サラリーマンの心残り
「まったく、部長ときたら、また無理な売上目標を設定してきた。」
黄昏の公園のベンチに、一人の中年サラリーマンが疲れた顔で座っていた。スーツを着て、雲を見上げながら文句を言った。
「おじいちゃん、疲れてるの?」
突然の女の子の声に、男は視線を前に戻す。小1くらいの女の子が彼を見つめた。男は優しい声で返事をした。
「ええ、休憩中です。」
女の子がちょこんと彼の隣に座って、何かを思い出しながら言った。
「レイコのパパも時々同じ顔をするんです。仕事は疲れてるのかな?」
「レイコちゃんのパパはどんな仕事をしているんだい?」
「分かんない。パパが自分の仕事は『サラリーマン』って言った。でもママがパパの仕事は『しゃちく』って言った。」
男は思わず笑った。
「まぁ、同じ事です。」
「そうなの?」
「ええ。」
「でもレイコはパパの疲れた顔を好きじゃない。何かをしてあげたいです。」
「そうだね。パパが帰ってくる時は笑顔で迎えればいいよ。」
「それだけでいいの?」
「ええ。パパはきっと家族の為に頑張ってるんだ。家族の笑顔を見たら、それはもう元気になるよ。」
「そうか。」
男は自分の事を思い返した。妻は他界した。男手一つで娘を育った。疲れた体で帰った時、娘の笑顔は彼の癒しだ。
公園に行き交う人々も増えた。皆が二人の前を通った時、胡乱な目つきで彼らを見た。
(他人から見れば、怪しい中年と女の子の組み合わせだな。怪しまれても仕方ない。)
「所でレイコちゃん、次は知らない男に話しかけない方がいいよ。」
「ううん、知らないではないよ。おじいちゃんの写真は家にあるもん。ママもおじいちゃんはいい人だって言ってた。」
(多分、スーツを着た中年の写真だろう。子供がまだ見分けられないのか。)
その時、女の声が聞こえた。
「レイコ!勝手に離れないでっていつも言ってるでしょう。」
「あ、ママだ。じゃね、おじいちゃん。」
女の子はその女性へ走った。女は娘の手をつないで公園から去った。男に一目も向けない、まるで見えないかのように。
男は呆然とその女を見つめた。その声、その姿、自分の娘とそっくりだ。そして、段々と思い出した。
「そうか。俺は死んだのか。娘の事が心配で、地縛霊までになったのか。でも、今は幸せそうで安心した。」
男は満足そうに目を閉じた。意識も薄れていく。それでも、娘の幸せそうな姿が瞼に映って消えない。
「さようなら。幸せにな。」
風が吹く。そこはもう誰もいない。