21 誘惑に負けて
学校へ戻った隆一は、急いでテニス部のコートへと向かった。ヤワラちゃんが隆一に気づき、手を振った。隆一がカメラを出して撮り始めると、ヤワラちゃんがしきりに腕の腕章を指差している。
あ、そうか、腕章つかなくちゃいけないんだっけ。隆一は「写真部」と書かれた腕章をつけると、邪魔にならない場所に移動しながら、写真を撮り始めた。
しゃがんでカメラを構えると、短いスコートの下のひらひらのアンダーショーツが丸見えである。ぴちぴちした太ももも、いくら女に興味がない隆一にも、刺激的に映った。こんな間近かで、堂々と、変な顔もされずにパンチラが見られるのだ。隆一の顔はゆるみ、男としての感情がこの時とばかりにむらむらとわいてくる。
パンチラの写真をいっぱい撮って、男どもに売りつけてやることもできるな。フィルムを自分で買い足して、どっかの店で現像プリントすれば、誰もおれが撮ったとはわからないんだし…。女装なんてみじめなことやってるんだから、それくらいのお駄賃はあってもいいだろう…。
隆一はよからぬことを考えながら、いつしか望遠でパンチラを撮りまくっていた。ヤワラちゃんが肩越しに立っていることにも気づかないほど集中していた。
「だいぶ撮れた?」
ヤワラちゃんの声で我に返った隆一は、またカメラを落としそうになり、慌てて抱え込んだ。ばつが悪くて、言葉が出ない。顔が硬直して、苦笑いさえできなかった。
「一生懸命に撮ってたね」
ヤワラちゃんの素直な言葉が、隆一の心をつきさす。
綾香にあれほど釘をさされたのに…自分の役目を忘れて、男に返ってしまった…。性の誘惑とはおそろしいものだ。デジカメでなくてよかったと、隆一は心底思った。パンチラしか撮ってなかったことがばれずにすむから。
デジカメだったら、ヤワラちゃんはその場でどんな写真を撮ったか、力づくで見るに違いなく、そのとき、どんな言い訳をしても絶対に通用しないだろう。
「ときどきは、周りを注意して見ててね。テニス部は通りに面してることもあって、よからぬ輩がよく来るのよ。そういうのを見つけたら、何してるんですか、って堂々と聞いていいからね」
「よからぬ輩?」
隆一はわかっていながら、とぼけて聞いた。
「いやらしい奴らよ、ほら、パンチラ写真なんか撮る奴」
ああ…。隆一はうなだれた。
「今は女子に頼んで撮らせる奴もいるのよ、ほんと、頭だけは働くんだから」
ヤワラちゃんは呆れたように言う。女子が、頼まれて女子のパンチラを撮る…金なんかも動くんだろうか。そこまでの知恵は隆一にはなかったし、衝撃的ではあった。しかし、女子になりすましてパンチラを撮っている自分はどうなんだ!?
「女子がねえ…」
隆一が信じられないというふうにつぶやくと、ヤワラちゃんは、
「お小遣いがほしくてやるのよね。もっと正々堂々と稼げばいいのにね」
と、おばさんめいた口調で言う。やっぱり、小遣い稼ぎか。
「ミックなんかね、アイドルの生写真を売ってお小遣いを稼いでるの。ほら、この町のラジオ番組って、全面ガラス張りで中が見えるでしょ。ああいうところにゲストに来たアイドルとか、キャンペーンとか、サイン会なんかもチェックしてて、前の晩から並んでいい席を確保するんだから。
ミックが狙うのはだいたいが女の子のアイドルね。男性向けの写真雑誌に投稿すると、女の子の投稿は珍しいっていうのでよく掲載されるんだって。ま、ミックの腕もいいから、写真のよさで掲載されてるとあたしは思ってるけど。だから、学校でも、ミックのアイドル写真はすごくよく売れるのよ」
あのおとなしそうな顔をしている副部長が、徹夜でアイドル見たさに並ぶなんて、隆一にはまたもや衝撃的だった。それに、撮った写真を学校で売るなんて…。
「学校で商売やっていいんですかね…」
心配そうに尋ねると、ヤワラちゃんはミックをかばうように言った。
「誤解しないでほしいんだけど、ミックがバナナの叩き売りみたいに、商魂丸出しで売っているなんて思わないでよ。そんなんじゃなくて、撮った写真をうれしくてみんなに見せびらかしているうちに、自然に注文が来ちゃったのよ。
それに、売るっていっても、焼き増し代が一枚30円としたら、100円程度で売るだけのこと。カラーフィルムと現像代がちゃらになって、次のフィルムが買える分がもうかるぐらいなんだから、かわいいものよ」
隆一が納得した顔をすると、ヤワラちゃんは安心して続けた。
「それに、売るのが目的で写真を撮っているわけじゃなくて、アイドルをいかにきれいに、上手に撮れるかっていうのをおもしろがっているの、ミックは。学校じゃ、白黒写真ばっかりだけど、カラーで撮るとまた違ったおもしろさがあるんだって。ミックの撮影対象は、いつも人間なのよ、人間がいちばんおもしろいからって」
「なるほどね」
隆一は感心してうなずいた。
「そうかと思うと、ハナちゃんは植物しか撮らないの。だから部名もハナ。それも、そのへんに咲いてる雑草ばっかり撮るの。きれいな花にはおもしろさがないっていうのよ」
ヤワラちゃんは笑った。あのハナさんがねえ。ハナさんは瓶底眼鏡をかけ、いつも背筋をしゃんとのばして歩く優等生タイプ。凛とした雰囲気は、大輪のバラやユリが似合いそうだが、実際は違うのだ。
「ヤワラ部長は、どうなんですか?」
隆一は、フィルムを巻き戻しながら聞いた。まだフィルムが残っていたが、一刻も早くこのフィルムを始末しなければならないと思ったのだ。
「あたし? あたしは、何でも屋。おもしろいって思ったら、何でも撮っちゃう」
ヤワラちゃんらしいな、と隆一は思った。
「チャム…あ、綾香のことね、チャムも何でも撮るほうかな。チャムはカメラマンを目指しているのよ。写真の専門学校に行くんだって、聞いてるわよね?
もうずっと心に決めてたらしくて、でも、お母さんに進学のお金の心配をさせたくないからって、一年のときから写真屋さんでアルバイトしてきたのよ。ほら、チャムの家は母子家庭でしょ? 下には弟と妹がいるし。学校はアルバイト禁止してるから、アルバイトの話はここだけの内緒にしてよ」
ヤワラちゃんはテニス部の片づけ風景を数枚、カメラに収めた。隆一は、綾香の将来の夢のことも、アルバイトをしていることも知らなかった。母子家庭で、進学資金にも困っているらしいことも…。おそらく、隆一が借りたこのカメラも、綾香がアルバイト代を貯めて買ったものだろう。隆一はやりきれない気持ちになった。
「あ、終わったみたい。じゃ、全員写真撮ろうか」
ヤワラちゃんと隆一は、テニス部の三年生が並んだ集合写真を撮った。もう日が暮れかかっていたが、夕日をバックにした集合写真も味があった。撮影が終了し、解散となった。
「あたし、こうやってみんなの写真を撮るほうじゃない? 気がつくと自分の写真がなかったりするんだよね…。集合写真っていいながら、それを撮ってるあたしは、みんなの中にいないの」
ヤワラちゃんは帰り際、ちょっと寂しげに言った。
「あ、でも、写真を撮るのは好きだけど、撮られるのは嫌いだから、それでいいんだけどね。自分からカメラ係をかって出てるわけだし、写真部って、そういう役割だもの」
深い意味はないから気にしないでね、ヤワラちゃんはそう言っていつものようにガハハと笑った。
隆一は、バスケ部だったこともあって、いつも撮られる側だった。行事など、何かにつけ、写真は写真部の連中が撮っていた。自分のカメラを持っていったことは一度もない。当たり前のように写真を撮られて、注文書が回ってきて、自分が写っているものを注文する。写真なんかいらねえよ、なんて思うこともたびたびあった。
だが、自分が確かに過ごした光景の中に、自分が「いない」ということに気づいた時、「いた」ということを証明する写真に自分が写っていないことがわかった時、ヤワラちゃんは強い寂しさを感じたに違いない。
おそらく、夢中で撮っている時は感じない感情だ。そのことに気づいたのは最後の学年とか、最後の高総体とか、自分が“思い出”を意識し始めた最近…。
隆一は、どちらかというと地味な文化部に対して、優越感を持っていた。だが、誰かが、その地味な作業をやらなければ成り立たないことが、今はわかる。




