10 いとしの王子様
布引学院から昼を食べにやってきた男子たちの席は、配膳のおばさんたちの目の届く前列と、暗黙の了解で決まっていた。さっちゃんとやっちんは、男子の顔がぎりぎり見える位置に陣取った。隆一は女装していることがばれる危険性があるので、男子に近づきたくはなかったのだが、さっちゃんたちにはそんなことはわからない。
「ねえ、ねえ、今日も来てる!」
「あ、ほんと」
さっちゃんとやっちんは、小声でささやきあった。さっちゃんは、がつがつと定食を食べ始めている隆一の腕をこづいた。
「?」
隆一は口をもぐもぐさせながら、顔をあげた。
「奥から二列目の、窓際から三番目」
さっちゃんが耳元でささやいた。生暖かい息が耳にかかって、隆一は体の中を電気が走りぬけたようにしびれた。耳打ち。これも男子校ではしない。初めての経験にどぎまぎしたが、なんとか平静を装い、二列目、窓際から三番目の男に目をやる。
白いTシャツに、青いチェック柄のボタンダウンシャツをはおった、座高の高い男…。短いぼっちゃんカット。あとからきた友だちのほうを振り返った時、その男の顔が隆一にもはっきりと見えた。
太いまゆ毛に、切れ長の目。にやけ顔が妙に鼻につく…あれは…坂口じゃないか!
「きゃっ、こっち向いたっ!」
やっちんが、自分のことを見てくれたかのようにはしゃぐ。男は一瞬、隆一たちのほうに目を向けた。やべっ! 隆一は急いで下を向いた。
「あたしたちに気づいたのかな?」
さっちゃんがうつむいたまま、やっちんに話しかける。
「ね、どう思う、杉村さん?」
隆一には聞こえていなかった。綾香のいとしの王子様とやらは、隆一のバスケ部の後輩の、坂口慎吾だったのだ。
たいしてうまくもないのに、目立ちたがり、でしゃばり。自分がかっこいいと思い込んで、スタイルを気にしている男。バスケ部の中では評判のよくない奴だ。ああいう男を、女子はかっこいいと思うのか…?
「ねえ、杉村さんってば」
また腕をこづかれて、隆一は我に返った。
「どう思う?」
さっちゃんが同じ質問をする。隆一は思わず、
「あんなのの…どこがいいの」
と口走ってしまった。
「ただのええかっこしいだ」
さっちゃんとやっちんは、顔を見合わせた。
「杉村さん、彼のこと、知ってるの?」
やっちんはびっくりした顔だ。さっちゃんも、隆一をまじまじと見つめた。しまった。また余計なことを…。隆一は一瞬の間に、言い訳の言葉をぐるぐる捜し回った。
「ち、ちがう…ただ…そう感じただけ…なんだけど…ね。ああいう男って、だいたい、そういうタイプっていうか…」
「そうかなあ。あたしには、やさしい人に見えるけどな」
やっちんがそう言うと、さっちゃんは、
「でも、なににしたって、あたしの好みではないけどね」
と笑いながら言い切り、
「杉村さんも、ああいう人、好みじゃないんだね」
と話をずらした。隆一は、ほっと胸をなでおろした。
「綾香の王子様を杉村さんも気に入ったら、どうしようかって思ってたんだ。血のつながりって、おんなじタイプを好きになるって、よくいうじゃない」
「そうそう。いとこがライバルなんて、嫌だもんねー」
やっちんも笑った。
「杉村さんはどんな人が好きなの? あ、もしかして、もう彼氏がいるとか…?」
さっちゃんがうかがうように聞いてくる。
隆一は定食を食べ終わり、次のカツカレーに手をつけていた。おしゃべりより、空腹を満たすほうが大事で、あんまり話しかけてほしくはなかったが、ここは答えなければならない。
「彼氏なんて…いない…よ」
ぼそっとつぶやくと、さっちゃんもやっちんも、安心したように吐息をもらした。
どんな人が好き、か。そんなこと考えたこと、なかったな。おれ、彼女がほしいなんて思ったことなかったし。どっちかっていうと、女に興味がないんだ。昔っから、そうだった。かわいい、とか美人とか、思うことは思うけど、それ以上、どうなりたいとか、思ったことなかった。女のほうから交際を申し込んできたから、流れでつきあったけれど。
「杉村さん、かわいいから、もてるんじゃない?」
やっちんの言葉に、さっちゃんもうなずいた。は??
隆一は思い切り、首を振った。かわいい? このおれが?
やめてくれよ、男だぜ、おい。これ以上自分に話題を集中させたくないと、今度は隆一のほうから質問をぶつけた。
「ふたりは、どんな人がいいの? もうお目当ての彼、いる?」
さっちゃんは、寂しげに首を振った。
「ぜーんぜん」
やっちんも深くうなずいた。
「興味ないの?」
「ううん、あたしは受験だから、いまは勉強。気が散ることはいやだし…」
と、やっちん。
「あたしはどっちかっていると、オタク系だからね。漫画に出てくる美少年を見てるほうがいいんだ」
さっちゃんは意外なことを言う。隆一は、
「漫画?」
と思わず口に出した。
「うん。漫画の中の美少年は、すね毛も濃いヒゲもないし、ごつい体していないし、とにかくきれい。現実の男の子って、そうじゃないし、なんか、汚いってイメージ」
隆一は言葉がなかった。現実の男の子は…汚い…。あからさまにそういわれると、ショックである。でもそれが現実だ。漫画の美少年が、現実にいたら、それこそ世の中ひっくり返る。理想を追っていても仕方がないだろうに。
「それって、現実逃避なんじゃないの」
隆一はできるだけ冷静を装って言った。それでもきつい突っ込みには違いない。でもさっちゃんは、あっけらかんと答える。
「うん、そう。わかってるの。でも、社会に出たらいやでも現実見るわけだから、学生のうちは、夢の世界に生きてたっていいんじゃない?」
「わかる、わかる! 現実とか、嫌なところを全部排除した、漫画の世界の男子を見ているのが、幸せなんだよね」
やっちんも同意する。わかってて、理想の世界に生きているわけか。隆一は、反論もできず、それも間違った考えではないな、などと考えていた。




