40話 何でもないスローライフ
手を合わせて、少しだけ息を吸い込む。
「「ごちそうさまでした」」
合図なしに揃った声が心地良い。なんとなく視線を向けると、正面に座ったマリーもこちらを見ていた。
目が合って微笑む。後ろでは眩しい朝日が差し込み、舞い上がったホコリが反射して綺麗に見える。
何でもない一日の始まりだ。
同時に立ち上がり、食器に手をかける。
「いつもありがとうございます」
「何もしてないのが居た堪れなくてな」
本当に何もしてないんだよな、これが。気分的にはあれだ、定年後に家の中にいる暇なじいさんって感じだな。
ということはマリーは……うん。この妄想は健全ではない。いや、でも……
「ふふっ」
「どうした?」
「突然嬉しそうにしていたので可笑しくて。何を考えていたんですか?」
首を傾げて俺に笑いかけた。うん、可愛……じゃなくて。高く結った金髪が揺れて綺麗……じゃなくて。
駄目だな、意思がまるで役に立たない。ここは、誤魔化そう。
「マリーの口元に残りカスついてるなっと思って」
「えぇっ!? ど、どこですか!?」
はっはっはっ、慌て出して可愛いのぅ。両手でペタペタと何度も顔を触る仕草は面白いな。「落ちましたか?」って何度も聞いてくるが、わざと首を横に振る。
それだけでマリーが一層慌て出して仕草が大げさになっていく。俺はニヤニヤしながら声をかける。
「まだ取れてないぞ」
「そんなっ……ならグランさん取ってくださいよ」
「えっ」
「分からないので取ってください」
不貞腐れた顔をして距離を詰めてきた。見上げてくる顔と少し逸らされた視線がそそ……んんっ!!
これは、嘘でしたごめんなさい、ができない状況じゃないか。……一応フリでもしておくかな。
少し緊張しながら手を上げて、頬に親指をつけた。なぞるように動かすと、肌の滑らかさと柔らかさが伝わってくる。不意に鼓動が高まって、息が詰まった。
「取れました?」
逸らしていた視線が俺を見る。それだけで体の奥、顏が熱くなってしまう。
あぁ、なんなんだよ!!
「……あぁ」
思わず顔を背けてしまった。その時、俺の手をマリーが掴んだ。
えっ、ちょっ……何をして。
「親指」
「へっ?」
「何もついていないじゃないですか」
あ、気づかれてしまった。
怒っているのか眉間に皺が寄っていて、見上げる視線が痛い。一歩後ろに下がろうとも、マリーが俺の手を掴んで離さないんだが。
「グランさん!」
穏やかな朝にマリーの大きな声が響いた。
俺は色んな意味で深く反省することになる。
◇
うんしょ、よいしょ。物干し台は……あっちか。
両肩に布団を抱えて、玄関外に来ていた。少し離れたところにある物干し台に近寄る。
罰として布団干しやシーツ干しの任務遂行中だ。……罰、軽くねぇか? まぁ、そこがマリーの良いところだよな。
地面に落とさないように慎重に持ち、物干し竿にかけていく。皺が寄らないようにって言われてたな。丁寧に伸ばしてっと……できた。マリーの布団だからな、謝罪も込めて綺麗にしとかねば。
そういや、布団叩くのっていつがいいんだ? そこは聞いてねぇなぁ。あーー、どうするか。
「まっ、先やっても同じだろ」
端に吊るされてあった布団叩きを手に取る。
……どうやって叩くんだ? 先が広いほうで、軽くこんぐらいか? いや、もっと強く。……破けそうで怖ぇな。ホコリが出るぐらいの強さで……お、出てきたぞ。満面なくやっていくか、暇だし。
朝の日差しの下、布団を叩く音が響く。何も考えず布団を叩き、時々あくびを噛み締める。叩いても叩いてもホコリはなくならないんだが、いつまで叩けばいいのか分からない。
というか、これは本当にホコリでいいのか? 中の羽毛やらが飛び出しているわけじゃないよな。
「……大丈夫だよな」
手で布団を触ってみるが、全然分からない。近寄ってみると、鼻先に届く布団の匂い。いつもより強く感じる、マリーの匂いだ。
別に臭くはない、当たり前だ。安心するような、体の力が抜けるような感じ。そういえば、これで寝ているんだよな。
と、ここまで考えてしまうと妄想しちまうな。自重自重……布団柔らかいな。ちょ、ちょっとぐらいなら。
腕を広げて布団を包み込んで抱きしめる。体はぞわぞわしてきた。うおぉっ、なんか変に滾ってきたぞ。
「あれ、グランさん。サボっているんですか?」
「へぇぁっ!?」
なななっ、なんだと!? 見られてしまっていただとっ!!
うおぉっ、ごっ誤魔化せぇっ!!
「い、いやぁ……ちょっとつまづいてな」
「……本当ですか? また嘘じゃないんですか?」
振り向くと、ジト目でこちらを見上げるマリーがいた。少しずつ距離を縮めてくるのが、怖い。
なんか、なんか違う話題で話を逸らさなければ!
「ほ、ホントホント! そ、そういえば……か、買い足すものとかあったか?」
「……買い足すもの、ですか?」
お、食いついたぞ。今まで人型ゴーレムを作って変装させて買い出しに行かせてたらしい。こんな森の中だもんな。
それにお金なんてないと思ったが、この森で採れるものが結構な値段で売れるようだ。ちょっとの労働で生きていける環境って……いい。傭兵から足洗いたい。
「ちょっと調べてこないと今は思いつきません」
「なら、今度一緒に町に行ってみないか?」
「えっ、一緒に……ですか?」
いい機会なんじゃないか、これは。咄嗟に言ってしまったが、そろそろ町に行ってみてもいいだろ。
マリーは少し難しい顔をしているが、顔色は悪くない。ボッチ卒業の第一歩になりそうだ。
「俺だけじゃない人と会話の練習もして、少しずつ克服していかないか?」
「……そうですね」
俺の言葉に強く頷いて、見上げてきた。真剣な顔つきで決意が現れている。
安心した、マリーはまだ諦めていなかったんだな。
ホッと胸を撫で下ろしていると、マリーの表情が柔らかくなる。
目を細めて微笑んだ。
「……グランさんがいるので、安心できます」
あーー、うん。
「そ、そうか……」
「はい」
照れ臭いってもんじゃねぇぞ、これ! はっ、俺のハゲ。俺のハゲを治したい!
めちゃくちゃ周りの視線が気になるぞ。こんな頭じゃ、マリーと一緒に歩けねぇじゃねぇかよ! まだ二ミリ程度しか生えてねぇから、汚い落ち武者に見えてしまう!
あぁっ、髪の毛を早急に伸ばすにはどうすりゃいいんだよぉっ!!
「あ、そういえば」
「どどっ、どうした?」
「先ほどお母さんから連絡があって、今こっちに向かっているようです」
あ、ちょっと心が落ち着いてきた。そうか来るのか……まさか未練が断ち切れたかどうか見にくるのか?
だったらヤバいな、全然断ち切れてねぇ。どうする、逃げるか?
「ギャオォォッ!!」
「あ、来ましたね」
はい、無理ー。お疲れさまでした、俺。
空を見上げると、こちらに向かって飛んでくる大きな影が見えた。なんかいつもよりも迫力があるんだが、怖い。お母さんは上空を旋回すると、結構離れたところに降りた。
いつもとは違うな、どうしてだ?
マリーと顔を見合わせて首を傾げる。俺たちが歩いて近づくと、お母さんもこちらに気づき地面を揺らしながら歩いてくる。
そして開口一番に――――
「お前の頭が光らないから、降りる場所が分からなかったではないか」
うるせぇっ!! 俺の頭の光をいつも目印にするんじゃねぇ!!
って、まぁ怖くてそんなことは言えないんだがな。
だが、急にどうしたんだ?
「お母さん、どうしたの? いきなりこっちに来るって……」
「弱い魔力体がここに向かっていたからな」
「だったら、私一人でも……」
「またヘマをするんじゃないかと思って」
「もうっ!」
はっはっはっ、微笑ましいなぁ。はっ、今はそれどころじゃねぇな。弱い魔力体、魔力で作った何かがこちらで向かっているってことか。
「きたぞ」
お母さんがとある方角を見たので、俺も見てみる。
なんだあれ、鳥か? ……いや、あれは見たことのある鳥だ。あの魔法クソジジイが作る伝書用の魔法体だ。
鷹の形をしたそれは、目の前に降り立つ。しゃがんでその魔法体に俺の魔力を流し込む。
「グラン・ギャロックと認証しました。音声を再生します」
『いつまでハゲを治しているつもりだ、馬鹿者がっ!! ワシも立派にハゲとるというのに、いつまでも髪に拘りおって!! この小童がっ!!』
『団長のレイだ。ミルコだと話が進まないので私が説明する』
聞き慣れた落ち着いた女性の声だ。団長か、良かった。うるさい魔法ジジイの説明じゃなくて。
『巨大なゴーレムが首都に向かってきている。調査報告によると、倒した吸血鬼が封印していたものが復活してしまったようだ。ゴーレムの材質は、聞いて驚け。ダイヤモンドだ。しかし、普通のゴーレムではない。異様に固く、衝撃を与えても容易く再生してしまう。また冷気属性の魔法を操り、高熱から己の身を守っているようだ。他の傭兵団や、お前の部下である副隊長共では力不足で全く歯が立たん。早く戻ってこい』
「音声再生終了。消滅します」
目の前で鷹が霧散して、その場はしんと静まり返る。
重苦しい空気の中、一番始めに口を開いたのは――――マリーだ。
「……帰られるんですね」
振り向くと、少し悲しげに微笑んでいた。胸の奥がズキリと痛み、言いようのない孤独感が沸き上がる。
マリーを置いて、帰る?
……ふざけんな。なんだよ、あのクソ吸血鬼。
最後に言っていたことってこういうことか!
怒りが湧いてきやがった。
「いや、違う」
立ち上がり、マリーと向き合う。
はっきり伝えよう。
「行って帰ってくる。必ずだ」
傭兵なんて辞めてやるぞ。俺はここに居たい!




