23 お姫様だっこ
「うちの親、勉強しろ、勉強しろってうるさかったけど、それは、ちゃんとした学力を身につけていれば、大人になって、やりたい仕事を諦めるようなことにならないためだ、って何度も言ってた。やりたい仕事があっても、自分の能力が足りなくて泣きながら別の仕事に就く姿を見たくないんだって」
吉田さんの言葉に、さっちゃんも「そうだよねえ」と同意した。
「親が、無理してでもこの学校に入れ、って言った意味が、なんとなくわかってきたもん。周りがやる気のある人ばっかりだと、刺激されて、あたしもがんばんなくちゃ、って気になるし。成績、あんまりよくないけどさ」
と、さっちゃんは笑った。
この白鳥女子高の生徒は、仕方なく就職するんじゃなくて、ちゃんと自分の道を考え、胸を張って堂々と選んでいる。隆一は、これから勉強しても大学はもう無理だろうから、就職するしかないな、という諦め半分の道を選んだ。
そして、たった一年も我慢ができなかった。事故を起こし、親に怒られ、ださい農業をやらされる運命が待っているのだ。
時が戻ってくれれば、自分がこの子たちと同じ三年生だったら。しかし、そんな奇跡は起こるはずがない。後悔先に立たず。悔やんでも悔やんでも、過ぎ去った過去は戻ってはこない…。
隆一は、この子たちの未来と自分の未来の、あまりのギャップに落ち込みを感じた。ぼんやりしていた隆一の耳に、ガッシャーン! という大きな金属音が飛び込んできた。
「いっっっ…」
旧式なオーブンの重い天板が、数枚飛び散る中に、さっちゃんがうずくまってうめいていた。洗うために、引き出したのが、あやまって足の上に落ちたのだ。天板は洗う必要がないと先生が言っていたが、ピザの残骸が黒こげで残っていたので、さっちゃんは律儀にもきれいにしようとしていた。
「大丈夫?」
みんながさっちゃんの周りに駆け寄る。さっちゃんは、大丈夫と言おうとがんばっているようだが、どうしても大丈夫ではないようだ。
「足の指にちょうど天板の角があたったみたいで…」
上靴を脱ぎ、靴下をめくってみると、左足の指全体が赤くなっている。指は曲がるようだが、骨にひびが入っているかもしれず、先生は「とにかく保健室に」と青ざめた。調理の先生らしからぬ、やせた老齢の先生は、今にも倒れてしまいそうなほどはかなげだった。
「立てる?」
吉田さんの声かけに、さっちゃんは立ちあがったが、ぴょこん、ぴょこん、足を出すのもやっという様子。隆一はまわりこんで、さっちゃんに肩を貸した。
「ありがと…」
ぴょこん、ぴょこん。ぴょこん、ぴょこん。全然といっていいほど進まない。これでは保健室にいつ到着するかわからない。隆一は抱いて連れていったほうが早いと判断し、さっちゃんをさっと抱き上げた。
おおーっ。感嘆の声があがる。やせていて小さいさっちゃんは思った通りに軽かった。40キロ前後か。
「杉村さんて、力持ち…」
吉田さんが目をみはる。
「お姫様抱っこができるんだ…」
他の生徒も小声でつぶやいている。
あ……。お姫様抱っこはまずい…んだな…。隆一はやっと気が付いた。隆一は今、全員の視線を一身に浴びていた。
「あ、ああ、やっぱり無理だああ…」
隆一はわざとらしい演技で、さっちゃんを降ろした。
「軽いから大丈夫だと思ったんだけどね…」
へへっ、と笑って見せ、
「おんぶするのがいいかな」
と言って、しゃがんだ。
さっちゃんは素直に隆一の背中におぶさり、隆一はわざとよたよたしながら、廊下へ出た。ああ、これでひとまず、視線から逃れられた…。隆一はほっとした。が、
「あ、保健室って…どこ…?」
さっちゃんは笑うどころではなかった。おんぶしてもらっている申し訳なさでいっぱいだった。
「ごめんね…」
「気にしないで。それより早く診てもらわないと。保健室、どっち?」
「南校舎の一階奥」
「わかった」
隆一は早足で急いだ。年頃の女子をおんぶするのも初めてだ。さっちゃんは女子というより、妹みたいな子どもっぽい子だったが、胸のふくらみは背中から伝わってきた。なんだかこそばゆい。
さっちゃんの指の骨は折れてはおらず、とりあえず冷やして固定してもらってきていた。帰りに病院へ行ってみるという。おおごとにならなくてよかったと、隆一は胸をなでおろした。




