6.
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――駆ける駆ける、雪を踏み分け手に手を取って。
わたしと神父は、森の小道を走っていた。町からすこしでも遠ざかるために、追って来る人々から身を隠すために。吐く息は白く、頬は冷たい風にさらされて冷え切って、けれど繋いだ手だけがとても熱かった。
――この手さえ離さなければ、きっと大丈夫。わたしは、今度こそ大切なものを奪われずにすむのだ。
そんなことを考えていた、瞬間。何かが風を切るような音が聞こえて、わたしの身体に衝撃が走った。神父に突き飛ばされたのだ、ということに気が付くのに一瞬き、神父の胸に生えた異質な何か――それは不吉な銀色の刃――に気が付くのに一瞬き、そして、わたしの口から声が出るのにもう一瞬きかかった。
「……アスル?」
神父はゆっくりと自分の胸を見下ろし、そこから生えた短剣の柄を見遣り、それからわたしの方に振り返ると、困ったような笑みを浮かべ、そのままゆっくりと雪の上へ崩れ落ちていった。時間が、凍り付いたように感じた。
雪が、真っ白い雪が、紅く、染まって……。
「いやぁアぁァぁぁ!」
「……庇ったか、馬鹿な男だ」
絶叫し続けるわたしは、その男がいつ現れたのかさえ気付けなかった。不吉な黒、雪の上に浮かび上がる黒、わたしから、大切なものを奪う、黒……!
「貴様ァぁあッ!」
わたしは男に掴みかかろうとしたが、軽くあしらわれて雪の上に投げ飛ばされた。何度も、何度も繰り返し、わたしは男へと飛びかかり、その度に周囲の吹雪の勢いが増すのに気付いていなかった。
「ちッ、鬱陶しい……!」
男が外套の下から何本もの剣を取り出し、わたしに向けて投げつける。飛来した剣のことごとくがわたしの身体に突き刺さり、激痛を感じるよりも前にわたしは標本にされた蝶のように雪の上に縫いとめられていた。
「ぐ、! ィ ……あ ァ!」
うまく呼吸ができない。身をよじれば、右腕の付け根と左太股を貫いた刃が更に肉を抉る。痛い。否、痛いどころの騒ぎではない。それはまるで地獄の業火に焼かれるかのような……。
――わたしはこれを知っている。この痛みを、熱を、知っている。
「《死神》に誑かされたのだな……哀れな《太陽》、雪と相容れよう筈も無いだろうに」
視界の片隅で男が神父の傍に屈み込み、そっとその瞼に手を伸ばした。触れるな、あの人に触れるな、わたしの――
「!」
次の瞬間。叩きつけるような吹雪が、男の身体に横殴りに襲い掛かった。わたしはそれを自分がやったということに、何故だか疑問も抱かず、凄まじい快感に甲高い笑い声をあげていた。
痛みは嘘のように消えていた。身体を起こすと右腕と左足が千切れたけれど、ちっとも痛くなかった。
「あはははははッ!
殺す、殺シてやル、人間ナンテ……!」
軽く片手を振るだけで、激しい吹雪が刃と化し男を切り裂いた。はじめは腕、つぎには足……もうすこし力をこめれば首だって飛ばせるだろう、わたしにはそれがわかっていた。
そしてそれを実行へと移すため、腕を振り上げる。
振り下ろす。
舞う紅。紅。紅紅紅紅。黒。白白。金。
――吹雪が荒れ狂う度に、わたしの中でなにか大切なものが音をたてて凍り付いていく。不吉な黒は血の紅と雪の白に染まり、わたしを脅かすものはいなくなる。ああ、これでわたしはしあわせになる事ができるのだ。あの人と。
……あのひと と ?
吹雪が少しずつ弱まってゆく。宙を舞っていた白と紅と黒と金は、ゆっくりと舞い落ち動かなくなった。
わたしは、雪の上に散る『金』を見つめた。……これは何だろう? 太陽のような黄金色。黒を纏い、青空の色を持つ、黄金色。とても愛しい、色。
わたしは、もう、それが何なのか思い出せなかった。
* * *
これは、かなしい物語。
雪のような白銀色の髪をした死神の物語。
何度も生まれては出会い、しあわせになる道を探す物語。
願わくは、次の物語ではふたりがしあわせになりますように。
願わくは、次の物語ではその町に春が訪れますように。
――作者不明『雪と死神』より
この二人……いや三人は、何度も何度も繰り返すのです、いつかハッピーエンドを迎えられるまで。