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おれは女子高生  作者: 奥田実紀
29/42

29 親友の訪問

高総体がはさまったおかげで、男であることがばれるような出来事は起きなかった。教室に閉じこもっているよりも、動いているときのほうが、みんなの視線が散乱し、小さなミスにも気がつかない。

それを抜きにしても、隆一は女子高生であることにだいぶ慣れてきていた。


時計が10時をすぎた時、隆一の携帯電話が鳴った。まどろんでいた隆一は、驚いて飛び起きた。

「も…もしもし…」

 眠たそうな声で出ると、聞きなれた懐かしいがなり声が聞こえた。


「おー、隆一かあ? おれ」

「たかゆき…?」

 幼稚園の頃からの幼なじみで、親友の貴之だった。貴之は隆一と同じ布引学院を卒業し、工業大学へ進んだ。


「そう。久しぶりだな。お前がひましてんじゃないかと思ってよ。今日は夕方から講義だから、その前にお前んとこに寄ろうと思って」

「おう、いいぜ。今おきたところできたねえけど」


 隆一はまだ半分寝ていて、事の重大さに気づいたのは電話を切ったあとだった。部屋には、女子高の制服をはじめ、運動着や脱毛クリームや基礎化粧品(全部綾香が買えと言ったもの)、コンタクトレンズなど、およそ以前の隆一とは無関係のもの――女の子のものとわかるものであふれていた。


隆一は、窓を思い切り開け、貴之がくるまでの数十分の間に、それらを全部押し入れの中に隠し、慌てて着替えた。汗ばむような天気の日だったが、毛のないつるつるの足を見せるわけにもいかず、隆一は上下長袖長ズボン、そして、髪型を隠すために、たんすの奥にしまってあったくしゃくしゃの野球帽をかぶった。ひげはわざと剃らずにそのままにしておいた。以前つけていた眼鏡も久しぶりにかけた。


 ピンポーン。貴之だ。隆一は元気よく扉を開けた。背の高い、ひょろりとやせた貴之が立っていた。半そでのTシャツに半ズボン。貴之のいつもの格好である。変わったところは何もない。事故のちょっと前に会った以来だから、まだ一ヶ月もたっていなかったが、隆一は何年かぶりに会ったような気がした。


 貴之は「よう」と挨拶すると、いつものように部屋に勝手にあがりこんだ。

「なんか、香水くさくないか、部屋…」

 鼻をくんくんさせながら貴之が何気なく口にする。


「お前、まさか、彼女でも…」

隆一はあわてて窓を開けた。

「ば、ばか。こんなプータローに、彼女なんかできるはずないだろ! あ、あたらしく買った石けんの匂いだろ…」


 化粧品も、石けんと同じようなもんだ。嘘じゃない。隆一は自分に言い聞かせながら、外から入りこんでくる風を思い切り吸い込んだ。今日もいい天気だ。思い切り寝たから、気分もいい。


「お前、暑くないのか、長ズボンなんかはいて。それに、なんで部屋の中で帽子?」


 貴之は笑いながら隆一のベッドにどんと腰をおろした。六畳の小さな部屋に、ベッドと小さな机がひとつしかないので、座るのは畳の上か、ベッドの上しかない。貴之は足が長すぎるからだろう、ベッドの上に座るのが気に入りだった。


「あ、暑くないぜ。さっき起きたばっかりでまだ寝ぼけててな。髪もぐちゃぐちゃだから帽子でごまかしてんだ」


 隆一は適当に理由をつけ、台所でお湯を沸かし始めた。隆一は暑がりだから、本当は貴之のように短パンになりたかったのを、必死に我慢した。


「就職、決まったかあ?」

 貴之が声をかける。隆一が会社をやめてから、会うたびにそれが貴之の口癖のようになっていた。


「まだに決まってんだろ、もうあきらめようかと思ってるとこ。もうすぐ親が連れ戻しにくる」

 隆一はインスタントコーヒーを入れ、お湯をそそいで貴之のところへもっていった。


「え、お前の親が? ってことは…」

「ああ、農家を継げってさ。もう我慢の限界だとよ」


 隆一は窓のさんに腰掛けて、まぶしそうに空を眺めた。昨日の試合がまだまぶたに焼き付いている。

「そっか、夢の世界も終わったか…」

 貴之はコーヒーをぐいっと飲んだ。


かっこいい仕事をしたいと会社を辞めた隆一は、貴之からしても軽率に見えた。自分も親のすねかじりの学生だから、あまり偉そうなことは言えなかったが、もっと現実を見たほうがいいと、ずっと隆一に言ってきた。

一人っ子というのはこういうものなのかもしれないな…貴之は子どもを見るような目で隆一を眺め、

「ま、地に足をつけて働けってことだよ」

 と、先輩風を吹かせていった。


「ああ、もう覚悟はついてる」

 隆一がまじめな顔で答えるので、貴之はびっくりした。てっきり、おれはまだ諦めないぞ、だの、汚い農家の跡取りはいやだ、だの、愚痴を言うかと思っていたのに。色白の、弱弱しい感じだった隆一が、今はうっすら日焼けして、頼もしい感じだ。なにか心境の変化があったのは間違いないが、それよりも今話したいのは隆一のことではなかった。


瑤子(ようこ)も、そのくらいの覚悟を決めてくれりゃいいんだけどよ…」


 貴之は本題を切り出した。瑤子というのは貴之の、中学三年生の妹である。貴之に似て大柄で、スポーツ万能、クラブはテニス部だ。瑤子は部活動に忙しく、隆一が貴之の家に遊びに行っても、ほとんどいない。毎年シングルスで県大会へ行き、最高、準決勝までいったほどの凄腕だ。


「瑤子ちゃんが、どうかしたのか?」

 隆一は意外そうに聞いた。問題を起こすような子ではないからだ。


「進学のことさ。ほら、瑤子はあんまり頭がいいほうじゃないだろ? もちろん、出来が悪いわけでもないけどよ。この間、テニスでの実力が認められて、幸洋(こうよう)高校から特待生の話をもらったんだ」

「へえ、すごいじゃないか」


 隆一は素直に感心した。特待生とは、なかなか声がかかるものではない。特待生といえば、受験は形だけで、成績はそこそこで入れるときく。幸洋高校は私立で、スポーツ選手を養成することにかけては名門だ。多くのプロが卒業生にいる。スポーツ選手を目指す中学生は、ここの特待生を夢見ているという。


「だろ? それなのに、瑤子はそこには行かないっていうんだ。自分にはなりたい職業も、行きたい学校もあるって…」

 貴之はため息をついてから、続けた。


「でさ、なりたいものっていうのが、お前、学校の先生だぜ。行きたい高校は白鳥女子高だって」

白鳥女子高! 隆一の表情が変わったことに気づかず、貴之はしゃべり続ける。


「瑤子の頭じゃ、受かるかどうかはギリギリか、危ないラインだって、この間の三者面談で先生から言われたんだ。そんな危ない橋を渡らずに、テニスで特待生になったほうが、よっぽどいいと思わないか? お金だって助かるし、受験に落ちる心配しなくていいんだし…」


 隆一は貴之の話にうなずきながら、あの瑤子ちゃんが先生になりたいという夢を持っていたということに、興味をもたずにはいられなかった。あれだけテニスをがんばって、優秀な成績をあげていたから、みな、テニス選手になると思っていた。なのに、本当は先生になりたかったのか。


「才能があるんだから、テニスでがんばってみればいいじゃないか。それでプロはだめだってわかったら、先生になる道に転向できるわけだし…。やってもみないうちに諦めるのはおかしいよ、な?」

 貴之は隆一に同意を求める。以前の隆一だったら、まったくだ、と言うところだろう。


「でも…やってもみないうちに諦めるっていうのは、白鳥女子高受験についても言えるよな。ギリギリか、危ないラインってことは、がんばれば可能性があるわけだろ」

 思いがけない隆一の言葉に、貴之は開いた口がふさがらない。


「ま、まあな…」

「瑤子ちゃんは二股かけてるみたいで許せないんだろうな、まっすぐな子だから。あれだけ実力があるのにテニスでいかないっていうのは、なにか自分で確信があるはずだ。そのへんはなにか聞いてるのか?」


 隆一は熱心に問いかけた。いくら幼くても、ちゃんとした考えがあるはずだ。自分の将来のことなんだから、なおさらだ。綾香だって、さっちゃん達だって、みんな、しっかりと考えていたじゃないか。


「県大会行ってみて、自分の実力がわかった、とは言っていたが…自分の限界が見えたって」

 貴之は口をとがらせながら言う。隆一が同意してくれなかったことに機嫌をそこねたのだ。そんな様子にはお構いなしに、隆一はつっこんだ。


「お前だって運動部だったんだから、わかるだろ。ある瞬間、わかっちまうんだ。自分はここまでだなって。それは、そこで諦めるとかいうんじゃなくて、直感だよな。そのまま努力して、ほんの一握りのプロになれるかどうか悩んでいて、その答えが直感でわかっちまうんだ。

きっとその直感ってのは正しいんだ。自分の中から沸いてきた答えなんだよ。瑤子ちゃんは、きっとほかにやるべき道があって、それを選んだんだ、自分の力で…」

 隆一は貴之を見すえた。貴之は、

「そんなに真剣に考えてるとは思えない、あいつは単純で抜けてるし…テニスしかやってこなくて、他のことなんか考えてないしさ…子どもだよ」

と、半信半疑である。


「おれたちが思ってるほど、ばかじゃないし、考えてるもんだぜ、女ってのは。驚くほどしっかりしてるんだ。瑤子ちゃん、覚悟はできてると思うぜ」

 隆一は心の底からそう言った。現に、自分はそういう女の子達を目の当たりにしているのだから。


「お前、やけに確信あるようだけど、その根拠は?」

 貴之が疑わしげに聞いてくる。隆一は、

「似たような境遇にいるからな、おれも」

 そうごまかし、「めしに行こうぜ、めし」と言って、近くの定食屋へと貴之を強引に連れ出した。


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