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ゆきとしにがみ  作者: 新矢 晋
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5.

5.

 ……始まりはいつもと同じ朝。 わたしは冷たい水に凍えながら顔を洗い、寝間着から着替えるべく衣装棚に向かっていた。そして、ふとなにかの気配を感じて、手を止めて振り返った。……その瞬間、扉が激しく叩かれた。


「……だれ?」


 誰何の声は打音に掻き消されて聞こえない。激しさを増すその音に、わたしはとても恐ろしくなった。そっと扉に近付いて、小窓の隙間からこっそりと外の様子を伺うと、そこには通りの肉屋の親父さんが居た。無表情にわたしの家の扉を叩き続けて、そして片手に、大きな肉切り包丁を持っていた。

 恐怖の叫びすら喉に引っ掛かって、うまく出てこない。わたしは小窓から後ずさり、おろおろと周囲を見回した。出入り口は、その扉ひとつきり。


「おい、いるんだろう? 《死神》、お前さえいなくなれば……!」


 がちゃがちゃと激しく扉の取っ手が動かされる。鍵なんてそんなにしっかりした作りではない、遅かれ早かれ壊れてしまうだろう。わたしはよろけて後ろの壁に背中をぶつけ、ずるずるとしゃがみ込んでしまった。

 響き続ける扉を叩く音に急かされながら部屋の中を見回したわたしの目に飛び込んできたのは、屋根裏に続く梯子。わたしは咄嗟に、その梯子に縋り付いて上へと登っていた。……足元で、扉の砕けてゆく音が聞こえた。

 屋根裏に辿り着いたわたしは、何年も閉めたままだった小窓を開けて、そこから外に身を乗り出してみた。一面の雪景色、そこにぽつぽつと見える異彩は町の人々。なにかを探しているようだった。『なにか』が何かなんて、考えたくもなかった。

 ――飛び下りるにはすこし高い。屋根に上がるにしたって、今のわたしは裸足で、足を滑らせて落ちでもしたらお話にならない。

 けれど状況はわたしに逡巡する暇さえ与えてくれなくて、階下が急に騒がしくなった。どうやら扉が破られてしまったらしい。このままではじきに見付かってしまうだろう。わたしは、意を決して窓から身を躍らせた。

 ……そこから後はよく覚えていない。町の人々の怒声と、突き刺すような寒さと、胸を覆い尽くす不安と恐怖がわたしの記憶を曇らせていた。気が付くとわたしは教会の前に居て、何かを考えるより先にその扉を開いて中へと転がり込んでいた。


「エレ、どうして……」


 わたしは息を荒げながら神父を見つめ、何か言おうとしたのだけれど、遠くから怒声が近付いて来るのに気が付いて、祭壇の後ろへと潜り込んだ。かたかたと震えて、自分の肩を抱いて、まるで、怯えた小動物のように。


「こっちにあの娘が来なかったか?!」


 耳をつく声。わたしは耳を塞いで、身を縮めて、呼吸さえも止めていた。


「……あの娘?」


「《死神》だよ、あの白銀の髪をした! こっちに来たはずなんだが……」


 一瞬の間が、永遠にも感じられた。わたしは、視界を覆うわたしの白銀色の髪を、じっと見つめていた。恐怖に歯が鳴り出しそうなのを、懸命に堪えながら。


「……《死神》など、来てはいませんよ。どこか別のところへ逃げてしまったのではありませんか?」


 いつもと少しも変わらない神父の声。相手はそうか、と短く答えると、教会を後にした。その気配が消えてしまってから、わたしは大きく息を吐き出して、それからおそるおそる祭壇の後ろから這い出した。

 神父が、わたしを見ていた。

 困ったような顔をして、わたしを見つめていた。


「……どうしてここへ来てしまったんです」


「あ、わ、わたし……」


 まだうまく喋れないわたしを見て、神父はゆっくりと祭壇へと歩み寄る。一歩、また一歩と踏み出しながら、独白じみた台詞を紡ぎ続けた。


「《夜》が町の人間を焚き付けたのでしょうね、全く、趣味の悪い」


 神父は、しゃがみ込んでいるわたしの隣に立ち、わたしの方を見ようとせずに、祭壇の女神像に手を伸ばした。そして、像を横にずらしてゆく。


「そうそう、まだお話していませんでしたね」


 何か、硬いもの同士が擦れる音。つい先日聞いたのと、よく似た音。そう、それは、あの不吉な黒い男がたてた音と、よく似た……。


「僕は、……《死神》を殺すために、やってきたんですよ」


 ほんとうに何でもないことのように、天気の話でもするかのように淡々と紡がれる台詞に、わたしの頭がついてゆかない。わたしは堂々巡りを始めてしまいそうな思考の中、一生懸命神父の言葉の意味を考えていた。

 ――……死神。それは、たしか、わたしのことではなかっただろう、か?

 顔を上げたわたしの、その目の前で。銀色の刃が、煌めいていた。


「ア、 スル……?」


 喉が渇いて、うまく言葉が紡げない。神父の名を呼ぶ声さえ、ひどく掠れてしまっていた。


「……昔、この町には一人の神父が居ました」


 神父はわたしの言葉に答えてはくれなかった。ひどく冷たい目でわたしを見て、まるで舞台の上にでも居るかのように、脚本でも読まされているかのように、台詞を紡ぎ続けていた。


「神父はひとりの女と恋に落ちたのですが……不運なことに、その女は人ならざるもの、雪の眷属、《死神》だったのです。神父は最後までその女を守ろうとしましたが、それは叶わず、神父も女も殺されてしまいました。

 そして……女は、この町に呪いをかけました。降り続ける雪が、神父を殺した町の人々を凍り付かせてしまうように」


 そこまで言うと、神父は乾いた唇を舐め、わたしに突きつけていた細身の長剣をゆっくりと振り上げた。……わたしはそれを、どこか他人事のように見つめていた。


「呪いには楔が必要です。それが、《死神》の転生たる貴女。

 ……貴女を殺せば、この町を凍らせる呪いは解ける」


 ――ああ、わたしは神父に殺されてしまうのだろうか。痛いのは嫌だけれど、何故だろう、動けない。

 わたしは、ゆっくりと、瞳を閉じた。

 風を切る音がして、――からん、と硬い物が落ちる音。

 わたしが再び瞳を開くと、神父はその手から長剣を離して、顔を覆ってしゃがみ込んでいた。


「……吐き気がする」


 ゆっくりとその顔を覆う手を外すと、神父は今にも泣き出しそうな、何かに耐えているような表情をしていた。神父は太陽のような黄金色の髪を掻き毟り、喉の奥から搾り出すような声で呟いた。


「貴女を殺してまで成さなければならない『使命』とは何ですか?

 昔のひとが蒔いた種なのに、何故その後始末を僕がしなければならないんですか?

 僕は、僕はただ……」


 わたしは、そっと神父に歩み寄ると、そのきつく握り締められ震える拳に手を重ねた。びく、と震えて身を引こうとするのに、出来るだけ優しい声をかける。


「……アスル」


 おそるおそるわたしを見る、その青空のような瞳は濡れていて。


「いっしょに、逃げましょう」


 わたしの台詞に、大きく見開かれた。




  *  *  *




 神父と娘が死んだその日から、その町に降る雪は止まなくなりました。

 人々はその町から逃げ出そうとしました。

 けれど、逃げ出そうとする度吹雪が激しさを増し、道を塞いでしまいました。

 まずは老人、その次は子供。町の人々は少しずつ凍えて死んでゆきました。

 ……そして、今もその町には雪が降り続けています。

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