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おれは女子高生  作者: 奥田実紀
30/42

30 母のけじめ

貴之と分かれてアパートへ帰ると、隆一の母親がドアの前にうずくまっていた。

「あ、やっと帰って来たね」


 母親はよっこらしょ、と腰を上げ、野菜のいっぱい入ったビニール袋をかざした。

「野菜食べないと、もたないよ」

「あ、ああ…」


 今日も綾香の病院へ行ってきたのだろうか。疲れているだろうに、ここでおれを待ってたのか…。


「携帯に電話くれればよかったのに」

 鍵を開けながら隆一はぼそっとつぶやく。なんだか申し訳なさがこみあげてきて、母親の顔が見れなかった。

中に入ると、母親は慣れた手つきで、まな板を出して野菜を小分けにしたり、ゆでたりして、ビニール袋やパックに入れて冷凍保存した。明日の朝にと、おひたしや、味噌汁も作ってくれた。


「女子高グッズがないね」

 お茶を入れた湯呑みを持ちながら、作業を終えた母親が和室に入ってきて言った。


「さっき、貴之が来たんだよ。慌てたのなんの」

「そうかい。よくばれなかったもんだ」

「あぶなかったけどな」


 隆一はお茶をすすった。母親はお茶には手をつけず、テレビスイッチを入れながら、

「あすこの家も、瑤子ちゃんの進学でもめてるらしいね」

 とため息をついた。


「瑤子ちゃんはしっかりしてるから心配ないけど、あんたは…どうするね…仕事」

 来た。家に帰って農業をやることをもう決めろと言いたいのだ。隆一はもう、それでもいいかなと思い始めていた。ただ、そう口にしてしまったら、決定になってしまう。後戻りはできない。なにかが、進むのをためらわせている。


「あんたが農業が嫌いなのはわかってるよ。だけど…どう世の中がころんでも、生きてはいけるんだ。食べ物さえあれば」


 母親はそこで言葉を切った。母親は戦争を体験してはいないが、親から、戦争の苦しさを、覚えるほど、教えられてきた。生きることは、食べること。食べなければ、生きてはいけない…。おなかがすくのに食べられない(金がないから)。その苦しさは、食べ物自体がなかった戦争時とは比べられるはずがないが、隆一も退職してから、いやというほど味わった。


「農業をやりたくないってことじゃないよ。やってもいいと思ってる」

「え!」

 思いがけない返事に、母親は身を乗り出した。希望が見えてきたという顔。


「だけど、なんか違う気がするんだ。今じゃないっていうか。先延ばしってことじゃなくて。これで家に帰ったら、おれ、完全な負け犬じゃん」

「もう負け犬だよ、あんたは」

 母親がきっぱり言った。


「負け犬のどこが悪い。それでも生きて行く根性があればいいんだよ」


 そうかもしれない。負け犬なら負け犬でいいんだ。おれが言いたいのは、負け犬で帰るのが嫌なんじゃなくて、自分の中のけじめっていうか…。


「とにかく、人様がなんて言おうが、あんたに農業をやってもらえるのはうれしいんだ。遠慮しないで帰っておいで。体裁なんか気にしなくていいから」

「……サンキュ…」


 親というのはありがたいものだ。こんなできの悪い息子でも、気にかけてくれている。尻ぬぐいを黙ってやってくれている…。


「あのさ…あいつのとこに、毎日野菜届けてるんだって?」

 隆一は黙っていられず、言ってしまった。母親は、少しうろたえたが、

「話しちゃったのね…。そうか…あんたが農業をやってもいいなんて言い出したのは、あの子の影響か。なんだかんだ言って、うまくいてるんじゃないの」


「う、うまくなんかやってねえよ。今すぐだってやめたいぐらいだ。あいつの影響なんか、ぜんぜんねーって」

 隆一はむきになって言った。

「もう野菜だって届ける必要ないんだ」


母親は隆一に諭すように言った。

「これはね、あんたとは関係ないの。私が勝手にしていること。やめるつもりはないよ。私のけじめなんだから」

 けじめ。隆一が求めているけじめを、母親はすでにつけているのだ、自分なりに考えて。隆一は返す言葉がなかった。


「とにかく、あんたにしてはよくがんばってる。あとちょっと、ふんばんなさい」

 隆一を元気づけようとやってきた母親は、思わぬ展開に気持ちをよくして、帰っていった。がんばるさ、いわれなくても。隆一は自分に言い聞かせた。


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