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おれは女子高生  作者: 奥田実紀
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41 人生の先輩

 隆一は、いつの間にか『鍵の穴』の前に来ていた。園田に会いたかった。思い切って、ノブを回す。ドアは開いた。中には、ママひとりがいた。


「あら、ほんとに来たのね」

 ママはうれしそうに言った。まるで、隆一が来ることをわかっていたみたいだった。


隆一は、園田がいなくてがっかりしてドアのところで立ったままでいた。ママが座るよう、うながす。隆一は言われた通り、ソファに座った。

 背後でドアが開き、誰かが入ってくるのがわかった。園田かもしれない。隆一が振り返ってみると、

「あら…!」

 女性の方が先に気付いた。総体の時に会った、タウン情報誌の編集長だった。


「知ってるの?」

 隆一が尋ねるより先に、ママが口を開いた。

「うん。この間、総体の取材で会ったのよね」


 同意をうながされた隆一は、きまり悪そうにうなずいた。まさか、こんなところで再会するなんて。タイミング悪過ぎだ。


「へえー、意外」

 ママがそう言うと、即座に「それはこっちのセリフ!」と、編集長が応じる。二人の親密さが隆一に伝わってくる。この二人はいったい…。


「あ、なに、その目。この人、私の兄だから」

 編集長が、隆一のけげんな顔を察して説明を加えた。兄? ママが編集長の? 思ってもいなかった展開に、隆一は驚きを隠せない。

そんな隆一がおもしろくて、編集長とママが揃ってくすっと笑った。編集長は隆一の前に腰を降ろし、ママが運んできた水をごくっと飲みほした。


「私のほうが驚いているんだけど。女子高生がこんなお店に来るなんて」

 編集長は、ママのほうを責めるような目でみやった。


「あら、私を疑ってるの? いやあね。説明してやってちょうだいよ」

 ママは隆一にふったが、隆一はどう答えたらいいのか、見当さえつかない。


「おれが…勝手に来たんです…」

 そう言うのが精一杯だった。混乱していた隆一は、男に戻ってしまっていた。大股開きは、スカートをはいていてもわかる。


「おれ…?」

 編集長が反応したのを見て、ママがすかさずやってきて、編集長の横に座った。

「この子、切羽詰ってるの。そうでしょ?」


 隆一は静かにうなずいた。しばらくの沈黙。ママと編集長が、同時にタバコに火をつけた。もうどうでもいいや。この編集長に話したところで、事がよくなるわけでもない。どうせばれちゃったんだから、誰に話したって、もう、一緒だ。隆一はため息をつき、

「同級生に、ばれちゃいました…」

 と、告白した。ママはいつも通りの様子で、ふうっと煙をはいた。


「女装を命じた相手が、ばらしちゃったんです…さっき」

 隆一は話したことで少し気が楽になった。持っていたタバコの灰が、編集長の黒いパンツの上に、ぽとりと落ちた。熱さに驚いた編集長があわててタバコと灰を片づけている。さすがの編集長も訳がわからなくて戸惑っているようだ。


ママが、事の次第をかいつまんで説明してくれたのは、ありがたかった。隆一には、話す気力が残っていなかったから。

編集長は口をはさむでもなく、淡々とママの話を聞いていた。隆一の女装をじろじろ観察することもできたのに、編集長はそんな下品なまねはしなかった。むしろ、同情を寄せるようなやさしい表情で、時折うなづいた。


その静かなふるまいが、隆一の気持ちをやわらげ、安心感さえ与えてくれた。一度しか会っていないのに、どうしてこんなに近く感じるのか、隆一には不思議だった。

話し終わると、編集長は、失礼、と言って席を立ち、店の奥に消えた。気をきかせてくれたのだろうか。隆一はママの目をやっと見ることができた。


「すいません…迷惑かけて…おれ、どうしていいかわからなくなっちゃって…」

「バーカ」

 ママはまたタバコに火をつけた。

「余計なアドバイスかもしれないけど…人生の先輩から言わせてもらうわね。もう女子高生は、今日で終わり。その子から解放される時がきたのよ」


 隆一が女子高生になってから、かれこれ二週間が過ぎていた。綾香の退院の予定も話題にのぼっていたから、そのあとのことを真剣に考えないといけないとは思っていたのだ。が、突然終わりだと言われると、困惑する。さよならも言わないままで…終わるのか? 


「その子のこと、許してあげなさい。自分でばらしたくてばらしたんじゃなくて、それしかできなかったんだと思うわ」

ママは半分も吸っていないのに、タバコをもみ消した。


「あんたを引き止めておきたかったのね、自分のところに…。かわいいじゃないの」

 隆一は黙って聞きながら、綾香の顔を思い出していた。ごめん、言っちゃった…そんな顔をしていたっけ。おれは綾香を許せるのだろうか。せっかく心が通ったと思ったのに、あんなことをされて。すべてをぶち壊されて。


「ママなら、許してあげますか」

 隆一はママをまっすぐ見た。


「当たり前でしょう? 怒ってる間は、何もはじまらないもの」

 ママはそんなこともわからないのか、というあきれ顔をした。


「あんた、そんなに心の狭い人間だったの? あんただって、今まで何度も何度もいろんな人に許されてきたんじゃない、気づいてないかもしれないけど」

ぐさっときた。こんな、説教師みたいな明言をニューハーフから聞くとは思わなかった。あ、自分はまだ偏見の目でいる、隆一はそれに気づいて、反省した。


よくよく考えてみろ。自分も綾香に許してもらったことがあっただろう。助けてももらった。笑い事で済ませられることではないが、綾香を許してあげなくてはならない。

「そうですね…」


隆一は顔をしゃきっとあげ、「ありがとうございます」とママに告げた。そこに、編集長が戻ってきた。額に入った写真を、隆一に見せてくれる。


「これ、小さい時の兄と私」


 そこには黄色い帽子をかぶり、ランドセルをしょって、ピースサインをしている二人の小学生が写っていた。二人との同じ顔をしている…。髪の毛の長さが違わなければ、どちらが兄で、どちらが妹か、わからないくらいだった。


「こっちが兄よ。髪型が同じだと双子みたいでね。だから私、髪をのばすことにしたの」

 編集長もママも、懐かしそうに写真に見入った。


「こんな同じような顔のきょうだいでも、大きくなれば違う人生を歩む。最初は、兄がオカマになるなんて、許せなかったわ。周りにどんなに笑われるか。いじめられるか。両親も大反対、勘当するとまで言われたわね」


 そうだろう。兄だった人が、突然ニューハーフになったら、自分と同じ女性になるとなったら、はいそうですかとは言えない。ママはきまり悪そうに黙っている。


「でもね…兄は一生懸命に戦って、女になりきることはしなかった。私の兄でいることをやめなかった…。兄なりに、つらかったと思うのよ。でも、男として生まれたことを捨てなかった。

私…思ったの。どんなふうに飾ろうとも、兄はずっと私の兄。中にある兄の部分は変わらないんだって。そう思ったら、なんか、吹っ切れてね。いろいろあっても、兄は兄。こんな見てくれでも、兄は兄。私、兄が大好きよ」

編集長はママににっこりと笑いかけた。照れくさくなったママは、話を隆一にふった。


「男に戻れて、うれしい?」

「もちろん」

隆一は笑いながらもきっぱりと言った。


「こんな完璧な女の子、なかなかいないわよね。ここでニューハーフを数多く見てるこの私でも、わからなかったわ。惜しいわー。この仕事する気、本当にないの?」

 編集長がからかうと、「私と同じこと言ってる」とママが笑った。


 帰り際、編集長が隆一に声をかけた。

「もしタウン誌の仕事がやりたかったら、いつでも来て。もちろん、アルバイトからよ。どんな子か、よく確めないとね」

「おれで…いいんですか…」

 隆一がびっくりすると、編集長がぽんと隆一の肩をたたいた。


「私、あなたに名刺を渡したのよねえ…」

 総体を思い返す。あの時、編集長は明らかに部長とわかるヤワラちゃんにではなく、自分に名刺を差し出していた、確かに。


「なんでかしら。ご縁ってそういうものなのかな」

 隆一は編集長の思いやりに感謝した。とんだめにあってはいても、それと同じくらい、いいこともあるものだ。それでとんとん、人生うまい具合に流れている…。


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