火部長補佐とか、アンドリュー元本部長とか……」
「今名前の挙がった二人、そしてアズビダン社軍事研究部の主要な面々の全員が、この事件以前からデュプラーダを離れている」
さも当然とばかりに言い放ったクラリネに対し、マイラは強く顔をしかめた。
そして、捜査局に見つかる前に逃げ出した昔の同僚共に、言いようのないムカッ腹が立っていた。
「……それで、アタシに白羽の矢が立ったって訳ですか。確かに軍事研究部で働いてたこともあるけど、内容なんてもうあんまり覚えてませんよ」
「というところで、この設計図なら見覚えがあるだろう?」
クラリネは書類をぺらぺらとめくり、非常に細かく描かれた数枚の設計図のコピーを取り出した。
軍事用爆薬搭載無人飛行機、強化装甲、電磁フィールドの原案、一般的な銃の大きさを明らかに超えた銃など、明らかに設計段階の時点で終わるような規格外の代物が設計図の中には多数存在していた。
「コレ、一応社外秘の資料だったんですよ。どうやって持ち出したんですか?」
「とっくの昔に潰れてる会社に、社外秘もクソもあるか? インターネットの闇市で手に入ったよ。誰も作り方を知らんがな」
あっさりと言い放つクラリネに対し、ですよね、とマイラは言葉ではなく表情で返した。
超常的存在を確保するためならルール無用、自分たちのみがルールであるという組織――超常捜査局の恐ろしさを、改めてマイラは実感していた。
「だけどコレ、色々な面で本当にヤバい、それこそ今回起きたようなことになりかねないからって企画段階でお流れになったヤツですよ。それが今更持ち出されるってことは……」
「現場から逃げ遅れた数名を確保した後、所持品からこの設計図に記載されているものに酷似した武器が発見された。すなわち、グライトが設計図の作り方を熟知していた状態で、逮捕前からジェムドゥに横流しを行い、詳しい作り方を知らせた――その可能性が極めて高いと局では睨んでいる」
「あの無軌道な連中にグライト部長という頭が入ったとなると、結構なコトですよ。あの人はあらゆる計画を軌道に乗せてしまう」
「だからこそ、ジェムドゥの連中を早急に捕まえるべく、各区の捜査局に依頼している訳だが……」
「クラリネ局長! ジェムドゥの連中が第二区のエルゴン・ダイナス社前に現れたとの報告が入りました!」
第二区、エルゴン・ダイナス社前――部下からその言葉を聞いたクラリネは、あまりにも意外、奴らが出てきそうな場所じゃねえだろうという表情を見せた。
「要求は?」
「社長が所有しているはずのメリス文書の完全版の引き渡しを要求しています!」
「メリス文書の完全版だと? なんでそんなモノを……」
時は十数分前、第二区のエルゴン・ダイナス社にて――。
「……やはり、失せ物として眠らせておくべきだったのか……? しかしこれが作り方をわかっている者の手に渡った可能性を考慮すると……」
アズビダン社初代社長、メリス・キュヴァインが書き記し、没後八つに分割され方々に散らばった、メリス文書と呼ばれる電子データ。
五年以上の歳月を費やし、元々所持していた三つ、そして集めた五つの文書を揃えて繋ぎ合わせ、一つの文章として完成させたジルトリットは、その内容を見て眉間に皺を寄せていた。
「まったく、この断片を俺に持たせて、いったい何をしたかったというんだ、親父は……」
ここらで一息、とばかりに社長室の冷蔵庫から愛飲のコーヒー牛乳を取り出し、蓋を開け飲み出そうとした瞬間、それは唐突に訪れた。
ズドン――という轟音、直後に襲い掛かった巨大な揺れ、ただならぬ事態とジルトリットが気づくまでに三秒、急ぎ眼下を確認し、その双眸で捉えたのは、左右四つの砲塔を翼に見立てた鳥のシンボル――革命組織ジェムドゥの戦車が自社ビルに砲塔を向けている光景であった。
何を思うよりも早いか、社長室のモニターの一枚がジャックされ、ジェムドゥの首魅・ダルダインのマスクが写し出された。
『エルゴン・ダイナス社社長~~~ジルトリット・ダイナス殿に次ぐッ! 貴殿が集めていたメリス文書、それがついに復元されたとォ、風の噂で耳にした!』
「流石に早すぎだろ、さっき復元したばかりだぞ! 最後の一つに、アイツらの息がかかっていたな……!」
『我々が要求するものは、そのメリス文書の完全版である! 一時間以内に提供しなければ、再び砲撃を起こすぞ!』
かの運び屋に落ち度はなし、提供元を精査しなかった己の責任であると判断したジルトリットは、メリス文書のバックアップを取りながら、ダルダインが放つ次の言葉を慎重に待った。
会社の社長が預かるのは株価と働く社員全員の命。その両方に銃ならぬ砲塔を突きつけられている状態とあっては、一秒先の考えで全てが吹っ飛ぶ可能性も存在する。
故に、慎重に動かざるを得なかった。
数秒後、バックアップが完了したとの通知を確認したジルトリットは、額より垂れ落ちる脂汗をハンカチで拭い、傍らのコーヒー牛乳を飲み干し、深いため息をつくと、PCの画面にPOPした「防衛システム許可!!!」というボタンにカーソルを合わせ、一瞬の迷いもせずにクリックした。
直後、エルゴン・ダイナス社が入っているビルを取り囲むジェムドゥ一味、それを取り囲むように大量のアンドロイドが大地を割って出現した。
一糸乱れぬ動きでジェムドゥに銃を向けたアンドロイド軍団は、周囲の影響を鑑みずに一斉にぶっ放し始めた。
「オイ! アンドロイド軍団を率いてるなんて聞いてないぞ!」
即座にハッチを閉めて戦車内に戻ってきたダルダインの言葉に、
「これだけの大企業だ、大量のアンドロイドを携帯していてもおかしくない」
もう一つの座席に座り、頬杖を付いていた澱んだ眼の男はそう言った。
その男はゆっくりと立ち上がり、
「だが安心しろ。今のお前たちには……俺がいる。グライト・バリスタンがな」
戦車のハッチを開き、銃撃飛び交う頭上へ姿を現した。
グライトの眼に、チリリ――と閃光が走る。
それと同時に、首から下に纏った鈍い金色の装甲の胸部水晶が光を放ち、翠色のフィールドを形成する。
アンドロイドが放った弾丸はその身をかすめ、あらぬ方向へ飛んでいく。
「三」
グライトが装甲に覆われた鋭利な三本の指を掲げる。
「二」
突如としてビルの上空に雷雲が訪れる。
「一」
周囲一帯が不気味なまでに静まり返った直後、
――空間が一瞬にして爆ぜ、白い光が全てを覆った。
「それで、代表のジルトリット氏はなんと?」
「まだ対応を決めかねているようで、膠着状態が続いてるとの情報が……」
直後、クラリネの部下の携帯に連絡が入る。
断りを入れて電話に出た部下の表情は、一秒毎にこわばっていった。
「どうした、あっちで何かあったのか?」
「そ、れが……エルゴン・ダイナス社のビルに、突如として落雷が落ちたとの報告が……!」
落雷という言葉に、クラリネとマイラは顔を見合わせる。
「冗談だろう? 今日の第二区は雲一つない快晴と予報で出ていたぞ!」
全くもってありえない、という表情を見せながら、クラリネが言い放つ。
クラリネは応接室で流れていたテレビのチャンネルを即座に切り替え、天気予報、そしてニュースの順に切り替えた。
ニュースの内容は、焼け焦げたビル上空の避雷針が映し出された後、再びの雷撃により実況が中断された様子を提供していた。
わずかに映ったそのニュースを見て、クラリネ、マイラの二人は絶句した。
数日前に捕まったはずの、グライト・バリスタンその人が、雷を呼び起こしていたからであった。
「人為的に雷雲を呼び起こせる装置を作っていた……百年後の時代に生きた結果、今の時代に沈んだという評価は、間違っていないようだな」
「そういうことをできる余裕も、金も、知識もあった。ただそれをやるための時間が足りなかった。アズビダンにいた人は、みんな同じことを言いますよ」
「ともかく、アレの対策はないのか?」
「対策って……相手は自然現象そのものですよ。雷が届かないような場所でやるとか……」
いつの間に対策を要求されていることにも動じず、マイラは頭を回転させ、アズビダンの遺物への対処方法を考え始めた。
「……現地の局員から報告が入りました! エルゴン・ダイナス社の社員、およびジルトリット氏は無事が確認されたのですが、ジェムドゥ、およびグライト被疑者は逃走した模様!」
「なんでのこのこと逃走許してるんだよ、奴らが付けた足跡を逃がすな、現地にそう伝えろ! 私たちも行くぞ!」
クラリネはそう言って、冷めきった紅茶を一気に飲み干し、捜査用の防弾ジャケットを羽織り、
「大したもてなしもできなくてすまない、マイラ。そちらでも何か情報を掴んだら、この番号にかけてくれ」
己の電話番号が書かれたカードを差し出し、部下と共に第二区へと向かった。
嵐のように呼びつけて去っていったクラリネの姿を見届け、一息ついたマイラは、残された菓子を数個いただくと、
「……行くか」
過去は関係してきた、では今のうらぶれた自分に、この騒動は関係してくるのか――そんな感情を鼻で笑いながら、応接室を後にした。
超査局を出たマイラは、ふと鞄の中で震えていた携帯に気づく。
登録していない番号に一瞬の躊躇を挟んだものの、昼間にかけてくる奴は大した用事じゃないだろうと判断し、電話に出た。
「もしもし」
『どうもお久しぶりです、マイラさん。漁火です』
のうのうと電話をかけてきた男に、マイラは一時間ぶり二回目の絶句をした。
だがそれよりも、
「漁火お前、あの後どこにいたんだ!?」
数年ぶりの同胞の台詞に、マイラは動揺を隠しきれなかった。
『ちょっと海外で研究に協力してまして。暇してそうなマイラさんにもその話を持ってこようとしたんですけど、グライト部長のアレ見て、急いで連絡したんですよ』
「ああ……ありゃどう見ても、企画段階で止まったギガンボルト零式だったな?」
『ですねえ。何に恨みを抱いてたのかは知ったこっちゃありませんが、アレを持ち出してくるとなると、デュプラーダの発電機関を全部ブッ壊す、そんな志でも抱いてるんじゃないんですか?』
「他人事みたいに言いやがって……そりゃ海外にいるお前にはそうだろうが……」
『後、クルヴェント社に買われたアズビダンの第二研究棟、あの中にメリス文書を持った今のグライト部長に回収されたらマズそうなものが色々と入ってるんで、マイラさんの手で回収お願いします。それじゃ』
昔のグライトと明確に区別を付ける形の口調で、漁火は素早く電話を切った。
相変わらずのぶっきらぼう、しかし道は提示するという彼のスタイルが全く変わってないことに、マイラは頭を抱え、第一区に存在したアズビダン社、その第二研究棟へ向かった。
「クルヴェントの連中、何の得にもならないってのに、しっかり保全してやがる」
第二研究棟への立ち入り許可証を貰ったマイラは、広大な迷路めいた研究棟の道順を思い出しながら歩いていた。
輝かしき過去、研究だけに没頭できた日々、思い出せる物はいくらでもあった。
しかし最後に思い出すのは、決まってあの大事故であった――。
周囲を確かめるように歩いていたマイラは、ふと「出入り禁止」と薄くなった字が書かれた研究室の前に立った。
立つだけで、脂汗が全身からじわりと噴き出し、脚の震えが止まらなくなりはじめる。
マイラは下唇を噛みしめる。そんなことをしても震えが止まらないのはわかりきってはいるが、落ち着かない心の流れが少しだけ緩やかになった気がした。
そして、数秒の逡巡を重ねた後、マイラは意を決して扉を開いた。
アンドロイド用の自立思考型プログラムを開発していた途中、接続先のエラーから、当時の開発機材では実体を捉えられないほどに膨大なデータ量を持つ存在を呼び寄せてしまった――八年前、アズビダン社第二研究棟で起きた事故の全容である。
その存在が発生させた強大な電磁波により、第二研究棟の研究員数百名が意識不明の重体、意識不明とならなかった者も数日間の意識の混濁を起こし、アズビダン社解散の前触れとなった大事故であった。
アズビダン社の研究は常軌を逸しており、危険である。当時の無知蒙昧な愚物共は、その一言で全てを片づけようとした。
しかし、危険とはえてして甘美なる香りを放つものである。なおかつ、アズビダンが行っていた研究は将来的に極めて可能性があると考えられるものであり、解散となった今でも、世界各所に散らばった残党による研究は未だに行われていた。
部屋に一歩足を踏み入れた途端、ピリリと肌がざわつくような感覚をマイラは得た。
クルヴェント社によって整備されている他の部屋とは違い、この部屋だけは、今でも事故発生時のままであった。
機材から放たれた電磁波が事故後なお残留しており、よっぽどの人間でなければ、再びこの場所に足を踏み入れようとは思いもしなかったであろう。
「どれもこれも、あの時のままか……」
部屋の中を散策し、当時の資料などが入った棚などを眺めていたマイラは、ふと一台のパソコンに目が留まった。
そのパソコンこそが、異形の存在をわずかに捉え、大規模な電磁波事故を巻き起こした一台であった。
何かに駆られたか、尋常ならぬ眼でそれを見つめたマイラは、震える指を電源ボタンに乗せ、ゆっくりと押し込んだ。
ゴリゴリゴリゴリ、と雷の如きノイズがパソコンのスピーカーから流れ、内臓パーツを燃やしているかのように煙が噴き出し、十年以上前のモニタがノイズを走らせながら画面を写し出す。
黒一色であった画面の内から現れたのは、ぎょろりとした黄金の瞳を持つ、深紅色の長い髪を持つ少女であった。
その少女は品定めするような目でマイラを見つめると、
『……ようやく訪れたか、我が器よ』
ノイズの中に声を混ぜながら、スピーカーが唸った。
『器、とは?』
完全に無意識のまま、マイラはキーボードを叩く。
『文字通りの意味よ。どれ、この話し方も面倒であろう』
少女の言葉を最後に、パソコンの電源がぶつりと切れた。
ぎゅるり――と風が立ち込める音が部屋中に響いた直後、ノイズの大嵐が部屋を完全に支配した。
マイラは立っていることもままならず、研究室の床にへたりこんだ。
『縺?≦?槭?縲√d縺ッ繧顔ョア縺ョ荳ュ縺ッ縺帙∪縺」闍ヲ縺励¥縺ヲ諱ッ縺瑚ゥー縺セ繧九o』
古びたモニターを破壊して現れた深紅色の髪の少女は、首を回し、背伸びをしながらそう言った。
少女の出現と同時に、まるで最初から嵐など存在しなかったかのように、部屋の中は一瞬で静寂に支配された。
しかし、部屋を覆う膨大な電磁波は未だ存在したままであった。
『縺ゥ縺?@縺溘?∵$繧後※螢ー繧ょ?縺ャ縺具シ』
未だへたりこんだままのマイラに、少女はそう声をかける。
しかし、マイラの目には少女の姿は見えていなかった。
そこにあるのは、生半可な言葉では例えようのない全身を持つ、異形の存在であった。
『縺ゅ≠繧上°縺」縺溘◇縲∬ィ?闡峨′騾壹§縺ェ縺??縺具シ』
それ以上喋らないでくれ、脳が揺れる――というマイラの抗議も通じず、何かを理解したかのように少女が言葉を発する。
そして、少女はそのほっそりとした白い指を、何の躊躇もせずにマイラの額に突っ込んだ。
「ぎぃっ……!?」
先ほどまでの言葉とは違い、直接脳が侵食される。
突如脳を大きく揺らされる驚き、眼前の異形が指を突っ込んでくる恐怖、精神を直接やすりで削られるような苦痛、それらがない交ぜになった感情がマイラの内から呼び起こされ、全身が大きくのけぞった。
その間にも少女の身体は指から腕、胴体、もう一方の腕と浸透していき、全てマイラの中に溶け込んだと同時に――部屋を覆っていた電磁波が消失した。
気を失ってから数十分後、マイラはゆっくりとその身を起こした。
青い瞳に黄金の輝きを宿し、ブラウンの髪の内側には深紅色のメッシュがかかるなど、先ほどまで存在していた少女の特徴を併せ持ったような姿で。
『どうだ、これで聞こえるようになったろう?』
「誰!?」
起き上がった直後、頭の中から響いた声に、マイラは驚愕した。
即座に周囲を見回しても、声を発するようなものは存在していなかった。
『何をしておる、我はお主の頭ン中ぞ』
「頭……?」
『目を瞑れ。そうすれば見えてくる』
頭の中に響く声に従い、マイラは目を瞑った。
精神を落ち着かせ、五感の枷を緩めたマイラの前には、先ほどモニターの中にいた少女が正座をして佇んでいた。
『さて、これでようやくまともに話ができるな?』
マイラの姿を見た深紅色の髪の少女は、ゆったりとしながらも威を放つ口調で話し始めた。
自らの精神領域をいきなり乗っ取った眼前の存在に困惑しながらも、マイラは口を開く。
「いきなり人の中に入ってきて、何者なんだ、アンタは……」
『フィグノア。それが我が名よ』
「ならフィグノア、なぜアンタはここにいた?」
『ここにいた――というのには語弊があるな。我はここにずっといた。あの時、此方のパソコンと我が繋がった際に残した残滓、それが我である故な』
フィグノアの言葉に、マイラは当時大事故の直前にモニターが写し出し、そして先ほどまでフィグノアとして見えていた異形の存在を思い出していた。
『我の波動を受けた者であれば、どこにいようが無意識を弄ることができる。それが我が力よ。この力で漁火とかいう奴の頭を操り、お前を招き寄せた』
あっさりとそう言い放つフィグノアに対し、自分たちはなんてものと接続してしまったのだ――マイラは心底恐怖を抱いた。
『そう――たまたま繋がった、というだけよ。それだけで、我はこのパソコンに置き去りにされ、撒いた種が芽吹くのを待っていたのだ』
既に一心同体となっているため、わずかな思考さえも筒抜けとなる、というような状態であった。
そして思考の先読みができるのは、マイラも同じであった。
「なら、アタシじゃなくても良かったんじゃないか?」
『たまたま近くにお主がいただけだ。それ以外にあるか?』
「違うね、アンタは女の身体がお望みだったんだろう? 少女をアバターに使うくらいだからな」
『…………』
図星を突かれたからか、これまでの威勢とは裏腹に消沈するフィグノアであった。
「ま、そんな話はどうでもいい。さっき招き寄せたと言ったが、何のためにやったんだ?」
『――どこから手に入れたかは知らぬが、我が本体の力の断片を使って、ここ最近暴れている奴がおる。そんなことをされては、木っ端に潜んでいた我にまで影響が及んでたまらぬ。そやつを潰すために肉体が必要だった。これだけは本当だ』
「潰すって言っても、今のままじゃ正体も何もわかりゃしないだろう」
『まあ心配するな。我の力を感知して、いずれあっちからやってくるはずだ』
「そのいずれがわからないから困るんだよな……」
一人で虚空の誰かと会話している変人と思われるのを避けるため、急ぎ宿泊施設の個室に戻ったマイラは、携帯のメッセージアプリで事の詳細をシトリアに説明しながら、脳内ではフィグノアと会話するという、傍目から見れば奇怪な行動を取っていた。
「それで、そのアンタの力を使っているってのは誰なんだ? それくらいわからないと捉えようがないぞ」
『ある程度目星は付いている。つい先ほど、巨大な力場の乱れがあったばかりだ』
先ほどの出来事――マイラは考える間もなく、一人の人物に思い当っていた。
『グライト・バリスタン。奴も我の波動を受けた者の一人よ。その縁か知らぬが、数年前から我の本体に関して嗅ぎまわっておるようだ』
因縁は深く絡みゆくものだ――いつかどこかで聞いた言葉を、マイラは思い出していた。
そして、長きに渡るグライト・バリスタンとの因縁に、決着を付けなければならないと思っていた。