9 学食
ところが今は、気兼ねなく食堂を利用できる立場にいる。
「がく…しょく…」
隆一がつぶやくと、
「やっぱりね。綾香から聞いてるんでしょ。いとしの王子様を見たいよね?」
いとしの王子様? なんのこっちゃ。隆一はよくわからないまま、うなずいた。うなずいていれば、とりあえずは返事していることになる。うなずきって、こんなに便利だったんだ。
「今日もくるかなあ、綾香のお気に入りの彼」
さっちゃんは主食をたいらげ、残ったいちごをほおばった。
お気に入りの彼? ははあ。布引から昼を食べに来る男子の中に、好きな奴がいるんだな。どんな奴か見てやるか。隆一は思いがけない楽しみができて、ちょっとうきうきした。それにしても、弁当の匂いをかいでいると、たしかに腹がすいてくるぜ。
「綾香、学校に来たがってたでしょう? かわいそうに」
さっちゃんの何気ない一言に、隆一は硬直した。
「相手の男を一生うらんでやる、なんて言ってたけど、ほんと、事故起こすなんて最低だよね。綾香がいなくて、あたし、さびしい」
なにが一生うらんでやる、だよ。お互いさまだっつーの。どっちかっていうと、おれのほうが被害者だぜ、こんなざまにさせられてよ。
隆一は心の中でつぶやきながら、形だけの、不本意なうなずきを返した。
三時間目の終わりを知らせる鐘が鳴った。やった、飯の時間だ。伸びをした隆一の手をさっちゃんががっしりつかんだ。
「さ、行くよ!」
気合満々である。またもや隆一はひきずられるようにして学食へ連れて行かれた。
「ぐずぐずしていると混雑するからね。その前に着かないと」
さっちゃんと隆一のあとを追うように、他の生徒も廊下を走っていく。
「さっちゃーん!」
学食のそばで、声をかけて近づいてくるのは、写真で見た女の子だ。ええと…名前はなんていったっけ。
「あ、やっちん」
さっちゃんが笑顔で応える。そうそう、やっちんだ。たしか…新聞部で…秀才だとか言ってたっけ。
「あー、間に合ってよかったあ。あたし、もう食券買ってあるんだ、へへ」
やっちんはさっと食券を出した。
「さすが、やっちん。あ、ねえ、この子」
さっちゃんは隆一を見やり、やっちんに目配せした。
「あ、綾香のいとこの…」
隆一はうなずき、
「よろしく……ね」
と、歯が浮くような女言葉をぎこちなく言った。
「こちらこそ、よろしくね」
やっちんは無邪気に笑った。食堂には大勢の生徒が押し寄せ、すでに列ができていた。やっちんは、先に並んでるからね、と手で合図をする。おいしそうな匂いに、隆一は思わず気がゆるんだ。
「日替わり定食でいいでしょ、杉村さん」
さっちゃんが食券販売機の前であたふたと財布を出す。隆一はポケットの中から小銭をじゃらじゃら出しながら、
「それと、カツカレーも。いくら?」
と声をかけた。
うなずいてるだけの隆一しか見ていないさっちゃんは、あまりの男っぽい言い草に、戸惑った。それに、財布を持たずにポケットに小銭を入れている生徒も、初めて見たのであった。
「ず、ずいぶんおなかがすいてるんだね」
さっちゃんはぎこちなく言ったが、隆一は小銭を数えるのに必死で、女装していることを忘れていた。
「普通だよ、そんなの」
と答えたあとに、はたと気がついた。
「あ、その…実は、けっこう大食漢なの…」
とまごつきながらごまかす。さっちゃんは隆一の分の食券も持って、手招きしているやっちんのところへ走った。
「早弁しないと、やっぱだめだね…」
隆一は念押しでそう言い、合計金額をさっちゃんに手渡すと、さっちゃんは納得したように言った。
「そっか、早弁してなかったものね、杉村さん。あたしもやせの大食いだから、おんなじだね!」
隆一はひとまずほっとした。おなかがすいていて、緊張感が切れてしまった。どこでボロが出るかわからない。油断は禁物だ。
「ね、杉村さん、財布持たない主義?」
隆一はぽかんとした顔をした。どうしてそんなことを聞くのだろう。
「財布?」
「うん。ポケットにそのままお金入れてると、なくすんじゃないかなって」
それを聞いたやっちんが割り込んできた。
「あたしの兄さんも財布持たないのよね。かさばるからわずらわしいんだって。男の人ってだいたいそうみたい」
隆一はそこで初めて、財布を持っていない自分を見るさっちゃんの白い目の理由がわかった。そんな細かいところまで見てるのか…。隆一はどう返答してよいかわからなかったし、下手な理由をつけて余計うさんくさく思われるのも嫌だった。隆一が財布を持たないのは、結局のところ、やっちんのお兄さんと同じ理由なのだから、
「あたしもおんなじ…」
と答えるしかなかった。
「杉村さんって、男きょうだいいる?」
「え、う、ううん…」
いつものようにうなずけばいいものを、隆一はそのときに限って正直に答えていた。
「ふうん…。でも杉村さんって、どっか男っぽいところあるよね」
さっちゃんは何気なくそう言ったのだが、隆一は心臓がバクバク早まるのを感じた。い、いかん…ごまかさなくては…。
「う、うん…よくそういわれる…それが嫌で…」
そう言って、隆一は黙った。さっちゃんもやっちんも、ばつが悪そうに黙ってしまった。つまり、引きこもりになった理由はそれだというふうに解釈したのである。
それは、隆一にとってラッキーだった。おかげで、それ以上話す必要はなく、三人は定食を載せたトレーをかかえて席に着いた。