1.
この町に雪が降り始めてから、どれだけの時間が経っただろう。『わたし』が生まれた時に降り出したのだから、十五年降り続いていることになる。
……この町から春を奪い、音を奪い、命を奪う、雪。
雪の妖精達はくるくると舞い踊り降り積もるだけなのに、人間達はそれに翻弄され、町は徐々に凍り付いてゆく。
――この町の名は、『静寂の町』。
この町には、絶える事なく雪が降り続けている。
1.
百合の花弁が散るように、白い欠片が天より降る。ひらりひらりと舞い降りて、白の上へと降り積もってゆく。今夜のような雪が降る夜は、人々は早々に帰路につき家の中で身を寄せ合い、出歩いたりはしない。
雪は、人を凍らせ死に至らせる。少しずつ、穏やかに、けれど確実に、死を運んでくる。だから、こんな雪の降る夜は、誰も外へ出ない。羊のように身を寄せ合い、囁き合い、雪が弱まるのをただ、待つ。 けれどわたしは、空から舞い降りる雪六花を見るのがとても好きで、寒々とした家へ帰る気にはなれなかったものだから、冷え切った指先に息を吐きかけながら通りを歩いていた。時折、通りに面した家の窓から視線を感じ、でもそちらへ視線を流す頃にはもう誰も覗いてはいない。
わたしは、ひとりで歩む。わたしは、異端者。
はぁ、と再び指先に息を吐きかける。白く染まった生温い吐息は、指先を温める前に冷めてしまう。指先を擦り合わせながら空を見上げると、重苦しい灰色の雲。そこから舞い降りたひとひらの雪が、私の鼻先でとけて消えた。
……ふと気が付くと、わたしは町外れにまで来ていた。
今夜でなくとも誰も居ない、打ち捨てられた小さな教会――神話を模した色硝子は割れ、扉は完全に風化し崩れ落ちて、そして、石壁はまるで一度燃されたかのように煤けている――ぐらいしかないその場所が、わたしは好きだった。
この教会の周りは不思議と雪が浅く、昼間は雲越しの日差しもこころなしか温かく感じられる。気分の問題、だろうか。
さくさくと雪を踏みながら教会へと近付いて行ったわたしは、見慣れないものを視界にとらえて足を止めた。
それは、ひとりの男だった。
荒れた教会の前で空を見上げて佇むその男は、唇をきつく引き結んで、何かに腹を立てているような、それでいてとても悲しげな表情をしていた。
「……ん?」
男はこちらに気が付いたらしく、ゆっくりと振り返った。この町では珍しい黄金色の髪が揺れて、わたしは、この町では雲の切れ目から覗き見るのが精々の太陽を思い出した。
そして、こちらを見た男の瞳は青空を思わせる碧眼で、どうしてこうもこの町にそぐわない色彩ばかりを見せ付けてくるのかと、わたしは見当外れな不満を抱いていた。
「今晩は。お散歩ですか?」
微笑みながら首を傾げる男の胸元で聖印が揺れ、それからよく見るとその服も法衣であることに気が付いたわたしは、聖職者……恐らくは神父の類か、と男の正体にあたりをつけ、その瞬間頭の奥でなにかが警告を発したのに気付かないふりをした。
「ええ、あなたは……?」
この町は狭い。そして閉鎖的だ。周囲を雪に閉ざされてから、外部の人間といえば、たまに王都から派遣されてくる役人ぐらい。……不審がわたしの顔に出ていたのだろうか、男は困ったように笑うと、その黄金色の髪をついとかき上げた。
「僕はアスル、アスル=ベルナディーテ。
王都からこの町へ派遣されてきた神父、なのですが……」
まさかここまでとは、と苦笑混じりに呟きながら傍らの教会を見上げた男を尻目に、わたしは身体の震えを懸命に抑えていた。寒いわけではない。なのに、気を抜くと膝が笑い出しそうだ。
――若い神父。王都から派遣されてきた。太陽のような黄金色の髪、晴れた空のような蒼い瞳。それから、笑顔……。
「よろしければ、貴女のお名前を教えて頂けませんか?」
耳を打った男の台詞に、ようやくわたしは我に返った。理由のわからない焦燥感も、なにかに対する恐れも、煙のように消え失せていた。
ふるりと頭を振ってから、わたしは顔を上げて、口を開いた。
「わたしは、……エレ」
* * *
むかしむかし、その町にひとりの神父がやってきました。
はじめは、町の人々は神父を拒んでいました。
けれど、その温かい人柄に触れ、人々は神父を慕うようになりました。
ある日、神父はひとりの娘が行き倒れているところを助けました。
まるで雪のような白銀色の髪をした、とてもうつくしい娘でした。
……神父と娘が恋に落ちるまで、それほど時間はかかりませんでした。