14 ひと悶着
病院はバス通り沿いにあるので、学校小路を歩いていけば10分ほどで着く。
隆一は綾香とぶつかった場所で立ち止まった。ここから始まったんだ、この悪夢は。
転倒してついた隆一のスクーターのずった跡がかすかに残っている。スクーターは使い物にならず、廃車となり、10万円がかかった。痛い出費だった。布引学院の生徒らしい自転車が、風のように隆一の肩をかすめていった。
「あぶねえだろう!」
むしゃくしゃした隆一は自転車に向かって怒鳴ったが、自転車は知らんふりして進んでいってしまった。代わりに前を歩いていた女子高生二人が、びっくりした顔で隆一を振り返る。なに見てんだよ、と言おうとして、自分が女になっていたことを思い出した。おっといけねえ。
病室に入るなり、隆一はいきなり綾香に怒鳴られ、さらに疲れが増した。綾香は携帯電話で、隆一の情報をすべてつかんでいた。
「あんた、気を抜いちゃだめって言ったじゃないの!」
綾香はためていた怒りを、このときとばかりにぶつけた。
「あんたの行動は全部、みんなから聞いてるんだからね。大またで廊下をドスドス歩いたんだって? 女子トイレと男子トイレを間違えて、先生に驚かれたんだって? 学食で二人分食べたんだって? 財布も持ってなかったんだって? すごい男っぽいんでびっくりしちゃった、って、さっちゃんが言ってたんだから。ばれたらどうするつもりよ?」
隆一は、ああー、と伸びをして、大また開きで椅子に座った。意識して足を閉じていたから、太ももの筋肉がぴくぴくするほど疲れていた。やっと緊張を抜き、隆一はだらりとした。
「ちょっと、かよわい乙女の前で足を開かないでよ、恥ずかしいっ。学校でもそんなふうにしてたんじゃないでしょうね?」
綾香は視線をそらして言った。
「いーじゃん、スカートに隠れて見えないんだからよ。スカートが思ったより長くて助かったぜ。今どきの女子高生のようなミニスカートだったら、あぶなかったぜ。これでもがんばって脚をとじてたんだからよ。あー、太ももが筋肉痛―。ま、ばれなかったんだからいいじゃん」
隆一は、足をさすりながら、得意げな顔を綾香に向けた。
綾香は、男であることがばれればいいと思っていた反面、そうならなかったことにどこかほっとした気持ちがあった。けれど、そんなそぶりはつゆとも見せなかった。
「ふん。気をゆるめたらばれるんだからね、気をつけてもらわないと。あ、そうそう、授業のノートを見せてよ。まさか、居眠りして何も書いてないってことはないわよねえ?」
綾香がいじわるたっぷりのいい方をするので、隆一はいじわるをしてやろうと思った。ノートを渡しながら、
「あー、そういえば、お前のいとしの王子様を教えてもらったぜ」
と、意味深につぶやいたのである。綾香の表情が変わった。恥ずかしさで顔がみるみる赤くなった。
「なっ、なんで?」
しどろもどろである。
「だって、さっちゃんたちは、おれがいとこで、同じ女だと思ってるんだから、当然、そういう話だって自然に出るさ。だろ?」
綾香は黙ってしまった。けっ、ざまーみろ。
「それにしても、あんな男のどこがいいんだろうねえ。ありゃ、おれのバスケ部の後輩なんだけどよ、まさかお前があいつを好きなんてねえ、驚いたぜ。
あいつは、どーしよーもない見栄っ張りで、おれらが相手にもしてなかったザコだぜ。女ってのは、ぜんぜん見る目がないな…」
隆一はここが仕返しとばかりに綾香に言い返した。
綾香は黙ったまま、体をぶるぶる震わせ、なんと目から涙を流してうつむいた。
「お、おい、たいした奴じゃないって、教えてやったんだぜ。なんで泣くんだよ」
隆一はおろおろした。まさか綾香が泣くとは思わなかったのだ。怒って言い返してくるとばかり考えていたから、自分がきつい言葉を発したことに、隆一はまったく気づいていなかった。
「ばかっ! アホ! くそったれ! もう帰れ! ボロを出してばれればいいんだっ!」
綾香は泣きじゃくりながらノートを隆一にぶつけた。隆一はなだめようと思ったが、何を言っても収まりそうにないので、逃げたほうがいいと判断した。
「なんだよ…わけがわかんねえなあ…」
そうつぶやいて、さっさと病室を引き上げた。
泣いたからには隆一が何か悪いことを言ったのだ。でも、けんかをふっかけてきたのは綾香だ。あいつがあんなにおれをいじめなければ、おれだってあんな言い方はしなかったんだ。あんな言い方?
隆一ははっと気づいた。自分の言い方が、きつかったかもしれない…。でも…あいつだって、おれにひどい言い方をしているじゃないか、いつも。隆一は必死に自分を正当化したが、心に感じた痛みは消えなかった。