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ゆきとしにがみ  作者: 新矢 晋
3/7

3.

3.

 神父がこの町にやってきてから一月が経とうとしていた。相変わらず町の人々の大半は神父に冷たかったけれど、教会の修繕はすこしずつ進んでいった。

 わたしはといえば、毎日のように教会へ向かい神父の手伝いをしていた。自分から他人に関わることなど滅多に無いわたしが、だ。その理由を考えて、考えて、わたしは神父に惹かれている自分に気付いた。……自覚してしまえばあとは転がり落ちるようなもの、わたしは、神父を好きになってしまっていたのだ。

 それでもわたしはいつもと同じように目覚めて、いつもと同じように教会に向かい、いつもと同じように通りを歩いていた。片手には籐の籠、その中には休憩の時にでも食べようと思った焼き菓子。

 教会が視界に入り、幾分建物としての体裁が整ってきたそこへ歩み寄ろうとしたその時、わたしの耳に誰かの話し声が届いた。


「……いつまでのんびりしているつもりだ、《太陽(アスル)》」


 低く掠れた、真冬の風のように冷たい男の声。寒さには慣れているはずなのに寒気がして、わたしは外套を身体に引き寄せた。


「焦りは禁物ですよ、《(ノール)》。

 相手は、……なのですから」


 風にさらわれて聞き取り難いが、続いて聞こえた声は、あの神父の声だった。それに気付いた瞬間、わたしの足はその場に縫い付けられたように動かなくなった。……立ち聞きなど誉められたことではない。けれど、わたしは何故かその会話がとても気になったのだ。


「忘れるな《太陽》。お前は何の為にここへ来たのか……」


「わかっています。……もう少しですよ」


 そして聞こえた神父の声は、今まで聞いたことのないぐらい冷え切って寒々としていて、けれど、どこか悲しそうだった。

 その言葉に相手がなにか返して、それから、足音がこちらへと近付いてきた。身を隠す暇もなく、わたしの目の前に現れたのは、黒髪の男だった。艶の無い、烏を思わせる黒髪が揺れるのが、どこか不吉に感じられた。

 男は爬虫類のようないやらしい黄色の瞳で、わたしをじろりと見た。わたしの頭のてっぺんから爪先までじろじろと眺めてから、口元を一瞬歪め、足早に去っていってしまった。


「誰かそこに居るのですか」


 普段よりも鋭い、険のある神父の誰何に、わたしはおそるおそる教会の中を覗き込んだ。……神父が、壁にもたれかかって鋭い目でこちらを見ていた。


「……ああ、貴女でしたか」


 わたしに気付くと、神父はどこか慌てた様子で壁から背を離し、いつもと同じ柔らかな笑みを浮かべた。けれどもそれは、どこか仮面じみて。わたしは、それには気付かないふりをした。

 ――さっきの男は何者で、神父とはどういう関係なのか。

 訪ねたいことは山ほどあったけれど、わたしは言い出すことが出来なかった。微妙な空気を振り払うように、持って来た籐籠を示しながら、つとめて明るい声で神父に話しかけた。


「焼き菓子をもってきたの、休憩のときにでも食べましょう」


 神父はわたしに歩み寄ると籠の中を覗き込み、へぇ、と感心したような声をあげた。その調子はいつもと同じで、わたしはようやく安心した。


「手作りですか、美味しそうですね。

 ……風味が落ちては勿体無い、先に頂きましょう」


 そう言って、まるで子供のような笑みを浮かべる神父を見て、わたしはさきほどおさまった不安がまた頭をもたげるのを感じた。――どうしてだろう、彼はいつものように笑っているのに。

 籠の中から焼き菓子を取り出そうと神父に背を向けたわたしは、ひと瞬き後、視線を感じた。それはとても強い、身体を貫くような視線。今この場所に居るのはわたしと神父だけなのだから、視線の主は神父なのだろうが……わたしは、動くことが出来なくなった。

 わたしをとらえて離さない視線。背後で空気がゆっくりと動くのを感じたが、わたしは微動だに出来なかった。ゆっくりとした足音、息遣い、そして……。

 気が付いた時には、わたしは神父の腕の中に居た。教会の床に、籠が落ちた。

 背中に感じる熱、腰に回された腕。背後から、まるで包み込むかのように抱き締められて、わたしはあたまの中が真っ白になり、ぱくぱくと溺れる魚のように口を動かしたあと、喉の奥から言葉を搾り出した。


「し、神父さま……?」


「アスル、です」


 わたしを抱く神父の腕に、更に力がこめられて。わたしはますます動揺して、自分のつまさきをじっと見つめていた。耳元を擽る神父の声が、吐息が、わたしの頭から思考能力を削ぎ落としてゆく。


「アスルです、名前で呼んで下さい……エレ」


 ――その時わたしの身体を貫いたものを。わたしを突き動かそうとする感情を。ごまかすことなんて、出来そうになかった。


「……アスル」


 わたしがおそるおそる名前を呼ぶと、神父はちいさく息を吐いた。そして腕の力を抜くと、わたしの身体を回転させ、向かい合うように体勢を変えた。……青空の色をした瞳が、わたしを真っ直ぐ見つめていた。


「好きです」


 紡がれた言葉は、まるで、懺悔でもするかのよう。――何故か、そう思った。


「貴女の事が好きなんです……どうしようもない、ぐらい」


 神父の震える指先がわたしの頬に触れた。そっと、まるで壊れ物に触るように。それからゆっくりとその指先は滑り降りて、わたしの顎を捕える。


「嫌なら、突き飛ばして逃げて下さい……」


 視界が黄金色と蒼色とで覆われてゆく。わたしは動けなかった。……いや、動かなかった。神父が泣き笑いのような表情を浮かべて、『拒まないんですね』と唇の動きだけで囁いた次の瞬間、わたしと神父の唇は重なっていた。

 触れるだけの、子供じみた口付け。けれど、触れたところからとけてゆきそうなほど、熱い。

 ――このまま時間が止まってしまえばいいのに。

 そんなことを思っているうちに、神父の唇はわたしのそれから離れてしまう。思わずわたしが神父の服の裾を掴むと、神父は驚いたようにわたしを見つめてから、再び唇を重ねてきた。今度はさっきよりも長く、わたしの腰に腕を回してしっかりと抱き寄せながら。




  *  *  *




 まじない師の言葉を信じた町の人々が教会へと押し寄せました。


「彼女はただの善良な女性です、私達とおなじ人間なのですよ!」


 神父の必死の叫びも、熱病に浮かされた町の人々には届きませんでした。

 人々の持った刃がひらめき、神父は切り捨てられました。

 その瞬間。町の人々を、一陣の吹雪が襲いました。

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